第5話 「ウーズ狩り狂想曲 5」
ゴツン。ベッドから転げ落ち、思い切りどこかに頭を打ち付けた。
「いってぇ……」
思わずつぶやきつつ後頭部をさする俺。間に合ったのか?
俺はあわてて周囲を確認する。
ここは……精神に潜る前の、駆除室だ。
どうやら虎の子のエスケーパーは、きちんと作動したらしい。
横には、ベッドのそばの床に頭をぶつけた俺と同じく、椅子から転げ落ちて憮然とした表情で尻餅をついているアリグラの姿。
こいつ、しっかり自分の分のエスケーパーは作動させてやがったのだ。
おっちゃんは、と見ると、苦悶に似た表情は浮かべてるものの、ベッドの上で一応静かに寝息を立ててはいる。
リ・ボーン対策に、身体に引っ掛けたフックもそのままだ。
(どうやら、最悪でもスリープで済んだな……やれやれ!)
大きく息をつく。どっと安堵感が押し寄せてきた。
同時に、俺は頭を振りながら起き上がった。
すぐにつかつかとアリグラに近づき、胸倉をつかむ。
「てめえ! またムチャクチャしやがって! 脳味噌に学習機能がねえのか!?」
「いや、君がエスケーパーを無事作動させるであろうことを、僕はすでに予測していま……おぐうっ!」
問答無用で下腹に重いパンチをかましておく。
自慢の顔にぶち込まなかったのがせめてもの情けだ。
「……お前、『報告書にはこう書いとく』とか言ってたろうが!
あれは明らかに“一人で脱出後”を想定したセリフじゃねえか、ああ!?」
「……コ、コホン……とにかく、ウーズの駆除には成功しましたよ。やりましたね、相棒!!」
「やりましたね、じゃねえ! 片目つぶって親指立ててもごまかされねえぞ、コラ!」
「被害者に強靭な精神力があれば、問題ないです。
そうでなければ……弱きもの、醜悪なるものは滅び去るべし」
チャラン、と胸のパイク・クロスを揺らして、アリグラは言う。
「何度も言ってるだろ、おめえんとこの土着信仰と、世間様の道理は違うんだよ!」
「土着信仰じゃない。ザウートは政府が認めた、正統なる教えです」
「まったく、とんだ邪教だな! 時代が時代なら、てめえはきっと火あぶりで、金髪のロースト・ポークだぜ!」
「むぅ……重大な侮辱ですよ!」
「ふん、俺が今すぐここで火刑にしてやろうか? あぁ?」
「キミたち……いい加減にしなさい!」
ドアの方向から響いた凛とした声に、俺は我に返る。
アリグラを突き放し、恐る恐るそちらを振り向くと……腕を組んで柳眉を逆立てたアリカ先生が立っていた。
「げっ! もしかして……全部を?」
「これでも私、キッカーの立場ですからね。
最悪のことにならなくてよかったけれど、一部始終、し~っかり、見届けたわよ。何があったかもだいたい察したわ……」
「す……スイマセン、スイマセン!」
ガバリと平伏し、コメツキバッタみたいにぺこぺこと頭を下げる俺。
「どうか、協会にだけはご内密に! ほら、お前も頭下げて頼むんだよッ!」
俺はクソメガネの金髪を鷲づかみにし、空っぽの鳥頭をぐいぐい押さえつけた。
「早く、早くしろっての! おい!」
「イツッ! 君、こともあろうに得物で相棒の頭を……」
「峰打ちだ、安心しろ」
「その駆除ロッド、どっちが峰でどっちが刃なんですか!
だいたいですね、そんなずさんに扱ったら、僕の天才的頭脳が……」
「大丈夫、てめえの頭はもうこれ以上、イカれられない。
すでに十分にネジが狂ってるからな!」
俺はひときわ力を込めて、この天才的バカの頭をぐいぐい押し下げた。
「ほらこの通り! コイツも猛省してるみたいで! だからどうか、協会に報告だけは……」
「……う~ん、困ったわね」
思案顔になるアリカ先生。おっしゃ、もう一押しだ!
