吸血鬼と晩餐会

 あたくし、フィル・ローゼンは吸血鬼です。吸血鬼とは人、亜人問わず全ての生き物から血を奪わなければ生きていけない、生まれながらに業を背負った種族です。業という意味はわかりません。母様が口にしていたことの受け売りです。

 母様はいつも青白い肌をしていました。血が足りないからです。あたくしらが血を吸う理由は自ら血を精製する能力が極端に低いから。ゆえに他者から血を奪うための能力を得たのだと、母はあたくしに教えてくれた。

 それ以外にもなんでもあたくしに教えてくれた。読み書き計算、身を守る術、吸血鬼が呪われた剣と心通わす御伽草子、吸血鬼同士がまとまって過ごせない理由、父親がいない理由。

 そして、優しくもあった。あたくしに血が足りない時、母様はいつも血を分けてくれた。

 他の種族に血を分けてくれ、と頼み込む日々すらあった。だが血を吸われた者は眷属となってしまうという風説が流布されてしまっていて、血を貰えた試しはなかった。――血を吸った吸血鬼は力に溺れる、そういう噂もあるからだと八大氏族となってから知った。

 その聖母ごとき母はあたくしが五つになった日に亡くなった。死因はなんてことのない行き過ぎた貧血だった。

 あたくしは一人で生きていかねばならなくなった。血どころか食べ物にも困るような浮浪児のような生活を送ることになった。すぐに倒れるようなあたくしはスラムでも生きていけず、母の元に旅立つ日も近いことをなんとなくわかった。けれど母様から頂いた血で生き延びてきたという自負が野垂れ死ぬことを許さなかった。

 そして、幼いあたくしが選んだのは皇太子殿下を襲い、その血を啜ってから死んでやろうという――今考えるとありえないことを計画した。

 その日、皇太子殿下は市中を探索していた。もちろん屈強な護衛を連れてだ。今ならさすがに物陰から突然襲うというぐらいには頭が働きますが、当時は血が足りずまともに考えることすらできませんでした。だから皇太子殿下の進行方向真正面からよろけながら向かっていきました。

 護衛はすぐに皇太子殿下を囲む。けれどあたくしは結局、護衛にすら辿り着かずに途中で力尽き、倒れました。護衛はそれでもあたくしを排除しようとしたのでしょう、足音が近づいてきました。そこに甲高いながらも透き通る声の「待て」が落ちかけた意識に割り込んできました。

 赤紫の髪をした人があたくしの頭を抱え、自身の首筋にあたくしの犬歯をあてる。

「わざわざ死ぬ理由がないのなら吸え」

 それは酷く冷たい声だった。しかし、なぜか母様のような響きを感じました。

 ひどく久しぶりに血を吸えたあたくしはそのまま意識を失った。次に目が覚めた時は沈み込んでしまうような錯覚を覚えるフカフカのベッドの上だった。

「お目覚めでしょうか」

 ベッドの脇に立つ老人に声をかけられる。煌めく白髪を長く伸ばし、乱れのない黒い衣服を纏った老人はそれはもう恐ろしく鋭い眼光をしていた。反比例するように声は静かな波のようにあたくしの心を落ち着かせた。

「ええと……」

 あたくしがいる部屋は絢爛豪華とまではいかないけれど、それでも木目調で統一された趣味の良い部屋だ。あたくしなんかでは一生お目にかかることすらできない部屋だった。

「ここはどこですか?」

 老人は口元に笑みを浮かべる。どこか変だっただろうか。上流階級と孤児のあたくしでは言葉遣い一つとっても変に違いない。

「ここは城ですよ、吸血鬼のお嬢さん」

 ここがお城だということにまず驚き、そして吸血鬼と知っていながら侮蔑的に扱わないことにより驚いた。

 驚くあたくしをよそに老人は続ける。

「貴女は坊ちゃまに助けられたのですよ」

 数瞬の後、あたくしは意識を失う前に血を吸ったことを思い出す。高貴な方だということを思い出す。久しぶりに血を吸って冷静になった頭でとんでもないことをしでかしたと理解し、体中から血の気が引いていく。

「……打首ですか?」

 高貴な方の血を吸ってしまったのだからそうなるはずだ。けれど老人はそんなあたくしの不安を打ち消すように首を横に振る。

「いいえ、坊ちゃまはわざわざ助けた人を殺すような真似しませんよ」

 すぐに死ぬようなことはないらしく胸を撫で下ろしていると部屋の扉がノックもなしに開かれる。赤紫の長髪を携えた綺麗な男の子があたくし目掛けて早足で近づいてくる。老人は近づいてくる男の子に頭を下げ、礼儀を示していた。

「やあ、気分はどうだい?」

 戸惑うあたくしの代わりに老人が答える。

「目覚めたばかりですが、意識はハッキリしております」

「そうか。なら問題ないか」

 男の子はそう呟くと、あたくしに再び問いかけます。

「おめでとう。君は今日から八大氏族だ」

 この人は何を言い出しているのだろうと戸惑う。すると隣に佇む老人も眼光鋭かった目つきがなくなり、お月様のようにまんまるにして驚きを表にしていた。

「坊ちゃま、それは――」

「ヴァミ、何も言うな。僕は世界を変える。手始めに身の回りからだ」

 男の子が何を言っているのかもあたくしには何もわかりませんでした。けれど何やら大きいことを計画し、それを実行しうる説得力が男の子から感じました。

「――さしでがましいことを致しました」

 そう言って老人は下がり、男の子と二人きりで話すよう暗に促されました。

「八大氏族となった感想をどうぞ」

「わけがわかりませんわ」

 それがあたくし達が初めてまともに言葉を交わした瞬間でした。

 それから七年、あたくしはあの男の子――リオン様に忠誠を誓うまでになりました。理由は様々ですが、一番はあたくしに対して一切の差別をしなかったことです。貧血で倒れそうになっている時にはすぐに自らの血を分け与えてくれました。

