吸血鬼と決闘
その日、あたくしは絶望というものがなにかを知りました。
切っ掛けは我が主の母君でもある皇女様の発言でした。普段はまとまりがない次代八大氏族ですが、その日ばかりは見事な連携ともいうべき譲り合いの精神で、あたくしが皇女様の隣に座ることになったのです。
もちろん皇女様が嫌いな訳ではありません。我が主同様、亜人のため、日々身を粉にして働いておられます。慈しみの女王とも呼ばれる皇女様は我々が次代八大氏族に我が主が指名してくださった時はさすがに難色を示しましたが、一度お認めになられたら、それ以降は色眼鏡で見ることなく我らを迎え入れてくれました。こうして席を並べて食事を取ることなんて本来畏れ多く、機会に恵まれたことに感謝すべきなのです。
では何故、皆が譲り合いの精神を持つのかというと、我が主に関する話題でミスが許されないからだ。
決して口にはできないが皇女様は親バカだ。
息子を溺愛している。気持ちはわかる。あたくしだって我が主のような世のすべてを見透かしたような慧眼、魔人の中でも筆頭と呼ぶべき才覚を持っている。その上、ただその場にあるだけで民心を掴むカリスマ性。しかも、美形だ。絵に描いたような息子なのだ。親バカにだってなる。あたくしだって親になって、我が主を愛でてみたい。
だからこそ我が主に無礼を働いた者は誰であろうと皇女様の怒りを買う。ゆえに皇女様に話題を振られやすい席次は、ミスする機会を与えられることに繋がり、怒りを買うことになる。
八大氏族でコソコソ集まり、猛抗議もした。だが、あたくしは八大氏族筆頭として皇女様の隣に座ることになった。
震えが止まらなくなり、この世に別れを告げるのは今日なのだとも考えました。
「母上、それは無茶というものですよ。彼らは母上から嫌われていると思っているのですから」
我が主がこう意地悪をした時は辞世の句を読むのは今日なのだと思いました。
しかし、皇女様は「愛する我が子が選んだ氏族ですよ。嫌いになるはずがありません」と返してくれたので一安心しました。もっとも「この子なんて可愛くて食べちゃいたいくらい」とあたくしの頬に手を添えられた時は、冷や汗ものでした。
我が主が負けじとあたくしと皇女様二人きりでお茶会を提案なされたときは「えぇ」という弱弱しい反対しかできませんでした。
それがお流れになり、一安心だと感じていたら、一人皇女様の心象を悪くしたやつがいました。アインです。
発端は聖剣と魔剣、いわゆる精霊憑きと呼ばれる二振りを持っていたことを皇女様が疑問にお持ちになられたことです。我が主も正直に呪われたと口にしてしまったことで、皇女様の怒りを買ってしまいました。
アインは死んだと誰もが諦めましたが、我が主の助言で事なきを得ました。しかし、皇女様も対処に苦労されていた勇者であるのに我が主がされたことであれば気にも留めないところは、やはり親バカなのだと思いました。
その後の食事会は平穏なものでした。皇女様が我が主に学園の話題を振り、興味があることを確認していました。我が主は軽く受け流しておりましたが、あたくしや他の八大氏族、執事長などは入学することになると察しました。
そして、絶望は食事会のあとにやってきました。
皇女様がいち早くこの場を去ろうとするあたくしを呼び止めたのです。
「貴女もきっと学園についていくことになると思うから伝えておくわね」
皇女様は微笑みます。それが慈愛なのか、いたずら心からくるものなのかわかりませんでした。
「リオンは邸宅に住ますが、貴女は寮に住んでもらいます」
いたずら心からくるものでした。
一週間後、その言葉通り、あたくしは我が主から寮に住むことを命じられました、きっと皇女様から執事長へ、執事長から我が主へ伝えられたのでしょう。理由としても、寮で我が主の功績を広めたり、この学校の内情を探るなど至極全うなことをするとのことで、執事長から話が我が主へ伝えられた際、理由も付け加えられたのでしょう。長年、あの皇女様と我が主に仕えてきただけあり、頭の回転が速いお方です。
