第6話


 その日、俺たちは斑鳩が津田に滞納しているという借金を回収するため斑鳩宅へ足を運んでいた。


 そんな中、もやもやと俺の中でくすぶる疑問があった。


「なあ、どうして俺がお前の訪問徴収に同伴しなくてはいけないんだ」


 つい先日、追剥の被害にあった右隣を歩くオールバックの友人に俺はうんざりした口調で訊ねる。


「どうしてって。ここまで来ておいてそれを言うか?」

「それはそうなんだが」


 津田の言う通り、斑鳩のマンションはすでに目視できる位置にあり目と鼻の先にある。だが、斑鳩とはこの間の訪問時に微妙な会話をし、何となく微妙な空気を醸し出してしまったから少し顔を合わせづらい。


 別に喧嘩をしているわけではないから気にする必要は皆無だとは思うのだけれど。これは俗に言う音楽の方向性の違いと言うやつか。


 多分違う。


「しょうがないだろ。オレは斑鳩の家を知らねえんだからよ」


 つまるところ、俺が津田の用事に同行してやっているのはそれが理由である。

ならもうそこにあるだろ。


 分かったからいいよな。

 アバヨ。


 そう言ってマンションを指差し一人でとっとと帰ってしまうのも手だが、それはどうも自己中心的と言うか身勝手なような気もして俺の美学に反する。歩道沿いにある無人の公園を横目で見ながら溜息一つ。


 夕日に赤く染まる遊具が、俺の心をノスタルジーに浸らせる。

 そういえば小学生の頃、灯はなかなか逆上がりができなくて俺は日が暮れるまであいつの特訓に付き合ってやったっけ。


 今となっては良い思い出だ。

 散々練習したものの結局灯は逆上がりをマスターせずに終わり、時間の浪費となってしまったというオチつきだが、やはりいい思い出だ。


「そういえば知ってるか? 最近噂の都市伝説」


 津田が俺の郷愁感をぶち壊してきやがった。


「都市伝説? 口裂け女とか、そういうやつか」

「ああ、有事の際にとある建造物がロボットに変形して戦うとかな」


 それは知らん。


「でよ、今話題なのが怪奇、金髪美少女吸血鬼。街中を歩いていると首に歯を突き立てられて血を吸われるんだ。もし実在するなら会ってみてえよな。そう思うだろ?」


 同意を求められても困る。


 むしろ、その類の連中にならすでにご尊顔を拝見しているので正直俺としては是が非でも実在して欲しくないと思った。


 お前は実際に命を狙われたことがないから暢気なことが言えるんだ! とも言ってやりたい。


 俺だって未知との遭遇を果たす前はそんな非現実的存在がいるなら会ってみたいと多少は興味を持っていた。


 だが、実際目の前にすれば津田にも分かるだろう。

 普通であり、平和であることの素晴らしさがな。


「でも男の吸血鬼には会いたくねえな。やっぱり血を吸われるなら可愛い女の子がいい。ほら、ちょうどあそこを歩いてる子みたいなさ」


 妄想垂れ流しで恥ずかしくないのだろうか。隣で聞かされる俺はいたたまれない気持ちでいっぱいなのだが。


 それは置いといて。


 津田の視線の先を俺が追随して見つめると、道の向こう側から白い日傘を差した可愛らしい金髪碧眼の美少女が俺たちの方へ向かって歩いてきていた。

なるほど確かに。


 彼女の白い透き通るような肌は真珠のように艶やかで美しい。肩の露出したデザインの紫色のミニスカートゴスロリ服。


 胸元にあしらったピンクの大きなリボン。

 ドリルのようだと形容できるクルクルしたパーマも、彼女の西洋人形のような整った精緻な顔立ちにフィットしており、サマになっていた。


 だが……。

 なんというか。偏見でものを言うようでアレなのだが、その美少女の風貌はすごく『微妙』な匂いがした。


 どういうニュアンスの微妙さかと言うと、教室で俺を絞め殺そうとしてきやがったあの男と似たような雰囲気を感じさせる微妙さだった。


 足を進めるたびに縮まる双方の距離。


 俺は自身の悪い予感に気を揉みながら、津田は締まらない顔をひっさげながら金髪ゴスロリ少女とすれ違う。


「…………」


 何事もなかったことに俺は胸を撫で下ろす。

 しかしそれもつかの間の安堵だった。


 隣を見ると津田がついてきていない。

 振り返るとやつは数歩後ろで俯いて立ち止まっていた。


「どうした、津田」


 眉根を寄せながら、俺は直立不動の姿勢から一向に復旧しないオールバックに声をかける。夢想の世界に埋没して足を動かすことを忘れているのか? もしそうならさっさと現実に戻ってこい。一刻も早く。


