4章 王子と学園

王子と学園

「母上が帰ってくる?」

 ヴァミが湯浴み中の僕にそう告げた。

「はい、黄砂の国での戦況が悪く、王……失礼、皇帝陛下が滞在なさるには危険ということで帰国するそうです」

「報告ありがとう」

「身に余る幸福で御座います」

「ちなみにその報告、ここで聞かなきゃ不味かったのか?」

 ここは風呂場であり、僕がいるということは、従者と風呂仲間もいるということ。もちろん二人共素っ裸だ。二人の上司であるヴァミが衣類を身に着けたまま入ってきたことで、アイリは衣類を取りに戻ることすら許されず壁際に直立し、胸を隠すことすらできず、報告の邪魔をしないことを暗に強要された。風呂に入っていたアインは直属の上司が壁際に立ったことで自分も同じようにしなければと立ち上がりそうになったところを、すんでのところで肩を押さえて制した。

「はい。皇帝陛下のお帰りは本日の夕餉頃となります」

 夕餉まではあとニ時間余りだった。

「それは確かに早い報告でなければマズイな。しかし、帰るなら帰るで数日前には報告を受けているだろうに」

「リオン様の顔が見たいと先代の八大氏族らを置き去りにして、御一人でご帰還中とのことです」

「我が母は何をしているんだい?」

 ヴァミは呆れたように眉間を抑える。

「それはリオン様の口から仰って下さい」





 その日のディナーは豪勢なものだった。いつものスープとパンに一品加えたものではなく、チキンやサラダ、パエリアによく似たのものなど各種料理がコース料理のように運ばれ、大人には酒類も振る舞われた。

 どれも絶品であったが、皆一様に食事をする様がぎこちなく、味すら分からなそうなぐらい青ざめた者もいた。この場で唯一普段と変わらぬ態度を取れているのは、キャスと給餌のアインの二人のみ。母上がどんな人物か知らないからだろう。

 アインの変わらなさ加減が癪に触ったのか フィルのアインを見る目つきが大変なことになっている。あとで〆るといった感情がだだ漏れになっていた。いつもならルセアがたしなめるところだが、彼女自身も今はそれどころではなく取り繕うので精一杯のようだった。ちなみにいつもキャスを叱るキティは、立場上この晩餐会に参加できないので里にいる。

「皆さん、緊張しなくていいのよ」

 僕の真正面に座る母上が皆に語りかける。

 今日の席次は何時もと違い、長テーブルの真ん中で向かい合うように僕と母上が座っている。あとは僕と母の隣から氏族に入った順で席を埋めていった。お陰で一番乗りで氏族入りを果たしたフィルは母上の隣に座ることになり、ガッタガタのブッルブルだった。もちろんフィルは断固抗議したが多数決となればどうにもならなかった。フィルにはルセアを始め、他の氏族から教えを受けているので恩返しということで納得してもらった。

「母上、それは無茶というものですよ。彼らは母上から嫌われていると思っているのですから」

 そう言って母上に会話のボールを返した。

 今生の母は、美しい人であった。世界を映す銀髪に、トパーズを思わせる煌めく瞳、白磁のような肌。これを美しいと呼ばずして何を美しいと呼ぶのか、というのは新聞の記事からの抜き出しである。もっとも僕の目から見ても誇張なしに美しい。が、それだけでもない人だった。

「愛する我が子が選んだ氏族ですよ。嫌いになるはずがありません。この子なんて可愛くて食べちゃいたいくらい」

 そう言ってフィルに目を遣り、その顔に手を添える。

「きょ、恐縮です」

 縮こまって目もぐるぐる回ってそうなフィル。他の氏族はターゲットにならぬようにそっぽを向いた。

「母上、フィルが困ってます。離してやってください」

「しょうがないわね。息子の頼みじゃ断れない」

 開放されたフィルが僕に感謝の意を目線で送ってくるが、素知らぬ顔をして、母に問い掛ける。

「フィルは母上と親しくなりたいそうですから

、後日二人でお茶会など開いてはいかがでしょうか」

 一転、裏切り者という意を含んだ視線が、か細い「えぇ」という悲鳴に乗って飛んできた。

「魅力的な提案ですけど、残念ながらまたの機会ね」

「……すぐに戻られるのですか?」

「いいえ。けれど国内を飛び回ることになるわ。戦地はしばらく先ね」

「それなら命の危険はなさそうで安心しました」

「戦地の方が余計なこと考えなくて済むから気が楽よ。貴方みたいアレコレ余計な気を回すことが苦手なの」

「まだまだ若輩者の身ですよ。高く評価し過ぎです」

「貴方がそう言うなら、まだそういうことにしてあげる。どんな形であっても愛する我が子に違いないのだから」

 周囲には傾奇者の息子を愛するように見えただろう。母上は、僕が真っ当な息子でないと理解しているのだ。それで愛すると口にしたのだ。

 それは魔人の特性だった。

 執着。

 魔人は後天的に、必ず何か執着を持つことになる。いつになるかは人によるものらしい。母上の執着、それは息子への愛だった。息子に関することならば、どんなことになっても愛する。そういう生き物なのだ。

「それにしてもまた城の中に幼い女の子が増えましたね」

 母上の視線がフィル、キャス、アインと移っていく。

「プロントの弟子の一人で後継者にした子のことは事前に聞き及んでいたので、それはいいでしょう。貴女、どうして人間が給餌しているのですか? それにあの変な組み合わせの剣を持っているのはどうして?」

