学生工作員

「報告は以上です」

 直立不動の体制のまま、如月大河は目の前に座っている女性に述べた。

「目標に逃げられたのは残念だけど、仕方ないわ。ご苦労さま」

 女性はそう言うと、懐からタバコを取り出した。

 慣れた手つきで火をつけると、一息吸って旨そうに煙を吐き出す。そのあまりにも決まっているしぐさは、まるでゴッドファーザーの登場人物だった。

 彼女の名は三木谷れん──大河のいわば上官に当たる人物だった。

 年齢不詳。どう見てもせいぜい大人びた女子大生くらいの年齢にしか見えない。だが、彼女の年齢を知ろうとした者は例外なく大変な目にあっている。

 一応、大河も気にはなっているのだが、彼女に酷い目に遭わされた連中の話を聞いていては、とても尋ねてみる気にはなれなかった。

 世間に向けた表向きの身分は高校の物理教師ということになっているが、その実態は大河が所属している特務機関──ASAの指揮官だ。

 大河が今訪れている場所は、三木谷の執務室だった。

 執務室と大層な名前が付いてはいるが、それ程広くはない。

 部屋の中央に置かれた木製の立派な机がある他は、乱雑に書類が差し込まれた棚が壁際に置かれているだけの殺風景な部屋である。

「それで、保護した少女についてなんだけど、我々が保護することで決定したわ」

「はぁ」

 大河は三木谷の言葉に生返事を返した。

 まあそうなるだろうなと思っていた。ああいう地下組織は、誘拐した子供が『能力者』ではないと判断した時点でその子どもを始末するだろう。無能力者をいくら薬漬けにしたところで、使えもしない『能力者』もどきが出来上がるだけだからだ。それならば始末した方が後腐れがないと考えるのが自然だ。胸糞の悪い話ではあるが。

 そこらにいる子どもを誘拐して能力者かどうか確かめる。限りなく非効率的な方法に思えるが、能力者かどうか判別するには専用の機材と薬品、そして時間が必要だ。

 例の少女は、保護した時の状況からして、随分と長く捕えられていたようだった。

 彼女が薬漬けにされずに済んだかはわからないが、ずっと捕えられていたという事実が能力者であることを示している。

 つまり遅かれ早かれ、彼女はまた同じような組織に狙われる可能性があるということになる。そういう点から考えて、三木谷が言っているように保護するのが妥当だろう。

 なにしろ、この機関──ASAは、対能力者の専門家スペシャリストだ。ここよりも安全な場所は、少なくとも日本国内にはない。

「それで、彼女の家族にはどう説明するんです?」

 保護した少女にも、家族がいるはずだ。ここで保護するとなっても、そのことをそのまま彼女の家族に伝えるわけにはいかない。だからといって、いつまでも誘拐されたままというのではあまりにも不憫だ。

「秘匿されているとはいえ、一応ウチだって国家機関ですから。今ごろ、多分情報操作と隠蔽工作が行われているでしょうね」

 三木谷は煙草の灰をトントンと灰皿に落とした。

 情報操作──つまり、彼女は行方不明のまま押し通されるということだ。

「また行方不明者を増やすってことですか」

 大河は嫌な気分になりつつも口を開いた。今回のように民間人を保護しても、簡単に彼らを以前の生活に戻す、という訳にはいかない。彼女のように行方不明のままにされた人間は、他にもかなりの数がいるのだ。

「彼女が回復して、自分で自分の身を守れるようになったら、そこからは彼女の意思よ。それまでは、私たちのところに居てもらうことになるわね」

「いったい何年かかるんですか。それに自分が能力者であると気づいて、外でまともに暮らしてるやつなんて聞いたことないですよ」

「そのためのASAでしょうが。彼らが道を踏み外さないようにするのも仕事のうちだわ」

 三木谷が言ったように、大河が所属する組織──ASAの存在は、世間から秘匿されている。

 ASAとは、Anti Skill Agencyの頭文字を取ったもので、直訳すれば『対能力情報局』となる。その名の通り『能力者ギフト』によるテロの防止、または鎮圧を任務とする機関だ。他にも今回のように、ギフトの救出といった作戦も行うことがある。

 何故秘匿されているかと言えば、それは組織を構成する工作員エージェントの殆どがだった。

 能力者が現れ始めたのは25年前である為、現在存在するギフトは最高齢でも25歳ということになる。増え続けるギフトに対抗しうるのは、ギフトでしかない──日本にもSATと呼ばれる警察の対テロ特殊部隊が存在するが、対テロのスペシャリストである彼らですらギフトとまともに戦うのは不可能なのだ。

 各国にもギフトで編成された特殊部隊はあるが、いずれも20歳以上の志願兵で編成されている。当然それだけで手が足りるわけもなく、まだ20歳未満のギフトも秘密裏に駆り出される。

 その為、大河たちが所属するASAは表向き政府が設置した全寮制の学園ということになっていた。

 その為指揮官である三木谷もまた、表向きは教師ということになっているのだ。

 ASAは紆余曲折を経て設立された、いかにも日本的な組織であった。


 三木谷は不意に何かを思い出したように、楽しげな笑みを浮かべた。

「まあ、お見舞いくらいは行ってあげたら? 彼女、貴方にすっごく感謝してたみたいだから」

「勘弁して下さい。俺はただ、チンピラ一人倒しただけなんですから」

 別に、今回の作戦は大河一人が行った訳ではない──他にも大勢の仲間が作戦に参加していた中、偶然あの場所に大河が居たというだけのことだ。

 感謝されるのが嫌なわけではないが、どうにも落ち着かない。

「またまた、謙遜しちゃって。女の子っていうのはね、命を助けられたー、なんてビッグイベントがあったら恋に落ちるものなのよ! なんて言うんだっけこれ? 吊り橋効果?」

「はぁ」

 一人で盛り上がっている三木谷に、大河は適当に相槌を打った。

(吊り橋効果って、あまり良い意味じゃなかったような……)

 大河はそう思ったが、口には出さないでおいた。ここでなにか言えば、また話が長くなる。三木谷の話は始まると止まらない。この辺りが見た目に反して年寄り臭いので、年齢を知りたがる者が出てくる原因なのではないだろうかと大河は思っていた。

 無論、口には出さないが。

「まあ、そういうことだから。じゃあ、なにかあったら報告して」

「了解」

 大河は律儀に敬礼してから、三木谷の執務室を後にした。


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