第2話
翌日の朝。
灯を起こすために部屋に入ると、呆然とした表情の灯が手鏡を持って立っていた。
自分で起きるなんて珍しいこともあるものだなと思ったものの、注視すべき点はそこにあらず。
「た、大志ぃ……。また色が戻った……」
その通り。
昨日、滅多に外を出歩かない灯がわざわざ美容院まで足を向け、黒に直してもらったその髪が、洗い流されたかのように白さを取り返していた。
これはどう考えてもおかしい。
ひょっとしたら灯は魔法使いか何かではないのかと、俺が疑いを持ってもおかしくないほどに異常だ。
親父に相談すべきなのかもしれないが、現在我が父は出張中で帰ってくるのは当分先である。
「よし、灯。お前、今日病院行って来い」
「やだ。無理。注射怖いもん」
「小学生かお前は」
「ば、馬鹿やろー! 地震雷火事親父って言うだろー!」
「いや、言うけど……。注射関係ないだろ、それ」
「大志、揚げ足取りは禁止。怖いものは怖いと言いたかったの、わたしは」
灯は澄ました顔でのたまった。
俺はそれを無視。
「とりあえず今回はさすがにシャレにならないから行っておけよ。染めた髪が一晩で戻るとか絶対おかしいから」
医者がどうこうできるかも怪しいが。
「ねえ大志」
前髪をいじりながら灯が口を開く。
「なんだ?」
「これ、どうやったら黒くなるかな」
あくまでこだわるのはそこかよ。
「墨汁でも塗るか?」
「それはイヤ!」
とりあえず何かあったら携帯に連絡するようにと灯に言い渡し家を出た俺だったが、学校に着き下駄箱を開けた瞬間、そこで俺はまた新たなる懸案事項を抱える羽目になってしまった。
下駄箱に放り込まれていたのは二つ折りにされたルーズリーフの切れ端。
開いて中を見ると、
『放課後、誰もいなくなった二年B組の教室であなたを待っています』
と丁寧な字で書かれていた。
どうしよう。
そんなこんなで、どうにかしなくてはならない懸案事項目白押しの俺は悶々と考え込みながら昼休みを迎え、他クラスの男子生徒が一昨日から行方不明になっているらしいという津田や額田の会話をうわの空で聞き流し、やがて放課後を迎えた。
さあ、いよいよ猶予期間を通り過ぎ俺は問題解決をしなくてはならなくなった。このノートの切れ端、俺を呼び出すための連絡文書の差出人は一体何者なのだろう。俺は身近な人物をピックアップして推理をすることにした。
容疑者その一、津田。
だがあいつは確か今日は俺よりも遅くに学校へ来たはずだ。
ならアリバイがあることになる。
除外して構わないだろう。
容疑者その二、額田。
ないな、額田がこんな回りくどいことをする必要がない。
悪戯でこんな真似をする奴じゃないし、却下だ。
容疑者その三、斑鳩。
無理だ。そもそも学校に来ていない。
駄目だ、さっぱり特定できん……。
あなたが好きですとでもはっきり書かれていれば間違いなくラブレターだと判断できるのだが。
いやまて、ラブレターなら封筒に入れたり便箋を使ったりするのではないだろうか。ならばこれは本当に俺を呼び出すためのメモでしかないということになる。しかしそれはそれで夢がないので面白くない。
とりあえず待っていますとあるから、放置してしまうのは万が一本当に待っていた場合相手に悪い。
うーむ。俺は頭を抱えて悩み、結論を出した。
一緒に帰ろうという津田の誘いを断り、俺は教室から人がいなくなるまで図書室で時間を潰すことにした。
灯に関してはつい先ほど『プリンがおいしかった』などという、ふざけた内容のメールが食べている姿を撮った写真とともに送信されてきたから放っておいても大丈夫だろう。
図書室の中をうろついてみるものの特に読みたい本があったわけではなかった俺は、如何せん棚に所狭しに並べられている蔵書のどれが面白いのか見当もつかない。
とりあえず適度に頭のよさそうに見える文学作品でも手に取って流し読みでもしていようと考え、それらの本が陳列されている書棚へと移動する。
移動した先には見知った顔が先客としていた。
クラスメートで学級委員の額田である。
額田は俺の存在に気が付くと声をかけてきた。
「あら、聖沢君。こんな場所で会うなんて珍しいわね。誰かと待ち合わせでもしてるの?」
「単純に本を読みに来たとは考えないのか」
「聖沢君が? ないでしょ」
笑いながらあっさり言われた。
よく解るな。
テレパスか?
そのまま肯定するのも癪なので、俺は見栄を張る。
「俺は週に一回は文学に触れると決めているんだ」
「へえ。じゃあ今日は記念すべきそのスタートの日なのね」
見透かされていた。
「今日は一日どこかぼんやりしてたじゃない。てっきりラブレターでももらったのではないかと勘ぐっていたのだけど」
こいつはやっぱりテレパスなのか。
だが待て。
あれはまだラブレターと決まったわけではない。
「その予想は残念だが外れだな」
「あらそうなの。本当に残念」
楽しげな表情をして、ちっとも残念ではなさそうに額田は言った。
「額田はその本、全部読むのか?」
俺は額田の腕に抱かれている数冊の本を見ながら訊ねた。
「ええ、そうよ。一度には読めないからもちろん借りるつもりだけど」
「額田に読書の趣味があるなんて知らなかったな」
「まあ教室じゃあまり読まないからね。でも本を読むことは楽しいわよ。自分の知らなかった世界や知識を知ることができて、物語を作った人の価値観や哲学を垣間見ることができる。なかったものがあるように感じられるようにもなるし、あったものが形を変えていくこともある。とにかく素敵なことよ。聖沢君も色々と読んでみるといいわ」
「なら何かオススメはあるか?」
「そうね、それならこの本はどうかしら」
額田は自身の抱え込んでいた本の中から一冊の文庫本を取り出して俺に差し出してきた。俺はそいつを受け取る。
「これはどんな話なんだ?」
「強いて言うなら絶望から救いの希望を見出すことのできる物語ってところかしら」
「ほう」
なかなか興味深い。
読んでみようという意欲が湧いた。
「……でも良い時代よね。こうやって当たり前のようにたくさんの本が棚に並べてあって、静かにそれを読むことのできる空間がある」
額田が遠い目をして言った。
「は?」
「ところで赤司さんは元気?」
「まあ、健康状態は無駄にいいと思う」
「髪の毛の色はどう? 改善されたの?」
「いや。美容院に行って一度は黒くなったんだが、今朝起きたらまた白く戻ってた」
「そうなんだ……」
「一応病院に行って診てもらえと言っているんだが、本人に全くその意思がないからどうにもならん」
「まあ、病院に行って何も分かりませんでしたって言われてもなんだか損した気分になるし、仕方ないかもしれないわね」
そりゃ確かにそうかもしれない。それから俺は額田に推薦された本をカウンターで借り、椅子に腰かけて読み始めた。
本を開いた当初は、うわ改行少ない文字びっしりだ読めるわけねー、と辟易したものだったが、読み始めてみると存外面白く意外にもすらすらページをめくることができた。
俺は時間も忘れて活字を追いかける作業に邁進した。だが面白いといっても、さすがに文章が多いと疲れる。
俺はページから視線をずらし、目を擦った。
ふと時計を見てみると時刻は五時過ぎを示していた。
そろそろ頃合いかな。
俺は本に栞を挟み、立ちあがる。
対面の席で読書中の額田に帰ることを告げ、図書室を後にした。さて、教室には一体どこのどいつが待ち伏せているのかね。
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