第6話 「偶像と知恵蛇の夜想曲」

【ジグザとアリグラの心魔狩猟 ~ラックスマイル・カンパニー事件簿~】

「偶像と知恵蛇の夜想曲」


 自分で自分の人生の舵を取れるということ。それは気楽ではないけど、やっぱりいいものだ。

 そう思ったことはあるかな?

 たとえば夜更かしが過ぎた朝、、コンビニに行くついでに、朝のオートマ・トレインを捕まえるために、路線ステーションに立つ人々の姿を見る時。

 寝ぼけ眼で歩いていくOL、一心不乱に経済書を読みふけっている中年サラリーマン。週刊誌を片手につり革につかまってる新品同様のスーツの新入社員。

 そんな様子を目にした時、フリ-ランスのマインド・スイーパーをやってる俺は、いつもちらりと思っちまう。

 自由ってのは悪くないものだってさ。


 だが、自由っていうのは、もちろん好きな場所で野垂れ死にをする自由でもある。

 どこででも野垂れ死にできる自由と、最低限の生活が保障される不自由。

 あんたなら、どっちがいいだろう?

 でもまあ、俺についていうなら、まだ当分のところは前者のほうを取っておきたいかな。

 さっきも言ったけど、俺は上司とか上役とか、そういった偉いさんに、自分の命運や人生の手綱たずなをを握られるっていうのが、どうにも落ち着かないんだ。

 だからこそ、ネットTVなんかで、新人アイドルのオーディションとか、彼女たちの努力や挫折を描くドキュメンタリーとかを見てると、なんだか気の毒になっちまう。

 自分とは直接的な接点も何もない、不特定多数の偶像でいるってのは、なかなか面倒くさいもんだろうと思うわけさ。

 特にネットとかTVとかそういう世界じゃあな。偶像――アイドル稼業も楽じゃないらしいからね。


※※※


 その日、単独で受けた仕事を終えた(受験期の息子が、F級の雑魚ガルキゲニマに憑かれたっていう金持ちマダムの依頼)俺は、

 オクタ・カテドラルの東側、シルヴァレイン地区の中央駅近くで、ぶらぶらしていた。

 午前中だけで終わっちまうような単独処理のちょろい仕事で、報酬が25万ティカ。まあ、笑いが止まらないよな。

 しかも、春の午後で、日差しはぽかぽか、空は青く晴れ渡っている。


 このあたりは高級住宅街だけあって、街並みもどこかシャレている。

 明るい春の日差しに、白やらオレンジ、赤のカラフルな建物の壁が、くっきりと照らされている。

 色とりどりのタイルで舗装された歩道は、降り注ぐ陽光をきらきら反射して、実に綺麗。

 こんな日は、この街全体が、地上から数十センチばかり浮きあがったみたいに現実離れして感じられる。

 凝ったロゴの看板がかかったコーヒーショップやらブティック、流行のファッション誌から抜け出してきたみたいな通行人たち、

 散歩してる豪勢な刺繍の服を着せられた愛玩犬まで、すべてがちょっとずつ、宙に浮いてる街。

 早い話、このシルヴァレインは典型的なオクタ・カテドラルの都会っぽさ、華やかさを担ってる地域なんだ。

 もっとも、俺みたいな田舎モンには、余裕がないときには落ち着けない場所だけどね。

 でもまあ、仕事を終えて予定が何もない、よく晴れた昼下がりには、悪いところじゃない。

 きょろきょろしてるうち、ようやく見つけた小洒落たオープンカフェで、イイ感じにコーヒーを飲んでる時、遠慮がちな声がかかった。

「あの……ひょっとして、ジギー…ジグザ・バドラルクくん?」

 振り向くと同時に、なんだかいい匂い。

 それはどうやら、すぐそばに立っていた栗色の髪の女の子から漂ってくる、香水の匂いらしかった。

 ほんのり桜色のTシャツに薄手の白いカーディガン、明るい群青色のカットジーンズにちょっと凝ったデザインのヒール。

 小さい銀色のピアスとやや小ぶりなネックレス。

 一見しただけで、すらっとスタイルがいいのが分かる。元の顔立ちが結構整ってるところに適度に化粧をしていて、

 それがまたピタリ、上手くハマってるわけだ。

 正直、ちょっとばかし背筋が伸びる思いがしたよ。

(こりゃ、ようやくツキが回ってきたかな。でも、知り合いにこんな美人……いたっけか?)

