第2話
柔らかな声で名を呼ばれた気がして、りくは夢か現かぼんやりしたまま上体を起こした。時計のアラームが鳴る前に目が醒めたらしい。
朝が訪れてもやはり途切れない潮騒。耳の奥にこびりついたように離れない。
真新しく慣れない制服に袖を通すと、りくは徹夜明けでもいつでも必ずりくと朝食を一緒にとると決めているらしい優人が居る筈のキッチンを覗いた。
「りく、おはよう。転入初日から遅刻はまずいんじゃない?」
「えっ!? もうそんな時間だっけ?」
「嘘々、まだじゅうぶん間に合うよ」
珈琲の入ったカップを渡され、猫舌のりくはふうふうと息を吹きかけてから一口啜った。
「似合うね、新しい制服」
「そうかな? なんかベレー帽もあってね、水兵さんとか漫画家みたいな。それが難しいの」
眩しげに微笑む優人に向かって、りくはソファに放り投げてある鞄と帽子を指差す。今まで幾つもの制服に着替えてきたけれど、帽子まで指定されている学校は初めてだ。もしかしたら入学時に購入させられるだけで、生徒達は誰も身に付けていない可能性もあるのだが、それは今日登校してみなければ判らない事だった。
朝食を終えると、身支度を済ませてりくは玄関に立った。全身鏡を覗いてみても、やはり帽子はしっくり来なかった。
「学校への道は覚えてる? 昨日下見したばかりだから大丈夫だとは思うけど」
眠そうにひとつ欠伸をして優人が尋ねる。これも学校指定のローファーを履きながら頷いて、りくは昨日のうちに歩いて下見しておいた道のりを思い浮かべた。家の目の前に続く防波堤に沿った道を、ただ真っ直ぐに進む事約20分。右折も左折もない。どうにも間違えようのない道だ。
「たぶん同じ学校の子達も通るだろうから。その列に紛れちゃえばきっと大丈夫」
「頼もしいね、りくは」
「これだけ何度も転校してれば、誰だってやむを得ず、ね」
「それは申し訳ない」
「そう思うなら今回で最後にしてよね」
いつも冗談めかして言い続けているりくの本音だ。普段の優人ならただ笑ってかわすところなのだが。
「そのつもりだよ。……いってらっしゃい」
意外な台詞に背中を押され、問いただしたい気持ちでいっぱいになりながらりくは玄関のドアを開けた。引っ越しの時から思ってはいたが、あまり手入れの行き届いていない家だ。長い間人が居着かなかったせいなのか、管理会社が怠けていただけなのか。家じゅうの掃除修繕から庭木の剪定まで、りくと優人ふたりがかりで三日程かかったのだ。
ただ、これまで住んだどの家よりりくの肌に馴染んでいるような気がしている。–––潮騒だけは、別にして。
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