情報の集積を軸として、ツンデレに対する愛情を問い掛けた出色の創作論
- ★★★ Excellent!!!
■第二版レビュー(2016.06.24)■
○1:はじめに――
最初にレビューした当時、『わかる!ツンデレ!』は「第二幕」の2項目が最新話だったのですが、新たな更新で「第三幕」以降が公開されました。
そこで改めて、「第三幕」の内容を中心に所見を述べさせて頂きます。
○2:所論における前提――
根本的な部分ですが、哲学や法律の学術問題に複数の学説が併存しているケースが間々あるように、「ツンデレという概念をどのように分析するか」という問題にもまた、様々なアプローチが存在していると思います。
そういった中で、この創作論で(特に第三幕以降)作者さんによって述べられているツンデレ論は、「定義化肯定論」の一種として位置付けられるものだと推察されます。
当レビューでは、失礼ながら便宜上この理論を、(第三幕本文中の例示に倣って)作者さんの他作品からヒロインの名前を拝借し、以下「浅緋メソッド」という名称で考察していくことをご了承ください。
○3:【行動原理とバックボーン】を支える【情報の集積量】――
さて、「浅緋メソッド」は、定義化肯定論に類するツンデレの捉え方として、かなり高度かつ高水準の理論であります。私見ながら、この種の理論の中では、現時点におけるベンチマークとなり得るもののひとつではないでしょうか。
取り分け「浅緋メソッド」の秀逸な部分は、ツンデレの本質を人物の「行動原理とバックボーン」に求めたところでしょう。
具体例を拝読して個人的に印象深かったのは、「徹底して作り込まれたキャラクターの場合、その『行動原理とバックボーン(及びそこから発生する行動指針)』を支える情報量も細分化・膨大化し、また比例的に処理方法も複雑化する(以上要約)」という論旨です。
換言すると、「浅緋メソッド」におけるツンデレの基礎は、「情報の集積量によってキャラクターとしての深度が左右されている」わけです。
○4:創作者の愛情が試される理論――
それでは、なぜ「浅緋メソッド」で、間接的に「情報の集積量」を重視している点が優れているのか?
その要因は、「良質なツンデレを創造する際に、より多く情報の積み重ねが必要になる」と規定することで、充分な「行動原理とバックボーン」を用意するためには、当該キャラクターの作り手がそれに見合うだけの負担を引き受けねばならない事実が導き出されるからでしょう。
つまり、創作者側のツンデレに対する理解の深さ、手間暇の労力はもちろん、そこに注力するための愛情・熱意・こだわりといったものが、より良いキャラクターの作成には要求される――そうした事実が、このメソッドでは理論化の過程の中から暗示的に立ち昇ってくるのです。
「優れたツンデレには、作り手の強い愛情が込められている」……考えてみれば当たり前の話ですが、これをロジカルに証明しようとしたことには、少なからぬ意義が見出せますし、感嘆を漏らさずにいられません。
○5:おわりに――
無論、すでに述べた通り、ツンデレという概念を説明するにあたって、他のアプローチ方法もあると思います。
ですが、他説を提唱する向きであっても、この「浅緋メソッド」は一読に値する内容を有し、考察にある種の示唆を与えてくれる理論であることは間違いないでしょう。
ところで最後になりましたが、私が初回分のレビューで提示した内容に対し、真摯なご回答を寄せてくださった作者さんには、この場をお借りして心より御礼申し上げます。
※)注釈:『わかる!ツンデレ!』本文の「第三幕」内で引用されているテキストに関しては、下段の【初回レビュー】を参照して頂けると幸いです。
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△補足△
初回レビューの内容についてですが、第三幕の更新内容を受けまして、いくつかここで補足させて頂きたく思います。
①:緩やかな意味での「数値化/定義化」は否定していない。
初回レビュー文中で「厳密には~」という言い回しを用いているのは、「突き詰めて言えば」ということですので、便宜的にツンデレを説明する上において数値化/定義化された概念を持ち出すことそのものを否定するわけではありません。
②:「数値化/定義化」自体も、テンプレ化の原因だとは考えていない。
これに関しても、初回レビュー文中で「助長してしまった」という表現を用いていたのは、私も「数値化/定義化」自体が根本的な原因ではないと考えているため(あくまで結果論として、安易に取り扱おうとすると、テンプレ化を促すのに補助的に作用してしまう恐れがあるということ)です。
③:王道的表現に基づくツンデレキャラを否定しているわけでもない。
「いかにもツンデレらしいツンデレ」だからと言って、それがただちに「簡略化された(情報の集積量が少ない)ツンデレ」を指すものではない、ということは「奈名瀬メソッド」を反対解釈しても導き出される答えだと思われます。お約束的であることが、必ずしもイコール量産的であるとは限りません。
いずれの問題についても、主張の根底にあるのは「ツンデレはどうせ全部テンプレだ」というような、ツンデレという概念を雑な表現でひとまとめにされてしまう危険性に対し、警鐘を鳴らしておきたいという意思です。
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■初回レビュー(2016.06.04)■
いちツンデレ大好き人間として、どうしてもスルーできませんでした(白目)。
ツンデレ初級者に向けたわかりやすい内容だと思います。
ただ、個人的には少し素直に共感できない部分も……
かつてのツンデレブーム当時から、「ツンとデレの比率」に関する問題は、各所で散々議論されてきました。
そして、この作品の中で語られている見解には、たしかに一定の説得力があると思います。
しかしながら、これはあくまで個人的な意見ですが、そもそも「ツンデレという属性は、その言動や内面の機微から観測者の判断によって(ある意味では恣意的に)、当該キャラクターに見出される特徴である」という部分を否定することはできず、またそれゆえに「厳密にはツンとデレの塩梅を数値化したり、その都度の反応をメソッド化することも不可能である」と考えております。
極言すると、なぜツンデレがテンプレ的に扱われ、一時期愛好家から「量産型」と評されてしまうようなビミョーな「自称・ツンデレキャラ」が氾濫してしまったか?という問題を顧みてみるに、私は結局「数値化/定義化」という行為自体がかえってそれを助長してしまったように思えてならないわけであります。
なので、可能ならば今後は「ここに記された内容を踏まえた上で、実際のツンデレの多様性は、数値化されたツンとデレの比率とか、あるイベントや人物に対する論理的な反応には必ずしも留まらない」という点を、一歩進んで上級者向けに展開して頂きたく期待します(まあ、これもあくまで個人的な感想ですが……)。
ただいずれにしろ、こうしたツンデレ議論の叩き台として、この作品の持つ有用性はもちろん少なくないと思います。
※)「我ながらスゲェ面倒くさいこと書いてるなあ」という自覚はあるのですが、これもツンデレ大好き人間の愛ゆえの愚かさということで、どうかご容赦ください(大汗)。
お気に召さなければ、作者さまはこのレビュー自体を削除してくださってかまいません。