第7話

「…………?」


 が、どうしたものだろう。

 一向に何も起こらない。


 俺が不思議に思って目を開くと、そこには何者かの手によってアイアンクローを食らい、顔面を押さえつけられて身動きを制止されているゴスロリ女の姿があった。ゴスロリ女による拘束が解けた俺は顔を上げる。


「やれやれ。タイシ、こういうことになっているのならきちんと言ってくれないかい?」


 差しのべられた救いの手の主。

 俺の窮地を救ったのは斑鳩だった。


「斑鳩、お前どうして……」

「事情がさっぱり呑み込めないまま現場に向かったら、昏倒しているツダにイーヴルに襲われた痕跡があるじゃないか。それで驚いて慌てて追いかけてきたわけさ」


 軽快な口調で斑鳩はここまでに至った経緯を俺に説明し、いとも簡単そうにゴスロリ女の腕を背中の後ろに回して締め上げた。はて、斑鳩のやつはこんなにも武に長けた人物だっただろうか。


「まったく、僕に助けを求めるという選択は思いつかなかったのかい?」

「いや、おまえがこんなに頼りになるとは思ってなかった」


 俺は率直な感想を漏らした。


「僕だってイーヴルだからね。それに僕は特別なイーヴルだから大抵のやつには負けないよ。安心して頼ってくれ」


 何だか最近俺は助けられてばかりのような気がする。


 だが、もう何回言ったか分からないが、俺は何の力もない男子高校生でしかないのだから当然と言えば当然だろう。


「どうしてあんたがいるのよ、イカルガ。なんであんたがまだ生きてんの?」


 斑鳩に関節を決められているゴスロリ女が憎々しげに言った。


「やあ。久しぶりだね、エリ。君ならきっとまだ生き残っていると思っていたよ」


 斑鳩は対照的に柔らかな口調で答える。エリ、というのがこのゴスロリ女の名前なのだろうか。


「うるさい。そんなことより邪魔しないでよ。こいつの血を吸えないわ」


 思わず身震いしてしまうような鋭い目つきで俺は睨まれた。


「それをさせないために来たんだ。邪魔するのは当然だろ?」


「なんで王の守り人のあんたが、ただの人間のこいつを助けるの? 意味わかんないんだけど」


「それは友達だからさ」


 斑鳩は飄々と言ってのけた。

 おい、真顔でそんなこと言うな。


 聞いてるこっちが恥ずかしいだろ。


「久しぶりの再会だけど、このまま君を帰すわけにはいかないな。またいつタイシを狙いに来るか分からないし。エリ、悪いけど君を処分させてもらう」


「ハア? 処分? いつまでも上からでいるんじゃないわよ。ここはあの時代じゃないの。イーヴルは衰退し、昔の地位や立場なんて今じゃ有名無実化してるんだから。アンタに命令される筋合いはないわね」


 何やらイーヴルというのにも色々と事情があるようだ。

 俺の関知するところではないが。


 だが一つだけ看過することができない点がある。

 そこには口を挟ませてもらうことにする。


「斑鳩、お前、そいつをどうする気だ?」

「どうって……。言わないとダメかな」


「いや、その濁し方でおおよその見当はついた」


 処分というのはやはり表現どおりの意味なのだろう。


「それは少し寝覚めが悪い。考え直せないだろうか」


 俺がそう提案すると、斑鳩はひきつった表情となる。


「タイシ、それは……」

「なに、アンタ。アタシに情けをかけてどうするの? もしかしてアタシの美貌に魅了されちゃったの?」


 ゴスロリ女ことエリとやらが得意げな顔で見当違いかつ、腹立たしいことを口走ってきた。


「それはない」


 俺は断言してやった。


「なにそれ、ムカつく」


 刺々しい口調で応酬された。これはこちら側の台詞を代弁してくれたことについて感謝すべきなのだろうか。


 俺が逡巡しているうちに、エリは唇を尖らせてそっぽを向いた。

 面倒なので放っておこう。


「なあ、タイシ。エリは、こいつは君を殺そうとしたんだぜ? それでも助けるっていうのかい? 穿った見方かもしれないけど。エリの言うように、まさかエリが見た目の可愛い女の子だから助けてやろうとか考えてるわけじゃないよね」


 斑鳩のそうであってくれるなという思いのこもった視線をヒシヒシと受けながら、俺は模範であるかわからない回答を述べる。


「この間俺を襲った、あの糸を吐くやつと違ってそいつには明確な悪意がないように思えたんだ。だからなんと言うか、和解で済ますことができるなら俺はそっちの平和的な選択肢を選びたい」


 実はもう一つの理由としてとある目論見があるのだが、それはここでは秘匿しておこう。何事も段取りというものがあるのだ。


 聞き終えた斑鳩は溜息をつく。


「……分かったよ。それなら、とりあえずエリは縛り上げて僕の家に監禁しておくことにするよ」


 それもどうかと思うが、致し方ないだろう。

 野放しにしておくのはやはり危険だ。


「じゃあそれで。緊縛はお前の裁量に任せる」


 俺が概ねの同意を示すと、この変態! というような恨みの入り混じった睨みをエリから頂戴した。


 いや、待てよ。

 恩に着せるつもりはないが、なかなか秀逸な譲歩案を提示したというのになぜそんな態度を取られねばならん。


 ま、いいか。

 今何か言っても火に油を注ぐようなことになりそうだし。ここは黙って耐えるのが男の修行というやつだ。


「斑鳩、今日は助かったよ。額田を呼ぼうと思ったら栞をなくしてて八方ふさがりでさ。お前が来なきゃ確実に詰んでた」


「栞? ああ、未来で開発されたとかいうノワールを行き来できる道具か。でも、あれはノワール限定でしか瞬間移動の効力を発揮しないから今回みたいに普通に野外で襲われた場合じゃ使えないよ」