 ま、自分で言うのも哀しいが、美人と縁があったとして、のうのうと忘れてられるほど恵まれた環境じゃねえからな。

 ひょっとしたら、アリグラの知り合いかな?

 あの野郎にはときどき、女の子の方から寄ってきて、頼みもしないのに小さなメモを、恥ずかしそうに手渡していきやがるのだ。

 それにはほぼ100%、メールアドレスとか電話番号とかが小さくて女性らしい、丁寧な文字で書いてある。

 ああ、自分で大ナベと薪を用意して、火打石までしょってくる小鹿たち。

 あとは狙いを構えて、ズドンと仕留めるだけ。あんなに楽なハントもないだろうな。

 ……畜生、なんであのクソメガネばっかり!

 考えるだけでちょっとムカついてきたので、俺は慌ててこのネガティブ思考を打ち消した。

(しかし、それにしてもやはり、覚えがねえな……)

 俺は多分、とても分かりやすい表情をしていたのだろう。

 目の前の女の子は、ちょっと苦笑を浮かべた。

「あれ? もしかして、忘れちゃった?」

「い、いや、その、ね……」

 なんてこった。常在戦場、これはブシドーに凝ってた時期、親父がとある古物商から二束三文で買った、古い掛け軸に書かれてた心得だ。

 俺が多少挙動不審になってる間にも、ピンチの白刃は、どんどん俺の本陣に迫ってきた。

 せっかく声をかけてくれた美人さんは、もういわゆるジト目。

少しシニカルな微笑をたたえてこう言ってくれる。

「ふぅん、そうなんだ?」

「いや、そうじゃなくてさ」

 そうじゃなきゃなんなのか。綺麗な女の子にちょっと傷ついたような顔をされて、俺はますます慌てた。

 昔、従姉妹を対戦パズルゲーム「オヨオヨ」でボコってぎゃんぎゃん泣かせて以来、俺はこういうシチュにとことん弱い。

 女の子を悲しませるってのは、とんでもない犯罪でもしでかしたような気持ちになっちまうんだ。

 それこそ必死で記憶の棚をさらってみるが、知り合いの中に彼女に該当するような美人さんは誰一人思い当たらなかった。

 おお、なんとも寂しい人生!

「いや、違うんだよ! でもマジでその……」

 うろたえつつ、ついに俺は覚悟を決めた。誠実さは、ときに最高の戦略。

 次の瞬間、神妙な顔で両手を合わせ、思い切り頭を下げる。

「ゴメンゴメン! ちょっと久しぶりすぎてさ!」

「え~、マジだったの? ……ヒドイなぁ!」

 女の子は一瞬わずかに顔をしかめたが、次の瞬間。

「あはは、冗談だよ! そうね、あれからだいぶ経つもんね、仕方ないか」

 弾けたように笑いだしたので、俺は拍子抜けしてしまう。

 それから彼女は、気を取り直したようにひょい、と肩をすくめた。

「ま、ジグザくんは、前からそういう人だったもんね?」

「は、はは……」

 冷や汗かいて愛想笑いを浮かべながらも、俺ははっとした。この子の肩をすくめる仕草、どこかで見覚えがある。

「ほら私、メリヤ。メリヤ・エグバルトだよ。覚えてない? 