「どうかどうか……! もう、先生のお慈悲におすがりするしか……!」
床に頭を摩り付けるようにして懇願する。
「……ふぅ、しょうがないわね。今回“も”大目にみといてあげるわ」
彼女はそう言って、苦笑混じりに微笑んでくれた。
「ああっ、女神様ッ! 観音様! ありがとうございます! うう……一生恩に着ます、靴だって舐めます! ほらこの通り、レロレロレロ……」
「ちょっ……別にいいわよ、キミたち、毎度のことだし」
彼女はそう言って、肩をすくめる。
「ああ、なんてお優しい……うう、感動だ……こんな虫ケラ以下のボクに!」
オーバーアクション気味に、天を仰いで嘆息。
「虫ケラだなんてそんな……キミは立派なスイーパーよ? そりゃちょっと、無茶で乱暴なところはあるけど……私は評価してるわ」
慌ててフォローに入るアリカ先生。
俺はここぞとばかり胸の前で手を組むと、ひときわ哀れっぽい声を張り上げた。
「先生……正直に言います、ボク……ボク、もう耐えられません!
こんな素敵にイカれたヤツが相棒だなんて……ああ、ボクは本当に不幸だ!
こんなにまっとうに、一生懸命に日々を生きてるのに……」
えぐえぐと、涙ながらにしゃくりあげる俺。
「でも、こんなボクでもこの街で生きていかなきゃならないんです……ああ、ああ、ボクは今、生きていることが本当に辛い!」
ちらりと薄目を開けると、アリカ先生は、じっと俺を見つめている。
「……ジギー君」
ぽつり、と呟く。
「可哀想に」
慈愛に満ちた瞳が、うるんでいるのをしっかと確認した。キュンキュン! 彼女の母性本能にダイレクト・アタック成功だ!
「ほらほら、涙をふいて。スイーパーなら前衛と後衛は、仲良くしなくちゃダメよ」
「はい、はい……」
ポンポンと背中を諭すように叩かれながら、差し出されたハンカチを受け取り、涙ながらにうなづく俺。
ちらりと見ると、アリグラの紫の瞳が、メガネごしに呆れたようにこちらを見ていた。
(……くだらない茶番ですね。人間、そこまで堕ちたくないものだな)
目が露骨にそう言っているが……
ケッ、放っとけ、クソメガネが。プライドばっか高い貴族様と違って、庶民には庶民の世渡りの知恵ってのがあんだよ。
「のれんと頭はいくら下げてもタダ」というのは、かつてダイエット器具の営業マンをやってたこともある親父の口癖だ。
だいたい、もとはといえば全部お前のせいだろうが。
※※※
結果から言うと……
おっちゃんは結局、きっちり三日程度で昏睡から醒め、再び職を探し始めた。
彼が目を覚ましたとアリカ先生から連絡があった直後、俺は病院まで菓子折り下げて会いにいった。
「そんな、謝罪してもらうなんて……私こそ、反省したんです」
は? と顔に疑問符を浮かべた俺に、おっちゃんはぽつり、と言った。
「会社、でした」
「え??」
「私の精神世界のコア……会社、だったんです。
ご存知でしょう? あそこは会社があるビルで、家族のいる家じゃなかったんです。
私は、家族のために働いてきたつもりだった……でもいつの間にか、そうじゃなくなっていたんです。
心の中では、そういうことは偽れないんですね」
おっちゃんは、神妙な表情で静かに続ける。
「私が昏睡している間……ずっと病院に詰めて看病してくれたのは、妻と娘でした。
目を開けたとき、最初に飛び込んできたのは、嬉し涙を流している二人の顔だったんです……」
「……」
俺はおっちゃんの顔をそっと見つめる。
その表情はあの精神世界のアバターとは、まるで別人のような穏やかな顔つきになっていた。
「本当に久しぶりに……いろんなことを、話したんです。
以前は話がまったく噛みあわず、互いに疎んじあっていたのに。
驚きでさえありました。そして、嬉しかった……実感したんです、家族のありがたみというものを」
「……そうだったんスか」
なんと素晴らしい家族の絆再生ストーリー! その感謝の念が三日以上続けばめっけもんだな。
ちなみに三日というのは、地元に帰省したとき、お袋が俺をちやほやお客様扱いしてくれる期間と同じくらいだ。
それにしても、だ。結果としては、あのバカがやったことが事態を良い方向へ転がしたということになるのか……笑えねえな。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、おっちゃんはポケットから一枚の写真を取り出す。
