第5話


 次の日。

 朝礼前の教室で顔を合わせた額田は何事もなかったかのように、平然とした面持ちで話しかけてきた。


「おはよう、聖沢君」

「ああ、おはよう」


 比較的早めの時間帯なのでまだ登校して来ているクラスメートは少なく、教室内は閑散としていた。


 津田もまだ来ていない。

 あいつはチャイムが鳴るギリギリに駆け込んでくるのが常だが。


「……あのね、聖沢君」


 ひっそりとした声で、顔を近づけて額田が俺に囁いた。


「言っておくけど、昨日のことは誰にも話したら駄目だからね」


 学校へ来る前に風呂に入ったのだろうか。額田の艶やかな髪から香る、ほのかなシャンプーの甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


「分かってるよ」


 言ったところで誰も信じないと思うがな。

 それに他人に話せる内容じゃない。


「それと、私とは今まで通り接してよね」


 素性を知ったところで何か変わるわけでもあるまい。

 もとよりそのつもりだ。


「そう、ならよかった」


 額田は微笑んだ。




「なあ聖沢ぁ……。ちょっと聞いてくれよぉ」


 昼休みの教室。

 俺が黙々と昼飯を食っていると、弁当箱の白米にチューブを絞ってマヨネーズを山盛りに注いでいる津田が隣の席から悲壮感に満ちた声で話しかけてきた。


「とりあえず、その気持ち悪い黄色い山をどこかに廃棄してきてくれ。話はそれからだ」


 俺は箸で自身の弁当箱から冷凍食品の唐揚げを一つまみして口に運び、不快感を精一杯顔に出して言った。


「気持ち悪い? たまにお前はよく解らねえことを言うよな」


 そう言いながら、おかずにまでもマヨネーズを投下する津田。

 うわ、煮物にまで……。マジかよ。

 無残に黄色に埋め尽くされる弁当の表層。


 尋常ならざる高さのイエローマウンテン。もはやマヨネーズのほうが分量的に多いんじゃないのか、それ。


 見ているだけで気分が悪くなる光景だ。

 こっちの飯まで不味くなる。


「マヨネーズはこれくらいが適量なんだよ。お前はマヨネーズをよく知らないからそんなことが言えるんだ」


 津田は玄人面で講釈を垂れる。

 出来ることなら一生知らないままでいたい世界であった。


「はあ……」


 俺はここ最近ですっかり重度のマヨラーになってしまった友人を憂いた。ついこの間まではケチャラーだったというのに。


 いや、それも普通じゃないが。

 しかし、こんなやつでも体から糸を出す人間や自称未来人を目の前にした後では小規模な変人にしか見えないから困る。


「で、一体なにを聞いて欲しいって?」


 食用油、酢、卵を主材料とした半固体状ドレッシングを上手そうに啜る友人を半眼で見つめ俺は訊いた。


「おう。それがな、実はオレ、昨日の学校帰りにカツアゲにあっちまってさあ……」

「そりゃあ不運なことだったな」


「だろぉ? 一応抵抗はしたんだけど、結局身ぐるみ全部引っぺがされてさ。まあ、パンツとブレザーは死守したけど」


 津田は誇らしげな顔で腰の辺りとブレザーを撫でる。


「なんというか、あれだな。どっちかっつうとカツアゲより追剥に近いな、そいつは」


 俺はペットボトルのお茶を飲んで口を潤し、食事を続ける。


「相手は何人だったんだ?」


「一人。だけどすげえ馬鹿力でさ。初めてだったぜ。片手で体を持ち上げられたのは」


「片手でお前を?」 


 俺は箸を止めて目を見張る。

 どこの北京原人が日本に紛れ込んだというのだ。


「しかも微塵も容赦なくってさ。ブッ飛ばされて地面に叩きつけられて……。すぐに人が集まってきたおかげでなんとか助かったけど、ありゃ殺されるかと思ったね。ほれ見てみろ、ここを。まだ跡が残ってるぜ」


 津田は顎を上げて喉仏の部分を晒す。

 そこにはくっきりと青紫色のあざがあった。


「どんなやつだったんだ?」


「んー。腕力と比べるとそんなにガタイはよくねえ。身長も大体オレと同じくらいだろうな。だけどなんと言うか、不気味な感じの男だった。あれはかなりやばいやつだぜ、きっと」


 津田が一人で納得して頷く。


「不気味ね」

「そう、金髪でピアスを両耳にしていて――」


 津田が自分を襲った強盗の特徴を述べだす。

 金髪でピアス。


 奇遇だな。

 俺も昨日そんなやつに襲われたぜ! 