 ハイスクールの3-Dで一緒だった……美化委員会で委員長やってたよ。

 ジギー君、3年のとき、美化委員だったでしょ」

「あ~……あ、おおお!!」

 ようやく思い出したのは、ド田舎の海辺の町で過ごした高校時代の記憶。

 記憶の中のメリヤは、大人しくて目立たないお下げ髪&眼鏡の優等生。そういえば歌が得意で、音楽の成績が抜群に良かったっけ。

 だが、それにしてもな。

 改めて目の前の女の子を記憶の中と見比べてみて、俺の中では彼女は、外見よりもその声の綺麗さのほうで印象に残っていたことに気づいた。

「ようやく、思い出してくれたみたいね」

 少し唇をとがらせて、わざとらしく、不満げな表情を作る彼女。

 その唇にほんの薄く、品のよい桜色のルージュが塗ってあることに気づく。

「ホントにゴメン、ちょっと最近、物忘れがひどくてさ」

「なにそれ、オジサンみたいだよ」

「……カンベンしてくれよ。もうバッチリ思い出したからさ」

(しっかしね……変われば変わるもんだな)

 ありがちな感慨を思い浮かべながら、俺は改めて目の前の女の子を眺めた。

 本当に、別人みたいだ。ダサい黒ブチ眼鏡を取ったら……なんてお約束のせいもあるだろうが、やっぱり化粧ってすげえよな。

 世の女どもが、流行の美用品やらメイクやらを追っかけるのに必死になるわけだぜ。

「ホント、見違えたって。マジでびっくりした、綺麗になってて」

 ほとんど無意識にだったが、綺麗という言葉がふと口をついて出る。

 途端に、メリヤは照れたように、顔をかすかにほころばせた。

 お、「綺麗になったね」こそは、女心に一番響く、魔法のキーワードなのか!?

  どうやら敵の機嫌は、ちょっぴり直りつつあるらしい……これはラッキー、助かった!

「ふふ、ありがと。……にしてもジギーくんのほうは変わらないね。相変わらず赤毛でツンツンでさ、すぐ分かっちゃった」

「そっか?」

「うん。ホント……なんだか懐かしい」

 メリヤの口調には、どこかまだ……俺たちの故郷のなまり。

 そして、心のどこかがほっとあったまるような、柔らかい笑顔。

「ねえ、少し時間ある? あたしも用事、ちょうど終わったとこだったんだけどさ。よかったら、ちょっとお茶しない?」

 華麗なる変身を遂げたかつての同級生、メリヤ・エグバルトはそう言って、にっこりと笑った。


※※※


 十字交差点を渡ったとこにあったファーストフード店。

 俺たちは薄いベージュ色のテーブルに、差し向かいに座っている。

「卒業してからさ……もう4年くらい?」

 メリヤが言った。

「ん……それくらいになるかな、早いもんだ」

 俺はそう答えて、ズズッとストローで片手に持ったカップから、300ティカのグレープフルーツ・ジュースを啜る。

 メリヤは160ティカのブレンドコーヒー。垢抜けた印象だったが、意外に質素だ。

 しかもミルクだけで砂糖は入れなかった。ダイエットでもしてるんだろうか。

「そうね。ジギー君、先生たちには目をつけられてたけど、結構優しいとこ、あったじゃない? 

 知ってる? ジギー君、結構女の子の間で人気あったんだよ」

「えっ!」 

 そ、そうだったのか……いわゆる人生のモテ期、というやつだったのか!?

 高校時代、お袋が「あんた、若手俳優のエルロー・オズに似てるね……ただし、目つき以外だけど」なんて言ってたことを不意に思い出す。

 典型的な親バカ発言だと思ってスルーしちまったけど、そうでもなかったのかも?

 だが畜生、失われた季節はもう戻ってこない。

 俺がちょっぴり、残念そうな顔をしたせいだろうか。

「ふふ。結構そこらへん無頓着そうだったけど、ホントにそのままみたいね」

 そういって、メリヤはまた独特の仕草で肩をすくめる。

 なるほど、彼女は確かに委員会の会議でちょっと困ったりした時、そうするのが癖だった。少し懐かしいな。

「そういやさ」

「ん?」

「あたしが委員長やってたときさ。文化祭の資料作りで、放課後、居残りしてたことがあったじゃない? 