 津田の肩がピクリと動く。俺が次の展開として期待していたのはケロッとした表情で津田が顔を上げることだった。そうでなければ俺はものすごく不安な気持ちになってしまうから切実な希望でもあった。


 だが、現実の津田は力なくふらふらと身体を揺らし、やがて膝から崩れ落ち地面に突っ伏した。


「おい、津田! 大丈夫か」


 津田に駆け寄ろうとして俺ははっと息を呑んだ。尻を天に突き出すような無様な格好で地に伏せる友人の向こう側にいた人物に瞠目する。俺の網膜に映し出されたのは日傘を持った紫ゴスロリ美少女だった。


 少女は一歩足を踏み出す。

 彼女の履いているサンダルのヒール部分が、アスファルトとの間にコツンという音を響かせた。


「ちょっとアンタ。ふざけないでよ。間違えちゃったじゃない。アタシに大して足しにならない無駄な吸血をさせるなんていい度胸ね」


 紫ゴスロリはペッと唾を吐き、突き刺すような鋭い睨みを俺に向けてきた。


 なんだかよく意味が分からない理由で俺に対してご立腹している様子である。

 逆恨みだろうか。


「お前が津田をやったのか?」


 吸血とか、イカレた単語が耳に入ってきた気もする。

 だが俺は津田が貧血で卒倒し、彼女は偶然その場に立ち合わせただけだったという平和的な可能性に希望を乗せ、訊ねてみた。


「ツダ? このアンタに似てパッとしない男のことかしら」


 聞き捨てならないことをのたまい、ゴスロリ女は津田を足蹴にする。女の螺旋状に巻かれたドリルパーマがみょんみょんと跳ねた。


 蹴り飛ばされた津田は仰向けに転がり、手足を存分に広げてマヌケ面を晒しながらぐうぐうとイビキをかき始める。


 よかった、命に別状はない模様だ。

 俺は遅ればせながら安堵する。


 しかしこの女、俺と津田に類似している部分があるとは失礼千万である。これは答えを聞くまでもない。


 間違いなくこいつはクロだ!

 そしてきっとあの糸を放出する男の仲間だ!

 俺は確信した。


 ということはつまり……。


「お前も灯の命を狙っているというわけか」

「はぁ? アカリ? 何よ、それ。馬鹿なの? 死ぬの? アタシの狙いはアンタよ」


「……え。俺?」


 意外な返答に俺は呆ける。


「そうよ」


 どういうことだ。目的が灯ではなく俺にあるということは、こいつはあの糸吐き男とはまた別モノなのか?


「アンタはアタシに血液を一滴残らず吸わせてくれればそれでいいの」


 目的は違えども、やはりおかしさに相違はない。

 考えている暇もなさそうだ。


 ゴスロリ女は俺ににじり寄ってきている。


「お断りだ。あいにく俺は低血圧気味でね。他人に譲ってやる余裕はない」


 俺はじりじりと後退しながらやや捻くれた応対をした。


「ふぅ。分かってないわねー。少しだけ頂戴って言ってるわけじゃないでしょ。全部寄越せと命令しているの。それにアタシに血を吸われた後はアンタ死んじゃってるんだし。多いとか少ないとか、そんなことはちっとも心配しなくていいことなのよ。ねえ。ほら、納得できるでしょ? 理解できるでしょ?」


「ああ、よく解った」


 お前がものすごく危ないやつだということが。


「もの分かりがいい男は好きよ」


 分かってねーよ。


 唇を舐め、紫ゴスロリ女は口角を吊り上げる。自分の命を奪おうとしているやつに好かれたところでちっともうれしくない。


 幸いにもこの間のように脱出不可能の空間に閉じ込められるといったことはまだ起こっていない。


 俺一人なら逃げ出せる、はず。だが、気を失った津田がいる以上、俺はおいそれとこの場を離れるわけにはいかない。


 あの女は津田に興味はないようだったが、俺がここで逃走を謀れば腹いせに危害を加えることもありうる。


 今現在この場所には人通りもなく、第三者の手助けも得られそうにない。

 どうすればいい? 

