エンゲージ 状況開始

──戦闘開始だ。

 模擬戦の開始を告げるが鳴り響く中、大河はホルスターから拳銃M9A1を抜き取った。

 既に初弾は装填してある。あとは引き金を引くだけだ。

 サブマシンガンは床に置いておく。

 相手の力が分からない以上、武器は温存するべきだろう。少なくとも、今はまだ使いどきではない。

 相手に隙を与えない為には、足を止めずに動き続けるのがセオリー。

 大河は走りながらすかさずイリーナへ狙いを定め、引き金を引く。三連射。

 彼女との距離は二十メートル。

 映画とは異なり、拳銃は決して『便利な』武器ではあっても、『使える』武器ではない。移動しながらの発砲では中々相手を捉えるのは難しい。

 だが、イリーナとの距離は僅かに三十メートルしかないのだ。拳銃の交戦距離としては離れてはいるが、決して当てられない距離ではない。普通なら、避けるなりの素振りを見せるはずだったが、彼女は試合開始からまだ一歩も動いてはいなかった。

 再び発砲。

「チッ!」

 大河は舌打ちする。

 まるで手応えがない。

 イリーナは撃たれているというのに、涼しい顔をしているどころか、僅かに微笑を浮かべたまま微動だにしない。

 まるで銃弾が、

 何かの罠か──大河は攻撃を加えつつ逡巡する──真意は測りかねるが、彼女がこちらに攻撃を仕掛けてくる素振りは見えない。

 何しろまだ、一歩たりとも動いてすらいないのだ。

──だったら、先に仕掛けてやる。

 大河はイリーナの正面で足を止めると、冷静に拳銃を構えた。

 彼女との距離は僅かに二十メートル程。

。今から避けようとしても、もう既に手遅れだ。

 大河はゆっくりと引き金を引いた。

 三連射。ガツリとした衝撃と共に、銃口から弾丸が放たれる。装填されているのは訓練用の弱装弾──訓練用とはいえ、当たりどころか悪ければ死ぬことすらある。無論大河に殺すつもりはないが、彼女は多少痛い思いをすることになるだろう。

 悪いな──大河は硝煙の臭いを嗅ぎながら、そんなことを考えていた。

 無能力を相手に、余裕を見せていたお前が悪い──だが、その直後、

「なっ……」

 目の前で巻き起こった現象を目撃して、

 なんだ、この能力は?

 大河はの身体能力は、ブースターと呼ばれる薬物によってかなり引き上げられている。 いわば、常時火事場の馬鹿力を発揮しているような状態だ。

 その引き上げられた視力が、先ほどまで真っ直ぐ進んでいた筈の銃弾が、軌道を捻じ曲げられていく光景を捉えた。

「マジかよ……」

 真っ直ぐイリーナに向かっていた筈の銃弾は、彼女に命中する直前に軌道を変えた。

 そんなことが、起こる筈はない。だが現に、大河の目の前で見えない何かに銃弾の軌道が捻じ曲げられていった。

 姿の見れないに、銃弾が弾かれている。

「正確な射撃です。敵の足を狙い、機動力を奪う。対能力者、いや戦闘の基本を忠実に守っている。ですが──」

 そう言って、イリーナは大河をゆっくりと見据えた。彼女の髪がふわりと揺れる。戦闘中とは思えない、あまりにも優雅な動作。

 彼女は言いつつ、ゆっくりと大河に向け手を伸ばした。

 それが何を意味するのか、大河には理解出来ない。まるで意味の無い動きだ。

 大河とイリーナは未だ二十メートル以上離れている。

 彼女のその優雅な動作が、大河には攻撃であると認識出来なかった。

 イリーナの右腕が大河に向けられた瞬間、濃密な殺気が彼女の全身から放たれた。

 それを感じ取り、大河は身構える。

 間違えない、仕掛けてくる。

 相手の攻撃がどのようなものかわからない以上は、セオリーに従うなら回避するべきだろう。

 だが、もう回避は間に合わない。

 滲み出た殺気が更に強くなる。イリーナは既に攻撃を放とうとしているのだ。

 だとしたら。

「ッ──!」

 イリーナの腕から放たれた一撃。

 だが大河の目はを捉えることは出来なかった。

 反射的に突き出していた拳銃に、何かが直撃する。激しい火花が拳銃から弾け飛び、大河はそのまま吹き飛ばされた。

 咄嗟に受け身を取りつつ、すぐに背後へ跳躍。拳銃を見ると、塗装がズタズタに削られていた。使えることは使えるであろうが、まるで猛獣の檻に投げ入れた玩具のように傷に塗れている。

