5章 過去と執着と破滅主義
聖女と相棒
「キティさん、買い物をお願いします」
アイリさんにそう頼まれた私は二つ返事で引き受け、市場へと蔦で編んだ籠を引っ提げて歩き出した。
元々私は学園へ来る方針ではなかった。もうすでに高名な魔法使いであるプロント様に師事していたし、私が里を離れることで弟、妹弟子らの世話をする人がいなくなってしまうからだ。それにプロント様が人の世話できるとは考えにくい。
しかし、リオン様が教育者としての道を進むならば学園での教育体系を学んでおくべきという説得を受け、さらには弟、妹弟子らの世話する人を寄こしてくださるという――おそらくプロント様もその人の世話になるのだろう――おかげで私は興味があった学園の視察ができるということになっていました。
しかし、学園で何やらあったらしく、受け入れ態勢が整わないという理由で延期になってしまった。きっとそれはあの里での騒動以上に厄介なことなのだと想像がついた。
先日、あの吸血鬼のお嬢さんが運びこまれた。
腕が折れ、その手首には止血の痕。全身に細かい傷。月のように白い肌からは血の気が引き、灰色。意識はないように見えるのに、決して手放さない刀。決闘騒ぎが起きても無傷で勝利を収めた彼女をここまで無残な姿に変えるには、年上の実力者、もしくは闇討ちが必要となるはず。
ここまでする必要があるのかと考えると私の中の正義がぐつぐつと煮えたぎるのがわかりました。このままでは吹きこぼれるというところで頭を振り、頭を冷やした。
執事長ならばどうにかしてくれるだろうと、呼んで戻ってみるとリオン様が自らの手首を切ったところに出くわした。何をしているのだと叫びそうになったが執事長が肩に手を置き、「安心してください」となだめてくれた。
ボダボダと流れ出る血は大理石の地面に水たまりをすぐに作り出す。傷口をお嬢さんの口に当てた。お嬢さんは無意識でもそれを含むと喉に流し、少しずつ顔色が良くなっていった。
意識が戻らないお嬢さんを執事長へと預け、ベッドへと運んでいった。
リオン様は血を流しすぎたのか床に座り、壁に背を預け、アイリさんが行う止血作業を受けていた。いったいどういうことなのか聞こうとしたが、アイリさんに「明日にしてください」とピシャリと断られた。時刻はすでに深夜を回っており、リオン様も血が足りていないのか、その幼い体では厳しいのかうつらうつらしていた。
私は「ごめんなさい」と頭を下げるしかなかった。
翌日、すっかり快調していたリオン様に訊こうとしたが、その直前の訪問者によって機会を失うことになる。
現れたのは背の小さな子供。引き締まった体の動きで、引き締まりすぎて大きくなれなさそうでした。
「邪魔するぞ」と不躾に入ってきた彼の前に執事長が立ちはだかり「ドワーフの坊ちゃんが何用でしょう」と柔らかくも圧のある口調で制した。
「ヴァミ、下がれ。僕もそいつに用がある」
下がる執事長。リオン様が前に出る。
「デメテルの容態は回復したかい?」
「目は覚めた。体の具合も問題あらへん。けど心が壊れかかっとる」
話を傍で聞いていたところ、どうやら元々亜人だった子が人間へと変わったことが原因らしい。前世も現世も人間だった私にはピンとこない話だった。ルナ様も認める足りない想像力を必死に掻き立て、きっと一生歩けないとか、そういう部類なのだろうと結論づけた。
「そっちの口煩い奴はどや?」
「まだ目覚めないが、僕の血を飲ませた。じきに目覚めるだろう」
「ならええ」
リオン様は尋ねます。どうして捕まり、戦うことになったのか。あの男は誰なのだと。
ドワーフのお坊ちゃんが言うには最初の決闘騒ぎの後、部下を労おうと二人きりになったところで捕らわれたとのこと。そうして人質を返す代わりに、薬を投与してから戦う指示を行った。男の正体について話が変わると、苦い顔で「学園が誇る天才や」と言う。ただ、有名人な割に、どこかに引きこもって研究ばかりしているせいか実態を把握している方は少ないらしい。
「あまり力になれへんくて悪い。それに今まで馬鹿にしてきて悪かった」
お坊ちゃんは頭を下げた。