 それはアインで止まった。

「彼女はスカウトしてきたんだ。剣についてはきっと聖剣と魔剣のことを聞いているのですよね?」

「ええ、そうです」

「彼女は勇者で聖剣は元から持っていました。魔剣は僕からあげたものですね」

「リオン、貴方は呪われたりしませんでしたか?」

「呪われましたけどどうにかしました」

 母上はアインへ向けて手を差し出す。

「その棒っきれ、寄越しなさい。へし折ってくれるから」

 その目には憤怒が宿り、伸ばした手の指、一本一本に魔力が纏っていた。それは高密度なものとなり、そのまま手を振るえばこの長机ぐらいはショートケーキを切るように容易く真っ二つになるだろう。それと同じことができるのは、僕が知る限りキティぐらいだ。もっとも向こうは瓦割という表現に近くなるが。

「ごめんなさい。これはご主人様に頂いた大切なものなのでそれはできません」

「そのご主人様を傷付けたものを許しておくというのですかぁ!」

 刀を渡さないと抱きかかえるアインに母上は実力行使も辞さないと立ち上がり、近づく。

「母上、やめてください。僕には考えがあってそうしたのですから」

「あら、そうなのですか。それなら仕方ないですね」

 母上は席に戻り、食事を続けた。その姿に見慣れた氏族たちは何事も起きなかったことに胸を撫で下ろし、何食わぬ顔で食事を続ける。その光景は母上が戻ってきた際によくある光景だった。もう誰も変なことを言うな、という空気が流れる。日本人的な空気感が充満した。

 もちろん日本人的な空気感が大嫌いな僕はぶち壊すことにする。

「勇者って部分は問題ないのですか?」

 余計なことを言うな。皆から向けられた視線が物語る。普段は思っていても僕の前ではわざわざ表に出さない不義の態度が、形を変えて突き出されるのは中々痛快な体験だった。

 母はそんな彼らを諌めるように「貴方たち」と呼びかける。

「我が子の目に適った者を追い出すおつもりですか?」

 それは言外に「お前たちもその娘と同じ穴の狢だとお分かりで?」という意味合いが含まれているように感じられた。氏族たちもそれを思ってか、反論する声は一切上がらず、黙認もしくは絞るような声で「そのようなことは考えておりませぬ」と表明するのが精一杯だった。

 そんな中で僕はそのような意図で言っていないのだとも理解していた。母は僕への愛に執着しているのだ。そんな母の言葉が意味を含ませたとしても、向ける対象は他人ではなく息子である僕に対してだ。さっきの言葉を意訳すると「愛しの息子が決めたことに文句がおあり!?」となる。

 意訳の答え合わせをするように、母上は手を合わせて声を弾ませる。

「息子が決めたことに文句がある人がいないのは良いことです。忠義の証ですよ」

 一転、声色を暗くする。

「それでも若い女の子ばかりが増えていくのは母として一抹の不安がありますね。同性の、同年代の友人はいますか?」

「いません」

「一人も?」

「一人も」

「どうしてですか?」

「城の中では出会いがないのです」

 抜け出しの常習犯で、お忍びで城下町探索を楽しんでいる身で何を言っているのかヴァミが眉間に皺を作った。

「それはいけませんね。ならば学校に行かせましょう」

 母の鶴の一声に、氏族、給仕たちが皆、母に視線を向ける。彼らの思いはきっとバラバラで、「この問題児を送り出すのか」「同じレベルの会話ができる十二歳などいない」「仕事がなくなっちゃう」などだろう。

「学校というと、氏族ごと独自に開いている学校ではなく、様々な氏族が集まるあの学校ですか?」

「はい、そうです。リーダム学園です」

 リーダム学園――それはローバル帝国の中で最も古い歴史を持つ学校だった。いつ開校されたのかすら定かではないそこでは、下は三歳、上は際限なく、老若男女、どんな氏族だろうと関係なく入交る学びの園となっている。学園の理念としては「才ある者に環境を、学びたい者には知識を、迷い込んだ者には道標を」というものになっている。誰が提唱したかわからぬものだが、素晴らしい内容だと思う。特に「迷い込んだ者には道標を」なんて、前世で例に漏れずモラトリアム期間の延長を願っていた僕にとっては理想の理念だろう。

 ただ、時代の流れもあり、学園に入りたい者が多くなり、キャパシティを超えてしまっているため、入試が課されることになっている。中国の科挙ほど無理難題ではないが、それでも難しいと聞いた。課される試験は年齢別で、三歳ならば言葉の意思疎通と簡単な読み書きができるか、十を過ぎたあたりでは基本的な読み書きと論理的思考を図るための「架空の物理現象を実在するとしたら何が必要となるか」という似非証明問題、二十を超えたらそれらに加え、専門的な知識を交えた問題の出題となっている。

 それゆえ学園に入るためには三歳児でなければ難しいという側面がある。いわゆるお受験戦争だ。

「僕程度が入れるとは思えないのですが」

「大丈夫ですよ。ヴァミが家庭教師をしていたのでしょう。それでもし落ちたりしたら誰が責任を取るべきか一目瞭然でしょう」

 ちらっとヴァミの顔を覗いてみると、ただでさえ青白い顔から血の気が引き、まるで灰のようだった。

「それに将来の皇帝を落とすようなことはしないでしょう。今の学園長は」

 語尾に力がこもり、吐き捨てるかのようになる。母もそれに気づいたのだろう。息子が入る学校を悪く言って、入らないと言い始めてはいけないと声色を整え、人差し指を立てて笑顔を作る。