 俺は思考を巡らせる。


 俺と津田、両方が無事に家に帰れる方法。

 模索しろ。

 閃け! 


 そうして一つの結論に行きつく。

 ……そうだ。額田だ。

 あいつを呼んで前回のように救済してもらうしかない。


 情けないとか言うなよ。何回も言うが、俺はなんの力もない一介の男子高校生でしかないんだから。


 さて、そうと決まればこの前にもらった栞だ。

 あいつはあれで呼べと言っていた。

 俺は鞄を漁る、が見つからない。


 おかしいぞ、どうなっている? 

 思い返せ。

 俺はどこにアレを置いた? 


 栞は確か、額田から推薦された本に挟みっぱなしだったはずだ。記憶通りなら俺は昨日その本を見事読了した。


 そしてきちんと『そのまま』図書室に返却した。

 …………。

 つまりはそういうことだ。


 アホか俺は。


 しかしながらこれは非常にまずいな状況だ。

 焦燥感が募る。日も陰ってきており、薄暗くなった周囲の景色が異形を目の前にした俺の心理状態に優しくない。


 冷えた風が俺の肌をなぞった。


「さてと。あんまりチョロチョロしないでよね。出来るだけ余計な力は使いたくないから」


 ゴスロリ女はそう言って日傘を折りたたみ、先端を俺に向ける。額田の助けが期待できない以上ここは自力でなんとか現状を打破しなくてはならない。こんなことなら額田の連絡先を聞いておけばよかった。


 だが、後悔しても仕方ない。とりあえず、少しでもいい方向に転がしていければ好機を見出せるやもしれん。


「おい、ちょっと待ってくれ。お前の目的は俺なんだろ。だったらそこで寝ているやつには用がないはずだ!」


 俺はキョドらないように細心の注意を払いながら叫んだ。


「まあ、ないわね。殺してやるのもそう手間ではないけど」


 ゾッするようなことを言ったがスルーする。


「それなら、俺だけを見ろ。俺だけに集中しろ」


 これは賭けだ。

 一方的な押しで相手を乗せることができれば俺の勝ち。


「これから俺だけを追いかけてこい。そして捕まえることができれば俺は大人しくお前の餌食になろう。お前に俺が捕えられるかは疑問だがな」


 煽ることによって身動きの取れない津田をやつの頭から除外させようというわけだ。見た感じ高飛車そうな顔つきをしているので外見通りの内面ならばこちらの意図が仮にばれていたとしても乗ってくるはず。