「これは……?」
「私が目を覚ました時……娘の提案で撮ったんです。本当に何年ぶりかの、家族写真を。
娘は先日、短大生になったばかりで……」
おっちゃんは目を細め、うっすらと涙さえ浮かべているが、俺にはすでに、そんなことどうでも良かった。
ベッドに起き上がったおっちゃんの横で、肩に手を置いて笑顔を浮かべている少女。
(……カ、カワイイ。うう……彼女のことが好きだ……)
奥さん似で本当によかった。
清楚な雰囲気、ロングの黒髪……俺のストライクゾーンど真ん中じゃねえか。
「とにかくチャンスにバットを振らなくちゃ、当たるものも当たらない」とは、実は若き日に
プロ野球選手を目指していたこともあるという、親父の金言だ。
「実は、妻と娘がさっきちょうど、お見舞いに来てくれたんですよ」
「へ?」
「今は先生と話しているんだが、そろそろ戻ってくるころです。おう、リタ! カレン!」
「はいはい、あなた」
「どうしたの、パパ?」
ギィ、と病室のドアが開いて、二人が並んで入ってくる。
「紹介するよ。こちら、今回の一件で世話になったスイーパーのジグザさんだ」
「あらあら、主人がどうも」
「このたびは、父が大変お世話になったそうで……」
お辞儀をしようとした拍子に、娘さんと俺の目が合った。、
「あ……」
「あ……」
その数秒が、俺には数十、数百年もの時間のようにも思えた。
二人の間に走る閃光、稲妻、一瞬にして知る世界の理……
マンガ喫茶で読んだ全4巻打ち切りのラブコメ、1巻の次に間の巻を全部すっ飛ばして最終巻に至ったかのような超スピード展開。
その奇跡は、この可憐な少女に姿をやつして、ツキに見放された人生の果てに、俺を待っていたのだ。
「こんにちは。ボクのことは、ジギーと呼んでください……」
「はい……私のほうこそ、カレンって呼んでくださいね……」
「あの……よろしければ、メールアドレスをお聞きしてもいいですか……?」
「ええ……こちらこそ」
「今度、飲み会しませんか? ボク、良い店、知ってるんですよ……!」
「いいですね……! 楽しみにしてます……!」
そう、春は、何かが始まるには良い季節だ。
一週間後、俺が部屋でPCの前に座り、計算ソフトと電卓片手に今月の収支を計算していると、ブルブルッ、と携帯が震えた。
差出人は……カレンさんからだ! 俺は速攻で、メールボックスを開いた。
『父のこと、本当にありがとうございました。
また、先日の飲み会も、とても楽しかったです。でも実は昨日、ずっと好きだった同級生から告白されてしまって……ゴメンなさい。
ジギーさんのこと、別に嫌いなわけじゃないんですけど。その、やっぱり彼に少し悪いというか』
「……」
俺はそのまま、携帯をポケットにしまいこむ。
ふぅ……思わずちょっと遠い目をして、窓の外を眺める。
ハイブリッド・チェリーがひとひら、ふたひら、風に吹き落とされ、くるくると飛ばされていく。
何かが始まり、何かが終わる。春はあまりに短い。
柄にもなくメランコリィな気分に浸っているところに、ひょい、とドアごしに顔を出すメガネ面。
「ジギー! ジグザ・バドラルク!」
「なんだよ……」
落ち込んでる時に、牧場の牛糞並に空気が読めないヤツの相手をするのは、心底辛い。
「実は先日の仕事で使った“ジハド”の調合費用なんですが、これはやはり必要経費として事務所の会計から」
「認められるか! てめえ、それよりハンニバルのガス代出せ」
「何をケチくさい……少々借りただけでしょうが」
「ケチくさいのはお互い様だ! だいたい、てめえの実家は、貴族兼大司教様の高貴なお家柄だろうが!」
「知ってるでしょ、あいにく今は勘当の身でして」
「またお優しいナタリナお姉様に、秘密の仕送りをしてもらえばいいだろが!」
「ダメですよ。一人前の男が、そう何度も何度も姉に頼りっぱなしでは、格好がつかない」
「は!? なんでお前は、そんなとこにだけ無駄に良識持っちゃってるの!?」
「男性として、当然の矜持です」
「せいぜい百分の一でいいから、その良識のカケラを仕事に持ち込んでくれないかな!?」
吠える俺にお構いなく、アリグラはぬけぬけと言い募る。
「とにかく、今月はちょっと持ち合わせがないんですよ、残念ながら……ほら、無い袖は振れぬっていうでしょ?」
「てへぺろ、みたいな調子でウインクしてんじゃねえ!
