ジグザとアリグラの心魔狩猟~ラックスマイル・カンパニー事件簿~

@rintyuu

第1話 「ウーズ狩り狂想曲」

 そのとき確か、俺は幸せな夢を見ていたと思う。

 でも、それがどんな夢だったのかは、どうしても思い出せない。

 そうこうするうちに、場面はこれまた得体の知れない悪夢へと転換してしまったからだ。

 まあ、だいたいそういうもの。幸せな時間ってのは、長く続かない。


 そんな風に割り切ってしまってから、ふと悲しい気持ちになる。

 大切な何かを、無くしてしまったような。

 灰色の、空虚な寂しい気分が訪れて……俺は目を覚ます。


 どうやら目が覚めたのは、フライパンから立ち上る、胡椒と油の香りのせいらしかった。

「うう、頭、イテエ……」

 顔をしかめながら、俺はリビングのソファから起き上がる。


 最初に眼に入ったのは、キッチンに立っている誰かの後ろ姿。

 鼻歌まじりに、フライパンを調理箸でつつきまわしている。

この匂い……どうやら野菜炒めだな。

 隣の鍋からは、香ばしいオニオンスープの匂い。

 キッチンの人影が手際よくそこで動き回るたび、白いエプロンと長い金髪が揺れる。

 そいつはちらりとこちらを振り返ると、呆れたようにいった。

「ようやく起きましたか? それにしてもジギー、昨日はちょっと飲みすぎだったのでは?」

 さらり、と黄金色の長髪が再び揺れる。といっても、こいつは幼なじみの美少女などでは断じてない。

 というか、俺の人生に幼なじみの美少女などいた試しがない。

 ここは薄汚れた大都会の片隅、家賃9万ティカで借りてるボロい一戸建てのリビング・ルームだ。

「うるせえな。放っとけよ」

 頭の中で黒づくめの小人が、ゲラゲラ笑いながら確かなビートで鐘を突き鳴らしている。

「いてて……まだアタマ、ガンガンすんわ……」

「ふん。自業自得ですね」

 メガネ越しに、じろりと一瞥いちべつをくれたのは、アリグラ・ゼ・クルスニカ。

 束ねた長い金髪。大理石みたいな白い肌。

 薄いレンズ越しにも目立つ、神秘的な紫がかった瞳。

 そこらの女の子よりよっぽどツラが綺麗なムカつく野郎で、

俺とほぼ同じ身長だが、細身でスカした優男だ。

 おまけに育ちだってお上品とくるから、始末におえない。

 持ってるやつはなんでも持ってる、それが世の中の仕組みだよな。

 北方の名家クルスニカの息子、正真正銘の貴族の坊ちゃんが、

何の用でこんな大都会に出てきて、俺と同居するハメになったのか。

 しかも、過去に凄惨な一家心中があった訳アリ格安の築30年物件でね。

 まあ、事情はそのうち話すな。

 このアリグラのことは、とりあえず今は俺の相棒の

“クソメガネ”と覚えておいてくれればいい。

「そんなとこで妙なクスリをキメた牛みたいに寝そべってないで、

二階の自分の部屋で寝てくださいよ」

「うるせーな。別にそれくらいかまわんだろうが」

 ちなみに二階にあるのが俺とアリグラの私室。

 この一軒家はもともとごく普通の住宅だから、一番広い部屋をオフィス兼応接室に設定したら、

 壁と扉を経て奥にリビングとキッチンがあるちょっと妙な間取りになっちまった。

「君はかまわないだろうが、僕は気になるんですよ。

 君は態度がでかい、性格がふてぶてしい、食ったらすぐ寝る。

 存在感の無駄なボリューム感が、やっぱり牛に似ていますね」

「ほっとけよ……」

「加えて飲酒のペースは守れないし、だらしがなくて教養もなく、

 運にも見放されており、なによりも人徳がない……

 人間性の貧困ぶりの王立博物館だ!」

「ちぇっ。ま、確かにちょいと飲みすぎたけどよ。

 もうちょっと優しくしてくれてもいーんじゃねえの……? 

 あ、べ、別に好きとかそーいうんじゃないんだからね!」

「……リアルで銀のスペル・バレット撃ち込んで、

 復活できないように頭を下にして埋葬してあげましょうか?」

 俺は吸血鬼か魔物のたぐいか。

「へえへえ、ちょっとからかってみただけでごぜーますよ、アリグラぼっちゃん」

 俺は亀のように首を縮めて言った。

「もちろん、わかってます。

 冗談は、その目つきの悪い悪人面と君の底辺人生だけにしていただきたい。

 で、食事、どうします?」

「もらう。けどそれにしても、たまにはさ……」

「なにか?」

「肉だよ、やっぱ! 肉が食いてえ……そう、ぶ厚いステーキだ!