 その時ジギー君、わざわざ一緒に残って手伝ってくれてさ」

「ん? まあ、マジメにやってたしな、お前」

「ちょっと嬉しかったな、あの時は」

「そう? たいしたことじゃねえよ」

 実のところ、俺とメリヤは、ハイスクールの時、別に仲が良かったわけでもない。

 本当は、当時付き合っていた彼女と映画を観に行く約束があって、それまで時間が余っていただけなんだが……。

 ま、美しい思い出はそっとしておいたほうがいい。

 特にそれが、ぐっと美人になった昔の同級生の中にある、かつての俺のイメージならね。

「ジギー君……あのころ、ミリィと付き合ってたじゃない?」

「え? ああ」

 おっと……ここで、ミリア・ニーアの名前が出てくるとは。

「今、どうしてるの? 彼女もこっちに出てきてるんでしょ、確か」

 こういう時、苦笑以外にピッタリくる表情ってのを、俺は知らない。

「さあ、どうしてるかな?」

「……連絡、取ってないの?」

 メリヤは意外そうな顔。

「ま、その……いろいろあってさ」

 肩をすくめ、おどけたように笑ってみせる。

「あ……そうなんだ。悪いこと、聞いちゃったかな」

 メリヤは傾けたカップ越しに、ちょっと気遣わしげな上目遣いでそう言った。

「いや、別にいまさら……な」

 お互いに気詰まりになり、なんとなく表通りを眺める。

 そういや、本当にあいつ、今どうしてるんだろうか? 

 最後に喧嘩別れしてから、もう長い間、軽いメールのやりとりすらしていない。

 正直、最近は思い出しもしなくなっていた。

 あの頃は、毎日のように会っていろんなことを話して、互いに相手がなくてはならないもののように(俺の思い上がりでなければ)感じていたのに、なんだか不思議な気もする。

 人間は忘れるようにできている、というのは誰が言った言葉だったか。

「……ま、昔の話ってヤツだよ。俺もガキだったってことで」

 俺はちょっと遠い目ってのをしていたかもしれない。

 俺のそんな様子につられたのか、メリヤも、かすかな感傷を感じたらしかった。

「そっか……ふふ、なんかさ、ハイスクールの頃ってちょっと懐かしいね。

 ほんの数年前のことなのにね」

「ま、そうかもね」

 18とハタチの境目はいろいろとでかいのだろう、確かに。

 18はやっぱりしょせんガキで、ハタチ以上は結構そうでもない。

「そうだ、そういえばジギー君さ、あの頃、よく言ってたじゃない」

「ん?」

「休み時間、教室で友達にさ。いつか、何でもいいからでっかいことやるんだ! ってさ」

 澄んだ綺麗な声で、ご丁寧に俺の声色まで真似してくれる。

 こちらはもう、苦笑するしかない。

「ああ、そうだったっけ。や、なんかあまり覚えてねーな」

 忘れたフリでごまかしたくなるような話。だいたい"でっかいこと”って、具体的にゃどういうことだよ?

「あの後、ジギー君がオクタ・カテドラルに行ったって聞いてさ。ああ、やっぱりその何かを探しに行ったんだ、スゴイなって思ったけど。

 で、見つかったの? その“何かでっかいこと”」

 メリヤはいたずらっぽい微笑を浮かべて、俺の顔を覗き込む。

「……さ、どうだろな」

 俺はとぼけた顔で目を逸らす。

 刺激にあふれたスイーパー生活。その日暮らしで、無為に過ぎていく日々。

 でも、いつか、きっと。

 けれども俺には分かってる。本当に何かを成し遂げるヤツは「いつか」なんて言葉は使わない。

 勝者の人生は、「今、この瞬間」だけが積み重なってできている。

「……」

 なんとなく、そんな微妙な雰囲気を感じ取ったのか、メリヤはそれ以上聞いてこなかった。

 少し間があって、話題はそれとなく路線変更される。

「そういやさ、ジギーくんは今、なにやってんの?」

「今? ああ、マインド・スイーパー」

「へえ? スイーパーってあの? ガルキゲニマ駆除?」

 人が密集してる場所ほど、ガルキゲニマが沸きやすい。

 ガルキ駆除がお役所仕事以外に、個人業者として成り立つのは、都会特有の現象だ。

 だから、マインド・スイーパーは、都会にしかない職業でもある。まあ、これが都会から離れたド田舎だと、シャーマンとか巫女、司祭さんその他、文化風土に合わせた方々の出番になったりするわけだが。

