第8話 「偶像と知恵蛇の夜想曲 3」

 事務所に帰って、俺から一部始終を聞いたアリグラは、少し顔をしかめて面倒そうに言う。

「やれやれ、レッド・ゲイズね……面倒な仕事だな」

「ま、まあね。ちと厄介かもな、確かに」

「もしかすると、本人の意思じゃなく、ガルキゲニマが自分の宿主をコントロールしてる可能性もあるじゃないですか」

「ああ」

 今回のストーカー野郎については、実は、表に出ている異常行動が、力任せな凶暴化やストレートな欲望発散型じゃないのが問題なのだ。

 具体的には、行動が理性をある程度保ちつつのストーカー行為に留まっているところだな。

 最初に遭遇したとき、ヤツは俺の気配を察して逃げることさえした。

 劣勢、マズイ状況だっていうのを理性で「判断」できたってことだ。

 つまり、宿主の精神をすぐに暴走させず、じっくり潜伏したほうが目に付かず、結果として良策であることをガルキ自身が理解しているってことだ。

 それが意味するのは……

「ターゲットのガルキゲニマに、知性がある可能が高い。仮にランクがB以上で、なおかつ狡猾なタイプだった場合は、厄介ですよ。

 ウーズやインプみたいな小物とはワケが違ってきますし。

 ヘタすりゃ、精神世界の中で僕らのほうが返り討ちだ。

 それで料金がコレって、ちょっと安請け合いすぎじゃないですか?」

 じろり、とメガネ越しの冷たい視線。

「……どうせ、依頼人が美人だから、彼女の前でカッコつけたんじゃないですか?」

「な……?」

 このインテリメガネ、ついに読心術でも覚えたのか!?

 俺の動揺を見た後、アリグラはふぅ、と大げさにため息をついた。

「図星か……まったくね、単純なんですよ、君は。

 僕に依頼内容と一部始終を語る口調が、もう依頼人が女性で、しかも魅力があるタイプってのをイメージしてる感じだったし」

「ぐ……う、うるせえな、ほっとけ!」

 嫌なタイプの以心伝心だな!

「まあ、いいですよ……僕も少し、興味がないわけじゃない。手伝ってあげますよ」

「え?」

「その代わり……紹介してください、彼女のこと。個人的な推測含みですが、なかなかの美人と見ましたからね」

「ふざッけんなッ!」

 途端に、俺は動物園のチンパンジーみたいに、唇を思いっきり突き出して叫ぶ。

「い~や、お断りだ! 絶~~対にダメッ! 依頼者は俺の大事な友達なんだからなッ!」

「いやいや。僕だって君の友人……親友であり仕事上のパートナーですらある。

 必要なのは信頼関係でしょ? ね?」

「黙れ、この色魔め! ガルキ憑きより始末が悪いわ! 

 だいたい、てめえとの間に、ハナから信頼関係なんざねえよ!」

「そういえば、以前お情けで飲み会をセッティングしてあげた化粧品会社の広報さんチーム……

 ジギーがお気に入りの子、いましたよねぇ? 彼女の携帯アドレス、知りたくないですか?」

「な、なに? てめえ、いつの間に……」

「どうしましょうかね? まあ物事には等価交換の原則、というものがありますが」

「ぐぐ……」

「近々、また飲み会やることになってるんですよね~。あ、そうだ、君を呼んであげてもいいですよ?」

「ぐおおお! だ、ダメだダメだ! 断る断る断るッ!」 

 俺は虎のように吼え、悪魔の誘惑を断ち切る。

 やれやれ、同じ邪悪で狡猾でも、ガルキのほうがまだマシな気がしてきたぜ……!