まっとうな理由であり、一緒に入学することになったアインには到底任せられない任務でした。あたくしにお鉢が回ってくるのが当然であり、本来ならば喜ぶべき大任です。ですがあたくしはいつでも我が主のお傍にいたかったのです。困ったことがあったらすぐに手伝えるように、何があっても身代わりになれるように。
あたくしが任務に対して晴れない顔をして、取り繕うことすらできずにいたら、我が主がお声をかけてくださいました。困ったような態度でしたので、あたくしがお手を煩わせてしまっていた事実が追い打ちのように心をえぐりました。
もう上っ面を取り繕っても仕方がないと悟り、正直に今思っていることを伝えました。
すると執事長が何か我が主に耳打ちしました。
我が主から出た言葉は将来に関することでした。傍で支える、夢のようなものでした。しかし、それはいち部下としてのものなのかそれ以外も含むのか疑問に感じました。
だから尋ねました右なのか、左ということなのか。
右ならばいわゆる右腕。直属の部下として、我が主を支える国の重鎮という未来。
左ならば妃。ローバル帝国では古くからの習わしで、国家行事で王の左には妃が立つことになっています。妃として我が主、そして我が主の子に愛を捧げる未来。
その問いに、どちらでもいいと返されました。
妃を目指してもよいのだと。そういう答えでした。
しかし、ぬか喜びはいけません。執事長の耳打ちによるリップサービスである可能性があります。ちらりと執事長に目を配ると、口をあんぐり開けておりました。
「必ずや、その大役を成し遂げてみせましょう」
涙をぬぐい、執事長に撤回されないうちにそう宣言しました。
こうしてあたくし達は学園に入学を果たしました。アインは従者ということで多めに見られての入学でしたが、それでも無事入学を果たせました。忠誠を誓っているようですし、我が主がスカウトしたことで文句を言う人はおりませんが、一度心構えについて教えておいた方がいいのでしょう。
出自を嫌っている教師に連れられ、教室まで到着しました。次期皇帝と八大氏族、人間の勇者が入学するので注目を浴びてしまうでしょうが、大きな問題にはならないでしょう。喧嘩を売るような真似は一族の恥となり、つるし上げられる恐れもあります。あっても貴族間でのギスギス、ドロドロした交流ぐらいのものでしょう。
そんな予想は教室に入ってすぐに打ち砕かれることになりました。
まさかのまさか、真正面から次期皇帝に喧嘩を売る馬鹿が現れることなど想像しても実在するなんて思わないでしょう。小柄なガキ大将のような風体で怖いものなど何もないといった態度です。
我が主は紳士に「僕は喧嘩を売ったつもりなんてないよ。仲良くが一番さ。なんなら人間とさえ仲良くなりたいと思っているよ」と返します。相手にしない。そういう選択肢を選んだのです。
あたくしもそれに習い、無視を決めようと思いました。けれど「見込み違いか。覇気のない王に、使えん八大氏族。それに人間を従者にして、仲良しこよし。もうこの国は終わりかの」という煽りにあたくしもアインも叩き潰したいと進言していました。
この教室ではあの男を早々に潰しておかないいけない。そうしなければ男の取り巻きがあることないこと学園中に噂として流し始める。そう思いました。あの中で唯一まともそうなデュラハンの彼女も、あのチビに弱みを握られているのか抑止力として期待できそうになかった。
どうにか潰させて欲しいと我が主を二人がかりで説得しましたが、意見を変えることはありません。そして、無視して説得していたのが気に食わなかったらしくチビが「チビども、ワシらを無視しとんじゃないぞ!」と怒鳴りました。
チビにあたくし達がチビと言われたのが後押しとなり、戦闘態勢に入ります。アインも同じ気持ちだったのでしょう二本の刀剣を解き放ちました。
取り巻き達は縮み上がり野次が止まりました。それと対象的にあの気弱なデュラハンが立ち上がり、剣を抜きました。黒い靄が全身を纏い、元から年の割に長身だった身体は大人と遜色無くなっていました。
あたくしの爪や牙ではあの靄を貫けそうにありません。同じ八大氏族の龍人に習った拳法なるものも力が足りず衝撃すら伝えられそうにありませんでした。自重だけで貫けずとも衝撃を与えられそうな大剣を持つアインに任せるしかないと考え、アインに目配せします。