 つけあわせはポテトとニンジン、コショウと塩を一つまみ散らして、

 脂がジュウジュウ言ってるレア、焼き立てのヤツ!」

「そんな夢でも見てたんですか? 僕はこれでも、完璧に栄養バランスを計算しているつもりです。

 そんなに肉が食べたいなら自慢の腕かフトモモの筋肉でも切り出して焼いたらどうですか、ジグザ・バドラルク君」

「猟奇妄想のガルキ憑きかよ!?」

「ふふ、まあスジ張ってて美味ではないでしょうね。

 相当ぐつぐつ煮込まないと……あ、もちろん冗談ですから」

「あたりめーだ。だいたいな」

 俺は軽く肩をすくめる。

「……悲しいかな、金がもうねえよ」

 またも襲ってきた二日酔いの頭痛に顔をしかめ、俺はリビングの床に転がった空き缶の山を眺める。

 もちろん、格安の特売泡酒ばかり。しめて3000ティカちょいの安っぽい天国の残骸が、そこにあった。

「精進料理ばっかは、飽きるんだよ。お前みたいにウザート様の信者じゃねーんでな、俺は」

 軽口を叩きつつ、近くに散らかっていたシャツを体に引っ掛け、俺はひょい、とソファから降りた。

 ちなみに今日のメニューは野菜炒めのようだが、昨日は大皿山盛りの千切りキャベツ、その前は野菜スティックの和え物、潰しコンニャクゼリー乗せ。アホか。

「ザウートです。御名を違えるのは、冒涜ですよ。それに、教えの上で食事に制限はない」

「あら、そう? でも、過度なダイエットは推奨してるんですかね?」

「いいえ。ダイエットは僕の個人的な意思によるものです。神の導きでこの世に生まれ落ちておきながら、

 自分という存在が、美しく均整がとれた肉体を保っていないなんて、許しがたいことだ……

 そう思いませんか」

 サラリと言い放つ。過剰なナルシストは女に嫌われるはずなんだが、こいつの場合は妙な自信と融合して、

 一種のアイデンティティーとして確立されちゃってるから、女はあまり嫌味に感じないのかも。

 ま、よく言えば、大物のオーラってやつ? 俺? 嫌いだね、アリグラなんて大嫌いだ。

 派手すぎる恋愛関係のもつれで、女に刺されて死んじまえ。

「ザウートは、もともと戦いの神ですから。生命を讃え、健康的な欲望は肯定する。

 どうでもいいけれど、同じ肉なら、獣肉より魚肉にするべきだ。

 それと、アルコールの取りすぎもやめたほうがいい。

 君はもともと、頭がそう回るほうじゃないのだから、これ以上血液の循環が悪くなると……」

「余計なお世話だね。後悔と節制は墓に入ってからしろってのが、親父譲りのわが一族のポリシーでな」

「……そうですか。ならご自由に。でもまあ、僕には到底、理解できませんけどね」

 とびきり高性能の冷凍庫で結晶化されたような、さげすみの視線。

 やれやれ、まるで動物園のサルにでもなった気分だ。

 確かに、田舎町の定食屋の次男坊の俺なんざ、北方の大貴族兼聖職者の息子に比べりゃ、サル同然だけどな。

 だが、いくら俺でも、人格でいけばコイツに比べりゃずいぶんとマトモなつもりだ。

 アリグラの中には、最高クラスのスペル・バレット&呪法銃の知識と、史上最悪の犯罪者の魂が同居してる。

 ウソじゃない。アリグラがガルキゲニマどもの駆除作業中にキレた後の現場を見てみればいい。

 そうすりゃ誰だって、こいつが芸術の神様みたいなハンサム面の下に、大量の破壊衝動を詰め込んだ、正真正銘のイカレ野郎だってことが一目瞭然で分かるハズさ。

 まったく、この性格さえなければ、政府専属のエリート・スイーパーにだってなれたに違いないのだが!