 ……が、結局アリグラの魔の手(?)からメリヤを守りきることはできなかった。

 理由は、商売上の判断ってやつ。要するに、今回相手にしなきゃいけないかもしれないガルキは、いろいろセコい技を使いそうなタイプだってこと。

 この場合は、クソメガネのスペル・バレットと、その知識の世話にならなきゃいけない場面が、けっこうあるかもしれないのだ。

 そして何より、悔しいけれどコイツは。精神世界の中でガルキが使ってくる妙な呪法や能力にも、対処するすべを数多く知っている。

 アリグラの本名は、アリグラ・ゼ・クルスニカ。

 クルスニカ家は、ガルキの正体が明らかになる以前から、「ザウートの聖職者」として彼らの侵入を退け、魔を払ってた由緒ある退魔の家系だからな。

 そこいくと、俺はどっちかというと肉体派で、愛用の駆除ロッド・バジュラで直接ぶん殴れない相手はニガテなんだよね。


 それでもアリグラとメリヤを初めて会わせることになったときは気が気じゃなかったが、どうやらアリグラの魔力も、時々は通用しない相手がいるらしい。

 一通りの挨拶を済ませたあと、早速の軽めのちょっかいを適当にあしらって、メリヤはごくごく普通に話を進めていった。

 アリグラのヤツも相手に脈がないことを悟ったのか、それ以上モーションをかけるでもなく、大人しくしている。

 まあ、夜討ち朝駆けなんでもアリな野郎だけに、正直まったく信用できないけどな。


 金額は約束どおり相場よりおまけした額を提示し、契約は完了。俺たちはしばらく、メリヤの住んでるマンションの近くで張り込みをすることになった。

 根城はレンタカー屋で借りてきたバンだ。商売道具一式を詰め込んで、交代で見張りって流れ。

 泥くせえが、これもまあ仕事のうちさ。

 ときどき、メリヤやマーシャが、それとなく差し入れをくれる。マーシャはけっこう、友達想いのいい子なんだ。

 で、アリグラの野郎、なんだかんだでマーシャとは結構仲良くなっていやがる。たまに冗談を言って「イヤだー」とかいいながら笑いあってたりして。

 ネタは流行のスイーツと動物、旅行に占いときた。

 やれやれ、こいつの悪魔的笑顔と、女の子の警戒を解かせ、心にするりと侵入する話術……

 ガルキゲニマよりよっぽど危険な気がするね。とっとと駆除したほうが世の中のためだぜ、まったく!

 そういや依頼が成立したあとメリヤに、緊急連絡用の小さなポケットサイズの携帯を持たせたのも、アリグラの提案だったっけ。

 あり合わせの携帯パーツを組み上げ、ジャンクショップのパーツも加えて改造したとかいう代物を渡しながら、

 まさかの時のため、とか言ってたが……よく考えたら怪しいもんだ。

 連絡にかこつけて口説いたりしやがったら、絶対に邪魔してやる!


