波に揺れる花びら
遊月
第1話
瞼を閉じても、潮騒は途切れる事なくなだらかにゆるやかに耳に押し寄せる。
するりとベッドを滑り降りると、りくはカーテンの隙間からこわごわと窓の外を眺めた。斜めに差し込む月光は柔らかで、波音はやはり、途切れなくりくの耳朶をくすぐる。
軋む音を立てて、部屋のドアが開く。りくが振り返ると、父親の優人(まなと)が心配そうにりくを見つめていた。
「眠れない?」
「……海の音、気になっちゃって」
「今までずっと、海の見えない場所に住んできたからね。慣れるまでは大変だと思うけど」
「うん、大丈夫」
りくはそう言って微笑むと静かにカーテンを引いた。薄墨を流したような仄かな闇が、音も無くふわりと舞い降りる。
「おやすみ、パパ」
「おやすみ、りく」
優人がドアを閉めたのを見届け、ベッドに戻って毛布を鼻まで被ると、りくはふうっとため息をついた。
引っ越しには慣れた筈だ。幼い頃から、父親の気の向くままに転居を繰り返している。ただ、今度の棲処がこれまでと違うのはひとつ。窓から海が一望出来るという事–––そのせいで、玄関を出れば潮の薫りが鼻をくすぐるという事だ。
頑なに内陸に留まっていた父親に、どんな心境の変化があったのだろう?りくは考えてみるが、当然ながら答えは出ないままだ。
寄せては返す波。境界線は曖昧に、砂の上に引かれては掻き消される。
やがて訪れた微睡みの中で、りくは懐かしい夢を見た。父が語る寝物語。早くに母親を亡くしたりくを慰めるためか、父は毎夜こう繰り返した。
「りく、おまえのママは海の底の宮殿に棲む人魚姫だったんだよ。おまえを生んで海に還ってからも、其処でずっとりくを見守ってるんだ。優しく美しい女の子に育ちますように、って」
昔は信じてたっけ、と、父の穏やかな声を思い出す。ただ、りくは一度だけ父に尋ねた事がある。「どうしてママは海にいるのに、あたしたちは海のみえないばしょにすむの?」と。すると父は曖昧に瞼を伏せ、りくの頭を撫でて呟いた。たった一言、「ごめんね」と。
あれはいつの事だったろうか。夢見心地でうとうとしつつ、りくはゆっくりと寝返りを打った。
夜明けまで、あと僅か。
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