エピローグ
翌朝、朝食の場にて。
「灯、お前あのアフロのヅラはやめたのか?」
白髪を惜しげもなく晒して食パンをかじっている灯に訊いた。
ちなみに額田は朝風呂に入っているため席を外している。朝の入浴はどうやらあいつの毎朝の習慣らしい。
「あー。あれ? 飽きた。それにもうつける必要ないかなーって」
「そもそも最初からいらなかっただろ」
「うん、そうだったかもね。えへへ」
なぜだかとてもご機嫌な灯である。
「何かいいことでもあったか?」
「昨日ね、いい夢みたんだ」
「ほう、どんな内容だったんだ」
「大志がわたしを変なやつから守ってくれる夢」
俺はコーヒーを吹き出しそうになった。
「どうかしたの?」
「どうもしないよ」
どうやら灯は昨晩のことを夢であったと判断した模様である。そっちのほうがこちらとしてもありがたいから特に訂正する必要もないだろう。
額田と連れ立って学校に行き、教室に入るとオカルト系雑誌を黙読している津田がそこにいた。
「オレは決めたぜ。オカルト研究会に入る。朝一で入部届も提出してきたところだ。そして吸血鬼の存在の有無を徹底的に論証する。いずれ見つけ出して、彼女にするんだ」
澄んだ瞳で途方もない野望を語り始めた津田。
エリに血を吸われたことで何かに目覚めてしまったらしい。
額田は「うわぁ……」と露骨に引いていた。
目標を持つことは充実した人生を送る上で大切なことだ。ただし、その方向性を間違えなければの話だが。
「まあ、そのなんだ。頑張れよ……」
俺の周囲は異端ばかりになってしまったからこいつが最後の砦なのだが、如何せん頼りになりそうにない。
流れに便乗して津田がラスボス的存在にならないことを祈るばかりである。
ほったらかしにはしておけない懸案事項解決のために俺は放課後、斑鳩の家に足を運んだ。
もちろん電話でアポはとってある。
エレベーターに乗って七階へ行き斑鳩の部屋である703号室に入ると、つい昨日、俺を襲ったばかりの吸血少女エリが待っていた。
「よう、元気か?」
「最低の気分よ。誰かさんのせいでね」
仏頂面のエリはトマトジュースをコップに注ぎながら言った。もしかして血の代用品なのだろうか。
だとしたら少し泣ける。
「それ、美味いのか?」
興味が湧いたので訊いてみた。
「美味しそうに見える?」
「あんまり」
「ふんっ、美味しいわよ。……アンタも飲む?」
「いや、遠慮しておく」
「あっそ」
拗ねたようにそっぽを向かれてしまった。
ひょっとしたら気を使ってくれていたのか?
「さて、世間話はそれくらいでいいかな。あ、タイシ、昨日の夜は大変だったね」
ノートパソコンのキーボードをカタカタ叩いていた斑鳩が画面を閉じてこちらを向いた。
だから、お前も額田も何で知ってるんだよ。
お互いに情報交換でもしてんのか。
「なあ、これからも灯はあんなやつらに狙われなくちゃいかんのか?」
「それはゼロとは言えないけど、ほとんど心配する必要はないだろうね」
「どうしてだ?」
意外な返答に俺は思わず聞き返す。
「実はイーヴルの多くは現代の環境に適応できずに衰弱し、死んでいるんだ」
それは初耳だぞ。
「もし運よく適応できても体力は格段に落ち、活動するためには多大な睡眠時間と休息を要する。これは歳がいったイーヴルほど顕著でね。僕も中学生くらいから身体に異常をきたすようになったよ」
斑鳩がよく不登校になったりしていたのはそういうわけだったのか……。
「じゃあ灯が今、引きこもりがちになっているのは……」
「そういうことだね。でも、アカシさんはよく持った方だと思うよ。彼女が環境の影響を受け始めたのはここ半年のことだろ? やっぱり他のイーヴルとは違って特別な力があるからここまで平気だったんだろうね」