 そんな俺の内心の葛藤とは裏腹に、最初の一週間は、特に変わったことはなかった。

 だが、八日目。深夜に携帯TVを見ながらカップ麺をすすっていると、後部シートから双眼鏡で見張っていたアリグラの、やや緊張した声。

「ん? 怪しい奴がいますね……」

 俺はがばりと、助手席のシートから跳ね起きた。

「マジか? 服装は?」

「うーん、フードをかぶってて、顔は見えないなぁ」

 目深にかぶったフード。俺の中で、直感がピンと跳ねた。

「そいつは、有望だな……!」

「ナップザックを背負って……手に……何か持ってますね? よく分からないが」

「ちょっと貸せ」

 ひったくるようにして、アリグラから双眼鏡を奪い取る。

 丸く切り取られた視界の中、確かにたたずんでいる小柄な影。

 今夜は、地味な茶色のパーカーを着込んでいる。背丈はこの前のヤツと同じぐらい。やはり、かなり有望だ。

 影は、立ち止まって、マンションの窓を見上げている。ややあって、街灯の影に入ると、こそこそと何かしているようだった。

 ガルキ憑きとはいえ、侵食されたガルキにコントロールされてるタイプなら、得物や道具を扱う知性は持ち合わせていてもおかしくない。

「……どうします?」

 ここはバンの中だから気にする必要もないのだが、心なしか小声でアリグラが尋ねてくる。

 先日の逃げ足の速さを考えると、奇襲しかないだろう。

 こんな時に備えて、ドアは音を立てないように、布切れをかましてある。

 俺は、ゆっくりとうなづき、こんなこともあろうかと考えておいた案を、アリグラに話した。


 目線で合図を送ると、アリグラも無言でうなづく。

 それからアリグラは、そっとバンの前部ドアから忍び出た。

 そのまま、ヤツの後ろ側の路地に移動する手はず。挟み撃ちってわけだ。

 ややあって、双眼鏡を覗いて相手を監視してるうち、尻ポケットの携帯が一瞬、震えてから沈黙する。

 アリグラからの合図。瞬間、俺はバンのドアを開け、さっと飛び出す。

 ヤツの逃げ道をふさぐように、道路の真ん中に立ちはだかる。


 野郎ははっと身構えたが、反応は素早い。すぐに俺とは逆の方向に、風を切って走り出した。

 スニーカー姿に背中の派手なナップザックが揺れ、その拍子に、目深にかぶっていたフードが外れる。

 ちらりと見えた金髪と、耳の銀色のピアスが印象に残った。

(逃がすかよ!)

 俺はバジュラを柄だけに縮めて専用ホルダーに収めると、すぐさま後を追いかける。

 ヤツの走る速度は、先日ほど速くはない。今日はガルキの、肉体の潜在能力を高める力の影響を、あまり受けていないのかもしれない。

 やがて少し先の角を曲がった途端……パーカー野郎の足が止まった。

 じりじりと、あとずさりする。俺は余裕の笑みを浮かべ、逆から距離を詰める。

「ふん。こっちが何の用意もないと思ったのかよ」

 男の行く手に、長身の影が立ちふさがっていた。先回りし、呪法銃・アガーテを構えたアリグラ。

 こちらも威圧するかのように、じりじりと数歩前へ。

 次の瞬間、パーカー野郎が動いた。

 路地の塀に取り付き、乗り越えようとする。

 その動きを察して、俺は内心、舌打ちしつつヤツに追いすがった。

 「アリグラ、援護を!」

 と見ると……もう、済ました顔でアガーテのトリガーを引いてやがる。続いて響き渡る轟音。

 「おいおいッ!?」

 生身の人間相手に呪法銃をぶっ放すなんざ、協会にバレたらコトだ。

 だから、今アリグラが撃ったのは、せいぜい高圧電流を流す「ショック」のバレット程度だと思いたいが……ああ、そう思った俺がバカだった!

 直前までストーカー野郎が足をバタバタさせていた壁の表面に爆炎が吹き上がり、俺は間一髪、頭を抱えて路地に転がると、すぐに起き上がって天を仰いだ。

「またかよ、この野郎! ……あっ! 畜生!」

 アリグラに向かって吼えると同時に、俺は焦った。

 塀を越えるのに手間取っていたパーカー野郎が、爆風に持ち上げられるような形で、ひょいとそれを乗り越えてしまったのだ。

 俺は必死で追跡しようとしたが、なんとか塀のてっぺんに登った時には、もうどこにも姿が見えなくなってしまっていた。

 「なんてこった……!! てめえ……おい、いったいどういうことだよ!?」

 塀から飛び降りるやいなや、失策をやらかしたメガネザルの胸ぐらを掴まえ、怒鳴る。

「おお、僕としたことが、うっかりしてましたよ……まさか装填が爆裂弾のままだったなんて!」

「……とぼけんな! ここは"リアル”だぞ、しかも街中でぶっぱなしやがって!!」

「そんなことないですって……ついうっかりですよ。ああもう、そうキレないでください。血圧があがりますよ?」

「高血圧で死ぬより、爆発好きのイカレた相棒に殺されるほうが早い気がするんだが? 

 しかも、ヤツを逃がしちまっただろうが! どうすんだよ!?」

「いやいや、大丈夫ですよ。結果オーライ」

「はぁ? なにがどうオーライなんだよ!?」

「ほら、ホシは重大な手がかりを落としていきましたから」

 胸ぐらを掴まれたまま、アリグラがひらひらと右手を振った。

 人差し指と中指の間に、黒くて四角い何かが挟まれている。

 俺はどん、とアリグラを突き放すと、黒皮製らしいそれをむしりとった。

「なんだ……定期入れか何かか?」

「……ご名答」

 乱れた襟元を直しながら、肩をすくめつつアリグラが言う。

「定期の住所は、名前からしてどっかのアパートかマンションでしょう。場所はここからかなり近い。

 たぶんですが、そこに向かって逃走しているんじゃないかと……

 ほら、怒ってる場合じゃないですよ! 