 まあ試験に遅刻して、それをたしなめた試験監督を逆に脅し上げたとか、この年ですでにクライアントを何人かロストさせてるとか、アリグラを取り巻く「伝説」にはことかかないからな。

 ただ、確実に事実だとわかってるのは学生時代、エキセントリック過ぎる行状にあきれ果てた親父に実家を勘当されたってコトぐらい。まあ、とてつもなく賢いおバカさんなんだ、要するに。

「ほら、完成です。君は皿を並べてください」

「へえへえ」

 やがて、ケセル中央公園の自由市で1000ティカで買った組み立て式テーブルの上に、湯気を立てる朝飯が並ぶ。

 メニューは皿に山盛りのライス、ニンジン&キャベツ&モヤシの赤緑白のビタミントリコロールが鮮やかな野菜炒め、そして、キツネ色のチーズの塊を申しわけ程度に突っ込んだ濁り気味のオニオンスープ。

 素晴らしい、最高のフルコース。思わず出てくる涙のしょっぱさが隠し味ってわけだ。

「ま、文句ばっか言っててもしゃーないわな。いただきまーす」

 俺がスプーンとフォークを伸ばそうとすると……

「おっと、その前に」

「ん? なんだ、この手は?」

「200ティカ」

「何の冗談だ?」

「……質素ですが、街の食堂で食べれば500ティカはします。もちろん、ライスのぶんも入ってますから」

 俺は天を仰いで嘆息。

「は~~~ッ! ケチくせえ! ケチくせえよ!」

「ついでなんですが、先月の君の家賃は45000ティカ、ガス・水道・電気料金が15000、ネット使用料・電話通話料もろもろは15000ティカ。

 端数切捨てですが、すべて僕が立て替えてます。

 耳をそろえて、今ココで払ってください」

「……その前に、てめえが先月ブチ切れて撃ち尽くしたスペル・バレットの代金が65500ティカあるんだが。

 あと、作業中に発生した事故による精神被害についての、家族からの賠償請求な!」

 幸いにして俺たち2人の「ラックスマイル・カンパニー」は役所に届出だけ出してる有限会社だから、無限賠償責任はない。

 最悪、名前を変えて出直しちまえばいいが、それにしたって限度ってもんがあるぜ。

「まあ、そこについては、正直、反省の余地はあると思われます……が」

「だろう? あの時、どっかの短気なバカさえブチ切れなけりゃ、万事メデタシメデタシ……ぐぐっとお仕事をスマートにやれたと思わねえか?」 

 目の前の優美なる人間瞬間湯沸かし器に、思い切り嫌味をカマしてやる。

「前衛がガルキを狩り出し、後衛が仕留める。ああ美しきコンビネーション、ストライカーとスナイパーはかくあるべし、だろ? 何のための二人セットなんだよ」

「……でもですね、無職・無収入の上に恋人に日常的に暴力を振るうなんて、人間のクズでしょうが。

 挙句、妙なクスリを乱用してガルキゲニマに取り憑かれるとか……僕の判断ではすでにウジ、虫ケラのたぐいですね。

 ザウートも、きっと僕の行為を許してくれます……クォ・ラム・ザウート!(我が神を見よ)」

 アリグラが神妙な顔をして十字を切ると、胸の銀色のパイク・クロスがチャラリと澄んだ音を立てた。

「お前の私情と邪教の教えを仕事に持ち込むな! 対象者がクズかどうかなんてギャラとは関係ねえんだよ! 

 狩り出しがうぜえからってガルキをアバターごと撃ちまくったら、弾も尽きて当たり前だ! 

 しかも最悪、対象のアバター崩壊までコトが大きくなるかもしんねえんだぞ!」

「ああ、それなら僕は、“エスケーパー”着けてたんで。緊急脱出も可能でした。

 それに、あんな駄目人間なら、人格が崩壊してしまっても誰も困らない……むしろ、積極的に抹消すべきですね」

 コイツ、脳ミソが砂糖製か?

「アホ! お前とか対象者はどうでもいいんだ! 俺だよ俺! 俺はあのときエスケーパー、持ってなかったんだぜ!? 

 分かるか? ロストに俺が巻き込まれたら、このクソッタレな世界は、前途有望で善良な若者を一人失うことになってたんだぞ!?」


 あんたはアバターとかコア、シェルって言葉を聞いたことあるかな? 専門用語ってのはどうにもシロウトさんには分かりにくいけど、つまり、人間の心、精神の形を考えてみてくればいい。

 形っていっても別にゼンとかコギト・エルなんとかとか、そういう抽象的なことをいってんじゃないぜ? そのままズバリ、心ってのは、ゆで卵みたいなもんなわけだ。

 殻は精神世界の外壁。俺たちの業界では、文字通り「シェル」っていわれる。

 で、それぞれの個人のよりどころとなる記憶や経験が集まっている部分――いわば白身が“コア”。そして、さらにその中心、一番大事な黄身に当たるのが“アバター”ってわけ。


 で、そのコアに侵入し、アバターに寄生するのがガルキゲニマ。

 まあ分かりやすく言えば、俺たちがいるこの現実とは別のセカイから、次元を超えてやってくる怪物だ。で、そいつの相手をするのが俺たちの商売、マインド・スイーパーってわけだ。

 ちなみに駆除作業中の事故で、アバターが一時的に破壊されたり失われたりして精神世界が崩壊した瞬間、その精神世界の持ち主は、概ね二つの運命をたどることになる。ひとつが、重度の昏睡状態に陥る“スリープ”。

 これはだいたい、三日から一週間くらい続くが、やがてアバターが自然再生することで治癒するのが普通。

 そしてもうひとつ、アバターが徹底的かつ完全に崩壊してしまった場合が“ロスト”だ。

 ああ、聞くだけで首をすくめたくなる、イヤな響き! 