 もちろん口には出さないが。


「おまけに唇は真っ黒だった。何より目つきが普通じゃなかったね」

「…………」


 あの蜘蛛男の着ていた制服、津田から剥ぎ取ったやつだったのかよ。


 いらない恐怖心を俺に抱かせやがって。紛らわしいタイミングで失踪した他クラスの男子生徒を恨む。


 ではそうなると、そのいなくなった男子生徒はどこへ行ったのだろうと考えたが所詮は名前も知らない他人。


 どうせ思春期特有の悩みが爆発して逃避的行為に走ったのだろうと勝手に推測し、そのまま俺の脳裏から離れていった。


「だからさ。今日の放課後はオレの傷心慰安ということで、一緒にもんじゃ焼きでも食いに行かねーか?」


「悪いな。今日は用事があるんだ」


 俺がそう言って誘いを断ると津田は大げさに仰け反った。

「お前、昨日もそんなこと言って断ったよな。さては女でもできたのか?」

「そんなわけないだろ」


 俺は速やかに否定を入れる。


「おいおい、灯ちゃんが泣くぜ」


 人の話を聞け。

 それとどうしてそこで灯が出てくる。

 あいつは従妹だ。


「ああ、可哀想な灯ちゃん。頼りにしていた従兄に裏切られ、彼女はハンカチを噛みながら赤飯を炊くのだ……」


 津田はミュージカルさながらに手を広げて大仰にのたまう。


「やかましい」


 妄想豊かな男である。

 作家にでもなるといい。不愉快な冗談をべらべらほざく津田を無視して、俺は弁当箱に残る白米を掻きこんだ。




 ところで俺の用事。それは現在突発性不登校病を患っている同級生、斑鳩の自宅を訪問することだった。どうしようもない疑惑を吹っかけてくる津田が鬱陶しかったので正直に教えてやると


「だったら斑鳩に伝えてくれよ。去年貸した千円早く返せってさ」


 と言われた。

 まあ財布を入れていたズボンごと強奪されたわけだからな。

 小遣いがなくて困っているのだろう。


 気持ちは分からんでもない。

 伝えるだけ伝えてみるさ。


 払うかどうかはあいつ次第だが。




 地元の駅に着いた俺は自宅とは違う方向に歩く。斑鳩とは中学が同じだが、別段家が近いわけでもない。


 駅からはむしろ正反対に位置する。一度帰宅すると手間になるため、やつの家には帰宅せず直接赴くのが手っ取り早い。


 十分ほど歩くと目的地である斑鳩のマンションが見えてきた。一階の玄関のインターフォンを鳴らして呼び出しをかける。

 