それだけで分かったらしく頷きました。普段はお皿割ったりして抜けた印象のアインですが、元勇者なだけあり、こういうところの勘はいいみたいでした。
浅く短く整えた呼吸を合わせ、飛びかかろうとした際、教師が待ったをかけました。そして提案したのです。決闘をするべきと。
あたくしはその提案に賛同しました。
けれど我が主の判断は、決闘は行わないというものでした。
あたくしが戦うことになり、相手がデュラハンで、勝ち目が薄くあろうとも、戦わないことで名誉が地に落ちるくらいなら戦うべきでした。
しかし、我が主の判断は覆りませんでした。
ゆえに入寮は針のひどく居心地の悪いものになりました。
寮は生活水準によってグレードがあり、あたくしの入ることになった女子寮では個室が与えられるなど寮生活でも高い生活水準を誇るものでした。ここに入るのは貴族か豪商の生まれの人ばかりです。
共通スペースであるリビングは上下関係なく各学年が集まる憩いの場となっているそうです。あたくしはそのリビングで自己紹介を行うことになりました。しかし、その必要がないほど、あの騒ぎが噂になっていたらしく「王子様のために喧嘩を買った吸血鬼ちゃん」という認定がされていました。
噂が広がれば人は理由を求めるものです。彼女らはあたくしに何故、我が主が決闘を承諾しなかったのか問いました。侮辱されたぐらいで臣民と争う理由にはならない、と仰っていたと答えるしかありませんでした。王子を侮辱したのだから打ち首ものなのだからどうせなら決闘を受けてほしい、というブーイングがありました。けれど最上級生からは「広い心を持っていて助かる。将来、変な実験しても国に研究停止を命令されなさそうでいいね」などといった声もありました。
また、針のむしろになっていたのはあたくしだけではありませんでした。
あのデュラハンも同じ寮にいたのです。
彼女は何故王子に喧嘩を売ったのか、もし王子がこの学園を嫌いになって圧力をかけたらどうするつもりなのかと問い詰められていました。そのあまりの詰め寄りに根をあげ、あたくしのところへ来て、抱えた頭を床に押し付け、許しを乞い始めました。
そのあまりの酷い状況に、あたくしは彼女に同情してしまいました。
気弱な彼女の名前はデメテル・ドイチェ・デュナミスト。大陸の西方出身で、戦争激化に伴い疎開。今はドワーフ商会の元に身を寄せ、そこであの生意気チビのお世話係になったそうです。周りのお姉さま方からすると好いた惚れたの関係なのだというが、その相手が子供過ぎて話にならないとのこと。
デメテルは言いました。
「明日も迷惑かけると思うから先に謝っとくね。ごめんなさい」
「いや、そうならないようにしてくださいませんか」
それから一週間、デメテルの言った通り迷惑をかけ続けられました。女子寮の夜はあたくしがデメテルに抗議しにいき、お姉さま方は一体いつ決闘を受けるのかで賭け事をするのが日常となっていました。毎日決闘を受ける方に賭けた方が負け続けるので、受ける方のオッズが天井知らずに上がり続けることになりました。そんなお姉さま方の傍と通りかかると「まだまだ決闘受けないでねー」と声を掛けられるようにもなりました。
デメテルともこの一週間で色々と交流を深めたおかげで、何故そんなに我が主を目の敵にする理由も解明しました。デメテル曰く、リオン様を憧れを持っているがゆえの決闘騒ぎとのこと。憧れているのに何故喧嘩を売ることになるのかという疑問には、我が主がこれまでされた良く言えば新しい風を取り込む、悪く言えば革命的な実績に憧れ、自分もそれに倣いたいという思いが暴走しているのだという。
あのチビが尊敬している実績の例としては、変わることがないと言われた八大氏族を総入れ替え、社交界で鬼族に再度忠誠を誓わせたなど。他にも城下町に神出鬼没だったり、魔人としても最高峰の才能があったりなど、男としては一度挑みたいと思わせる噂が多数あるとのことでした。社交界の一件を語る上であたくしも外せなく、デメテルから忠誠心を尊敬していますと言われた際には、藪蛇だったと顔を暑くした。