 これはズバリ、精神世界自体の消し飛びだ。

 もしも、俺たちスイーパーの駆除作業中に、アバターとコア、精神世界が崩れて、ロストが発生したら? 

 答えは明快。駆除対象者と一緒に、スイーパー自身もめでたく精神崩壊ってわけ。

 まあ、精神世界の中でガルキゲニマどもに食い殺されても結果は似たようなもんだが、それでもやっぱり、ロストに巻き込まれるのは別格だ。

 一番遠慮したいオチなのは間違いない。

 少なくともガルキゲニマとやりあっての名誉の殉職なら、相棒が“メタファ化された精神のカケラ”ぐらいは持ち帰ってきてくれて、精神再生の可能性があるからな。

 また、ときにはアバターの変質による肉体の異形化、リ・ボーンが待ってることもあるが、こっちもこっちで胸糞が悪いケース。

 文字通り、この現実世界の中に、異形の化け物が一匹登場しちまうわけだ。

 ここまで話がコジれると、政府の特保警察のトップチームが出てくるケースもあり、かなり厄介な事態になる。

 マインド・スイーパーが、やり方次第でなかなか稼げる商売なワリに「子供が将来なりたい職業」「女子の結婚相手として望ましい職業」ランキングに顔を出さないのは、こういうところにも原因がある。

 要はスリルの代わりにリスクもつきもの、3Kの中でも、飛びぬけて「キケン」のKがデカイわけだ。


 「とにかく! こっちもお前の尻拭いはもううんざりなんだよ! さあ、無駄ダマ使ったぶん、きっちりカネを払え!」

 「ああ、もう、分かりましたよ……だったら、それは、さっきのこっちの立て替え分と帳消しでいいです」

 「OK。いくらよ?」

 アリグラはちょっと瞬きして、すぐに計算を終えた。

 「合計75700マイナス65500……差額の10200ティカをください」

 シュガーな脳味噌でも、こういうことには役立つ。

 だいたい、繊細なスペル・バレットの調合と呪法銃のメンテをあれだけこなせんのに、コトの後先が考えられないってどんなアタマの構造してんだ?

 俺は最近、コイツは高性能だがたまに熱暴走する、欠陥アンドロイドとして扱ったほうがいいんじゃないかと思いはじめている。

「……おっと忘れてたぜ。協会に差っぴかれた仲介手数料と保険費用、お前の負担分が10000な」

「細かいですね……じゃあ、200ティカでいいですよ」

「本来なら、てめえの尻拭いの手間賃をもらいたいぐらいだが」

 俺は破れかけたジーンズのポケットからウォレットチェーンでつながれた財布を取り出し、コインを2枚つまみ出す。

 そらよ、と放り投げると、アリグラは事もなげにそいつを手の平で受け止めた。その後、ふと気づいたように言う。

「そういえば」

「ん?」

「今日は……どっちが行きますか? 食事の前に決めておきたい」

「いいぜ。じゃあ、そうだな……そいつで決めるか」

「了解です。ほら、タネも仕掛けもないですからね」

 アリグラは手の平からさっきのコインを1枚選び、つまみ上げて見せた。

 俺がうなづいた次の瞬間、さっとそれを右親指で弾き上げ、甲の上に落ちた瞬間を左手で押さえ込む。

「表ッ!」

 と俺。

「裏ですね」

 これはアリグラ。

 続いてゆっくり手がどけられると……我がジアスポリカの象徴、飛竜と盾の紋章が彫り込まれた、銀色の100ティカ硬貨の裏側が、表に面したガラス戸から差し込む陽光の中で輝いた。

「ちっ……」

 俺は頭の後ろで手を組んで、そのままソファにぼすり、と身体を沈めた。

「決まりです」

 ニヤリと笑って、アリグラがいう。

 天性のバッド・ラック……俺、こういうのって本当に弱いんだよな。ガラス戸越しに見上げた空は、今日もキラッキラに晴れ渡っていた。


【パート2 に続く】

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