「頭を上げてくれないか。前から言っているだろう? 気にしていないと。むしろ助かっている。僕はその天才すら知らなかったのだから」
リオン様は頭を下げたままの坊っちゃんの両肩に手を乗せる。
「共にこの事件を解決しよう」
頭を上げたお坊ちゃんは泣いていた。鼻水グジュグジュだった。涙目を腕で拭い、上に視線を逃がす。
「アカンわ。男としての格が違うわ。これからアンタのことを兄貴って呼ばせてもらってもええか?」
リオン様は困った顔で「……ああ、好きに呼んでくれても構わない」と赤紫の髪を掻いていた。
「……ねえ、あたしも兄貴って呼んでいい?」
そう言って会話に入ってきたのはフィルの見舞いを終えたアインだった。聖剣を背負い、ニヤリと口角を立てた。この少女、私と同じ人間であり勇者と呼ばれていたらしいが、どうにも陰気が身にこべりついているのが気になった。
「アインの方が年上じゃないか」
「……数カ月なんて誤差だよ、きっと」
「あいにく僕は細かいことが気になる性分でね。逆に姐さんって呼ぼうか?」
「それはやめて……」
アインはそう言ってリオンの服の裾を摘んで、首を何度も振った。
その様子を見ていたお坊ちゃんはおずおずと尋ねる。
「ところで兄貴、その子が助けに来たのはもともとその予定だったのか?」
「いいや、想定外だった。アイン、誰から聞いたんだ?」
「あの人狼の教師から色々頼まれてて、その中に天才の悪事を調査することが含まれてたの」
私はその教師が何者なのかと思案したが、リオン様はふうんと大して気にも留めず「わかった」と一言で済ました。坊ちゃんはそれで済ますのはよくないとばかりに少し慌てた様子で「あの担任に協力求めることはできひんか」とアインに提案する。
「大っぴらには協力できないって。……なんか学園の方針で生徒が選んだ道の邪魔はできないって」
なにそれと感じ、頭に血が上り始める。
被害者がいて、加害者もいる。それなのにどうして先生たちは何もしてくれないのだろう。学園が止めるように指導するのが正しいはずだ。ましてやそれを見逃すなんてあきらかに間違っている。そこにどんな理念があるというのだ。あったとしてもそこに正義はあるのか。いいや、ないはずだ。ならば私がどうにかしなければいけない。悪を見逃すなど、私にはできない。正義を成さなければ。正義の味方なのだから。正しいことは間違っていないはずなのだから。
「キティ」
リオン様に呼ばれる。
「落ち着くんだ。いいな」
ハッとした。ルナ様が徹底的に矯正したはずの悪癖がぶり返していた。
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃないさ」
その後、リオン様がフィルが目覚めるまで待機という指示を出し、その場は解散となった。
私は元々の予定が潰れてしまったため、アイリさんのお手伝いをすることとなったのだ。
市場は学園と富裕層が住む住宅街の中間地点にある。学園の生徒は食事は食堂で取るため、自然と富裕層向けの立地になったらしい。そこでは主に食材が売られており、たまに反物や書物、珍しい玩具が売られているのを目にする。
身なりの良い人、それを守るための兵士が多くいる街中で私は頼まれた食材を買って、蔦の籠へと放り込んでいく。買い物もひと段落し、時間にもまだまだ余裕があって、ちょっと市街探索でもしようかなと考えていると、目の前で腰を丸くした老婆が転んだ。老婆が持っていた籠からは丸い果物がいくつも飛び出て、周囲はそれを迷惑そうに避けながら進んでいく。誰も老婆のことを気に掛ける様子はない。
「お怪我はありませんか?」
私は立ち上がろうとする老婆へと近づき、その体を支えた。
「ありがとうねぇ」
「いえいえ、礼を言われるほどのことではありません」
リオン様に先ほど言われたことを、ほぼそのまま使えたので成長したと内心で自画自賛しつつ、怪我はないか確認する。老婆に擦り傷はなく、捻挫なども確認できなかった。無事で何より、それでは次は果物を拾わなければとあちこちに飛び出していった果物を探す。
地面に果物は転がっておらず、全て銀髪を風に揺らす少年の腕に抱かれていた。
「これで全部だ。籠を出してくれ」
私は老婆から籠を借り受けると、その少年は果物を籠の中へと転がした。
