6 ボクの魔法はまるで終わらない夜に考えるいくつかのことと似ているけどそれそのものには然したる意味などなくてただそこにあるという物質的位相の重要性を鑑みて文字通り形成されている

人間は人生の約三分の一を睡眠に費やす。

たとえば90歳まで生きたとしても、およそ30年は眠っているのだ。これは実に奇妙だ。この奇妙さは生まれてまもなくから始まる。

三歳の子どもがいたとしたら、おそらくその人生の半分は眠っているのだ。幼児の睡眠の長さを考慮するとそう言える。

この事実は奇妙だし、不気味でさえある。

『人生とは何なのか』という答えのない議題について今一度考えてみたくなるほど不気味だ。睡眠は重要だが、30年も睡眠をとる必要があるならまったく話は変わってくるはずだ。これは人生における大問題として文字通り横たわっている。

だが、このことはあまり語られない。本来ならば、もっと活発に議論がなされてもいいはずだ。

この問題に対して、様々な立場が考えられる。

人間が睡眠を必要としているのなら、その質を高めるべきだという意見。きっとこれが僕たちの中に自然と根付いている思想だろう。そのために枕とベッドをはじめとする多様な寝具が存在する。拡大解釈すれば、人類の歴史は睡眠の質の向上とともにあると言えなくもない。おそらく洞穴の奥のゴツゴツとした岩場の上から始まったその歴史は、飛躍的に向上して今に至ることは疑いようがない。

もうひとつ考えられる立場は、人類は睡眠という《呪縛》から解き放たれるべきだというもの。人生の効率を高めるため、眠らずに済む方法を考えて実践しようという立場だ。

すでに、世の中には一定数のショートスリーパーが存在する。毎日二時間程度眠れば充分という人たちだ。過去の偉人たちのショートスリーパー列伝も巷に溢れている。かのナポレオンは睡眠をほとんど必要としなかったという逸話で有名だが、現代日本でショートスリーパーを礼賛するのは世界の他の国とはいささか文脈が異なるように思う。

こと日本では、睡眠が短くて済むのならもっと働けるね——という思考になりかねない。

しかし本当に重要なのは、幸福だ。睡眠の長短に関わらず、起きている間は幸福でなければならないし、ショートスリープにより人類の活動時間が長くなるのなら、

せっかく睡眠を手放したのに不幸になるようなことがあってはならないのだ。さらに言えば、

睡眠を考えるとき、人の人生はどのようであるべきかという思想の問題が否応なしに立ちのぼる。不幸な人生ならば、


——なぜ僕がこんなことを考えているかと言うと、この答えは明快だ。

暗闇の中で横になってかれこれ一時間。どれだけ粘ってもまったく寝付けない。不思議なものだ。今日はいろいろと非日常的なことがあってひどく疲れているはずなのに。

眠気はたしかに感じるが、目を閉じてもまぶたが重く下がる感じがない。意識が混濁して事切れるイメージが湧かない。

あの後すぐにタタンは帰ったが、しかし家の場所が割れているということはいつ来てもおかしくないということでもある。そのため気が休まらないのかも知れない。

とにかく今の僕の生活において、眠れないという事態は非常にシリアスだ。明日の学校生活が危ない。授業中に寝てしまうのは避けたいし、リズムが崩れると明日の睡眠にも影響が出るので嫌だ。

そんなサイクルに陥るのは間違いなく不幸なことだ。睡眠は手のひらの中にあるべきもの。

眠ろう、眠ろうとしても眠れないことは、経験上知っている。

かといって、眠ろうと思わないことだ、と考えるのも逆効果だ。意識をしてしまっているのは同じだから。

僕に出来るのは、暗闇の静かに目を閉じて、ただひたすら意識が途切れる瞬間を待つだけだった。

「…………」

ひっそりと時間が流れていく。

聞こえるのは、自分の息づかいと、弱々しい心音だけ。

そうか。僕も音を持っている。

完全な静寂などありえないのだな。ひとつ学んだ。

「眠れないでしょう」

誰かの、声がした。

僕はその声を知っている。

「【そこにいて、死なない猫プッティ・キャット】の力で、脳とまぶたを刺激しているんです」

「どうして、そんなことを……」

目を開くと、そこにはタルトが居た。魔法使いの童女。雪のような白髪はおかっぱのようにざっくりとカットされている。表情は読み取れないが、僕の腹の上に乗っかっている。

しかし、重みをまったく感じない。

「——?」

「【そこにいて、死なない猫プッティ・キャット】はね、あらゆる物質の【位相】をカスタマイズできる」

「…………」

「たとえば、こうやったり……」

彼女が発光する手を僕に向けてかざすと、パッと視界が変わった。

「——!」

気づくと、僕はベッドの上に立て膝をついていた。足と足の間で、タルトが仰向けに寝ている。

「な、んだ? 何をした!?」

白い髪が枕の上に広がっている。まるで暗い海の中にたゆたうクラゲのような艶かしさ。

「……今、ボクとお兄さんの位相を逆転させました」

……なるほど。だからタルトが横になっていて、僕がその上に乗っかっているような体勢というわけか。

すると、突然タルトは身体をもじもじとさせた。

「ま、まるで押し倒されてるみたいです……!」

「なっ……!」

僕は慌ててベッドから降りる。

「自分でやったのに恥ずかしがるな!」

仕方ないのでそばにあった椅子に座る。

しかし。これはとてつもない魔法だ。

この能力があれば、タタンに瞬時に服を着せることもできるし、僕眠りを妨げることもできるし、重力に逆らうこともできるし、テレポーテーションのような芸当も可能というわけだ。

まったく、末恐ろしい。彼女に危険思想がないことを祈るばかりだ。

「一人か? 何しに来た」

そう問うと、彼女は起き上がり、ベッドの上で三角座りした。

「話があるんです——地球存続の為に、大事な話が」

「やめてくれ」

僕は即座に拒絶した。地球の存続? どんな話であったとしても僕には荷が重すぎる。だったら聞かなくても同じだ。

僕はただ平凡な日々を送って、温かいおでんを食って、夜はぐっすり眠りたいだけなんだ。それ以上を望んではいないんだ。平穏が最高なんだ。

「そうも言ってられません。タタンの住む星は明日……地球から生物を完全にすることに決めたそうです」

「……ほらな」

やっぱりだ。手に負えないじゃないか。

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タルト・タタンの天秤 吉永動機 @447ga

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