 マジでか。

 思い返せば額田の説明もそんな感じだったような気がする。


 俺の葛藤はなんだったんだろう。


「ところで、この前の僕の家に来た時の話だけど。もしあのことで僕と接しづらくなるのならすべて忘れてくれて欲しい。不愉快に思う発言があったなら謝罪もしよう」


 斑鳩は唐突にそう言ってきた。どうやら一応向こうも俺を突き放す言い回しをしたと自覚していたようだった。


「なぜお前が謝るんだ」

「出来れば君とは長く友人でありたいからね。不本意なすれ違いは避けておきたいのさ」

「まあ、立て続けにこうも襲われちゃあ他人事ではないよな。それに多分忘れることも出来んだろうぜ」


「それもそうだね」


 斑鳩はクスリと笑った。一方で斑鳩に押さえつけられているエリは「うぜー」と不機嫌そうな声を出していた。


「あ、そうだ。ツダへのフォローはよろしく頼むよ。多分同じ場所で寝ているはずだから」

「津田と言えば、お前あいつに千円借りているそうじゃないか。よかったら返してやってくれないか?」

「いやあ、すまない。今は持ち合わせがなくってね。代わりに返済しておいてくれるかい」


 爽やかな笑顔で斑鳩はのたまった。


「ちゃんと返してもらえるんだろうな」


 一応親父から預かっている生活費を管理しているのは俺なので、それなりに財布は潤っている。


 だが、あくまでも家の金。

 散財するつもりは毛頭ない。


「大丈夫だよ、タイシ。絶対返すって。……そのうち」


 語末に期間を不明確にするという保険を付け加えてくるあたり疑わしいものだ。俺は疑念を含んだ視線を斑鳩に送る。


 しかし借りもある。


「仕方ないな」


 ここは立て替えておいてやろう。


「助かるよ。それじゃあ僕は家に帰るとしよう。行くよ、エリ」

「うるさい。話しかけないで」

「じゃあ、またな。斑鳩、エリ」


「うるさい。気安く名前を呼ばないで」


 こりゃ失敬。


 エリの腕を固めたまま連行していく斑鳩。事情を知らない第三者が見たら婦女暴行を疑われかねない光景である。


 去りゆく童顔の友人の背中を見送りながら、俺はどうかアイツが途中でポリスマンと出くわしませんようにと心中で祈った。




 斑鳩と別れてから俺が事件の発生現場に戻ってみると、津田は昏倒を継続中だった。


「おい、起きろ」


 頬を軽く叩いて津田の意識を呼び起こすことを試みる。


「う……おぅ……おう」


 デコピン数発と口鼻封鎖を追加投入したところでようやく津田は意識を取り戻した。こめかみを抑えながら上体を起こした津田の顔色はすこぶる悪かった。


 どんなふうに悪いかというと青白くなっていた。

 きっとエリに血液を吸われたせいだろう。


「なあ……聖沢。オレ、どうしてこんなところで寝てたんだ? つーか、頭が痛くて気持ち悪いんだけど」


 津田の目は虚ろで、現状に至るまでの過程を訊ねる言葉にも覇気がない。調子がよくないのが手に取るようにわかる。


「お前は貧血で倒れたんだよ。飲み物を買ってきてやったから飲め」


 俺は途中自販機で購入したスポーツドリンクのペットボトルを手渡した。ちなみに俺も同じものを買っていたがすでに飲み干した。


「貧血? どうしてそんなことになったんだ」


 ちびちびとスポーツドリンクを啜りながら津田が首を傾げる。


「さあ。人体については医学者でさえも首を捻る不可思議な症状が多々起こりうるからな。俺には分からんよ」


 平然とすっとぼけた。


「なんかこう……、首筋に痛みが走って。そっから記憶が曖昧なんだよな……」


 津田が懐疑的な表情で首をさする。

 自然と目がいった津田の首筋には吸血鬼映画でよく見るような、お約束の噛み跡がくっきり残っていた。


 おいおい、これをどう誤魔化せってんだ。無論、その箇所に触れた津田が気付かないわけもなく。


「あっ、なんかここに噛まれたような跡がある! 聖沢、ちょっと見てくれ! この辺にくぼみっぽいのが二つないか? てことは、もしかして貧血って、噂の吸血鬼に血を吸われたからなんじゃ……」


 まずったな。

 硬式野球ボールがいきなり飛んできて後頭部にヒットしたからだとでも言っておけばよかった。


「……蚊じゃないのか」

「蚊なのか、これ?」


「そうだ。きっと蚊だ」


「でも……。いや、冷静に考えれば確かに吸血鬼になんているわけないよな……」


 かなり苦しい言い分だったが、どうやら納得してくれたらしい。

 単純な奴で助かる。

 まあ、津田は馬鹿だが基本的に常識人だしな。


 しかしこいつも不幸な男だ。

 まったく無関係であるにもかかわらず、立て続けにおかしな連中に襲われて二回ともあからさまな被害をこうむるとは。


 どうやら俺以上に巻き込まれやすい星のもとに生まれてしまった人間らしい。素直に同情するぜ。




 それから津田が歩けるようになるまで回復を待ち、俺は足取りのおぼつかない津田を駅まで見送ってから自宅へと帰った。

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