「そ。でもまだぜんぜん駆け出しだけどね。一応、相棒と事務所みたいなモンをやってる」

「へえ。なんか、すごいね」

 メリヤはちょっと眼を丸くしてみせる。

「一応、名刺とかあるけど。いる?」

「うん、うん!」

 こくこくとうなずく。すぐに細くて白い指が、俺が胸ポケットから差し出した名刺を挟み取った。

「へえ、ラックスマイル・カンパニー? びっくり!」

 赤毛の虎とメガネのユニコーンがロゴと一緒にキャラクター化されて刷られた、ちょっとくだけた、親しみやすい雰囲気を狙った名刺。

 なんだか居心地が悪くなって、俺は苦笑する。

「……ま、そうでもねえよ。事務所なんて言っても、面倒くさいことばっかりでさ」

「でもさ、スイーパーって本当に大変なんでしょ? 

 危ないことも多いっていうし。あたしだったら、できないなぁ」

 居心地の悪さとは別に、美人に驚きと尊敬がこもったまなざしで見られるのは、ちょっといい気分でもある。

「ま、一応駆け出しの時はバイトして経験積んでたし、なんとかなるもんだぜ。それに、抜群に頼れる相棒もいるし」

 ちょっといい女の前で見栄を張っちまうのは男の哀しい宿命さがだ。

 にしても、“抜群に頼れる相棒”か! 我ながら笑っちまうな……むしろ“抜群にイカれた相棒”だろうね、あのクソメガネは。

「ふぅん、二人三脚ってやつ? いや、でもホント、すごいと思うなぁ。誰かの下で働くんじゃなくて、全部自分たちでやるんだよね?」

「まあね」

「そのぶん、苦労もありそうだけどさ、フツーの仕事より絶対すごいと思うよ! ねえ、どうやったらそんな仕事に就けるの?」

「いや、普通にマテリアライズ……想力の資質さえあればいいんだ。あとはバイトやらなんやらで実地訓練して、試験受けて資格取ってさ」

「資質が必要なんだ、やっぱり」

「……でもせいぜい、耳が動かせるとか、絶対音感があるとか、それくらいのレア度の資質だぜ。

 いってみりゃ精神力、ココロの力。意志のベクトルとか強度とか指向性の問題ね」

「ふぅん。たとえばさ、私でもなれるもの?」

「努力しだいじゃねえの? でもまあ、あんまりオススメはしないけどな。

 女性のスイーパーってのはわりに珍しいかな、やっぱり」

「へえ、そうなんだ」

「だいたいこの仕事って実質的にガテン系。

 ……キツイ、キタナイ、キケンを地で行ってるからな。まあ、一部に政府所属のエリートもいるんだけどさ」

「そっか」

「まあ、営業の仕方とか仕事の取り方、駆除作業自体は、一定のルーチンみたいなものはあるから、そんな大げさなものでもないけど」

「精神的にもやっぱ、タフじゃないとだめそうだよねぇ。

 そうだ、何か、続けるコツみたいなのはあるの?」

「コツ?」

「うん、参考までにさ」

「えっと、そうだな……最近思うようになってきたんだけど、物事やり遂げるのに一番大事なのはさ」

 俺は一度言葉を切り、もったいをつけてから言う。

「覚悟、なんだと思う」

「覚悟?」

「そう」

 迷っている時に重要なのは、考えすぎずに足を一歩前に踏み出すこと。

 傷ついたって、それを糧にできるヤツは強い。

 俺はそんなことを、少し調子に乗ってあれこれとメリヤにしゃべった。

「覚悟、か……」

 俺の言葉を頭の中で転がすように、メリヤはそっとつぶやいた。

 それからふと、微笑を浮かべながら言う。

「でもさ、何かを成し遂げるのに必要なものって、もうひとつあるよね」

「もうひとつ? なに?」

「ふふ、財力。おカネだよ。何をするにも重要になってくるじゃない」

「あ~、それは分かるな。やる気さえあればカネなんて、とかって、バカにできねえよな、現実の問題」

「うんうん。オクタ・カテドラルって、無駄に人は多いし家賃や物価が高くてさぁ」

「そうだよなぁ」

「あたしも、ちょい前まで仕送りもらってたんだ。ウチ、お父さんただの役所づとめだしさぁ」

「はは、お互い苦労すんな、ホント」

 下層階級の共感と連帯感ってやつは、なかなか強力。俺とメリヤは顔を見合わせて、小さく笑いあった。

「そういえばさ、お前は今、なにやってんの?」

 次は俺が訊ねる番。

「うん……そうだね、女優……みたいな? お芝居とかTVドラマとか、まあ、いろいろね」

「へえ、女優? すごいじゃねえか」

 確かにそれなら、この変身ぶりにも納得がいく。

 要は「業界人」になったわけだ。

 でも大人しくて真面目なあの頃のメリヤ・エグバルトを知ってる俺からすると、意外ではある。

「……や、まあ、たいしたことないんだけどさ」

 メリヤはちょっとはにかんだように、体をもじもじさせる。

「いや、十分すげえよ! で、どんなのに出てるの?」

 メリヤは、いくつかのドラマやネット番組の名前を挙げた。

「へえ、どっちも結構流行ってるやつじゃねえ? すげえすげえ。で、役は? どんなの?」

「え、役? あ~……まあ、その、そのね……」

 あれ? 急に歯切れが悪くなったな……?