「それに貴方、本好きでしょう? 学園には塔全て使った図書館があるのよ。きっと気に入るから行ってみたらいいわ」

「それは一度見てみたいですね」

「でしょう。そういえば貴方と年が近い神童がいるらしいですよ。もしかしたらいいお友達になるかもしれませんね」

 とりあえず僕は「機会があったら話してみたいです」と日本人的に婉曲表現でお断りの意思を伝えておいた。

 

 

 

 

 強引を人の形にしたような母上に、そのような返答はよろしくなかった。気が付いたら入学が決まっていた。

 試験はもちろん、面接すらなく、ヴァミが辟易した顔で「来週に入学が決まりました」と伝えてきたときは、なんのことかと思ったものだった。そこから一週間は怒涛だった。リーダム学園は遠く、移り住む必要があった。寮もあったが、安全性の問題でそこに住む訳にはいかず住む場所から探さなければならなかった。それに家具の運搬、付いてくる来る従者の選定。何から何まで超特急で行わなければならなかった。

 従者はヴァミを筆頭にアイリやキャス、他にも勤続年数が長く信頼が篤い者など数人が選出された。ついてくることを命じた直後のアイリは「おしごとがなくならないでよかったぁ」と涙で頬を腫らしていた。従者ではないが将来、教師になりたいというキティも連れて行くことにした。

 護衛としてフィルとアインもついてくることになった。同い年ということもあり、学園内で付きっ切りになれることから彼女らの入学も決まった。彼女らは試験そのものはなかったが面接はあったとのこと。フィルはルセアに指導を受け、危なげなく合格を勝ち取った。対してアインは、ヴァミの指導はあったが積み重ねがない状態ゆえ色々と怪しいところがあったが、僕の付き人ということで大おまけをして合格を貰った。しかし、指導してヴァミの気が収まらず入学までの一週間、再度付きっ切りで読み書き計算、論理的思考を教わる羽目になった。

 住居だが、リーダム学園より一キロほど歩いた場所になった。寮に住む年ではなくなった大人たちがこぞって住む街の中でも、教授など登り詰めた者が住むことを許された一等地である。白磁を思わせる壁色。三階建てで、城のように無駄に尖がった傘のない屋根。天井は高く、大きな家具を搬入しても余裕を感じられる。部屋も多くあり、従者それぞれに部屋を割り当てても余るほど。意匠を凝らした螺旋階段もあり、前世で住み慣れたワンルームとは一線を画した住居だった。

 長年使い古された城よりも建築年数の幼いこの豪邸の方が住みやすそうであった。普段は城に住んでいる若い従者などは一攫千金で手に入る夢が見られるからか、豪邸に住めることに目を輝かせていた。

 それとは対象的に堆積した汚泥のように光を失った目をした者もいた。

「フィル、いい加減現実を見なよ」

「我が主、何を仰っているのですか。ちゃんと現実を見ていますよ。見ているからこそ悲しいのです」

 彼女がここまで絶望しているのには理由がある。彼女一人だけこの豪邸に住めないからだ。

「大役を任せたつもりだよ」

 彼女は寮に住むことになったのだ。寮で僕への評価や細かな内情の収集をしてもらい、僕に近い次期八大氏族という立場から見た評価を広め、民からの信頼を集めたいという意味がある。ヴァミからの進言であり、反対する理由を見つけらなかったためやることになったのだ。

「はい、この身に余る光栄だと思っております。けれど、悲しいのです。傍らで力になれないことが悲しいのです」

 ほろほろと涙を流し始める。その姿にいたたまれなくなった従者たちがおいたわしや等と貰い泣きを始める。小さい子がかかる単なるホームシックだろう。彼女たちは何を騒いでいるのだろうか。

「坊ちゃま、ここは一つ優しい言葉をかけてあげて下さい」

 ヴァミに耳打ちされる。僕以外の心配をするなんて珍しかった。これを進言したヴァミはきっと責任の一端を感じてのことだろう。もちろんここで優しい言葉をかける気などない。僕は僕の生き方を可哀想などという気持ちで変えたくないのだ。

「八大氏族の一人で終わる気ならそれで構わないよ。将来、僕の傍らで支えるつもりがあるなら這いつくばってでもやり遂げることだ」

「……我が主、それは、傍らとは右という意味ですか? それとも左ということでしょうか?」

 右でも左でも、どっちでも同じだろう。

「どっちでもいい。好きな方を目指すといい」

 フィルは袖で涙を拭い、片膝をつく。

「必ずや、その大役を成し遂げてみせましょう」

 黒髪の中で深紅の瞳が煌めいていた。

 従者たちも「良かった良かった」と皆が胸に手を当て、フィルの快気に安堵していた。その一方、僕の背後から「坊ちゃま、優しい言葉を掛け過ぎです」と頭を抱えてそうな声が聞こえたが知らん振りを貫いた。

 そして、迎える入学当日。

 僕らは転入生として入学することになっていた。リーダム学園の大多数は転入生であり、僕とフィル、アインを案内する教師も慣れたものだった。

 教師は人狼だった。切れ長な目と全体的には短髪だが頭頂部だけ鶏冠を立てたようだった。僕の前世的にはソフトモヒカンというものに近い髪型だろう。そして、人狼の特徴でもあるピンと立った耳とフワフワな尻尾はシベリアンハスキーを思わせる灰色だった。

