怠惰
小高い丘の上は誰がしたのかも分からないよく整備された芝が一面に広がっていた。通り抜ける風はうららかな春の陽気をまとい、天気も申し分ないほどに晴れ渡って心地よい光を丘とそこにいる二人に投げかけていた。
「あなたはそこで何をしているの?」
身長155センチほど、スレンダーな体型。黒いストレートのセミロング。スーツの上からあまり主張しない上品な胸囲と臀部を持った妙齢の女性が話しかける。
「話を考えているのさ」
足音に気付いてちらりと目を開けて女性を確認した青年は、再び目を瞑るとそう言った。
「そうは見えないけど」
「他人の内心なんて聞いても実際のところは分からない。それらしくても正しければ疑って、自分より下手に出て間違いのある意見を自分の中で修正したときにだけ大抵の人は納得する。そこで他人の意見に素直に納得できる人がいるのなら生き馬の目を抜くようなこの世界で生きることには向いていない」
しばらく言葉を頭の中で反芻したあと編集者は言う。
「少しあなたのことが理解できたような気がする」
「そうか。それはよかった」
「ねえ、話は書かないの?」
「どうして?」
「そんなにすらすら言葉が出てくるのなら話なんていくらでも書けそう」
「君は私のことが理解できた気がすると述べたが、私は私のことを理解できていない。さてどうして書かないと思う?」
「書けないから」
「違うな」
「でも書かないのなら書けないことと違わない」
「それはそうかもしれない。自分にそれが正しいと思い込ませることのできる意見として優秀だ」
「ねえ、どうして話を書かないの」
「……君もしつこいね」
ガバっと寝転んでいた青年が上体を起こして目を開く。整った顔立ちをしており、どこか気だるい表情をしている。考え事をしているようにも見えた。
「受け入れられるかどうかが怖いのかもしれない」
「なるほど」
「それだけでもないんだけどね」
そういうとまた青年はゴロリと横になる。
「要するに怠惰なのさ」
そういって目を瞑ったままくくくと青年は笑う。
「何か笑うようなところあった?」
「騙されている人間が面白くてね」
軽くため息を吐いたあとに
「……ねえどうして」
「書いている人間が幸福に見えないからさ」
編集者はよろめいて片手で顔を隠した。
「おいおい大丈夫かよ。だから気を使って言わなかったのに」
そう言いつつ青年は言葉を続ける。
「圧巻するには工夫が必要なんだ。誰かがこれはすごいと心が動かされて、その心の動きが世界を巻き込んでいくような工夫がさ。昔の小説家はよかったんだよ。娯楽が少なかったから注目される度合いも高かった。今は違うだろう。娯楽はあふれている。その中で世界を巻き込もうとしたら工夫が必要になるんだよ。きっと自分の言葉でこの退屈な現実世界が崩壊することは作家にとってとんでもない幸福であると思う。私はそれをどうやったらいいのかを考えているんだ。」
「新人賞には……」
「目立ちもしない。珍しくも無い」
「そう……頑張ってね」
「無理だと思っているだろう。俺もさ」
二人がいる小さな丘の上にはただ心地よい風が弱く途切れ途切れに吹いていた。
カクヨム - 「書ける、読める、伝えられる」新しい魔の山 辻憂(つじうい) @tujiui
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