第7話 「偶像と知恵蛇の夜想曲 2」

だが、実はそんなこと、するまでもなかったんだ。

 メリヤから、唐突な電話がかかってきたのは、それから二日ほど経った真夜中の2時ごろ。

 その時、俺は近くのコンビニで夜食を買い終え、毎週愛読してるコミック雑誌を立ち読みしてるところだった。

 いきなり、ジーンズの尻ポケットの携帯がブルブル震えた。

「あ~…もしもし?」

 まさか仕事の依頼でもねえだろうと、いぶかしがりつつ、通話に出ると……

「あの……あたし! メ、メリヤ・エグバルトですけど。ジギー君?」

 慌ててる感じのメリヤの声。息づかいがちょっと荒い。

「そうだけど。なに? どしたの」

「ああ、よかったぁ……!」

 心の底から安堵したような様子。

「あ、あのさ……助けて!」

「!?」

 そこではっとしたように、メリヤの声は急に小さくなる。

「私、つけ回されてるの! 

 あ、あのね……今、今へんなヤツにずっとストーキングされてて!」 

「変なヤツ?」

 まるで、背筋にいきなり鋼鉄板が押し込まれたように、俺の身体がピンと張り詰めた。

「小柄なヤツよ。少し前から、妙な気配は感じてたの……。でもそいつ、フードをかぶってるから顔は分からなかったんだけど……

 偶然、風でめくれたフードの向こうが見えて。

 そしたら眼、眼が……真っ赤で、ギラッて光って! 

 まともじゃないの、なんか……雰囲気が。

 ひょっとしたらガルキ憑きじゃないかって! ニュースで眼が赤くなるって話、してたもの……」

(赤い眼か……!)