「ご存知の通り、あなたがたは初等部に転入して頂きます。専門性を重んじるのは中等部からですので、それまでにやりたいことを見つけてもらいます」

 初日は、まずは学園の説明と在学生への挨拶をすることになっていた。大体の説明を終えると「他に何か訊きたいことはあるかい。答えられることならなんでも答えるよ」と朗らかな顔になる。

 ただ、丁寧な説明で特に疑問もなかったので僕らは互いに顔を見合わせて何もないという意志の統一を図る。

「何もないようならそれでよし。もし何か後で気になることがあったら気軽に声をかけてくれ」

 その爽やかぶりに意地悪をしてみたくなる。

「それでは一つだけ」

「なんだい?」

「どうして八大氏族から人狼を外した僕に、丁寧にしてくれるのですか?」

 人狼は母の代まで八大氏族の一つだった。俊敏さが抜きん出ている人狼は戦場では攪乱、諜報の面ではどんなに危険な任務からでも情報を持ち帰ることに定評がある。その能力は、特化した氏族には敵わないが、一長一短ともいえ、それ以外の潰しが聞かない。その点、彼らは満遍なく高い水準の能力を持ち、帝国への貢献度でいえば八大氏族でも抜きん出ている。

 人狼をなくして八大氏族なし、とは母の代までの定評だった。

 しかし、質問の意図がわからなかったのか腕を組み、暫し思考する。

「――ああ! 私が人狼だから訊いているのか!」

 そして、彼は一人納得のいったようにアハハと笑い出す。

「そういえば私は人狼だった。そんなこと、ここではすっかり忘れさせてもらっていたよ」

 一通り笑い終えると、その理由を語り始める。

「私は人狼としては変わり者でね。いわゆる、はぐれとか一匹とか呼ばれるものになる。里から自ら出ていったのだよ。だから、私自身、人狼なんてものに拘りなんてないんだ」

 踵を返し、ついてくるように示し、歩きだす。

「それにどちらかというと私は、君を支持しているのだよ。理由は故郷が大っ嫌いだったからさ。彼らは何かにつけ体を鍛えろ、勉強なんて最低限の読み書きできれば十分だ、と言ってはばかりないんだ。私みたいな知的好奇心が旺盛な個体にとって、あそこは家畜小屋だよ。無知が常識であり、その常識が外との壁を産み、いつしか壁を越える意思を無くしてしまう……ね」

 口調は滑らかで優しいものであったが、言葉に籠もる怨念というものが感じられた。先導しているため顔は見えないが、その爽やかな顔に陰りが見えるのを自覚しているため見せたくないのだろう。

「だから、八大氏族から人狼が外された時は嬉しかったのだよ。ざまあみろってね」

 振り向き、見えた顔は白く尖った犬歯が見えた爽やかなものだった。

「話はここまでだ。ここが君たちの教室だよ」

「フィル、アイン、緊張してない?」

 二人共問題ない旨を返す。フィルは社交界、アインは凱旋パレードの先頭に立たされた時、とそれぞれ引き合いに出した。

 見ていた教師が「問題なさそうだね」と扉を開ける。

 教室は数百名ぐらいが入る広さであった。階段状に長机が並べられており、大学の講義室に近い作りになっていた。だが広々とした作りの教室の割に、席はスカスカ、人はまばらだった。自由席らしく最前列で礼儀正しくしている者もいれば、最後列で自習に励んでいる者もいる。中には一箇所に集まって賭け事をしていそうなグループもあった。

「おはよう諸君。今日は何処かの授業に紛れ込むことなく、出席率が高くて嬉しいよ」

 さすがリーダムというところだろう。サボりの理由が気になる授業を受けるためなんて本末転倒にも程がある。もっともそういう生徒は、教育理念でいうところの道を既に見つけたという理由で落第にはならないらしいが。

「おうおう。なら理由はわかってんやろ。ここにいるやつらはみんな王子様つーやつを一目見ておこうと思っただけや。……そんでそいつが王子様かいな」

 賭け事をしていたグループの一人が声を張り上げ、机に足を乗せる。大阪弁らしき訛りの彼は酷く小柄だった。子供だからというのもあるだろうが、将来にかけても大きくならないだろう。彼はドワーフだった。土塊の民とも呼ばれる金属加工に優れた種族。その技術から亜人の中では比較的、人と友好的関係を持てている種だった。洞窟で暮らすのに適した進化をしたため、身長が低めなのも特徴のひとつだ。

 彼はこの教室のボスなのだろう。彼が口を開いたら他の生徒も従うように、恐る恐る、けれど値踏みするように視線が集まった。

 そんな中、一人だけが彼の袖を引っ張り「お行儀悪いよ。お父さんに叱られるよ」と弱々しく注意をする少女がいた。年相応よりも長く育った体躯であった。だが肝心の身長自体は高くない。ドワーフの彼が背伸びすれば、どっこいどっこいだろう。彼女には首より上がなかったからだ。

 デュラハン。それが彼女の種族。頭と胴が先天的に分かれており、亜人の中でも特異な種族。それゆえ亜人の中でも差別意識があり、今でも根強い。それにデュラハンは大人しい種族でもある。人前に出たがらず、人を傷つけるのを厭う。ゆえに迫害されてきた。

 しかし、デュラハンにはこんな諺がある。「首無し、落とす首無し。けれど我が身に首はある」というものだ。デュラハンと戦ってはいけないという警告めいた内容になっている。彼らは強いのだ。その鍛え上げた剣技、臆病ゆえ回る知恵、それらは八大氏族に入れられるべき種族と比較して遜色無い。それを裏付けるように夜な夜な悪党の首を落として回った首無し騎士の逸話があるぐらいだ。