さて、出てくるかな。事前にアポをとってはいるものの、斑鳩は時間の概念にこだわりを持たない男だ。


 俺の手間を一切鑑みず、平然と惰眠をむさぼっている恐れもある。中学時代に二回ほど俺は無駄足を運せられたので、殊更にその可能性を疑ってしまう。


『…………』


 無言で応答があり、ドアが開いた。

 今回はどうやら徒労に終わらずに済んだようである。


 微細な安堵を胸に抱きながら俺はエレベーターに乗って斑鳩の部屋がある七階のボタンを押し、そのまま目的の階層までの到達を待つ。


 エレベーターの扉が開いた。

 俺は通路を通って703号室の扉を開ける。鍵はいつも前もって解除されてあるので呼び鈴を鳴らすことはしない。


 薄暗い玄関。

 全体で3LDKの広さの部屋。

 俺はその先にあるリビングを目指して進む。


 リビングに入ると、そこも同じく電気が点けられておらずカーテンも閉め切られ暗いままだった。


「斑鳩。久しぶりだな」


 俺は室内唯一の光源となっているノートパソコンの画面と向き合う引きこもりの友人に声をかける。


「やあ、タイシ。待ちくたびれたよ。元気にしていたかい」


 斑鳩はノートパソコンの画面から目を離し、見る角度によっては少女にも見える童顔に微笑みを貼り付けて俺を見た。


「健康状態はすこぶるいいよ。ただ、昨日少しだけ死にかけたけどな」

「それは興味深いね。出来れば詳しく話を聞きたいところだよ」


 斑鳩が口元に手を当てて、ククッと愉快そうな笑い声を上げる。


「勘弁してくれ。俺はその記憶を忘却の彼方へ葬り去ろうと思っているんだ。それに第一、話したところで信じないだろうよ」


 俺はそう言って斑鳩に担任教師から預かってきたプリント入りの封筒を手渡す。


「へえ。僕は大抵のことなら信じてしまえる懐の深い人間を自認しているのだけど。そして、それは君もよく知っているはずだ。その僕でも一笑に付すような与太話なのかい?」


 どの僕だよ。と言ってやろうと思ったが確かにこいつはオカルトチックな方面の知識に明るかった。


 おまけに宇宙人未来人超能力者異世界人の類も信じているフシがあった。むしろこいつ自体が変人と言ってもいい。


 寝巻で平然と俺の家に遊びにやって来たこともあるし。ついでに今現在も斑鳩はパジャマを着用中だ。


 どうして俺の周りの引きこもりは皆パジャマ愛好家なのだろう。そういうカルチャーなのか? 


 共通心理なのか? 

 一般人である俺には分からない。


「……まあ、普通の人間ならまず信じないだろうな」

「それなら大丈夫だよ。僕は普通じゃないからね」


「いや、そんなことはよく知っているが」


 特に普段着にパジャマを選択するところとか、我が家のプー太郎であるあのお方を彷彿とさせる。


「違うよ。性格とか、そんな話じゃなくてさ」


 どうにも含みあり気な口調である。だが、思わせぶりな話し方はこいつの基本仕様だからいちいち意識するところではないか。


 というか奇異な性格であることは自覚していたんだな。


「とりあえず聞かせてよ。退屈と退廃の引きこもり生活にいい加減飽き飽きしていたところだったんだ。面白そうな話はぜひ耳に入れておきたい」


 ならさっさと学校に来い。

 その言葉を喉元で飲み込んで俺は別の言葉を口にする。


「一応話してはいけないことになっているからな。具体的なことは言えんぞ」

「それは一向に構わないけど」


「お前、クラスメートが未来人だとカミングアウトしてきたら信じるか?」


 我ながらおかしなことを言っていると思う。


 斑鳩もさぞ呆気にとられた顔をすることだろう。

 ……そう思っていたのだが。


「ははあ。なるほどね」


 なぜか納得したような表情で頷かれてしまった。

 なぜだ。


「僕の見解を述べさせてもらうなら、ずばりアリだね。僕もそれになぞらえた表現をするなら過去人に当たるわけだし」

「はあ?」


 何を言い出すんだ?


「額田唯子が自分の身元を明かしたんだろ。なら、それはつまりアカシさんが覚醒を始め、イーヴルたちが行動を起こし出したということだ」


 覚醒。イーヴル。行動開始。

 斑鳩は昨日額田が俺に話した内容をさっくりまとめて指摘する。


「……お前、一体何者だ?」


 俺はごくりとつばを飲み込む。

 どうなっている。

 斑鳩がなぜそのことを知っているのだ。


「うーん。ぶっちゃけて言えば古代人だね。僕もアカシさんと同じく、古代に生きたイーヴルの生き残りなのさ」


 斑鳩が古代人? というか同じくってなんだよ。

 灯もそんな昔から生きていたって言うのか? 灯は小学生の時にうちに来てから俺と同じように普通に成長しているぞ。


 中身は大して変わっとらんが。


「大昔から生きている割にはお前も灯も随分若々しい外見をしているじゃないか」


「ははっ、それは僕も彼女も眠っていたからね。眠っている空間を外界と隔離して時間を凍結させれば肉体の成長も同時に止まる。まあ、受け身のタイムトラベルと考えてくれればいいよ」


「…………」


 突然の友人の人外宣言に呆然とする俺。

 なんたって二日連続で知り合いに超弩級の秘密身辺事情をカミングアウトされねばならんのだ。


 正直、何がどうなっているかさっぱりである。

 これは夢か。

 いつから夢だ。


 灯の髪の色が変わった辺りから俺は夢の中にいるのか。

 だとしたら随分長ったらしい夢だな。

 三日かかってるぞ、オイ。


 だがきっと夢ではないのだ。

 つねった手の甲がしっかり痛みを感じている。……もし仮にこの超展開に平然とついていける自信のあるやつがいたらここへ来い。


 そして俺と代われ。

 俺には少々荷が重い。


「どうにもついていけてないような顔だね」


 当たり前だろう。


「遥か古代のことだよ。新たな王を決めるキュリオスティータイムの参加者を選ぶためにイーヴル内で内紛がおこったんだ。イーヴルは戦闘民族だからね。王は誰よりも強くなくてはならない。だが女王であるアカシさんは争いを避けるためにゲームが開始される前に自ら眠りについた。王が戦えなくてはゲームは行えない。そうしてキュリオスティータイムに参加する予定だった精鋭のイーヴル達は同じく永き眠りにつき女王の復活を待つことにした。やがて何万年もの時が過ぎ、アカシさんは目覚める。八年前の話だ。その時居合わせたのがタイシのお父さん、聖沢教授だよ」


