ストライク・バレット

ヴェールクト

プロローグ 

 辺りは一面火の海と化していた。


──知っている。この光景を知っている。

 そして最後には、どんな結末を迎えるのかすらも。

 そこは地獄と表現するのがふさわしい場所だった。

 

 昼下がりのショッピングモール。

 耳障りな非常ベルの音が、モールに流れていた楽しげなBGMを掻き消していた。

 ショーケースに整然と並べられたブランド品。靴屋に並べられた色とりどりのスニーカー。季節外れのコートが、どこか色褪せて見える。

 店先に並ぶそれらの品は、普段と変わらずに客の手に取られるのを待っている。

 だが、それらを目にする人々の姿はない。


──そう、日常は既に壊れているのだ。ここに残されているのは、その残滓に過ぎないのだから。


 モールの至るところに、物言わぬ骸と化した人々が転がっていた。

 男も女もーー子供も老人も関係ない。

 そこにはなんの違いもなく、ただ平等に地面へと伏していた。

 彼らはもう誰かと言葉を交わすことも、笑いあうことも出来ない。

 何の罪もない人々だった。

 誰が悪いことをしたわけでもない。

 ただ今日、偶然この場所にいた。

 それだけの理由で、彼らの命は奪われたのだ。

 今日は休日だった。 

 もし何も起きなければ、このショッピングモールは買い物を楽しむ大勢のカップルや家族連れで賑わっていたことだろう。


──だが、そうはならなかった。


 綺麗に磨き上げられた通路は血で染まり、その血溜まりには彼らが沈んでいる。

 これを地獄と呼ばずに何というか。

 そんな地獄絵図の中を、同じ年嵩の少年と少女、まだどこかに幼さを残した雰囲気の二人組がゆっくりと壁伝いに歩いていた。

「……どうすればいいの?」

 そう言った少女の声は震えている。まだ小学生くらいだろうか。彼女の手は少年の服の袖を掴んで離さない。

「大丈夫。きっとなんとかなるよ」

 少年は自分に言い聞かせるように口を動かすと、少女にぎこちなく笑みを向けた。

 つられて、わずかに少女も微笑んだ。

 「大丈夫だよ。絶対大丈夫……」

 そう少年が言いかけた時、遠くから悲鳴が聞こえた。遅れてパンパンと乾いた音。

 それから何も聞こえなくなった。

 少女が涙を浮かべて立ち止まった。少年は少女の手を引き、引きずるように歩き出す。

 何故こんなことが起きたのか、少年にはわからなかった。

 ただわかるのは、ここに居れば地面に倒れている人たちと同じようになるということ。

「大河、怖い、怖いよ……」

 大河と呼ばれた少年は、少女の手を取ってギュッと握りしめた。

「大丈夫。絶対に大丈夫」

 何の根拠も無い言葉を口にしながら、少年──如月大河は少女の手を引いて歩き続ける。

 ショッピングモールの端から外へ。

 何としてでもこの建物から逃げなきゃダメだ。

 どこに隠れていても、安全だとは思えなかった。なぜ起きたのか、至る所で火の手が上がっていた。かなり火の勢いが強い。煙はさほど充満していなかったが、それも時間の問題だった。

 天井のスプリンクラーから水は出ていなかった。ここを占拠したテロリストに止められたのだろうか。

 逃げ切れるだろうか。大河は自問した。

 恐らくは無理だろう。姿を見せた途端、簡単に蜂の巣にされるだろう。

 だが、せめて彼女だけでも。

 引きずるように手を引いている少女に視線を向ける。

 少女は目を真っ赤に泣き腫らしていた。遺体が転がっているのを目にする度、声にならない悲鳴を上げる。

 一緒にこの場所を訪れていた彼女の家族とははぐれてしまった。彼らが遺体になっていないとは限らない。

 何店舗かの店の中を潜り抜け、ようやく非常階段までたどり着いたところで、大河たちは足を止めた。周囲にテロリストの姿はない。まだ生き残っている人を探しているのだろう。

 大河が非常階段の扉を開けようとした時、背後から声が掛けられた。

「見つけたぞ、ガキども」

 ジャキ、と何かを操作する金属音が響いた。

「こちらを向け。逃げ出せると思うな」

 大河たちは言葉の通り、両手を上げながらゆっくりと振り返った。 

 そこにいたのは、違和感の塊のような男だった。

 変哲のないごく普通のスーツに、黒いサングラス。そして自動小銃カラシニコフ。ごく普通のサラリーマンが紛争地帯に迷い込んでしまったかのような風貌。

「んん? どうした? 怖くて声も出せないのか?」

 男は白い歯を見せて、楽しげに笑った。

 狂っている。男の全身から滲み出る狂気に、大河は恐怖した。

「どうしてこんなことを……」

「決まってるだろ? 俺たちはテロリストって呼ばれてる。公共の敵パブリックエネミーを演じるのが仕事でね」

「クソ野郎……」

 大河は思わず口走っていた。それを聞いて、男は更に楽しげに笑い始める。

「クソ野郎? はは! いいねぇ! 威勢のいいガキは嫌いじゃない! たっぷりかわいがってから殺してやってもいいんだが、上の連中がガキは出来るだけ殺すなって言われてるんだ」

「ふざけるなっ! この――」

「ああもう、うるさいな、お前」

 男がそう言った直後、ドスンとした衝撃を感じて大河は思わず膝を付いた。

「え?」

 じわりと腹から血が滲み出て、みるみるうちにパーカーが赤く染まっていく。

 男が構える自動小銃の銃口から煙が上がっていた。

 身体に力が入らない。撃たれた。

 どうすることも出来ずに、大河は床に倒れこんだ。

 それを見て少女が悲鳴を上げる。

「ああ、悪い、つい撃っちまった。お前が騒ぐからいけないんだぜ? 俺は威勢のいいガキは嫌いじゃないが、

 男はそれきり大河に興味を失ったようだった。今度は少女に向き直り、小銃の銃口を向ける。

「さてとお嬢ちゃん、君は静かだけれど── 二人揃ってここで殺してやってもいいが、君が我々に付いてきてくれるというのなら、そこの男の子は見逃してやってもいい」

「や、めろ」

 大河は声を出そうとしたが、うまく息が出来ない。意識が朦朧とする。強烈な睡魔に似た感覚が襲ってくる。

「佳奈、行くな……」 

 大河は鉛のように重くなった腕を上げ、少女の名前を呼んだ。

 少女は泣きながら男に連れられていく。その後ろ姿が、徐々に遠ざかっていく。

 駄目だ。まぶたが重い。もはや目を開けていられない。

 ゆっくりと意識が遠くなっていく。そして、何も見えなくなった。


──畜生、まただ。ここで意識は途切れる。彼女は最後に振り返って、そして視界から消えていく。その姿が、表情が、今も大河の脳裏に焼き付いている。

 結末は変えられない。どうすることも出来ない。そういうルールになっている。


──だってこれは、あの日のリプレイに過ぎないのだから。





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