第9話 「偶像と知恵蛇の夜想曲 4」

……部屋には荒れた気配はない。だが、メリヤの姿は忽然と消えていた。

「畜生っ!」

 俺は唇を噛む。すぐにマーシャに連絡して(携帯は事前に聞いてあった)一部始終を伝える。

 彼女はショックのせいか、最初はなんだかぼんやりしていたが、

 メリヤからは、特に連絡は受けていないということを、途切れ途切れに話した。

 ちぇ、こうなりゃ、ヤマを大きくしたくないも何もない。

 マネージャーのラズロ、特保警察にはマーシャから連絡するように頼んでおき、俺はいったん電話を切る。


 さて、どうしたものか。

 今は深夜だが、非常事態だ。

 マンションの付近の部屋の住人に、物音を聞いていないかとか、情報を聞いて……それから……忙しく頭をめぐらせるが、考えがまとまらない。

 それにしても……もし、凶暴化したガルキ憑きに、メリヤが危害を加えられたら?

 ガルキが、被寄生者の知性を維持して利用するコントロール型らしいとはいえ、それは時間の問題でしかない。

 やがては、被寄生者の欲望や破壊衝動は100%解放され、リ・ボーンが完成する。

 まず精神を乗っ取り、最終的には存在自体を崩壊させて生命エネルギーを吸い出すのが、この手のガルキゲニマの生態なのだ。


 こういったケースで、最後に事件の証拠として記録されることになる写真画像の数々を思い浮かべる……

 裸に剥かれ、股から引き裂かれたり、食らった痕さえ残った被害者のグロ画像。

 そしてすべてが終わったころには、犯人自体までもが綺麗さっぱり存在崩壊して、どす黒い塵の山と化しているって寸法。

 まったく、冗談じゃねえ!

(クソッ…!)

 俺は頭にきて、床にあったソファを蹴り飛ばした。

 そんな時、俺の携帯が鳴った。飛びつくようにして通話キーを押すと、アリグラだ。

「ジギー、どうでした?」

 のんきな声が妙にイラつく。

「だめだ、畜生! やられたよ、誰もいねえ」

「そうですか…こっちは、やはり盗撮の依頼者ってのが、はっきりしません。そもそも顔すら見せてないわけだし、おそらくこのチャラ男君は、囮おとりですね」

「ああ、偶然かもしれないが、その可能性は高い。今度のガルキの野郎、相当にずるがしこいぜ」

「多分、混成発症ですかね……」

 混成発症。それはつまり、侵入を受けた被寄生者の側に、人間として培った生活の知恵や社会的知識が器としてまだ残っており、それが知性的なガルキによって悪用されているということだ。

 被寄生者が一般人ならまだいいが、警官や軍人などの戦闘訓練を受けた人間だったり、政治家のような社会的立場や権力が強い人間だった場合、面倒なことになる。

 例えるなら、高級スポーツカーに、性悪なガキが乗っかったようなもの。

 最近だと、海の向こうの軍事大国・ニーベリングの軍人の例があったっけ。

 彼は休暇中にガルキの侵入を受け、そのまま軍務に戻って数ヶ月、周囲に気づかれずに生活していたのだ。

 その後、リ・ボーンしたことでついに状況がバレて、追い詰められた末に悲劇が起こった。

 やぶれかぶれになったガルキのやつは、その哀れな兵士の肉体と脳に残っていた記憶を利用して、武器庫から奪った銃火器を操作し、基地内で暴れまくらせたのだ。

 表向きは過酷な訓練により、精神に異常をきたしたとして処理されたけれど、実態はそういうこと。

「これは……最悪のケースになってきたな。ヘタするとリスクと報酬、ぜんぜん割に合いませんよ、今回の仕事。まったく、君が安請け合いするから!」

「あのな、もうそんなこと言ってる場合じゃ……」

「ふぅ、分かってますよ。実は、用意と手立てはあるんです」

「あん?」

 いくぶんか落ち着いた調子で、アリグラは続ける。

「こんなこともあろうか、とね。もしものときのための連絡用として彼女に渡した小型携帯、覚えてます? 