それをきっかけに大型犬のようなデメテルに懐かれ、あたくしの部屋に遊びに来るようになった。寮外では交流を絶っていたあたくしたちでしたが、寮の中では互いに主人の自慢大会を始め、大陸出身としか知らなかったデメテルが何故ドワーフの彼を好いているのかまで知ることになりました。
デメテルもあたくし同様、命の危機を救われたとのこと。大陸からの疎開とのことですが、実際は持ち出せるものはほとんどない状態での避難だったとのこと。ほうぼうのていで辿り着いた先はドワーフの里。ドワーフも食糧事情が良くなく助ける義理もないので捨て置かれる運命でしたが、それを止めたのが次期族長となるあのチビだったとのことです。
殊勝なことをできているのになぜ我が主にはそれはできないのだ、と言いたくなりましたが浮かれ気味なデメテルの姿に抑えました。
そんな姿に絆され、「決闘するようにもう一度掛け合ってみます」と意を決しました。
一週間も経つと、我が主やあのチビ、そしてその従者には様々な評価がついて回ることになります。あたくしたちの評価が悪いのはいつものことであり、我が主が行動を起こさないと決めているのであれば我慢できます。同じような評価をチビとデメテルもされていました。しかし、デメテルに至っては「若様は惨めなんかじゃありませんー!」とあたくしの枕でベッドを叩くものだから限界なのが目に見えました。
「いいの? リオン様の意に背くことになるよ?」
「我が主は下からの提案を無下にする方ではありませんから大丈夫です」
「ごめんね」
「遠慮は不要です。あたくし達は友達ではありませんか」
「フィルさーん!」
抱きつかれ、ベッドに押し倒されました。大型犬に上から押し潰されるとこういう気持ちなのかなと思いました。
あたくしの決意は実を結び、決闘は行われることになりました。
決闘が決まったとデメテルやお姉さま方に伝えると片方は安堵の表情を浮かべ、もう片方は「掛け金が千倍になったぞぉー!」など阿鼻叫喚の嵐でした。
「フィルさん、ありがとうございます。けど若様のためにも負ける訳にはいかないから」
「ええ、あたくしも負けるわけにはいきません。互いに本気でいきましょう」
さて、ルールはなんでもあり。賭けに勝ち、気分を良くしたお姉さまに学園の決闘作法について聞いてみたところいわゆる剣は刃を丸くしたり、場外に出た瞬間負けといった不殺を主とした古式のものだそうです。
ならば闇の鎧に太刀打ちできないあたくしは場外勝ちを狙うしかありません。もしもの時のために八大氏族の龍人に習った拳法に頼ることになるでしょう。しかし、あれは龍人の膂力があってこそ。体格不利もあるデメテルに通用する未来が見えませんでした。
悩み続けても答えは出ず決闘の時間となりました。
動きやすい格好のあたくしは図書塔が見下ろす運動場で体をほぐしていました。狙うは電光石火からの押し出し。不意を突いた短期決戦。長引けば長引くほど不利になるどころか、それ以外の勝機が見いだせない。
運動場を取り囲むように多くの生徒が観ている。見守りはない。ただの騒ぎたいだけの観客。次期八大氏族を見極め、強ければ迎合し、弱ければ叩く、そんな視線も中にはある。
敗北は許されない。無様なものであればあるほど我が主への影響も大きくなる。
勝たなければならない状況。自分から望んだくせに、今更そんなことを自覚する。
以前の晩餐会もそうだった。望んで、失敗して、卑屈になって。昔、母様に言われたことを思い出す。考えなしに行動するのが悪い癖だと。それが大事になることもあるけれど、ちゃんと考える癖はつけた方がいいと窘められた。
「まったく成長していないわね」
笑えてきた。我が主のためを思っているものの主は一人でなんでもできる。あたくしが役立った時はいつも我が主が場を整えてくださった時だ。あの晩餐会での忠誠心を示した時だって、我が主が次期国主としての威光を放ったあとにヒョッコリ顔を出したに過ぎない。
心がささくれ立つ。ささくれを取ろうとして、上手くいかず血が出てくる。そんな想像をした。