 どこから声が出ているのかと思ったが、ドワーフの彼が机に乗せた足の横にやけに血色の良い生首があった。

「なんですの。アレは」

 フィルの眉が釣り上がる。

「ご主人様を侮辱したら駄目……執事長がそう言ってた」

 背負った大剣に手をかけるアイン。

「気にするな」

 二人に告げる。

「僕がその王子様だ。僕はリオン、彼女は八大氏族のフィル、こっちは従者であるアイン。これから学友として僕らと仲良くして欲しい」

 だがその返答は彼のお気に召さなかったらしい。

「仲良く? なんじゃその気の抜けた挨拶は。おどれは先代八大氏族に喧嘩売った猛者やろ。挨拶ぐらいガツンと決めたらんかい」

 八大氏族を全入れ替えの話か、先日やった晩餐会の噂でも流れているのだろう。ここにいる彼らは僕が傾奇者であることを望んでいるのだ。ならば、ここで一つ臆病者だといわれるような真似でもして不信感を植え込むにかぎる。

「僕は喧嘩を売ったつもりなんてないよ。仲良くが一番さ。なんなら人間とさえ仲良くなりたいと思っているよ」

 ぶすっとしたは表情で僕の言葉を受け止める。

「見込み違いか。覇気のない王に、使えん八大氏族。それに人間を従者にして、仲良しこよし。もうこの国は終わりかの」

 ガハハと周りに構わず大笑いする。周囲の生徒諸君も従うように笑みを転がす。クランツェよりも使える男だった。このような侮辱をする気概を鬼族も持っていて欲しいものだった。そこのデュラハンも一人困っていないで笑い転げればいいのだ。

 しかし、というか当然のことであるが我が吸血鬼と勇者は面白くないらしい。それぞれが交戦許可を求めてくる始末だ。

「学友だよ。駄目に決まっているじゃないか」

 そう答えるも「我が主、あれは友ではございません」「……フィーちゃんの言う通り。今やっておかないとアレは調子乗り始める……」

「ちびっ子、フィーちゃんって言わないでくださいませんか」「ほぼ同じ伸長だからフィーちゃんもちびっ子になるよ?」「あら、わずかでも私に伸長が負けている方があたくしをちびっ子扱いしないでください」と言い争いを始める。

「チビども! ワシらを無視しとんじゃないぞ!」

 ドワーフの彼が怒鳴ると二人は目の色を変える。

「我が主に対する侮辱。覚悟しているのでしょうね。それにどうみてもアンタの方がチビでしょ」

 フィルが前傾姿勢を取る。爪が伸び、犬歯がより鋭さを増し、紅色の瞳は大きく見開き淡い光を放つ。解放された魔力が彼女の足元からどす黒い靄を纏った蝙蝠へと姿を変え、教室中を埋め尽くす。

「あたしを馬鹿にしていいのはご主人様とお城のみんなだけ。チビは黙ってて……」

 右手で大剣を鞘から抜き放つ。無骨なそれは無骨な鉄の塊という印象が強い。それと同じタイミングで僕が渡した黒い刀も鞘から解放する。直刃のそれは鏡のように外界を写し取る。どんなものでも切り取るかの暗示する剣呑さを見るものに与えた。

 目に見える殺意にデュラハンが立ち上がり、机の上に転がる頭をドワーフの彼に預ける。

「下がっててください」

 彼女は自身の腰に下がっていた長剣を抜く。彼女の首元から漏れる闇が自身の体を薄く覆う。全身が闇に包まれたときには、闇の騎士とでもいうべき出で立ちとなっていた。

 その恰好はキティと近接戦闘向きという方向性は同じではあっても、アプローチの仕方が真逆だった。

 キティのそれは魔力で体自体を強化し、傷つきにくく治りやすい、また筋力の出力も無理矢理上昇させている。弱点としては疲れやすく、大小の差はあれど必ず体に傷がつく。いわば短期決戦型だ。

 対してデュラハンのそれは魔力自体で体に完全に覆うものだった。あれならば大抵の傷ならば完全に防いで見せるだろう。もちろん弱点はある。体を覆い、傷から守るという目的があるならば魔力に剛性を持たせなければならない。ゆえに動きが阻害される。いわば魔力の鎧だ。しかし、本物の鎧と違って重さがない。疲れにくいのだ。