 ヤツが間抜けな落し物に気づかないうちに、すぐに向かいましょう!」

 刑事ドラマばりのキリッとした表情で、ごまかしやがって。

 だが、確かに今は緊急事態だ。

 ちっと舌打ちして、俺はあごでバンの近くに停めてあったフローターバイク・ハンニバル550RXを指す。

 こんな場合は、小回りが利かないバンより、こっちが確実だ。

「乗れよ」

「OK!」

 親指を立てて、キラリと歯を見せて笑顔。はらわたが煮えくり返る思いだが、今は仕事が優先。

「これは貸しにしとくからな! まったく、男なんざ乗せたくねえんだ、ホントならよ!」

 ぶつぶつ言いながら、俺は2ケツでハンニバルを飛ばす。

 途中、携帯で一部始終をメリヤに伝えておくのは忘れなかった。


 着いたところは、確かにアリグラの読みどおり、ちょっと小綺麗な新築アパートだった。

 急いで定期に書いてあった住所――103号室に突撃。

 もちろんドアには鍵がかかってたが、アリグラの衝撃系実体弾が、たちまちそれを粉砕する。

「おいおい!」

 リアルワールドじゃ、器物損壊罪に引っかかるんじゃないかと俺はかなり心配になったが、もうやっちまったもんは仕方がないわな。

 さっと部屋の中に踏み込んだ瞬間――。

「うおおおお!」

 部屋の片隅から不意に飛び出してきた小柄な影が、何かをぶん、と振り下ろす。

 でもまあ、反撃は予想済み。アリグラは左に、俺は右に。

 回避のついでにちらりと確認すると、得物はどこかで拾ったらしい、鉄パイプみたいなもんだった。

 やれやれ、物騒だな。

 でもまあ、これで正当防衛って大義名分が立つかな?