突如、あのチビの声が、何倍もの大きさで耳に体当たりをかましたきた。
体当たりをされた方を見てみると、拡声の魔石を持ったチビが見えました。それからリオン様と言葉の応酬をしていました。それもひと段落すると、あろうことにデメテルはあのチビを抱きしめたではありませんか。なんて破廉恥なことでしょう。思わず「ぎったんぎったんのボッコボコにしてやる」などといった優雅さの餉餉らもない言葉がついて出ました。
リオン様もリオン様です。アレに感化されたのか首を傾けて、「吸うかい?」などと訊いてくる始末です。もちろん我が主の血は、滋養強壮に富み、魔力も高純度な吸血鬼にしてみれば垂涎ものの血です。
けれど人前で血を吸うのははしたない行為です。他の人種感覚からすれば人前でディープキスをするなどといったところでしょう。他の人種から見てみても、吸血は眷属を増やす行為とみられ、偏見の強い地域では磔にされてもおかしくないことです。
それをやれと仰っているのです。
丁寧に断っているとアインがやれやれといった空気を醸し出します。
「裸になって公衆の面前でまぐわう訳でもあるまいし、フィーちゃんはちょっと気にしすぎだよ」
やはり人間とは分かり合えないと感じました。貞操観念がどうしてこう開けっ広げなのでしょう。そして売り言葉に買い言葉で、臆病者呼ばわりされてカッとなり、やって見せることになってしまいました。この悪癖をどうにかしなければと痛感しました。
反省文で頭が埋まって我が主に促されるまま、土俵に登りました。そのまま抱きしめられられました。思考のほとんどを占めていた反省文がそのことによって弾き出され、そのまま血を吸うことを強要されました。
運動場は色めき立ち、次に何を見せてくれるのだと歓声があがっています。
しかし、次やることはその期待を裏切る行為です。しかし、もう吸うことは決まっているのです。ここで後悔、反省、照れくささを感じていても何にもならない。
もうどうにでもなれ。
「失礼致します!」
転調。
叫び、喚き、怒鳴り、絶叫、咆哮、悲鳴――悪感情が運動場を支配する。それは母様が死んだ瞬間を喚起しました。
母様と逃げ延びた村で、優しくしてくれた村人の方たちが吸血鬼と知るやいなや追いかけ回し母様を袋叩きにしたのです。あたくしは母様が隠してくれた場所でその光景をただ眺めていることしかできませんでした。
あの光景を、血を吸ってしまったら、我が主で再現してしまう。そう思うとやっぱり怖くなり、顎の力を弱め、離れようとしました。しかし、我が主はそれを許さず「止めるな。続けるんだ」と頭を押さえられました。
何故やめさせてくれないのか。
その疑問の答えは一週間前に聞いていたと気付きます。
左に立つことを目指してもいいと仰った。
我が主は亜人が抱えている負の遺産さえも全て呑み込み、魔人の力で纏め上げるだけではない、本当の意味で亜人全ての皇帝として君臨するつもりなのでしょう。
これは儀式なのでしょう。これが皇帝として進む道なのだと示すための。
我が主がそれをお望みならば、あたくしは付き従うまでです。
犬歯を首筋に突き刺し、吸い上げます。温かい血が傷口から溢れ、口内を満たし、喉元へと流します。血の甘みとそれに含まれる濃厚な魔力。杏子色に感じられるそれが身体に英気を満たしていきます。
不意に、抑え込んでいた手で髪を梳かれました。驚きと懐かしさ。両方が心を揺さぶりました。
それは昔、母様がよくしてくれたことだったのです。母が髪を梳かすといつも途中から「綺麗な髪ね」と手櫛で頭を撫で回し始めるのです。それは聡明な母が唯一身近で親しげを覚える癖でもありました。
目頭が熱くなり、これ以上はいけないと我が主の背中を叩きます。
「もう大丈夫かい?」と尋ねられたので「恥ずかしさとこの悲鳴で大丈夫ではありません」と顔を伏せました。あたくしの顔は涙目で真っ赤になって、見れたものではないでしょう。
「うん、いつも通りだ。大丈夫」
この悲鳴に関して、でしょう。たしかに我が主が何かなされば、いつも周りは慌ただしくなり、剣呑な雰囲気も珍しくありません。
「我が主の大丈夫の定義があたくしと違う気がするのですが」