 あれって現在地を特定するための、特殊な電波発信機が仕込んであるんですよ」

「何ィ!?」

「ま、僕は何事もスマートに、が信条ですからね。さ、今から位置を特定します……」

 アリグラは、電話の向こうでノートPCを開いたらしい。

 簡易発信風の画面に、光点が表示されている画像がメールで送信されてくる。

 俺は急いで、そいつをネットから引っ張った地図と照らし合わせた。

 光点の場所は……開発計画が立ち消えた、港湾地区の廃ビル区画みたいだ。

「おおっ!」

 俺は思わず歓声をあげる。シャクだが今度ばかりは、クソメガネのお手柄だ。

 チャラ男のアパートからはそこそこ近い場所だったが、俺はいったんメリヤのマンションに戻ってるから、

 今から向かうと、少し余計な時間を食うことになる。

 だが、是非はない。一刻も早く、メリヤのいるところに向かいたかった。

「どんなもんです? 今から、そちらでも光点の詳細を追跡できるように、認証コードを送りますよ。

 じゃあ、僕も早速そっちへ向かいますから。……あ、この貸しはしっかりつけときますよ」

 どこかで言った台詞を、そっくりそのまま返される。

「バカ野郎、さっきの爆裂弾の件と帳消しだ! にしても、ったく! こんな仕込みがあるなら、俺にも教えとけよな」

「ふふん、どうせあの改造携帯、僕が口説きのツールにするつもりだとでも思ってたんでしょ?

 つくづく、君は単純すぎますからね」

「お前の日ごろの行いが悪すぎるんだ!」

「とにかく、君に教えるとすぐ顔に出ちゃいますからね。

 万一のための仕掛けは、相棒どころか依頼者本人にだって隠しておくに限るんです」

 のうのうと言うから、呆れてしまう。

「お前、パートナーってのは信頼関係が大切だ、とか言ってなかった?」

「そうですよ。値が正直な君は、致命的なウソや隠し事ができない、という意味において、とても信頼できます。

 ああ、ちょっぴり脳味噌のシワが足りない哀れな赤毛虎君! 君はどれだけ食い詰めても、詐欺に手を出しちゃ絶対にいけませんよ? 

 相棒からの忠告です、 心しておくように!」

「へ、騙すより騙される側の人間のほうが、心は上等なのさ」

 これは精一杯の負け惜しみ。

「無垢とバカとは紙一重、ともいいますが。世渡り上手に見えて、けっこう不器用ですよね、君は……特に、女性にはね!」

「余計なお世話だ!」

 通話を切ったあと、俺はすぐに部屋から駆け出す。

 なんだか走ってばっかりな気がするが、俺は足で稼ぐタイプなんだ。

 ま、確かに肉体労働のほうが性にあってるってことさ。


 俺がハンニバルをかっ飛ばしてその廃ビルについたのは、アリグラより先だった。

 ここんとこの景気の後退で工事が中止になったらしい放棄区画。

 金網の破れ目から中に入ると、そこはがらんとした広場みたいになっていた。

 廃材や工事用具なんかが放置され、錆びていくに任せられている寂れた場所。

 ビル建築予定地といっても建物はガワだけで、実質何も建っちゃいないんだ。

 敷地の中央に、小さなプレハブ小屋があるばかり。

 この一帯が、ほとんど倉庫代わりに使われてたんじゃないか、と当たりはつく。

 アリグラが送ってきた画像と地図と照らし合わせた住所を再度、確認。

 認証コードを使い、改めてサイズを拡大した現場写真を手に、うろつくこと数分。

 地図の上に、ふと光点が落ちる。

 その小さな点は、ビル本体ではなく、そばのプレハブ小屋を指していた。

 なるほどね。ま、ガルキ憑きがさらったメリヤの身柄と一緒に潜むのには、かなり適した場所ではある。

 アリグラの到着を待つのがセオリーだが、正直、あまり待ちに入ってる状況じゃない。

 そうこうしてるうちに、取り返しがつかなくなっちまったらどうする? 

 ……告白すると、正直、俺はこの時、ちょっとばかし焦ってたかもしれない。


 ひとまずプレハブ小屋にこっそり近づき、窓から中をのぞこうとするが、窓は完全にテープで目張りされていた。

 仕方ない。いちかばちか。

 俺はバジュラを使って、ドアを一撃で叩き壊す。そのまま、体当たりするように転げ込みながら、部屋の中を急いで把握する。

 ぼんやりとした軽油ランプの明かり。

 そこは予想通り、雑多なものが置かれた倉庫だった。

 広さはちょっとしたマンションのリビング程度か。

 だが、人影らしきものはどこにもない。

 ただ、視界の片隅に、毛布をかけられた小さな山が一つ。

 よく見るとその毛布の端から、見覚えのある栗色の髪の毛の束と、ひと目で女のものだと分かる白い腕が覗いている。

(メリヤ……!)