「アタシを挑発してるの? いい度胸じゃない。面白いわね。いいわよ。乗ってあげる。後で後悔しても遅いんだから」


 食いついてきた。

 これでひとまず津田の安全は保障された。


 あとは最終工程を済ませれば完了である。俺はズボンのポケットから携帯電話を取り出し、ある番号へ発信する。


『はい、もしもし』

 珍しくワンコールで繋がった。


「ああ、斑鳩か。今な、お前の家の近くにいるんだが。実は津田のやつが道端で気絶してる。頼むから早急に回収してくれ。公園のすぐ近くだ」


 俺は早口でまくし立てる。


『えっ? いや、ちょっと、タイシ。状況がよく解らな』

「じゃあな、よろしく」


 通話を一方的に終了する。

 これ以上は携帯電話を片手にして命を保持していける自信はない。


「なあに、今更。ビビッて助けでも呼んだ? まあ、どうせ助っ人が来る前に終わってるし、どんなやつが来ても一緒に料理してあげるだけだけど」


 この間の糸吐き野郎といい、どうしてこいつらは傲岸不遜がデフォルトなのだろうか。自分に自信があるというかプライドが高いというか……。


「じゃあ、そこを動かないでよ」


 ゴスロリ女が突っ込んできた。

 俺はそいつを横っ飛びで躱し、地面を転がる。


「ちょっと! 何で避けるのよ!」

「当たり前だろ!」


 こっちは生死がかかっているんだぞ。


「ああもう、腹立つわね!」


 ゴスロリ女は傘を俺の脚に突き刺そうと振り下ろしてくる。今度も俺は後方に飛び跳ねることで回避した。


 だが、勢いよく避け過ぎたせいで俺はすっ転び、尻餅をついた。


「うげぇ」


 地面に打ちつけた尻の痛みに呻く。

 まったく、危なっかしい真似してくれるよな。


 ちなみに振り下ろされた傘の先端部分はアスファルトにヒビを入れて刺さっていたのだが、それは見なかったことにした。


 ズキズキと痛む尾骨付近をさする手間も惜しみ、俺は即座に立ち上がる。


 そして全力で駆けだした。

 念のため後方を窺う。


「待ちなさいよ! ちょこまかと小賢しいわね!」


 恐ろしい形相のゴスロリ女が追随してきているのが目に映った。俺はより一層、力強く足を回し、腕を振り、力の限り疾走する。


 正直、心臓の鼓動が激しくなりすぎていてかなりきつくなってきている。だが、それでもゴスロリ女を津田から引き離すことには成功した。後は斑鳩が津田を回収し、俺がこの女を撒けば万事解決である。


 だから、もう少しだけ。

 がんばれ。俺の心肺機能。


 そして両足。


 ついでに割れそうに痛い臀部。


「ぜぇ、はあッ、は」


 息切れを起こしながら、少しでも前へと俺は足を延ばす。


「待てって言ってんでしょうがーッ!」


 かなり至近距離からゴスロリ女の怒鳴り声が聞えた。もうほとんど距離はないんじゃないのか? 


 すぐ後ろから息遣いが聞こえるような気もする。


 どのくらい接近されているのか確認したいが、俺には振り返る体力的余裕もなければ勇気もない。


 声の感じからゴスロリ女にはまだまだ余力があるように思える。

 体力あり過ぎだろ。

 相手は人外の化け物。


 一方で帰宅部員である俺には一般の男子高校生の平均値程度しか持久力がない。はなから勝負にはならなかったのかもしれなかった。


 ヒュッと頭の上を何かが通り過ぎる。


「手間かけさせてくれたわね。でも、これで終わりよ。観念なさい」


 俺の頭上を飛び越えたゴスロリ女が目の前に立ちはだかった。


「…………」


 俺は息も絶え絶え。

 言葉を返す余力もない。


 膝に手をついて荒く呼吸をする。


 俺は額から滴り落ちて目に入りそうになっていた汗の雫を拭う。オエェ、一気に走り過ぎて気持ち悪い……。


「まあ、悪く思わないでよね。こっちも生き残るために必死なの」


 そう言ってゴスロリ女は傘を地面に抛り、俺の頭と右肩を掴んで引き寄せた。


 俺は反抗を試みるものの、可愛らしい見た目とは裏腹にゴスロリ女の腕力は非常に強く、がっちりと押さえつけられて身動きが取れない。


 そういえば津田もあの糸吐き男のことをものすごい怪力だったと語っていた。


 古代の戦闘民族だけあって、こいつらは現代の人間よりも基本的な運動能力が高いのだろう。


 などと悠長に分析している場合ではない。俺はまもなく全身の血液を抜き取られ死んでしまうかもしれないのだ。


 風前のトモシビと言うやつだ。

 ピンチ。


 絶体絶命。


 俺は開いたゴスロリ女の口の中に見える普通よりもとがった犬歯を見て、これは間違いなく吸血に適した形をしているなと思った。牙をひっさげ、俺の頸動脈付近に顔を近づけてくるゴスロリ女。


 誰か助けてくれ! 

 俺は切に願い、ギュッと目をつぶった。

 首筋にゴスロリ女の吐息が触れかかる。


 ああ、もう駄目か……。


 短い人生だったものだ。まさかこんな形で、こんな相手に命を奪われて死を迎えるとは思わなかった。


 俺は半ば達観してその時を待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る