 さっさと身をかわし、バジュラで一発、軽くぶんなぐる。それだけで、相手は簡単にのびた。

「ったく、手間かけさせやがって」

 気絶したところでよくよく見ると野郎、わりにイケてる顔立ちだ。

 金髪にピアスもあいまって、そこらで軽音楽でもやってそうな学生ミュージシャンって雰囲気。

 地味なパーカーの下のシャツは、意外にもけっこう仕立てが凝ってて金がかかってそうだ。

 胸にはシルバーアクセサリー。お、けっこう高いブランドものか。

「ふぅん……」

 ちょっと意外な面持ちで、のびてるストーカーを眺める。

 見るからにチャラいが、女にもなかなかモテそうだし、駆け出しアイドルに執着するような根暗野郎には見えない。

 ま、もちろん人は見かけによらないってのは、この商売やってれば真っ先に到達する真理だけどね。

 目を見張る美人やイケメンのエゴや内面世界が、実際はどろどろで歪みきってるのは、よくあること。

 ちやほやされそうなルックスのヤツほど、気をつけたほうがいいんだ。

 そう、たとえば俺の横で涼しげな顔してるクソメガネとかもな。

「……なんです? 僕の顔になにかついてますか?」

「別に」

 ついてるとしたら、背中とケツにだな。ねじまがった角と、黒くて尖った尻尾がね。

 ま、これで仕事は一段落だろう。あとは確保したこいつを、どこかの精神外科か政府の特保機関にでもぶちこんで、精神洗浄してやるだけだ。

 ひとまず、さっさとメリヤに連絡することにしよう。

「もしもし? ストーカーのガルキ憑きは押さえたぜ。で、どうする?」

 俺は二言三言、メリヤと言葉を交わす。ややあって、俺は通話を切る。

「おい、アリグラ」

「はい?」

「ここでいいや、早速やっちまおう」

「へえ、病院に運ばないんですか? マインド・スイープについての第三者立会い、キッカー配置についての規定も無視?」

 やや意外そうだが、どこか楽しそうな口調。

「そもそもメリヤが、あまりコトを大きくしたくないってことだからな。クライアントの意向は大事にしようってことだ」

 今回、実際に被害は出ていないからな。

 正直、あまり歓迎はしないけど、このまま当事者同士での手打ちにだってできるかもしれない。

 ガルキに憑かれたなんて、あまり世間体の良い話じゃないから、こういった手打ち、事件の顛末が表に出ないケースだって、ざらにあるんだ。

 ただもちろん、俺らの本分――ガルキ狩りはきちんと実行して、もらうもんはもらうけどな。

 ギャラがクライアントからになるか、“治療してもらった本人”からになるかは、ケース・バイ・ケース。

 でもまあ、今回はこのチビのチャラ野郎か、その親から頂戴することにしたいけどね。

 だいたいこういう学生野郎は、甘やかされて育ったに決まってる。

 心が弱いから、簡単にガルキに憑かれたりするんだ。

 まったく、俺は大学に行くどころか、この稼業を始めるにあたって、道具屋や事務所を押さえるのすら、自前だったんだぞ?

 ……ま、これはさすがに貧乏人の私怨すぎるか。

「さあ、悪いガルキは、さっそくお払いしなくちゃな」

 俺はぐったりしてるヤツをベッドに運び、精神同調用のエンジェル・リングを設置。D・D……ディメンション・ディガーと精神同調カプセル入りのタブレットを取り出す。

「ん……?」

 しばらくして、俺は異変に気づく。

 ガルキゲニマの侵入跡を、再びこじ開けるはずのD・Dが、いつまでたってもチャラ男のシェルに隙間を見つけられないのだ。

 ガルキゲニマは侵入時に、精神外殻――シェルを破壊する。

 その跡から侵入孔を広げるってのがD・Dの機能であり、先日整備したばかりだから、故障もまず考えられないはずなのだが?

「妙だな……」

「……?」

 俺たちは顔を見合わせる。そして、次の瞬間、俺はある可能性に思い当たる。

 偶然だが同じことをアリグラも考えたようだった。

「もしかして……」

「そうですね」

 俺は急いで、気絶しているヤツのまぶたを人差し指でこじあけ、瞳孔を調べる。何か決定的な間違いがないなら、発症中ではないかもにせよ何かしらレッドゲイズの兆候があるはずだ。



 ……十分後、俺はゴホン、とせき払いをして重々しくアリグラに言った。

「非常に残念な結果だ」

「ええ。何か、手違いが起きたようですね」

「……不幸なすれ違いだな、うん」

「ふむ……意外に、それで済みますかね?」

「済めばいいな」

「やっぱダメじゃないですかね」

「そうかな?」

「そうですよ」

 しばらく、間。

「……ね、どうしよっか?」

「僕に聞かれても……」

 最悪も最悪、大外れの大凶。

 あろうことか、このチャラ男には、レッド・ゲイズどころか、身体のどこにもスティグマやブランデッド(精神侵食に反応して被規制者の肉体に浮き出る、ガルキの侵入痕)すらない。

 つまり、リ・ボーン間際の重度の侵入どころか、ガルキの被寄生者ですらなかったってオチ。

「いや、でも……だってコイツ、俺たちを見て逃げたじゃねえか!? 