アレを大丈夫にされては困ります。いつしかの執事長みたいに倒れてしまう人が出かねません。
「気のせいだよ」
我が主は背中を押して「さあ、行っておいで」とあたくしを送り出しました。
ゆっくりと、呼吸を整え、魔力を循環し、熱くなった目頭は眼をより紅く変えて誤魔化しながら、進みます。
一歩進む度、踏み込む足は力強くなり、まるで綿菓子のように重さから解き放たれたように感じました。
ルールの合意を経て、あたくしと向かい合ったデメテルは、闇で身体を纏い、剣を高く構えました。
それは振り下ろしに特化した構えでした。
デメテルはあたくしの意図を汲み、それでも真正面から受けて立つと応えてくれたのです。
その在り方は騎士でした。
高潔、清廉潔白、そんな言葉が似合うのでしょう。あのチビに恩義を感じ、今でも仕えているのだから、まさに騎士の鑑です。
デメテルが相手で良かったと思えました。
彼女ならば決闘後も友人として隔たりなく友人を続けられる。
そう確信が持てたのです。
そして、銅鑼の音が鳴るのを待ちました。
なにこれ。
壁にめり込んだデメテル、静まり返る会場。
いや、理由はわかっております。あたくしがデメテルを弾き出したことです。ですがこんな一方的にできるわけがなかったのです。あたくしにできるのは精々舞台から押し出すことぐらいのはずでした。
なら原因はなんなのでしょう。いや、わかっています。
我が主の血を頂いたことです。今まで血を頂いた後は体の調子がいいなと感じたりしたので、我が主の血は段違いに滋養に良いのだろうと安易に考えていました。まさか魔力としてこれほどの効能を得られるとは思いませんでした。
しかし、やってしまったからにはあたくしがこの騒ぎを収める責任があります。
あたくしは教師が持つ魔石を奪い、高らかに宣言します。
「もう二度と我が主に付きまとわないでくださいませ」
とにかくこれだけは最初に叩き込んでおかなければいけませんでした。
その後すぐに教師が「こうなった経緯を説明してくれないか」と言ってきます。それは望むところでしたので、頭で必死にまとめながら説明しました。
あたくしの完璧な説明で皆が頷き、聞き入ってくれました。
それに調子を良くして「おかげで我が主の血以外は体が受け付けなくなってしまいました」と高らかに自慢しました。すると「ああいうのが贅沢な舌というのだよ」などという我が主の言葉が聞こえた時は、ちょっと調子に乗りすぎたと反省しました。
あたくしは演説を終えると、頭を抱えて舞台に戻ってきたデメテルのもとへ歩み寄ります。
「もう大丈夫なのですね」
「こんなに強かったんだね」
「あたくしも予想外のことに驚いています」
「あはは、さすがは天眼通のリオン様ですね」
「市井ではそんな風に呼ばれているのですか?」
「市井と貴族の一部にですね。なんでもなんでもお見通しって昔の言葉みたい」
「あーわかります。八大氏族の皆さんも、我が主はいつも想像つかないことをしでかすって仰ってますね」
「主を持つものの一人として同情します」
「友人として今度愚痴に付き合ってくれてもいいのですよ」
デメテルは抱えた頭を、顔の高さまで挙げる。
「ぜひ今晩にでも!」
その晩のことです。
いつも訪ねてくる時間になってもデメテルがやって来ることはありませんでした。
元々時間も決めておらず、何か急用でもあったのだろうと大して気に留めていませんでした。
窓を開けて、夜風にあたっていると外にデメテルの姿が見えました。小走りでどこかへ向かっていました。いつもなら明日にでも聞けばいいと考えるところですが、今日決闘をしたばかり故、なにかよからぬことに――主に賭けに負けたお姉さま方に――巻き込まれているのかもしれないと危惧しました。
窓から飛び降り、彼女のあとを追いました。五分と経たないうちに彼女は立ち止まりました。彼女の前には大理石でできた高い塔。ローバル帝国随一の蔵書量を誇る図書館でもあります。生徒からは図書塔と呼ばれる場所でした。もちろん夜中は封鎖されており、その時間は入れないはずです。
彼女がそこで誰かを待っているようでした。あたくしは離れて、誰が現れるのかを待ちます。
