第8話


 忍び足で勝手口から入ると、キッチンに立っていた優人と行き合った。


「……りく」


 声にほんのり怒気が含まれている。りくはがばっと頭を下げて謝った。


「ごめんなさい夜中に家出たりして! でもすぐ其処の防波堤んとこにいたし何も危ない事なかったし大丈夫!! おやすみなさい!」


 優人はふたつカップを出し、自分のカップには珈琲を落とすと、りくの方には温めたミルクを注いだ。そして、りくに椅子に座るよう手振りで促す。


「そりゃあ、夜中に物音がして見てみれば娘が家を抜け出していて更に同級生くらいの男の子と話し込んでるのをうっかり垣間見てしまった僕はもう何をどうしていいのやら焦ったけれども」


 一息に言い募った優人に、りくは肩を竦めてもう一度謝った。「ごめんなさい、でも」言葉を切り、ふうと息を吐き出す。


「でも、今夜は壱之丞の話聞いてあげられて良かった。……ひとりで泣くなんて可哀想だもの」


 りくは言うと、優人に手渡されたホットミルクをちいさく啜った。夜風に冷えた身体に、染み渡るような温かさだ。


「あれが壱之丞くん、か。……じゃあ仕方ない。去り際のキスも今回限りは見逃してやろう」

「!」


 漫画のようにぶはっと吹き出しそうになりながら、りくは優人の顔をまじまじと見つめた。優人は慈しむように優しく、ただりくを見つめていた。


「ねえ、りく。りくはまだ、あの日の事を思い出せずにいるの?」

「……え?」


 それを飲んだらおやすみ、と囁いて、優人はカップを手に書斎へと向かった。橙色の明かりのもと、キッチンに残されたりくは、自分が一体何を言われているのか見当もつかないまま、火傷しないようそろそろとミルクを飲み干した。

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