 今ならば狂信者と言われても「はい、そうですが何か?」と言える自信がある。

 だからこそ我が主の役に立てる機会があれば率先して行うようにしていた。晩餐会もそうだった。我が主の素晴らしさを広める機会ならば逃すわけがない。立候補したのも自分ができるかどうかよりも、手柄を手にしたい。それで褒められたいという気持ちが大きかった。

 それは結果として悪い方へと向かいました。せっかく勇気を奮い立たせる言葉を貰ったのに、あたくしは失敗を続けました。そして、耳に嘲笑と「吸血鬼だから」という侮蔑の言葉が届き、怖くなった。

 我が主の素晴らしさを広めようとあたくしがいくら頑張っても、吸血鬼である限りそれは叶わないのではないか。少し間違いを犯すたび、その何倍もの悪評が吸血鬼だからということで広がるのではないか。そのことに気づき、いや思い出し――怖くなった。

 けれど、ここで逃げ出すわけにはいかないと耐えているとリオン様は仰った。「フィル、辛いのならもう部屋に戻っても構わないよ」と。あたくしは数年ぶりに視界がふらついた。どうにか持ち堪え、その好意に甘える旨を口にする。だがあたくしは理解していた。戦力外通告をされたことを。

 部屋に戻り、ベッドに飛び込んだ。この沈む感覚にも、もう慣れた。あたくしは八大氏族としてお役御免になったから、もうここには住めないだろう。未練がないといえば嘘になるも、お役に立てなかったあたくしが全て悪いのだから文句はない。だから、少しでももう二度と味わえないこの感触を楽しもう。

 目を閉じ、意識を感触に傾けようとしても頭に浮かぶのはこの七年間の思い出ともっとうまくできなかったことへの後悔だった。悔しさから涙が溢れてくる。吸血鬼だから駄目と言われることはわかっていた。日頃からもっとルセアに指導を受けるべきだった。自然体でできるまで叩き込まれなければならなかった。

 コンコンと扉がノックされる。返事をしようと、顔をあげる。だが返事を待たずにノックの主は部屋に入ってくる。

「入るわよ」

 ルセアだった。不甲斐ないあたくしを咎めに来たのだろうか。

「死のうとしてないわね」

「どうせすぐに野垂れ死にするわ」

「重症ね」

 ルセアはそう言うと頭を抱えた。

「安心しなさい。御主人様は貴女を野垂れ死にするようなことは言わないわ」

「どういう風の吹き回し?」

 あのルセアがあたくしを慰めるなんて明日は大荒れまちがいなしだ。

「アンタねえ、人がせっかく気を回してあげたっていうのに」

「ごめん」

「あら、謝るなんて明日は大荒れね」

 ルセアめ、珍しく謝ったらこうだ。

「貴女がどう思っているか知らないけれど、今日のことで見限るぐらいなら初めから私たちを引き入れたりしないわ。安心なさい」

「……でも間違った。吸血鬼だからっていう侮蔑は我が主に向けられる」

 ルセアは笑みを浮かべる。まるでしょうがない子と言いたげな表情だった。

「そんなこと百も承知よ、あの方は。まだ十五にも満たないというのに世界の全てを見通したかのような考えをよくしているわ。だから貴方が感じている危機はあの方にとっては好機となんら変わらないわ」

「なんでそんなことわかるの?」

 ルセアは「そうね」とあたくしの頭を撫でる。

「貴女のお姉さんだからよ」

 パンと手を叩いたルセアは布団を引っ張り、あたくしをベッドから転がり落とす。

「ほら、いじけてないで戻った戻った。我らが御主人様は今頃上手くやっているはずですから、見に行きなさい。それで安心したら、女の集まりにも顔を出すのよ」

「なんて暴力的な姉なの」

「姉というのは総じてそういうものよ」

 得意げな顔をするルセアに追い出され、あたくしは会場に戻る。するとそこでは我が主が大声で種族の差別をしてはならないということを語っていた。語り終えると今日一番敵対視していた鬼族の男が頭を垂れ、忠誠を誓っていた。

 胸の奥が熱くなる。ルセアの言う通りだった。吸血鬼かどうかなんて我が主にとってはささいなことだった。それどころかこの場にいるもの全ての心を奪ってみせた。

 我が主の素晴らしさが世に広まるのは嬉しいが、どうにも胸の中がチクチクする。

「我が主様、これはいったいどういうことですか?」と素知らぬ顔で出て行った。なんだか小っ恥ずかしさがあったから。

 我が主はあたくしの背中を押し、みんなの前に晒す。

「なんでもいいから一発決めてきて」

 一発何を決めればいいのだろう。けれど、あの鬼には一言言ってやらねば気が済まなかった。

「リオン様はあたくしたちの主人です。あなたなんかに渡しません!」

 歓声があがった。

 みんなの心を上手く掴めた。褒めてもらえると思い、我が主を見ると、柔らかに微笑んでいた。その笑顔に胸の高鳴りが止まらなくなった。

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