貧乏人への施しは、貴族様の義務だろ! とにかく1220ティカだ、とっとと出せ!!」
なおも詰め寄ると、野郎、眉をしかめてこう言い放つ。
「やれやれ……それにしても器が小さいことだ。……だから君は、モテないんですよ」
「ぐ……うるせえ!」
「ほら、なんていったかな。あの飲み屋の女の子……そうそう、エダだ。彼女から聞きましたよ」
「な……て、てめえ!」
俺は正直、非常に動揺したが、ぐぐっと腹に力を入れ、それを顔に出さないように努めた。
だがこの悪魔め、目ざとくクリティカルヒットの手ごたえを感じ取ったらしい。
目を愉快そうに細め、底意地の悪い微笑をたたえて続ける。
「君、彼女を誘ったデート先が、“キングジェネラル”だったらしいじゃないですか。
初めてのデートというのは、友人レベルだった男性の新たな第一印象が決まる場ですよ?
もっとこう、ムードというものを考えてですね……」
う……傷をえぐりやがって。
ちなみにキングジェネラルってのは、チューカ風定食が安く食える、場末感あふれるチェーン店な。
まったく、ちょっと酒が入ってたとはいえ、当時の俺のバカさ加減にはうんざりする。
「余計なお世話だ、畜生!!」
俺はたまりかねて叫び、猛然と立ち上がる。
その拍子にポケットから携帯がポロリと転げ落ち、開きっぱなしだったメール欄の文面の続きが目に入る。
ん? 俺はそいつを慌てて拾い上げ、じっくり再読した。
『本当にごめんなさい。でも、友達にジギーさんのことを話して写メールを見せたら、一度、会ってみたいと言っていました。
きっと気に入ったんだと思います。とってもカワイイコですよ。彼女の写真、送ります。
良かったら、今度、改めて一緒に飲み会でもしませんか?』
ちっ、ビッチめ、と舌打ちしながらも、俺は添付されていた写メールを見て、心がほんわか温まってくるのを感じた。
俺はニヤニヤと微笑みながら、新たな出会いの予感に、心躍らせる。
「何をにやけてるんです? 脳味噌に注射器で直接麻薬をブチ込まれたブタみたいに、しまりがないですよ」
不審げなクソメガネの声も、もはや俺の耳には届かない。
そう、どんな人生だって、やっぱり捨てたもんじゃない。
だって、次に出会えるコは、前のコより、もっとカワイイかもしれないものな。
たとえ天性の悪運だって、そいつは間違いなく俺の一部だ。
与えられたものは、それが金袋だろうとどっかの誰かが丸めて捨てたチリ紙だろうと、一緒にポケットに入れて持ってくしかねえ。
たとえそれが、この街全部と同じくらいでっかい悪運だってね。
まあとにかく、たったひとつはっきりしているのは、あの神話の箱みたいに、俺が俺自身を見捨てない限り、最後にひとつだけ残るものがあるってこと。
口笛吹きながら椅子をくるりと回転させると、ガラス戸越しに窓の外が見えた。うーむ、光り輝くような午後!
街路樹が立ち並ぶ通りを風が吹き抜け、白とピンクの花びらを舞い上げていく。
降り注ぐ春の日差しの中、オクタ・カテドラルの空は、今日も雲ひとつない快晴だった。
【「ウーズ狩り狂想曲」了】
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