老婆は私と少年、それぞれにお礼だと果物を一つずつ渡すと、頭を何度も下げながら帰路についた。
私も良い気分で帰ろうとしたら、少年に呼び止められる。
「少しお茶しないか」
俗に言うナンパだった。いつもなら――初めてのことなのでいつももなにもなかったが――にべもなく断るのだが、老婆の果物を拾ったり、時間にも余裕があったので誘いに乗ってみることにした。
ローバル帝国の喫茶店は、軒先にあるベンチに腰掛けてお茶を楽しむというスタイルだった。歴史ドラマなどで馴染み深い茶屋に近かった。そこで私達は並んで座り、話し始めた。
彼の名前はライア・エオス。驚いたことに、彼は私と同い年の十五歳だった。背が小さいので年下だと思ったことを話すと、成長期が遅いだけだと口を尖らせた。
それがいい具合に互いの緊張をほぐし、会話が弾んでいった。
生まれについても語ってくれた。彼は孤児だった。両親の顔も覚えておらず、学園に忍び込んではタダ飯を食らい、暇つぶしに授業を聞いていたらしい。それを何年も繰り返し、いつしか正式な生徒となり、気がつけば学園にある全ての学問を収めるに至っていた。
彼が一方的に身の上話をするのは悪いと思い、私も同じく生まれについて話した。もちろん前世については一切触らず、転生後の人生についてのみだ。つまりは人間の国の貴族として生まれ、幼い頃に国を追われ、師匠と共にローバル帝国に隠れ里を作り、そこで育ったことだ。私だってそのぐらいの分別はあるのだ。
そうしたら彼は「教師になりたいからこの学園に視察にくるなんて変わってるな」と言われてしまう。
「この学園の教師でまともなのはほとんどいないぞ。だいたいは本職が研究者であって、教師じゃないからな」
続けてそんなことを言われてしまってはそうなのかと気落ちするしかなかった。
「教師については難しいかもしれないが、他にやりたいこととか叶えたいことはないのか?」
他に叶えたいことといえば一つしかない。
「世界平和」
彼はお茶を噴き出していた。むせ返りもした。
「そこまで笑わなくてもいいじゃない」
呼吸を整えた彼は「違うんだ」と前置きをする。
「まさかオレと同じ夢を持っている馬鹿がいるとは思わなかったんだ」
「え、世界平和が夢なの」
「そうさ。人や亜人の違いで戦争するなんて間違ってる。争わなければ皆が集めた英知の恩恵に、等しく与れると思わないか?」
「思う!」
「どうして世界平和を夢見たんだい?」
「そうであるべきだから」
「なかなか痛快な答えだな。よく頭おかしいと言われるだろ」
ルナ様にも手のかかる子と言われていたので、きっと人からすれば頭がおかしい子扱いになると思われる。
「よくわかりますね。だからちょっとムッとしてます」
「そう気を悪くするなよ。俺も同類だからな」
そう言われて思い至る。孤児から学園に入り、全ての学問を収めるに至ったのだ。そりゃ一般人の枠組みからすれば言われても仕方がないのだろう。世界平和という夢も持っているし。
頭の良し悪しはあれども志が同じことに私は気を良くし、自分がリオン様の従者であることを言った。隠すようなことではないし、隠すようにも言われていない。だから、問題ないはずだ。
彼は目を丸くして、また笑った。
「いやぁ冗談が上手いね。リオン様といえば天眼通と名高い人じゃないか。そんな人の従者がお仕事サボってお茶してる訳ないだろ」
視線が自然と斜め上へと歩き出した。
「現実は小説よりも奇なりって言いますから」
「馬鹿が勝手に常識の枠を飛び出してっただけな気がするがな」
「酷いですよ」
ちゃんと怒ったような顔、むくれた子供のように表情を作って怒りを表明する。彼は「悪い悪い」と悪びれない口調で謝る。
「まあ、やってしまったものは何らかの謝罪を伝えるしかない。今はこの会話を楽しもうぜ」
まるで悪ふざけに誘う友人のようであった。普段ならば付き合わないそれも彼ならばしょうがないと思える何かがあった。もしやこれが友達というものなのだろうか。ルナ様もなんでも話し合える友達を作りなさいと言っていたので、これはもしやチャンスというものなのではないだろうか。
「仕方ありませんね。付き合ってあげましょう」