 一体、何が起きた──大河の強化ブースターされた力でも目で捉えることの出来ない能力。

 だが、迷っている暇はなかった。

 イリーナは再び右腕を大河へと向けていた。次は確実に仕留めるつもりだろう。

 そうはさせない。

 大河はボロボロになった拳銃を構え、迷わず引き金を引いた。暴発の危険性はあったが、そんなことは知ったことではなかった。

 どの道拳銃を捨てれば、残るのはナイフと短機関銃に、幾つかの予備兵装。

 それは実質切れるカードが一枚減ってしまうことを意味する。

 大河が放った銃弾は、真っ直ぐイリーナへと向かっていく。

「喰らいやがれッ!」

 しかし──やはり彼女は避ける素振りすら見せなかった。

 そして頭の何処かで思っていた通り──大河が放った銃弾は、いとも容易くに弾かれてしまう。

「クソッ、一体どうなってるんだ!」

 吐き捨てるように叫びながら、大河は更に発砲する。9mm弾をイリーナに文字通り浴びせかけるが、その全てが見えない──壁のようなものに軌道を捻じ曲げられ、弾き飛ばされてしまう。

 一体どうすれば──大河がそう考えていた直後、自分の背後から僅かな風圧を感じた。

 ふっと背中へ向け繰り出された斬撃を、大河はすんでのところで回避した。

 バランスを崩して地面を転がる。

「──今のを避けるんですか。ブースターを使っているにしても、なかなかの反応です。私は貴方に対する評価を改めなくてはなりませんね、如月大河。でも──」 

 そう言いつつ、イリーナは右腕を上に掲げてみせた。その途端、大河の周囲に幾つもの複雑な空気の乱れが生じていく。

「なんだ!?」

 肌を通して伝わってくる、複雑な空気の動き──これは、自然に起きるようなものではない。例えるなら、自分の周囲をエアコンに囲まれているような、妙な空気の流れ。

「貴方は私には勝てない」

 直後、流れていた空気が一斉に大河へと襲いかかった。飢えた肉食獣のような一撃。

 まるで見えなかった。

 大河は切り裂かれた肩を抑えながら後ずさる。歩く度、全身から流れ出た血がぽたぽたと床に落ちていく。

「どうですか、私の力は?」

 イリーナは笑いながら大河に告げる。

 つまり、これが彼女の持つ能力。

 恐らく、空気の動きを利用して相手を攻撃しているのだ。 

 風による攻撃。そう考えて一番に思いあたったのは、カマイタチと呼ばれる自然現象だ。

 恐らくイリーナは、空力制御系の能力者──空気の流れを操り、真空状態を作り出すことでカマイタチを起こしている。

 防御もその応用だろう──銃弾を空気の壁を使って防いでいるか、あるいは軌道を逸らしているか──

 どちらにせよ彼女の攻撃は目に見えない。 

 それ故に、大河にはどうすることも出来ないのだ。

 イリーナの攻撃は止まない。

 腕が、足が、体中が、少しずつ切り刻まれていく。

「クッ……!」 

「……これで終わりです。暫くの間動けなくなるとは思いますが、諦めて頂きます」

「グッ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 大河は雄叫びを上げた。

 自身の直感だけを頼りにナイフを振り抜く。奴が次に狙ってくるのは、恐らく──脚の健だ。

 手に残る衝撃──響いた金属音が、見えない何かを弾き飛ばしたことを示している。

(当たった!?)

 目で捉えることは出来なくとも、実体がある──つまり、カマイタチではない。

 だが、目には見えなくても防ぐことが出来る。大河は確信した。

 気がつけば大河は、目の前のイリーナを睨みつけていた。

 戦意はまだ失われていない。

「負けられない……」

 静かに、自らに言い聞かせるように呟く。

 ここで負ければ、全てが終わる。そんな気がしていた。

 あの日誓った事が嘘になる。

 それは──それだけは認める訳にはいかなかった。

「どうして、どうしてそこまで……」

 イリーナが何故──と問いかけてくる。

 確かに圧倒的に不利な状況。普通なら降伏していてもおかしくないだろう。

 イリーナの瞳が曇る。

 それは彼女がこの模擬戦で見せた、初めての動揺だった。

(考えろ! 見えない攻撃を防ぐには、どうすればいい!?)

 大河は自分自身に問いかける。待っていても誰も助けてはくれない。この状況を切り開くことが出来るのは、自分を置いて他にない。

 はっと、大河は目を見開いた。

 イリーナの攻撃は不可視──目で捉えることの出来ない、いわば透明な斬撃。

(だとしたら……)

 大河はグッと拳を握りしめる。

 これは思いつきに過ぎない。彼女はトップレベルの能力者だ。こんな思いつきで防ぐことは出来ないかもしれない。

 でも──やるしかない。

 大河はベルトに吊るされた武器を掴み取ると、すぐさまイリーナの足下へと放り投げた。

 コロコロと地面を転がったその球体を目にして、イリーナがはっと顔色を変える。

 大河が放ったのは手榴弾。

 イリーナはすぐに身構え、防御姿勢をとった。恐らくはあの見えない障壁を展開するつもりなのだろう。あるいは、もう発動しているのか。どちらなのかは大河にはわからない。

 だが、それはどちらでもいいことだった。イリーナが動揺したその一瞬の隙を突いて、大河は次の行動に移っていた。 

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