 にらみ合い、一触即発の空気が漂い、教室が戦場となるのもやむなしかと考えたが「そこまで!」と教師がパンと手を叩く。

「うん、元気があるのはいいことだけど、喧嘩はここではやめよう。いいね?」

「侮辱したのは向こうからですわ。向こうが謝罪しなければやめる理由がありません」

「ふん、ありのまま思ったことを言っただけや。それがなんの侮辱になる」

 フィルとドワーフの彼、互いに引く気がないのを見て教師は二人に提案する。

「なら、明日、リオン君とシンマ君二人による決闘で決着をつけたらどうだい」

 どうせこうなるだろう、と見越したような内容だった。まあ、見越していたのだろう。血の気が多い問題児を抱えていたらば想像はつく。

「シンマ君、それでいいかい?」

「それでええ」

「リオン君は?」

「お断りします」

 シンマと呼ばれたドワーフの彼が「どういうことじゃ! 腑抜け!」と喚き散らすのを他所に教師は理由を問う。

「僕が侮辱されたぐらいで臣民と争う理由にはなりません。それに僕は平和主義者ですから」

 実際は破滅願望マシマシなのだが。

「うーん、困ったな。決闘を受けてもらって威光を見せつけてくれれば少しは平和な教室になると思っていたのだけれど」

 その言いぶりにフィルが教師を睨む。

「貴方、そんな打算をしていたの?」

「おっとその魔力が籠った目で見ないでくれないか。人狼だけど、勉強しかしてこなかったから腕っぷしはからきしなんだ」

 一気にしらけた空気へと変わっていく。皆がこの教師に苛立ちを覚えただろう。そういう立ち回りだった。道化を演じて、和を貴ぶような立ち回りだったのだ。

「あのう、いいでしょうか」

 闇の鎧を解いたデュラハンが近づいてくる。

「シンマ様はどういった形であれ戦わないと納得してくれずにずっと突っかかってくると思います。私と家来の方の私闘という形式で構いませんので戦ってくれませんか?」

「リオン君、それでも駄目かい?」

「お断りです」

 今度こそ大きなブーイングが教室中から発生した。





 さらに一週間が経ち、様々な授業を僕は受けた。読み書き計算の授業はヴァミのものと比べるとレベルは低く、ついてくのは容易であった。体育に当たる魔力を用いる授業も魔人の僕では生まれ持ったものが違い、話にならなかった。フィルとアインもそれぞれが氏族としての教育や実戦経験がある故、拍子抜けという気持ちを持つに至っていた。これならば、できる生徒は、授業を抜け出しよりレベルの高いものへと紛れ込みたくなる気持ちになるのも理解できた。

 シンマについてだが、彼は事あるごとに突っかかってきた。授業中、移動教室中、昼食中、帰宅中、それも盛大に突っかかってくることにより、無関係な生徒も何事だと顔を覗かせた。僕は毎回丁寧な断りを決め込んでいたことで学園では大きく二つの意見で割れた。

 一つは「無駄な争いをしない大人な殿下」。

 もう一つは「逃げ回っている臆病者」。

 少数意見では「毎回最後には無視されてるにも関わらず強がるシンマが惨めだから戦ってあげればいいのに」という消極的決闘賛成派などもあった。

 そうして今日も丁寧な無視を決め込んでいたが、フィルとアインは機嫌が悪かった。僕が無視を決め込むせいで、周りの従者は主を馬鹿にされて何を黙っているんだ、と中傷の対象になっていた。これは想定していなかった副産物であった。臆病者の誹りを受けるだけかと思っていたが、まさか部下からの忠誠心も失う結果になろうとは。なんて素晴らしい結果だった。

 帰宅中、僕に付き添い寮とは正反対の道でフィルが苦々しい顔をしていた。

「我が主、あの身の程知らずたちに制裁の許可を」

 同調するであろうアインはいない。彼女はその大剣がもたらす膂力をもって、教師の手伝いに駆り出されている。

「駄目だよ。それは許可できない」

「何故ですか。あたくしはあの首無しになどに負ける気などありません」

 フィルは頭に血が上っているため、こう言ってはいるが実際のところ、決闘形式でデュラハンとの試合となれば吸血鬼の分は悪い。全身を覆う闇の鎧。爪も牙も通らない。あれだけで吸血鬼に決定打がなくなるのだ。アインの大剣……聖剣ならばあの闇をチーズのように切り取ることも可能だろう。ここで一つ追加の策を思いつく。ならばフィルを戦わせ、負けさせれば、さらに僕への印象が悪くなるのではないのだろうか。

「そこまでいうのなら仕方ないね。許可するよ」

「ありがとうございます!」

「ただし、条件を出す」

 ここ最近やることなすこと全てが裏目に出ている。僕の思惑とは別の受け取り方をされてだ。ここは一つ念には念を入れておいたほうがいいだろう。

「フィルとデュラハンの一対一。なんでもありでやること」

 このルールではデュラハンが圧倒的に有利に立つ。外野がしょっぱい試合をするなと野次を飛ばそうにも、それはルールを理解して楽しめていないほうが悪いと見なされる。うん、完璧ではないか。さすがに決闘の場で一方的に負けた者に対し、賞賛を送る者はいないだろう。

「……なんでもありですか」

「もちろん学園の決闘だから、命の取り合いはしないだろうし、細かいルールはあると思う。けどそれ以外はなんでもあり。あとでああだこうだ言われないためにね。それでもやるかい?」

「はい、完膚なきまでにつぶさせていただきます」

 負けることを一切想像していない目をしていた。





 翌日、学園内にある運動場に学園の生徒が集まっていた。彼らが見守るのは二人の生徒。フィルとデュラハンの少女だ。皇太子殿下と一庶民の代理決闘は話題を呼び、決闘を決めてから一日も経っていないというのに学園中に広まっていた。

 土俵のように土が高く積み固められたそれは直径二十メートルほどの大きさだった。そこが彼女らの決闘の場である。土俵を拡大したかのような舞台だった。僕はその舞台を挟んでドワーフ陣営と向かい合う形で地面に腰掛けていた。

 戦闘衣装を纏ったフィルは、舞台に上がる前に軽く体をほぐしていた。彼女は普段から身にまとっているドレスを脱ぎ捨て、黒シャツとパンツスタイルであった。どちらも彼女の動きを阻害しない作りになっている。その衣装に鎧などはなく、動きやすさに特化している。魔力と体が武器である吸血鬼に合わせた格好であった。

 対してデュラハンは普段着と変わらなかった。自身を闇の鎧で囲うため、どんな格好でも構わないという判断だろう。ただ異なるのは彼女が手にしている剣が刃先が潰れたものなっている点だ。それはこの決闘に合わせたものを用意したみたいだ。