 それを見た瞬間、俺の心に軽い動揺が走った。その直後。

「キシャアアッ!」

 奇妙な絶叫とともに、俺の右腕に激痛が走った。

 反射的に身体を投げ出して、倉庫の一方の壁を背後にし、反撃体勢を整える。

「ぐるるる……」

 まるで飢えた狼みたいな、低い唸り声。

 らんらんと光る、赤い眼。

 その小柄な身体は、数メートルはある倉庫の天井の片隅に華奢な両手をつっかい棒みたいに突っ張り、まるで蜘蛛のように張り付いている。

 さっき、異様な力で蹴りをかましてくれたスニーカーを履いた両足は、わずかな壁の築材の出っ張りに引っ掛けてあるのが見えた。

 やがて、その小柄な影は素早く俺を襲った高所を捨て、ジャガーのような敏捷さで、倉庫の床に着地。

 そしてもう一度、まるで俺を威嚇するかのように、一言だけ大きく吠えた。

 その拍子にはらりとフードが落ち、長い黒髪がこぼれ落ちる。

 俺たちが追っかけてた相手――レッド・ゲイズ。赤い瞳。俺を捉える狂気じみた視線。

(……!)

 一瞬の混乱と絶句。

 フードの下にあったのは、意外な顔だった。

 だがすぐに、俺のあまり回転が滑らかでない脳味噌の歯車がぎしぎしと動き、どうにかこうにか、真相らしきものを導き出す。

 燃えるような熱と激痛を発する右腕をかばい、左腕で愛用の駆除ロッド・バジュラSSをホルダーから抜き、頭上に掲げる。

 ガルキゲニマの影響で異様に強化されているらしい、相手の身体能力。

 正直、左腕一本で対処しきれるかどうか……

 緊張で背筋がすっと冷え、額に汗がにじむ。

 それを見て、俺と真っ向から対峙したそいつは、血走った眼と顔をゆがめ、余裕の笑みを浮かべたようにも見えた。


 だが、次の瞬間。

 倉庫内に響く、一発のうつろな音。

 ドアの方から轟いた銃声とともに、俺に対して身構えていた小柄な影――マーシャ・エイワスの細い身体が、大きく跳ね上がる。

 次の瞬間、それはほとぼしった青白い雷光に包まれ、崩れ落ちるように昏倒した。

 同時に、ちょっとカッコつけた、クールな声。

「ふぅ、なんとか間に合いましたね」

 視線を向けた先には、ランプの光に照らされて輝く金髪と、余裕しゃくしゃくの小憎らしいツラ。

 アリグラは細いフレームのメガネを人差し指で押し上げつつ、得意げに言った。

「今度こそは、正真正銘の“ショック”のスペル・バレットです。

 弾体は特殊樹脂製ですが、威力はばっちり100万ボルトってね。まったく、君は先走りしすぎですよ。

 僕はあのチャラ男君を拘束して、手近な警察に放り込んだあと、タクシーで来なちゃいけなかったんですから!」

 あとでタクシー代立て替えてくださいね、と念押ししたあと、アリグラは、つかつかと倒れたマーシャに近づく。

 それから人差し指と親指で、彼女のまぶたを裏返して眼球を調べた。

「兆候アリ。間違いなくレッド・ゲイズの症状だ……ジグザ、君の怪我のほうは」

「それよりも、メリヤが」

 俺の視線を追って、倉庫の片隅をアリグラが見やる。

 そこに、俺の目に最初に飛び込んできた、毛布をかけられた女の身体がある。

 俺は歯を食いしばり、うずく右腕をかばいつつ、よろよろと立ち上がった。

 畜生、骨にヒビくらいは入ってるかもしれねえ……でも、今はメリヤのことが先だ。

 そんな俺の動きをそっと手で制し、アリグラは、今度はメリヤのそばに近寄っていく。

 毛布を剥いでそっと手首を押さえ、口元に手をかざす。、

「呼吸、脈拍ともにあります。正常かどうかまでは判断しかねますが、メリヤさんのほうは、気を失ってるだけみたいですね」

「そうか、よかった……」

 俺は大きく息をついて、その場に座り込む。

「やれやれってとこだな。コトの経緯はまだはっきり分からねえが……」

「はい、その究明は後回しかと。ただマーシャさんの精神世界へのガルキの侵入は、かなり進んでますから……一刻を争いますね」

「ああ、さっさと潜って駆除しちまおう。立会人およびキッカーはなし。“現場の判断”な」

 俺たちは小さくうなづき合うと、早速、マインド・スイープ――精神世界への潜入と駆除作業の準備に入った。 


【パート10に続く】

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