第7話 ありがとう、また会おう

 白くつややかなご飯を前に手を合わせた。

 いつも食べるのは玄米だけれど、収穫して最初に食べるお米だけは白いご飯にするのが村の習わしだ。


「いただきます」


 白矢しらやの雨がやんだあと、祭司さまは沼にむかって祈りを捧げた。

 村に戻ってからもサヤの家で儀式を執り行っていた。サヤとサヤの家族のための儀式で、お葬式のかわりだと聞いた。

 今年の暮れのお祭りはいつもより盛大になるらしい。お人身ひとみさまが沼に入った年のお祭りは派手にするんだそうだ。そもそもがお人身さまのためのお祭りだから。

 毎年そんなことはあまり意識せずに参加してきたけれど、今年は心をこめて参加するつもりでいる。


 噛めば噛むほど甘かった。

 悔しいぐらい甘くておいしかった。

 噛んで味わって、ご飯がぼやけてよく見えなくなった。


 毎日サヤのことばかり考えていた。

 ひとり隠れてたくさん泣いた。

 サヤがいなくて寂しい。もういないなんて悲しすぎる。

 痛かったかな、苦しかったかな、本当はどうしたかったのかな。

 会いたいよ。声を聞きたいよ。


 この寂しさを、悲しさを、どうやって乗り越えたらいいんだろう。


――雨、あがるよ


 うん、そうだね。でもね。

 この雨はあがるんじゃないんだ。

 決意ひとつで雨を止めるんだ。

 考えて考えて、わかったんだよ。

 サヤにまた会う方法が。


 あの日、静かになった沼の前で祭司さまが語ってくれた。


――ずっと昔、この沼で足をすべらせて、はからずも最初のお人身さまになってしまった村人がいる。その村人が沼に消えるところをね、この場所で見ていた人がいた。彼らは仲のいい友人だったんだ。友を救えず、生き残ってしまったその人こそ、私のご先祖さまなんだよ。私の家では、ケイじいさまと呼んでいる。


――白矢の雨がやんだあと、ケイじいさまはこの沼に飛び込んだ。でも阿芽アメは静かに泳ぐばかりでケイじいさまを襲わなかったし、ケイじいさまは泳ぎが得意だったから、気づけば岸に上がっていた。死ねなかったんだね。死のうとしたのに、死ねなかった。


――この沼を白矢の沼と呼んだのはケイじいさまが最初だそうだ。野矢芽ノヤメも阿芽もケイじいさまが名付けた。野矢芽が薬になることを発見したのもケイじいさまだ。今じゃ村にとってなくてはならない物になってるね。この薬を求めて訪ねてくる人もいるくらいだから。


――ケイじいさまは阿芽のことを調べ続けた。阿芽を調べることは野矢芽を調べることであり、白矢の雨を調べることは田畑を調べることに繋がった。ケイじいさまが生きているあいだ、白矢の雨は三回降った。お人身さまは、最初の友人が一人目。二回目は雨が自然にやむのを待った。三回目はもうひとりの友人が、お人身さまになった。


――孫やひ孫たちに囲まれて天寿を全うする間際、ケイじいさまは呟いたそうだ。


――死ななくてよかった。あのとき死んでいたら、友に合わせる顔がなかった。これでやっと会いに行ける。やっと謝れる。やっと三人で酒を飲める。




 鼻をすすった。

 涙が唇に伝わって、少しだけご飯がしょっぱくなった。


「フウナ、そんなに旨いか」


 囲炉裏のむこうからおじいちゃんが尋ねてきた。


「うん」

「白いお米はめったに食べないから、よおく味わってな。急いで食べたらもったいねえよ」


 お母さんがのんびりと言った。いつもどおりの喋り方だ。


「おかあ、ユネさんとこはどんな具合か」


 お父さんが足を組み替えて話しかけた。いつもどおりだ。


「いつ産まれてもおかしくないんだけどねえ。ちょっと遅れてるかねえ」

「あそこはもう男の子がいるから、次は女の子がいいだろな」

「あんたが決めることじゃねえさ」


 明るい笑い声が囲炉裏を飛び交う。

 いつもどおりだ。いつもどおりにしていてくれることが、ありがたい。

 あの日もうちの家族はいつもどおりだった。いつもどおりだったけど、「いいお米にしないとな」がみんなの口癖みたいになったことが、唯一の、大切な変化だった。


 ご飯がおいしい。

 白いご飯も、お汁に入ってる野菜も、甘くておいしい。


 思い浮かぶんだ。

 温かかったサヤの手のひら、雨に濡れていた細い足首、月光を浴びていた髪の毛、首筋、血の色、まっすぐな目。

 それらがもう、無いのだと思い出して、気持ちが悪くなった。


 だけどサヤがくれた言葉のひとつひとつを思い返すうちに、気持ち悪さよりも悲しみや問いかけで胸がいっぱいになる。返事はないのに何度も名前を呼ぶ。その繰り返しで、自分の気持ちを慰めて上向いたり、いやもっとできることがあったはずだと沈んだり、いかないでなんて引き止めてサヤを苦しめたかな、笑顔で送り出した方がよかったのかなとわからなくなって、ねえサヤ、って呼びかけてまた泣いて。


 もし選ばれたのがサヤじゃなくてわたしだったら、ちゃんと飛び込めたかな。

 ためらわずに、恨まずに、みんなのためだと納得できたかな。

 わからない。

 サヤは誰も恨まなかったのかな。

 あのとき、本当の心は何を思っていたんだろう。


――救ってもらったよ


 だけどもっと助けたかったよ。

 助けたかったんだよ。


 どうにかしようとしたんだけど。

 どうにもできなくて、ごめんね。くやしいよ。ごめん。


 ご飯は、甘い。まるで慰めてくれているみたいに甘い。


 泣くのは今日までって決めたんだ。

 サヤに会う方法を見つけたから。


 ずっと忘れなければずっと一緒にいられるんだと信じることにした。

 サヤがいたからわたしがいる。そんなふうにして生きればサヤはずっと一緒にわたしと生きるってことになる。

 サヤが見られなかった景色を、わたしのなかにいるサヤに見せてあげたいから少しでも長生きする。

 結婚の話はまだないけど、もしも子供を産んだら大事にする。

 だけど生まれ変わりじゃなくてね、見ていてほしいの。

 わたしが死ぬとき、サヤが迎えに来てくれるって思いたいんだ。

 それを生きる支えにしたいんだ。

 だからそれまで、一緒に生きてほしい。

 そして、また会って、話をしたい。


 信じていいよね。

 サヤなら、笑って頷いてくれるって、

 うん、信じた。

 



 一粒も残さず噛んで、

 飲み込んで、

 手を合わせた。


 ありったけの想いをこめて、声に乗せる。


(完)

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白矢の雨 晴見 紘衣 @ha-rumi

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