 ピンとくるものがあった。

 レッド・ゲイズ――血管の異常拡大による、一定周期での瞳の赤化。

 それは比較的レアなケースだが、特定タイプによる侵食が、比較的重度まで進んだガルキ憑きの固有症状。

 精神や肉体が異形化してしまう、比較的珍しいオチであるリ・ボーンの兆候でもある。

「特警に電話は?」

 この特警ってのは、ガルキの被害から市民を守る特保警察。

 お役所仕事の典型で、甲羅しょった亀より動きがのろいが、税金で整えた装備だけは無駄にいい。

 しかしまあ、全幅の信頼を置けるかっていうと……あんたがもし、リ・ボーンしかけのガルキ憑きに襲われそうになったら、一度特警を呼んでみりゃいいぜ。

 現場の近くに詰め所があれば、だいたい俺ら民間業者が駆けつけるより、30分くらい遅れて現場に到着してくれるだけで済む。

 ま、その間にあんたはリ・ボーンして化物同様になった被寄生者の馬鹿力で、バラバラに引き裂かれてるかもしれないけどな。

「あ……まだ電話してない。事務所のマネージャーさんには電話したんだけど、つながらなくて……」

 声にはっきりと含まれている、怯えの色。

「でも、でもさ、ジギー君ならって……

 あのさ、こんな夜中に悪いんだけど、すぐに来てくれない……?」

 なにしろ今は真夜中。

 言い出してすぐ、彼女なりに図々しい頼みごとだと感じたのか、ちょっと歯切れが悪い。

「んなこと、気にする必要ねえって。すぐに行く、待ってて」

「あ、ありがとう……!」

 メリヤの声は、今にも泣き出さんばかりだ。

「今、どこだ? 状況は? 手短に頼むわ」

「今は部屋の中。例のストーカーっぽいヤツ、ずっとマンションの前にいるんだ」

「……住所は?」

「うん、あのね……」

 教えられた住所に該当するマップを携帯から速攻で呼び出し、コンビニから走り出る。

 いつかTVの西部劇で見た、悪漢に襲われそうなヒロインの元に駆けつける若きカウボーイ。

 その勇姿を思い出しつつ、俺はジャージ姿のまま、駐輪場のハンニバル550RXに飛び乗った。


※※※



 十数分後、俺はメリヤの言ったマンションの近くに到着していた。

 メリヤの部屋は205号室。地上ではないといえ2階だから、比較的簡単に外から近寄れる位置にある。

 マンションの中とはいえ、確かにストーカー野郎を相手にしちゃ、ちょっと危ないよな。

 ハンニバルのエンジン音が聞こえないように、少し離れたところで止め、急ぎ足でマンションに向かう。

 ひょっとしたらもうトンズラしてるんじゃないか、と思っていたが、意外にもそいつはまだ、そこにいた。

 わりに小柄で、くたびれたジーンズにスニーカー姿。

 話通り、フードをかぶっていて顔はよく見えないが、メリヤがいってたヤツに間違いないだろう。

 うろうろ、手負いのクマのように歩き回っている。

 深夜ということもあってか、辺りにはまったく人通りはない。

 街灯が静かな光を投げかけているだけ。

 十分に怪しいが、すぐにブチのめすわけにもいかないだろう。

 こいつが本当にガルキ憑きかどうか確かめないといけないし、万が一、こいつがただの夜歩き趣味の一般人で、

 ストーカーですらなかったら、ヘタすりゃ暴行傷害罪だ。

 さてまずは……ちょっと考えたその瞬間。

 にゃ~ごぅ……

 どこかから、猫の鳴き声。畜生、近所のノラか?

「!」

 フード野郎は、その拍子にさっとこちらを振り向く。

 瞬間、目深にかぶったフードの奥で、まるで赤色恒星みたいな光が二つ、確かにきらめいた。

 (レッド・ゲイズ……間違いねえ!)

 さっきまではすぐに判断がつかなかったが、この症状でほぼ確定だ。

 こいつは重度の侵食を受けてるガルキ憑きで、リ・ボーンしかけのけっこうヤバい相手だ……!