 ドワーフの彼がデュラハンの手を借りて舞台に登り、その上から僕を見下ろしてくる。ポケットから何かを取り出し、口の前まで持ってくる。

「ようやっと戦う気になったか。どうや今から敗北者になる気持ちは」

 すると彼から巨大な声が運動場全体に響き渡った。

 周囲の生徒が歓声をあげる。その中には彼に対する野次も含まれていた。

 ドワーフの彼が手に持った何かを投げて寄こす。それは石だった。魔石を加工したものだろう。これはいわばマイク代わりなのだと想像がつき、続けて腑に落ちる。これはマイクパフォーマンスなのだと。

 僕も魔石を口元に近づける。

「そっちこそ今から謝罪文を考えておくことだな!」

 そう言って魔石を投げ返す。

 すると、場内は大いに盛り上がった。逃げ回っていた皇太子からの挑発。気持ちいいくらいの歓声と野次が飛んでくる。場は温まった。これで無残にフィルが敗北したら、観衆はさぞ落胆するだろう。

 デュラハンが土俵に上がり、彼女の生首をドワーフの彼に手渡す。そこで二言三言話すと、彼を抱き締めた。そこで更に観衆は盛り上がる。ヒューヒューとか、囃し立て始めた。

 デュラハンが彼を解放すると、彼は恥ずかしそうに、けれども勝ち誇った顔をこちらに向けてきた。

 どうやらこれ以上のことを求められているらしい。

「なんて破廉恥な! ぎったんぎったんのボッコボコにしてやります!」

 ウブなフィルは、ただ抱き締めただけというのに顔を真っ赤にして普段は使わない言葉遣いが出ていた。隣に座るアインは「あれぐらいで何を怒っているのやら」とでも言いたげな顔をしていた。

 あの様子では「キスしようか」なんて言ってみたら卒倒してしまいそうだ。

「フィル」

「なんですの?」

 僕は首を横に傾け、首筋を指で叩く。

「吸うかい?」

「い、いえ、遠慮しておきます」

「どうしたんたい? 城だとよく吸ってたじゃないか」

「流石に外で吸うのはちょっとはしたないかと……」

 アインがつまらなげに椅子から垂れた足を前後に大きく揺らす。

「裸になって公衆の面前でまぐわう訳でもあるまいし、フィーちゃんはちょっと気にしすぎだよ」

 流石、元性奴隷になりかけた女の子である。そっち方面を語らせたらエラい毒が吹き出してくる。

「な、ちびっ子はもうちょっと慎みを覚えなさい! 我が主と湯浴み仲間なんて、うら……破廉恥です!」

「破廉恥って言い訳しないでやっちゃいなよ。大したことないから。臆病風に吹かれてないさ」

「誰が臆病ですって! やってみせるわよ!」

 話がついたようなので僕は舞台に上がり、舞台下のフィルに手を差し伸べる。フィルがその手を掴んだのを見て、ヒョイと引き上げ、そのまま抱き寄せる。

「我が主⁉」

 これなら何を見せてくれるのかと期待した観衆が色めき立つ。

「ほら、吸って」

「――失礼致します!」

 首筋に噛み付かれる。

 運動場が悲鳴に包まれた。

 噛まれた首筋に伝わる痛みが和らぐのを感じ、咄嗟にフィルの頭を抱き込むように押さえる。

「止めるな。続けるんだ」

 再び刺すような痛みが首筋に現れる。力が抜ける感覚とともに痛みもだんだんと和らいでいく。

 抱き込んだフィルの頭を撫でる。出会った頃の痛み切ったボサボサ頭ではなくなり、指に溶け行く艶やかな髪に変わっていた。大きくなったなぁ、と感慨深くなる。僕自身も成長しているため体感できる変化を覚えることができないのが歯がゆいが、それでも健やかな成長に心が軽くなる。ドワーフの彼から「なんつーことしとるんじゃ」と呆然とした視線を投げかけられ、それが殊更気分が良かった。

 ポンポンと背中を叩かれる。フィルの満腹という合図だろう。

「もう大丈夫か?」と尋ねると、真っ赤な顔で「恥ずかしさとこの悲鳴で大丈夫ではありません」と顔を伏せられる。

「うん、いつも通りだ。大丈夫」

「我が主の大丈夫の定義があたくしと違う気がするのですが」

「気のせいだよ」

 フィルの肩を回し、戦いに向かうように背中を押す。

「さあ、行っておいで」

 フィルはゆっくりと前へ進み、舞台の中央近くで止まる。

 僕は土俵から降り、アインの隣に座る。

「フィーちゃんは大丈夫ですか?」

「どうかな。相手はデュラハンだ」

 見てればわかるさ、と伝え観客の一人に徹することにした。

 相手方もパフォーマンスは全て終わったようで、土俵の上にはデュラハンの彼女を一人残すのみだった。彼女の生首は、ベンチに座るドワーフの彼の膝に置かれていた。

 舞台の上に人狼の教師があがり、手を挙げ、魔石を口元にあてる。

「えーそれでは決闘を行わせていただきます。決闘者は東、フィル・ローゼン。西、デメテル・ドイチェ・デュナミスト。審判は私、ウィック・ロウが務めさせていただきます」

 相手方の名前を聞いて「ミドルネーム持ちなのか」と感心した。

「ミドルネーム持ち?」とアイン。

「大陸の生まれだと先祖由来の名前が名前と家名の間に入ることがあるのさ」

 彼女は戦争の疎開組だろうか。それとも過去に大陸から渡ってきたのだろうか。どちらにせよ、由緒ある血筋であることには違いない。

「決闘のルールはフィル・ローゼンの申し出により、なんでもあり。ですが学園の決闘形式における禁則事項はあります。殺さない、審判の制止には従う、この舞台の外に出たら敗北の三つです。それ以外は、なんでもあり、とさせていただきます。両者それで問題ありませんね?」