 それに、スネに傷がないヤツが、深夜に誰かが訪問してきたってだけで、鉄パイプで殴りかかるか?」

「そりゃそうですけれど……あ」

 アリグラが、手近にあった作業机の上から、薄い紙片みたいなものをつまみ上げる。

「ん?」

 俺も覗き込んでみるが……そこには、スケスケのSFチックな衣装を着込んだ女の子の写真。

 アングルがけっこうきわどい。どうやら、ゲームかコスプレイベントか何かの衣装写真だとアタリが付く。

 その気になれば、こういうのはネットにたくさん落ちてるからな。

 俺だって健全な男子だから、興味半分に裏サイトのURLをクリックしたことぐらいある。

 アリグラと顔を見合わせて、作業机の上や引き出しの中を調べると……出るわ出るわ。

 高解像度で印刷された、多数のカラー写真。

 さっきのコスプレ系やら、駅の階段とおぼしき場所での女子高生のパンチラ写真、それから素人のヌードを彼氏目線から自撮りした、イカガワしい写真などなど……

 壁に掛けてあった見覚えのあるナップザックの中からは、高性能な赤外線撮影と望遠レンズまで付いた高級カメラ。

 部屋の片隅には、高精度の業務用プリンター。、

「……なんだよ、ただの盗撮野郎か! クソ! まぎらわしいこと、すんじゃねえよ!」

 俺はプリントアウトされた写真の束を、壁に投げつけて悪態をついた。

「僕たちを攻撃してきたのも、盗撮趣味がバレたらマズいってことみたいですね……」

「ちっ。でもまあ、普通の訪問者は、ドアのカギをド派手に破壊したりはしないけどな!」

 じろりとにらんでやると、アリグラはトボけた顔で口笛を吹く。

 どちらにせよ、真相は、目の前で気楽にノビてる盗撮魔のチャラ男が目を覚ましてから、ということになりそうだった。



 少しばかりして目を覚ました途端、ヤツは状況を察したらしい。

 で、いきなりがばりと土下座。

「す……すいませんでした! でも、俺は頼まれただけなんだ!」

「はあ?」

「ウラ系のアングラ掲示板で、メリヤって女を盗撮してくれって! なにせ報酬がでかくてさぁ!」

「ああん?」

「だめです、ジギー。あまりに君の人相が悪いから、びびっちゃってるじゃないですか。ここは僕がソフトに尋問しますよ」

「ちぇっ…勝手にしろ」

 俺が締め上げ役のコワモテ、アリグラが人情味のあるカツ丼おごり役ってか。

 話をよくよく聞いてみると、こいつは近所の某私立大学の、写真サークルに所属してるらしい。

 で、ちょくちょくそういったバイトで小遣いを稼いでて、裏サイトではけっこう知られた名前だった、と。

 それで五日ほど前、声がかかった仕事内容が、メリヤへの盗撮の依頼ってワケだ。

 やれやれ、学生の本分は……もう昨今は勉強じゃないにしても、犯罪ってことはねえだろうが。

 ジアスポリカの高等教育と最高学府の名前が泣いてるぞ?

「依頼人に会ったか? 顔は?」

「いや、掲示板でやりとりしたあとは、メールだけだ……です。報酬はネットバンクからマネーカードIDで振り込まれることになってて」

 顔を見せない依頼人なんて、信用するなよな。

 でも、詳しく聞いてみるとコイツも当然、そこらへんは不信感を抱いていたらしい。

 だが、ご丁寧にも手付金が先に振り込まれたことで、ようやく動く気になった、というわけだ。

 しかし……俺は考える。メリヤが見たというレッド・ゲイズの症状。

 そして俺も、確かに最初の夜、ストーカー野郎の赤化した瞳を見ている。

(……あの時のヤツとこのチャラ男は、別人ってことで決まりかな)

 メリヤを付け回している本当のガルキ憑きは、ほかにいるってこと。

 それにしてもこのタイミングで盗撮者とはね。しかも、コイツは男性にしてはちょっとタッパが低め。

 体格まで、あの時のヤツによく似ている。言い訳するわけじゃないが、俺たちが間違えたのも無理はない。

 まるで、タイミングが良すぎるぜ。

 その時、俺はハッとした。

 そう、“タイミングが良すぎる”のだ――嫌な予感がした。

 すぐ携帯を取り出し、メリヤに電話する。が、つながらない。

 家の電話にもかけ直すが、誰も出る気配はない。

 頭の中に、ガランとしたメリヤの部屋で、電話が鳴り続けている様子が浮かんだ。

「畜生!」

 自分の間抜けさ加減がアタマにきて、俺は思わず拳を握り締めた。

「なんです?」

「マズい、メリヤと連絡がつかねえ」

「どういうことです?」

「お前、ここに残って、この盗撮野郎の証拠画像とか押さえてくれ! 俺はいったんメリヤの部屋へ戻る!」

「ちょ、ちょっと!?」

「そいつのカメラから、データを証拠用にコピーしとけばいいんだよ! 

 何かあったら出るトコへ出るって脅して、コイツが妙な動きをするのを封じろ! じゃあヨロシクな!」

「分かりましたけど……ねえ、ちょっと!?」

 何かいいたげなアリグラと、ぽかんとした顔の盗撮野郎をその場に残して、俺は猛烈な勢いで部屋の外へ走り出した。


【パート9に続く】

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