 次の瞬間、そいつは弾かれたように走り出す。

 その動きに反応し、すぐに俺も後を追う。

 しかしフード野郎の足は妙に速かった。

 俺だって決して運動能力に自信がないわけじゃないが、それでも小柄な背中がぐんぐん遠ざかっていくのだ。

 俺はそのうち息が切れ始めたが、向こうはそんな様子もまるでない。

 路地の多い住宅街を追いつ追われつ、やがて数分もするうち、俺は完全にヤツの姿を見失ってしまった。

「ちっ……」

 ぜいぜいと息をつき、いまいましげに頭を振って、俺は追跡をあきらめた。

 一応、しばらくそこらを探してみたものの、無駄な時間を過ごしただけ。

 とはいえ、休んでいる暇はない。急いでメリヤの携帯に履歴から折り返しを入れる。

「もしもし……?」

 こわごわと電話に出たのは確かにメリヤだった。

 まあ、大丈夫だとは思っていたが、一安心。

「すまねえ。怪しいヤツがいたんだが、取り逃した」

「来てくれたんだ、ありがとう! 助かったよ、本当に!」

「今からそっちに戻る。ちょっと待っててくれ」

 数分後、息を切らしながら、メリヤのマンションの前に戻ってきたその時。

「キ、キミ、そこで何をやってる!?」

「あなた、そ……そこで何やってるんですかぁ!」

 背後から似たようにハモった声。

 驚いて振り向くと、そこに2つの人影が立っていた。

 片方は男で、片方は女。

 男の方はやや小柄だが、整った顔立ちで、ビジネスマン風にした短髪に紺のスーツ姿。

 ネクタイはちょっぴり派手な青のストライプ模様だ。

 そこそこ高級そうな革靴を履いていて、ちょっとお洒落な若手サラリーマンって感じ。

 一方、女は黒と赤のチェックのカーディガンに革のロングブーツ、ワンレングス風の髪には。凝った形の髪留め。

 小柄だが、なかなか愛嬌がある。

 目元には少しおっとり上品な感じがあって、こちらもあまり夜中に出歩いてるタイプには見えない。

「……あんたたちは?」

「……キミこそ、先に名乗ったらどうだ?」

「あ、あなたこそ、だ、誰ですか!?」

 また2人の声がハモった途端に、頭上から声。

「ありがと、マーシャ! あとラズロさんも、来てくれたんだ!」

 メリヤの声? 直後、マンションの二階の窓が開く音がして、そこから覗いた見覚えのある顔が手を振った。



「これはどうも、とんだ誤解をしてしまったようで……」

「私、てっきり……あなたがメリヤが言ってた、その……ガルキゲニマ憑きかと……」

 やや小柄な男が小さく頭をかき、髪留めの女が、心底申し訳なさそうに頭を下げる。

 ここはマンション二階のメリヤの部屋だ。

「本当にすみません……私、ウチのメリヤに何かあったらと、ついつい慌ててしまいまして」

「申し訳、ありませんでしたぁ……」

 ラズロという男は、メリヤの仕事上のマネージャー。マーシャという女のほうは、同じ事務所に所属している仕事仲間らしい。

「ジグザ君、本当にごめん。っと、そうそう、紹介がまだだったわね……

 こっちは昔の同級生でジグザ・バドラルクくん。マインド・スイーパーの仕事してるの」

 メリヤが改めて、俺を2人に紹介してくれる。

「マインド・スイーパー?」

「へえ、すごい……!」

 ラズロがけげんな顔をし、マーシャが胸の前で手を合わせるようにして、小さい感嘆の声をあげる。

「あ、まあ、そんなモンす……」

 俺もぺこりと会釈をする。

 瞬間、ラズロがちらりと眉をひそめたかと思うと、かすかに、メリヤのほうに非難めいた視線を送った。

 メリヤはそ知らぬ顔で、その視線をスルー。

 なんだ……? 確かにスイーパーはカタギとは言いがたい仕事だが、それでも正直、いい気分はしない。

 さては、メリヤが事務所におうかがいも立てず、勝手に作ったヤンチャな彼氏にでも間違えられたか?

 いやあ、モテる男は辛いねえ。

 俺はそんなことを一瞬考えたが、すぐに邪念を頭から排して、きりり、と仕事モードの表情に戻る。

 「さて、紹介が終わったところで、次に行きましょう。

 具体的には、今後の対策なんスけど……

 明日からどうするか、考えておいたほうがいいでしょうね」

 ここでぜひとも、俺が頼りになるってところを見せておきたい。

 そのためのあえての仕事口調だが、実際、ガルキ駆除の専門家としては、状況を把握し、

 対策を立てる必要があると思ったんだ。

「今後……?」

 まずメリヤ、続いてラズロとかいう若手マネージャーとマーシャが、はっとした顔をする。

「あいつがガチでリ・ボーンしかけのガルキ憑きだとしたら、自然治癒はまず見込めません。

 また、どこかメリヤに執着しているような雰囲気がありましたよね。だったら、また現れる可能性が高いんスよ。

 対策は必須になると思うけどね」

 目を見合わせる3人。

 ガルキ憑きがレッド・ゲイズの兆候まで見せて、リ・ボーン寸前の状態で誰かにつきまとう。

 原因は、いわゆる痴情のもつれが多い。

 元恋人が、「振った振られた」の流れで心を病んだ挙句、ガルキゲニマの侵食を受けてリ・ボーン。

 愛憎入り乱れたつきまといの結果、悲劇に至った事件。

 そんなケースはそこまで多くはないけれど、やっぱり、俺が知っている範囲でもいくつかは存在する。

「ちなみに、相手に心当たりはないかな? ストーカー的行動に出そうで、心に闇を抱えてそうなヤツ」

 俺は、メリヤに質問する。

「放置しとくと……最悪の結末になるかもしれないからさ」

 場の雰囲気が、一気に緊張した。


 ……だが、分かったことはごくシンプルな事実だった。

 今のところ、元彼とかそういう存在には心当たりはない。

 仕事柄、熱狂的な彼女のファンである可能性がわりに高いが、対象を特定できるような要素も皆無だった。

 まあ、それもそうだよな。

 駆け出しのアイドルのファンなんてどこに転がっているかわからないんだから。

 メリヤによると、少し前から、日常生活の中で誰かに見られているような感じを覚えることは何度かあって、

 それが具体的になったのはここ一週間ばかりのできごとだったらしい。

 一通りのことを話したあと、メリヤはおずおずと切り出した。

「あの、いい? 実はあたしさ、ジギーくんに頼めればなって思ってるんだけど…いろんなこと含めて」

「俺? 特保警察とかじゃなくていいの?」

「うん。ジギー君なら、安心して任せられるかなって」

 精神潜伏型のヤツじゃなくて、こういった形で現実世界で暴れるガルキ憑きに対処するのも、確かに俺たちの商売の範囲内だ。

未確定情報が多い状況を考慮し、少し考えてはみたが、0.1秒で答えは出ていた。

「ああ、いいぜ。任せてくれ!」

 ドン、と胸を叩かんばかりの勢いで即答する。

もちろん、正義感からだ。いやまあ、半分は「昨年以来ずっと来彼女がいない」っていう、俺の私的事情もあるにはあったんだが……。

「た、頼もしい……さすがプロですねぇ」

 感心したようなマーシャの声。

 メリヤの顔も、パッと明るくなる。

だが、ラズロのほうは……なんだか複雑な表情だ。

……男性同士、俺の下心が伝わって、妙な虫が付かないかって、警戒でもされてるのかな?

