おやすみ、おちんぽ

太刀川るい

おやすみ、おちんぽ

 微妙に歪んだドアを開けて帰宅して、明かりをつけるとまずおちんぽに挨拶した。

「やあ、元気かい?」

 培養液の中に無言でたたずむそいつは、今日も元気そうだった。こちらの苦労も知らないで。


 冷蔵庫から宅配ピザの残りを出して温める。

 PCをスタンバイから回復させたあたりで、軽快な音を立てて加熱が終わり、湯気を立てるそれを指先でつまんで咀嚼する。


 溜まっていた更新プログラムが動いている間、ぼくはおちんぽについて考えた。


 おちんぽを手術で切り離す技術がなかった時代の人間はどうやって生きていたのだろう。こんな環形動物の出来損ないのようなものを股間にぶら下げて歩いていたなんて到底信じられない。睾丸を損傷するリスクは高かっただろうし、何よりも見た目が悪い。


 繁殖することが生命の目的なら、ぼくの本体はおちんぽだ。

 ぼくの本体は今目の前の培養液に浮かんでいる、おちんぽで。こうして考えるぼくはそれに奉仕するだけの存在にすぎない。ぼくはおちんぽのために働き、おちんぽのために生きる。

 毎日必死で働き、賃金を得る。それはおちんぽを生かしておくために使われる。余ったお金は貯金する。稼ぎがよければ、やがて結婚することだってできるだろう。


 そろそろ周りでも結婚する奴が増えてきた。焦りを感じないといえば嘘になる。ブラウザを立ち上げてサイトにアクセス。にこやかに微笑んだ顔写真が家電のカタログの様に一覧で並ぶ。これができるのは外見を形作る遺伝子に恵まれたやつだ。どうせ結婚するなら可愛い子がいいけれど、今の時代は見た目は簡単に変えられる。それよりかは運動能力とか、知的能力とか写真には写らないもので決定したい。といってもぼくに選ぶ権利はない。希望を出すだけだ。双方が希望を出し合ってそれがマッチングすればめでたくゴールイン。ぼくは宅急便でおちんぽを彼女に送り、彼女はそれを使って子供を生む。おちんぽは役目を果たし、彼女の家で大切に保管される。きっとおちんぽは幸せな家庭を築くことだろう。養育費を後で見積もっておこうか。ぼくの口座から引き落とされるはずだ。

 写真とプロフィールの一覧は暴力的な量をもって続いている。ぼくは一向に進まないスクロールバーを見て、憂鬱になる。いくらなんでも選択肢が多すぎる。もう諦めて自動マッチング機能を使おうか。クリックひとつで無難な選択肢をシステムが選んでくれる。でもぼくはそれに少しばかりの反発心を覚えていた。機械に対するせめてもの人類の抵抗だ。ぼくは自分に自由意志があると信じたい。


 結局今日も相手は決まらなかった。ブックマークからニュースサイトに飛ぶ。ホットな見出しにはおちんぽチェンジで逮捕された男のニュースが踊っていた。クリック。自分のおちんぽを他人のおちんぽと交換するという犯罪は、これだけ手口が明らかになっているのに、一向に止まる気配を見せない。自分より収入がある奴の家に忍び込んで、そのおちんぽと自分のおちんぽを交換する。自分のおちんぽは結婚相手の家に送られて幸せな家庭を築く。生物としての勝利だ。

 こんなもの、すぐにバレるというのになぜみんな同じことを繰り返すのか。一度捕まれば罪は重い。最低でもおちんぽ没収を数年か、おちんぽ抹消だってありえる。おちんぽを培養液から取り出して焼却。本体を失ったそいつは、働き続けることで社会そのものに対して貢献していかなければならない。 種のために働き続ける、それが罰だ。


 ぼくはあくびを噛み殺すと、PCをスタンバイにして、布団に入った。


 部屋の明かりを消す前にぼくはおちんぽを眺めた。ぼくの苦労なんて全く意に介さず、ぼくの本体は液体の中で鷹揚に構えていた。さあ、明日もおちんぽのために働かなければならない。


 ぼくは小さくつぶやくと、まぶたを閉じた。

「おやすみ、おちんぽ」

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おやすみ、おちんぽ 太刀川るい @R_tachigawa

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