「えっとね、役は……主人公がいつも依頼人と打ち合わせする……まあ、打ち合わせする、カフェのウェイトレス役とか、主人公の同僚の友人の妹役とかだけど」

 どっちも名前はないんだけどね、と言ってから苦笑する。

「へえ、そうなんだ……うん」

 わりに反応に困るな、ソレは。どうしたものか……

 俺の困惑具合がなんとなく顔に出ていたらしく、メリヤはすぐに慌てたように付け加えた。

「で、でも今度、ネット番組に出るんだ! ちゃんと名前がついた役でさ!」

「へえ、なんて番組?」

 またも彼女はしまった、という表情になる。

「あ、えと。えっとその、……マイナーな深夜枠なんだけどさ……タイトルは…‥って言って……」

 ぼそぼそ。急に声が小さくなっていく。

「え……何? ……のこと?」

「違うよ……だからさぁ……その……」

「え? え?」

 ついにメリヤは、ヤケになったように叫んだ。

「だから……『プリーズ!メルティ・メリキュア』だって!」

「……それ、低予算枠の深夜ネットアニメじゃね?」

「ま、まあね。ほかには『ワルプルギス・ナイトドリーム』とか……これでもけっこう人気あるんだから!」

 メリヤはあわてたように言う。少し、頬が赤くなってるような気がした。

 それを見て、ようやく思い出した。『ワルプルギス・ナイトドリーム』は、規制がゆるい深夜帯ならではの、セクシー系バラエティ番組だ。

 内容は実にくだらないけど、水着だらけで運動会だの、野球拳だののストレートで分かりやすい内容が、男性に大ウケ。

「へえ。そりゃあメジャー番組だ、いいね!」

 思わずニヤニヤ笑ってしまった俺を、メリヤは唇を尖らせてにらみつけた。

「なによ……バカにして。あ~あ、ジギー君になんか話さなきゃよかった!」

「いや、ほら……最初からでかい役なんてうまい話はねえさ。

 どんな大女優だって、一からコツコツ積み上げて、足場を固めていくもんだろ」

「……そうかな?」

「そうそう! だいたい、深夜番組だってスゲえと思うぜ! 十分レアだし、びっくりだよマジ!」

 拳を振りかざしつつ力説してやると、ようやくご機嫌が直ったらしい。

「ま、そうかも? うんうん」

 にっこり笑顔。ふぅ、やれやれだ。安心したのもつかの間。

「そういや私……なんかお腹減っちゃったなぁ」

 メリヤは白い壁にかかったお品書きプレートにちらりと視線を走らせ、じっと俺の顔を見る。

 そこには、食事一覧のメニューがびっしり。

 ささやかな精神的慰謝料をってか。俺は、小さく肩をすくめた。



 1個400ティカ、この店名物らしい合成肉バーガーをかじりながら、メリヤは話す。

 なんてこともない昔話から、最近のことまで。

 女の子の興が乗ってペラペラしゃべりだしたら、俺は適当に相槌を打ちつつ、聞いてるだけ。

 もともと話し上手なほうじゃないから、そのほうがラクだ。

 そうこうするうち、話はメリヤが先日実際に体験した、ガルキ憑きがらみの事件のことになった。

「最近さ……やっぱり怖いよね。この前、ウチの近所で一人暮らしの女の子が侵食されちゃってさ。

 急に暴れだして、特保警察がきたのが二時間後。おっそいよねえ」

「ふぅん」

「なんか、ヘンなクスリをやってたらしいんだけど。それでバッドトリップして、負の感情がすごく膨れ上がってさぁ。