 ま、知ったこっちゃないがね。

 今ここで俺がメリヤの力になれるのも間違いない事実なんだ。

 まさに、ここでやらなきゃ男じゃないよな。

「じゃ、じゃあさ……あの、ちなみに報酬ってどれくらい?」

 メリヤが恐る恐る、といった感じで訊ねてくる。

 まあ、マインド・スイーパーに直接仕事を頼むなんて、そこまであることでもないだろうからね。 

「そうだな……」

 俺はちょっと思案したあと、携帯の計算機能を呼び出して数字を弾いてから、画面をメリヤに見せる。

「今回はわりに特殊なケースだから、ターゲットの割り出しと調査に十日前後として……そう、ざっとこんなもんになるけど?」

「そ、そっか……」

 その数字を見た瞬間、メリヤは困ったような表情。

 駆け出しアイドルがそうそう金回りがいいわけもない、か。

「ちなみに、前金は一部もらうけど、残りは成功報酬だから、そこらへんは安心していい。

 ま、確実性ならやっぱり特保警察って手もあるけどな」

 メリヤの顔がまた少し曇った。

「……実はさ、ちょっと今は事情があって」

 ここまで言って、ちらり、とラズロのほうに意味ありげな視線を送る。

 ラズロのほうは、しぶしぶ、と言った様子でうなづいてみせた。

 それを受けて、メリヤが続ける。

「実は今度ね、あたし、初めての単独ライブをやるかもしれないんだ。それに近々、ネットドラマの大きな役ももらえるかもって……

 だからさ、スキャンダルみたいなのは困るんだって。

 身辺に気をつけるようにって社長に言われてて、あまりヘンなウワサを立てたくないの、今は」

 なるほど。これでラズロの、妙な表情の理由が分かった。

 メリヤたちは、ヴェガ・プロモーションとかいう事務所にとっての、大事な商品。

 あまりカタギじゃなさそうなやつに、近寄ってほしくなかったってわけだ。

 失敬な話ではあるが、分からなくはないね。

 マインド・スイーパーは、確かにまともな勤め人志望が選ぶようなジョブじゃないもんな。

「だから、あまりハデにしないで解決したいんだ。ね、ジギー君に頼めるかな? 

 ちなみに、料金ちょっとオマケしてくれるんだったら、すごく助かる! 