「特別な力?」
「アカシさんは自身の体内を循環する『気』を送り込むことで他のイーヴルを滅することができるんだ。体力の衰えたイーヴルじゃ軽く叩かれただけでも女王の気が皮膚から浸透して体中を駆け巡り、あっという間に肉体を保てなくなるだろう」
昨晩の、金髪男の最期を思い出す。
「あれはそういうことだったのか……」
「この力はアカシさんを絶対的な存在に押し上げる重要なファクターで、これまで彼女が不安定な状態にならずに済んだ遠因はこの力が今の時代に蔓延るイーヴルに有害な物質を跳ね返していたからではないかと僕は推察している」
「アタシだって人間の血を飲めば普通に行動できるのよ」
エリが口を挟んできた。
「エリは性質、能力の特徴から人間の血液を摂取することで環境からもたらされる身体への悪影響を緩和できるようなんだ。特に相性のいい人間の血液を全て吸い尽くせば古代となんら変わらず、いちいち吸う必要もなくなって限りなく安泰らしい。……で、タイシの血はエリにとってバッチリストライクなんだとさ」
そいつは光栄なことだね。もちろん皮肉だが。
「ここからが肝心なところなんだけど。話し合いの末、エリはタイシが定期的に血液を提供してくれるなら二度と襲ったりはしないと約束するそうだ。タイシにはエリを助けてやる義理はないけど、どうする?」
俺はエリの方を向いて、目を見て訊ねる。
「お前は灯を倒すという、ふざけたゲームの参加者なのか? あの糸を吐き出すやつと同じように、灯の命を狙っているのか?」
これは大事な質問である。
彼女の返答次第でこちらが思い描く構想が崩れる場合もある。
「昔はそうだったわよ。でも今は興味ないわ。だって、いまさらイーヴルの王になってもね。衰退してる民族の長になってもいいことなんかないし。それならできるだけ長生きして人生楽しみたいわよ。アタシは有益な努力も嫌いだけど、無益な執着はもっと嫌いなの」
サバサバとエリは言ってのけた。
同じイーヴルでも個人によって考え方は異なるようだ。
それなら安心だ。斑鳩に視線を送り、俺は頷いた。
「いいんじゃないか。命を狙われるよりマシだ」
「でも、アンタ低血圧なんでしょ?」
エリが横やりを入れてきた。そういえばそんなことも言ったっけ。
「あれは嘘だ」
「なによ、それ。アホらし」
心底呆れたような顔でエリは俺を見た。
「じゃあそんな感じで、交渉成立ってことでいいかな?」
斑鳩が話し合いをまとめにかかろうとする。
「いや、ちょっと待ってくれ。もう一つだけ条件を追加したい」
「なによ。不埒なことだったら一滴残らず血を吸い取ってミイラにするわよ」
怖いこと言うなよ……。
「そうじゃない。お前に灯のボディーガード役を頼みたいんだ」
斑鳩は心配ないとは言っていたが、万一があってはならないことなのだ。保険をかけておくに越したことはない。
「アカリって言うのはアカシのことなのよね。あいつに護衛なんか必要ないでしょ。いくら過去の記憶がなくても力は健在なわけだし。アンタも見たんでしょ」
「それはそうかもしれないが、灯を戦わせたくない理由があるんでね」
額田の言葉を真摯に受け止めるなら、今回のようなことがあった際に灯の進化を防ぐため代わりに戦う人員が必要となる。
「だったらイカルガにでもやらせればいいじゃない」
エリは柔らかな微笑みを浮かべている童顔の部屋主をちらりと見た。
「もちろん有事の際には僕も手を貸すつもりだよ。でも、カードは多い方が有利ではあるよね」
斑鳩が的確な援護射撃をしてくれた。申し合わせたわけでもないのになかなかいいこと言うじゃないか。
「そういうことだ」
俺はここぞとばかりに便乗する。
「……アタシは戦ってもいいってわけ?」
不服そうにエリが呟く。
「はぁ? 何言ってんだ」