 で、心のシェルっての? それが薄くなったとこを食い破られちゃったんだって」

「へえ……クスリか」

 最近、ちょっと流行ってるらしいな。違法精製されたトリップ薬剤。

「怖いよね……そうだ、あたしももし何かあったらさ、ジギー君に連絡するね!」

 そう言って、メリヤは笑う。

「おう、完全にコアを侵食されて、ロストやリ・ボーンが発生しないうちに頼むぜ。市内なら連絡一本で駆け付けるからよ。料金格安で」

「ふふ、マジで?」

「もちろん。将来の大女優のためならお安い御用ッスよ」

「あはは、ありがと」

 芝居がかった感じで頭を下げた彼女に、俺は冗談めかして言う。

「その代わり、TVとかメジャーネット番組に出るようになったら、宣伝よろしくな。

 ガルキゲニマからあなたのココロを守るラックスマイル・カンパニー、

 私は彼らのおかげで今も芸能活動を続けられているんですよ」

「あはは、いいよ。でもその時にはギャラ、はずんでもらうわよ?」

「そりゃあねえわ! タダにしろよ!」

「どうしよっかな~」

 屈託のないメリヤの笑顔。

 久しぶりに、俺の心の園に春が訪れたような……うん、これはなかなか悪くない。 


 携帯番号を交換し、浮かれた気分で帰ってから、教えてもらった芸名を、ちょいとネットで調べてみる。

 今のメリヤの立ち位置は、現在売り出し中のネットアイドルの卵ってところらしい。

 ただ、本来は歌手志望だって、ヴェガ・プロモーションとかいう事務所のオフィシャルサイトに書いてある。

 涼やかな声質で、声優業なんかもこなしているらしい。

 えっと、主な声の出演は……「『プリーズ! メルキュア・セブン』(ベリアン・ラズベリー役)」。

 うん、まったく知らねえ……。

 リビングに寝転がって、ほかにいろいろ検索してたら、ちょうどアリグラがやってきた。

 ちょうどいいとばかり、プリーズ! メルキュア・セブン』の名前を出して、知ってるかどうか、訊ねてみる。

 呪法銃や呪法テクノロジーメカのマニアで、ネット情報なんかに詳しいところがあるアリグラは、少し首をかしげたが、すぐに思い当たったらしい。

「『メルキュア・セブン』……ああ、確か、アングラ系のネットアニメじゃないですか?」

 聞くところによると、いわゆる「変身魔法少女モノ」というジャンルに当てはまる作品らしい。

 当初は大手玩具メーカーとのタイアップ作品だったのが、企画自体がポシャってしまい、

 それでもメゲなかったクリエーター陣の熱意で、アングラネットアニメとして復活。

 以降、マイナーなネット視聴者やいわゆる「大きなお友達」層の間で、知る人ぞ知る人気なんだとか。

 どうしてそんなことを聞くんだといぶかしがるアリグラを軽くいなし、俺は心の中で思う。

 俺は別にネットアニメになんか興味はないが、それはそれ、これはこれ。

 悪くないね。本当、悪いもんじゃない。

 久しぶりに会った同級生が女優だかアイドルだかの卵で、しかもぐっと綺麗になってたっていうのはね。

 そして相手はどうやら俺に好意のカケラくらいは持っていてくれるようだ。

 うん、お約束かもだが、ロマンがあるじゃねえか。

 近々、メールの一本でも打ってみるのが当然の成り行きだろう。


【パート7に続く】

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