「親父が?」


 親父は考古学の研究をしていて、あちこちの遺跡を調査して回っている。


「そう。君にはアカシさんのことを従妹だと説明していたようだけどね。事実を聞いて驚いたかい?」

「いいや。とりあえず従妹っていうのはきな臭い話だと薄々勘付いていたから、そこに関してはあんまり」


 それ以外のことにはちっともついていけていないが。


「やっぱり君は大した慧眼の持ち主だよ。聖沢教授もそうではないかと話していた」


 こいつ、俺の知らないところで親父と繋がっていたのか。


「アカシさんは永い眠りの中でどうやら記憶をなくしてしまったようでね。僕や、当時のことを全く覚えていない。もっとも、彼女にとってはそれが幸せなことではあるかもしれないけど」


「……俺はお前が何を言っているのかが分からんよ。第一、俺には関係ない話だろ」

「そう思うかい?」

「いや、そうだろ」


「意外とドライな性格だったんだね、タイシは」


 その言葉にはどことなく非難の意思が感じとられた。

 俺の気のせいかもしれないが。


「念のため訊く。盛大なドッキリとかじゃないよな」

「ないねえ」


「分かった」


 なんとなく顔を合わせているのが気まずくなった俺は斑鳩に背中を見せて玄関に向かい、帰ろうとする。


 ふと足を止め振り返った。


「なあ、もう一つ訊いていいか?」

「なんだい」


「俺は昨日、灯を狙うやつに襲われたんだが。お前はゲームとやらの参加者なのか?」


「いいや。僕は王の付き人だったからキュリオスティータイムの参加資格はないよ」


 だった、ね。


「そうか」


 そう返事をし、俺は斑鳩の家を後にした。

 我ながら馬鹿な質問をしたものだ。

 そうして俺は気付く。


 津田の伝言を忘れていた。


 すまん。




 それからの数日間は特に何事も起こらず平和そのものだった。一応、しばらくの間は件の金髪糸吐き野郎の襲来に警戒心を抱いていた。だが、そんな俺の気苦労をあざ笑うかのように拍子抜けするくらい何もなかった。


 平和な日常に包まれ、俺は穏やかな気持ちの中もしかしてあいつは額田に食らった傷が致命傷になり、すでにくたばっているのではないだろうかと考えた。


 楽観的? 

 そうかもしれない。


 でも、全く整合性の破綻した結論ってわけでもありはしないだろう?


 繰り返されていく、少々物足りないような気もするが、普通で、当たり前の日々。津田はナンパで出会った女の子とカラオケに行った話を暢気に語っていたし、額田は未来人らしさを微塵も出さずに委員長をしていた。


 ああ、平凡。

 ああ、ありきたり。

 波風少ないこの人生。


 ただし、灯の髪の毛は白いままで斑鳩は不登校を継続中だったが。しかし、そんなことはどうせ時間が解決してくれるだろうさ。


 古代とか、戦闘民族とか未来人とか。

 色々熱心に説明されたがどうした。


 何も起こらないじゃないか。


 あれらはきっと自然消滅したのだ、時の経過によってなかったことになったのだ。とまでは言い切れないかもしれないが、少なくとも俺の見える範囲からじゃその世界は覗けない。見えない聞けない感じない。


 そんなものは無に等しい。


 ちょっぴり変わった世界の片鱗は、俺にその一端だけを見せてトンズラしてしまったのである。


 命を狙われるのはマジ勘弁だからありがたくもあるのだが。


 ただ若干、消化不良の感も否めない。まあ、当分の間はダメ人間ロードまっしぐらな灯を社会復帰させることに専念するとしよう。


 それが一番建設的で生産的な行動だろう。




 なーんて思っていたのだが、俺に面倒事が再度降りかかってきたのはそれからまもなくのことだった。


 天災は忘れたころにやって来るとはよく言ったものである。どこから話せば効率よく伝わるものだろう。


 そうだな、まずは斑鳩の家に津田と一緒に向かった放課後の話からにしようか。

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