「そうこなくっちゃ」
話の流れはそのままリオン様中心になっていった。その流れでリオン様との出会いの件になり、人間でありながら八大氏族となった魔法使いプロントの一番弟子であることや、実はプロントを継いだ八大氏族になる予定であったことも話した。すると話の食いつくが良く、こんなことは前世も合わせて三十数年間一度もなかった。
気分が良くなり、鎧武者をリオン様が片腕を犠牲に倒したこと、里で育った妹のような子が実は同郷であったこと。ペラペラと舌が赴くままに話す。そして、そういえば、と今まで忘れていたものをふと思い出し、口に出す。鎧武者のくだりは武者の部分に戸惑っていたけど、すぐに騎士みたいなものだと理解してくれた。
「そういえば、あの鎧武者から逃げる時、リオン様がらしくないこと言っていたのなんだったのでしょう」
「らしくないこと?」
「久しぶりに気分が高揚してるんだってこと仰ってたの」
「戦うのが好きなのかい?」
「んーそういうわけではないですね。むしろ、争いごとを遠ざけてますね。今回の決闘騒ぎもリオン様は最後まで戦うのを回避してましたし」
「そうなのかい? 八大氏族指名、晩餐会の騒ぎ、今回の決闘騒ぎから俺が受けた印象では――今回はまあ貰い事故みたいなものだけど――わざと争いの種を作って、育つまで待ち、刈り取るべきタイミングで根こそぎ絶つみたいな狡猾なものを想像していたな」
「そんな人じゃないわ。分け隔てなく優しいし、上に立つ人としてもみんなをまとめて引っ張り上げてくれる、そこに落ちこぼれは出さないそんな立派な人ですよ」
「随分と買っているんだね」
「妹と師匠の命を救われましたからね。それにリオン様も妹と私と同じ同郷だったので買わずにいられませんよ」
「同郷? 彼はローバル帝国の皇族で、君は人間の貴族だったじゃないか」
やってしまった。
「あー私、ローバル帝国での送った人生の方が長くて勘違いしてたのかもしれませんねー」
上ずった声で言い訳を、嘘をつく。とても胸が痛い。彼の視線が嘘をつくなと言っているように感じられた。
「……これから話すこと信じてくれる?」
彼は腕を組み、考え込む。
「君は信用できる人だ。あるがままを話してくれるならば信じようじゃないか。それに話してくれたなら、君の主人にとっても良い結果になることを約束しよう」
良い子とばかり呼ばれ、良い子ゆえにいつも信用されずのけ者にされてきた私。そんな自分を信用してくれると言ってくれた。心が歓喜している。
決めた。
この人を私の親友にしよう。
「私はこの世界で生まれる前の記憶があるの。そこは別世界で、リオン様もその世界の記憶を持っているの。そういう人は転生者と呼ぶの」
「転生者……。どういう仕組みで生まれ変わるのか、その世界のこととか研究者としては気になるところだけどそれはまた今度にしよう。転生者は前世の記憶を持っている。それは完全に記憶しているということでいいかい?」
「今と同じように記憶が薄れたりはありますけれど、交友関係など大体の目ぼしい記憶は覚えてますね」
「ふむ」
「あとは生まれ変わる前に女神さまと出会ったことぐらいですね」
「女神?」
「ええ、ルナ様という女神様。知ってます?」
彼は突然体を硬直したかのように塊、口をぽかんと開けたままになっていた。あほ面を晒していた。
「あのーどうしました?」
「どうしたじゃないよ! 俺は敬虔なルナ教信徒だ。まさかここで使徒様と出会うことになるなんて。いや、これは思し召しかな」
その後もぶつぶつと何かつぶやき、天才とはこういうところがあるものなのだろうかと感心していると彼は力強い目を私に向ける。
「俺の相棒になって、世界を救おう!」
突然何を言い出しているのですか。
「突然何を言い出しているのですか」
あまりのことに思考と言葉が同時に出てしまった。
「悪い。興奮してしまった。だが君にとっても――いや、この国にとっても悪い話じゃないんだぜ」
彼は不敵に笑う。
「リオン様、このままじゃ壊れるぜ」
私はその夜、姿を消した。
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