 フィルは頷き、頷く首のないデメテルは胸に手を当てた礼で同意を示した。

「同意が取れました。両者準備を」

 デメテルは首から溢れ出た闇で体を覆う。以前教室で見た時と同じように闇が鎧と成す、戦闘態勢だった。そして、取るのは火の構え。剣をあらかじめ頭上に振り上げておき、あとは振り下ろすだけという最速となる構えだった。剣道でいう所の上段の構えであり、振り上げた腕による視界の狭さ、攻撃後の隙が大きい構えでもある。もっともデュラハンは頭が離れており視界不良は関係なく、全身を覆う闇により防御のことを考慮しなくていいので隙といういう隙はなかった。

 対するフィルの目が紅色の瞳に煌めきが宿る。今回の変化はそれだけだった。先日の時のように爪や犬歯は伸びず、魔力が蝙蝠へと姿を変えることもない。ただ、魔力を体の中で循環させるだけ。フィルも考えたのだろう、爪や犬歯は闇によって届かない。蝙蝠で全身を覆い、視界をなくすにしてもそもそも魔力が足りない。ならばデュラハンと対をなす肉体強化に魔力を回して短期決戦に挑むほうが勝ち目があると。

 フィルの見立ては正しい。だが、それだけでは足りなかった。吸血鬼の本分は暗殺や攪乱、不意打ちにあり、真正面からの戦闘に適正がないとまでは言えなくないが、それ以上の適正があるのだ。対してデュラハンは戦闘種と呼ばれる種であり、戦闘に特化しているのだ。それに真正面から挑むこと自体が間違っている。

 教師が二人の様子を確認する。

「両者準備が完了しましたので、決闘の開始宣言を行います」

 その通告とともに、歓声や悲鳴で慌ただしかった運動場が静まり返る。息を飲む音さえ響く静けさの中、審判が腕を振り下ろす。

 銅鑼の音とともに火蓋が切られた。





 結論から言えば、フィルの圧勝であった。

 一瞬で決着がついたのだ。

 誰もが想像していない、誰の期待にも応えない、誰一人として理解ができない、そんな勝利だった。

 鐘の音の響きが止まぬうちに、デメテルは舞台の上から弾き出され、運動場の壁に叩きつけられていたのだ。

 誰もが目を疑う中、「勝者フィル・ローゼン!」という教師の宣言によって、それが事実であると認識した。

 静寂からどよめきへと変わりゆく運動場。僕は宣言後に起こったことを反芻する。

 フィルはデメテルの懐へ入り込み、両の手のひらをデメテルの胸へと叩き込んだ。フィルがしたことはそれだけである。縮地とも思える予備動作のないそれで、この場にいるほぼ全員の目を掻い潜り、一瞬のうちに全てを終わらせた。それだけのことである。

「何が起こったんや!」

 土俵の向こう側で、ドワーフの彼が喚いた。内心、同意する。

 フィルが教師から魔石を奪うと、ドワーフの彼を指差す。

「もう二度と我が主に付きまとわないでくださいませ」

 ドワーフの彼はそんなことを受け入れる余裕がないようで、この決闘がどうして終わったのかそれを想像することで精一杯に見える。それは運動場にいる観客たちも同様でフィルの宣言などどうでもよく瞬く間に終わった決闘の内容を話し込む声が多かった。

 教師がフィルに近づき、話をする。するとフィルは「えー」と前置きして、解説を始める。

 決して上手くはない解説だった。ことあるごとに伝えては考え込むを繰り返す解説だった。だが内容自体は簡素であり、間違いはなく、理解しやすいものだった。また、観客も知識の徒であるので誰も野次すら飛ばさず聞き入った。

 皆がなるほどと感心するが、僕は一人解説を聞けば聞くほど何故こうなったと頭を抱える羽目になった。

 吸血鬼は、血を吸うことによって、一時的ではあるが魔力を高める効果があるらしい。もちろん吸った相手の魔力に依存するらしいが、僕の血は極上のものなので効果も極上とのこと。そして、フィルは高めた魔力を身体強化、それも爆発的な魔力消費をすることによって瞬発力を確保。その勢いのまま、押し出したというのだ。

 大誤算だった。吸血鬼は血を吸わなければ生きるのが難しい種族だと考えていた。その血が魔力を高める効果があるなんて思いもしなかった。第一、今までフィルに度々血を分け与えていたが、そんな素振りを見たことはなかった。

「人前で血を吸うのははしたないことですが、なんでもあり、でしたのでやれることはやろうとしました」

 ヒーローインタビューよろしく、血を吸うことをあれだけ拒んでいたのに、調子に乗ったことを言っている。それでも、はしたない、という意識はやはりあるのかと考え、合点がいった。その意識が魔力が上がる素振りをしなかったのだ。

 吸血鬼との付き合いはフィルしかないため、独自の生態まで気が回らなかったのは反省点だ。

「おかげで我が主の血以外は体が受け付けなくなってしまいました」

 そうのたまったので隣のアインに告げる。

「ああいうのが贅沢な舌というのだよ」

「我が主! 聞こえてます!」

 どうやら耳も良くなっているらしい。

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