 申し訳ないけど、お願いします!」

 メリヤはそう言って、深々と頭を下げる。

 金銭的理由は、メリヤにとって、ひょっとしたらかなりデカいのかもしれない、とちらりと思う。

 そういやこの部屋だって、決して派手な感じではない。

 むしろこの年頃の女の子の部屋としては質素なほうじゃないだろうか。

 俺は貧乏性な駆け引き癖で、また一応考え込むふりをしようかと思った。

 でも実を言うと、アリグラの馬鹿が先日も仕事でスペル・バレットを撃ちまくったせいで、今月はちょっと赤字見込みだったんだ。

 だから事情が事情だし……美人に頼まれて断るなんて選択肢、ハナから俺にはなかったんだよ。

「まあ、いいぜ。値引きする形で引き受ける」

「ホント!? ありがとう!」

 こういうのを、花が咲いたみたいというのだろう。

 メリヤは、実に嬉しそうな表情を浮かべる。

 ちょっと緊迫していた部屋のムードが、さっと華やいだ。

 俺は彼女を安心させるべく、わざとニヤリと余裕の笑いを見せてから、言う。

「ああ。その依頼、確かに受けたよ……将来の大物女優の頼みだしな」



 そのまま明け方になるのを待ち、俺は今度はマーシャを最寄の駅まで送っていった。

 その途中、俺はマーシャから、メリヤについてのいろんなことを聞いた。

 メリヤは今、ようやくちょっと売れてきたというところ。

 でも少し前までは、実は本業より喫茶店のアルバイトのほうが稼げるくらいの状態だったらしかった。

 仕事は、アイドル業だけではなくて、女優やコンパニオンみたいなこともやってるらしい。わりと何でも屋だな。

「まあ、人気商売っていうところはありますし、苦労はけっこうありますよ……。

 メリヤは歌手志望だったんですけど、アイドルの卵として出た最初のライブなんて、お客さんは5人くらい。

 夜はいつでもいっぱいの人気ライブハウスががらんとしてて、

 せっかく覚えた歌詞も忘れちゃうくらい頭が真っ白になったって。

 なんていうか、ショックと悲しさで頭がクラクラしたって聞きました」

「そうなのか」

 ちょっとその様子を想像してみる。

 まあ、確かに若い女の子が「世間の誰もが自分になんて興味がない」ってことを思い知らされるのは、あまりいい気分じゃないだろう。

 特に元優等生で、ちょっと都会に夢を見て出てきた女の子が直面する事態としては。

「あいつも、なんだかんだで大変なんだな」

 俺はつぶやく。

「……でもね。大変なの、メリヤだけじゃないですよ。私だって。私の時は……3人だったですもん」

 マーシャはそう言って、苦笑する。

「あ、そうなんだ……」

 うわ、それはそれは……

「いつもプレッシャー、感じてます。このままどんどん年だけとっていって、仕事なんていつなくなるかもしれないって。

 辛いですよ、そういうのって」

「そ、そうだねえ……」

 お嬢様風のおっとりした雰囲気とはあまり合わない、しみじみした調子。

 どう対応したものかと俺は困った。

 そもそもこっちの業界のことなんて、あまり詳しいほうじゃないしね。

 アリグラなら、いつものように適当なことを言ってフォローするんだろうが……。

「で、でも、二人とも綺麗だし。ぱっと見もイケてるし、何とかなるんじゃないの?」

 必死で考えた挙句ひねり出した、これは半分以上本音の言葉。

 だが、マーシャの顔は全然明るくならなかった。

「う~ん、ジギーさん、毎日この街で何人、美人を見かけますか?」

「え?」

「そう言ってもらえるのは嬉しいです。

 ……でも、私たちぐらいの子は、いくらでもいるんです。

 事務所にだって毎月のように、新しい子が入ってくるし。

 ルックスだけじゃない、歌やダンスも上手くて、自分で歌詞まで書けるセンスのある子だって」

「……うーん」

 俺はもう、苦笑するしかない。

「あのね、こういう仕事って、そのへんはすごいシビアなの。

 それこそ、誕生日ごとに自分の価値が下がってくるような……二十歳を越えたら、ひょっとしたらもうオバさんなんですよ? 

 そのうち、自分の立ち位置が、よくわからなくなってくるんですよね……」

「……」

「こういう業界の人で、新興宗教に入ってたりする人、多いでしょ? それは別に業界の人が“個性的”だからってわけじゃないんですよ。

 華やかに見えるけれど、将来の保障もなにもなくて、本当はとても厳しい場所だから」

 もう、俺は返す言葉もなかった。

 場が妙にシリアスな雰囲気になったのに気づいたらしく、あわててマーシャは言う。

「ご、ごめんなさい……ヘンな話しちゃって。

 だめだな、私。気遣いがちょっと足りないですよね!」

 マーシャはえへへ、と小さく笑ってみせる。

「でも、メリヤは、私と違って才能があると思うから……

 知ってます? 歌もすごく上手いんですよ。だから、応援してあげてくださいね! 

 私もこれから、まだまだ頑張ろうと思ってるんですから!」

 無理に取り繕ったような笑顔は、ちょっと虚ろ。

 俺のせいでもないのに、なんだかチクリと胸が痛んだ。


 駅で別れたマーシャの後ろ姿を見送りながら、俺は考える。

 オクタ・カテドラルに夢を抱いてやってくるヤツは多い。

 でも、どんな場所だって、人間が住むところは結局、光と闇がまじり合ってできている。

 光だけが降り注ぐ美しい楽園なんて、神話か空想の中にしかないのかもしれない。


【パート8に続く】


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