よく意味の分からないことを言い出してきたぞ。俺が言葉の真意を捉えかね、逡巡しているとエリは痺れを切らしたように口を開いた。
「……ちっ、面白くないわね。ま、いいわ。ボディーガード役も契約内容に上乗せさせてやるわよ。感謝しなさい」
えらく尊大な態度だ。だが、こういう性格のやつだと大体把握し始めていたので俺は気にしないことにした。
「交渉成立だ。しっかりやってくれよ」
俺は友好の証、親交の象徴ハンドシェイクを求めてエリに右手を差し出す。しかし、エリはそいつに応じてくれなかった。
「ふんっ。あんたこそ約束破るんじゃないわよ。こっちは生死がかかってるんだからね!」
代わりに鼻を鳴らしてトマトジュースをグビグビと飲み干した。繋がれなかった俺のわびしい右手は虚空を掴んだ。
帰り際のこと。
「そうだ、斑鳩。この間立て替えた千円返せよ」
「いやぁ、すまないね。今は持ち合わせがないんだ」
「…………」
もう二度とこいつに金は貸さないと俺は心に誓った。
自宅に戻ると郵便ポストに親父から俺宛に手紙が届いていた。親父が出張先から連絡を寄越すなんて珍しい。
しかも電話でもメールでもなく、手紙とは。
どういう風の吹き回しだろう。人間の考えることは不思議がいっぱいだ。
その身近な例として、行方不明になっていた人騒がせな他クラスの男子生徒が発見されたらしいのだが、なんと北海道で行き倒れていたらしい。自転車を脇に抱えていて、どうやらチャリンコ日本横断を目論んでいたという噂だ。
せめて長期休暇中にやれよという話である。
リビングに入ると灯がソファで昼寝をしていた。ネットサーフィンをしていたのかテーブルにはノートパソコンが置かれており、画面がつきっぱなしになっている。
「まったく、だらしねえなぁ……」
ふと、灯がどんなものを閲覧していたのか好奇心が湧いた俺はスクリーンを覗き見た。
「鮫島ニワのブログか……。おっ、更新してる」
俺はマウスを操作して閲覧を試みる。
「どれどれ。『今日は美容院に行って金髪に挑戦してみました!』か」
金髪金髪。最近俺の周りは金髪だらけだな。
自室の学習机の椅子に座って封筒を開く。
わざわざ手紙を書いて寄越すことだから何か重大な伝達事項があるのではないかと思って便箋を開いたのだが、記載されていたことは溜息をついてしまうくらい拍子抜けの内容だった。
まず書いてあったのは直接会って話すことができないことを謝罪する文面。
それから続いていたのは親父が数年前に遺跡を発掘した際、記憶喪失の少女を遺跡内部から見つけたこと。
そしてその少女こそが灯であり、灯が俺の従妹であるという話は真っ赤な嘘であったこと。
騙していて悪かった云々。つまり、そんな懺悔的な文章どもであった。
知っていることを今更、手紙で神妙に語られてもなあ。
どうしていきなりこんなことを自白する気になったのかは不明だが、ひょっとしたら斑鳩辺りに近況報告を受けて自らも真実を打ち明けねばと考えたのかもしれない。
電話にしなかったのは俺の反応が怖かったからだろうか。
ズボラな性格のくせに結構小心者だからな、あのおっさん。
手紙を封筒に戻し、俺は夕飯の準備でもするかなと立ち上がる。
『んぎゃああああぁぁぁっ! ナンジャコレェェェェッ!』
突如、階下から凄まじい悲鳴、奇声、両方ともとれる叫び声が響いてきた。
バタバタと騒々しい音が聞こえ、俺の部屋の扉が勢いよく開かれる。そこには黒髪でも白髪でもない髪の色をした灯が立っていた。
「どうしよう大志。なんか、今度は黄色くなっちゃった!」
超進化少女アカシ 遠野蜜柑 @th_orange
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