待ち始めてから間もなく図書塔から誰かが現れました。大人か子供かわからない背丈、月光を纏う銀の長髪。少なくともあのチビではないことだけは確かでした。その少年らしき人物は懐から何かを取り出し、デメテルに手渡しました。
夜目の効くあたくしですが、視力自体は平凡ゆえそれが何なのかわかりませんでした。少しでも近づき、それを確認しようとしました。それがいけませんでした。小枝を踏み、パキという音が鳴ってしまいました。
「誰!」
デメテルの声には恐怖と敵意が込められていました。
あたくしがこの場にいたことを知られ、その敵意を向けられることが怖くなり、その場から逃げ出しました。寮の自室に戻り、微かに見えたアレがなんなのか、デメテルが恐怖する理由を考えているうちに夜が明けました。
翌日、眠い目を擦り、寮から教室へ向かう途中の廊下のことです。デメテルが一人、あたくしを待っていました。その顔には悲壮感に染まり、抱えた頭は伏目がちでした。
「デメテル、どうしました?」
「……フィルさん、お願いがあります。もう一度戦ってください」
ただならぬ雰囲気に周りで見守っていた生徒らはそれを聞いて「おいおい」と止めに入った。
「君は負けたのだから素直に認めないと。あのドワーフに再戦するように言われたのかい」
「いいえ、違います。私の独断です」
「ならなおさら君が認めれば済む話だ」
「認めるわけにはいかないのです。あの無様な負け方では」
「わがままはよくない。決闘で決まったのだから従うべきだ」わ
何かあった。あの強く、朗らかな彼女が狼狽え、惨めな姿になる何かが。天眼通と呼ばれている我が主ならば原因を察知できるのかもしれません。
けれど今の彼女に返答を保留する余裕などなさそうでした。
だからこれが最後の考え無しです。
「もう一度やりましょう」
「……なんでもあり。観衆はなし。立会人はリオン様のみ。……厚かましい条件ですがそれでお願いしたいです」
呆気にとられる大衆に言い聞かすように紡ぐ。
「問題ありません」
真っ赤に泣き腫らした顔を抱き抱えるように隠す。
「……フィルさぁん。ありがとぉうございまぁす」
考え無しの行動には結果が伴います。故に「僕のいないところで何勝手に決闘の取り決めしてるんだ?」とお怒りになるのは当然のことです。ちなみにこの時、我が主がたんぽぽのような慈悲の顔をしていました。笑顔だからといって安心してはいけません。この顔をした時はあたくしがやらかした時にする顔です。晩餐会でも見た覚えがある顔です。
「も、申し訳ございません。しかし、騎士たる彼女が再度決闘を申し込むのにはのっぴきならない事情があると思われます!」
我が主は教室を一瞥しました。
「ドワーフの彼、今日見てないね。それどころか決闘後から見ていない」
「……そういうことなのですね」
「さあ、なんのことかな」
「流石です。我が主。天眼通と呼ばれるだけのことはあります」
「天眼通?」
「今晩、再戦の場に犯人とあのチ……ドワーフの彼は出てくると思いますか?」
「ドワーフの彼は出てくると思うよ。言ってしまえば決闘の動機だからね。犯人は分からないな。現れる理由がない。それでも現れるなら何か厄介なことを考えてるか、性格が歪んでるか、ただのバカかな」
「どちらにせよ救出は可能ってことですね。……ところでアインの姿がありませんがどうしたのですか?」
「いつも通り、教師に連れられてお手伝いだよ」
毎日何をしているなだろう。
「ところで、その、天眼通って何だ?」
夜。運動場。土俵の上にはあたくしとデメテル。その外側には我が主。既に血は頂いており、いつでも交戦可能状態です。ちなみにアインにはこの決闘のことすら伝えておりません。伝えたら、忍び込んで来そうだからです。
石造りの舞台の上でデメテルは地面に頭を置いて座り込みんだ後、「戦ってくれてありがとうございます」と深い礼をした。
「デメテル、あのドワーフは無事なの?」
「わかりません。ただ、もう一度決闘しないと命はないと脅されています」
あのチビのことは気に入りません。ざまあみろとさえ思っています。しかし、それで友人を悲しませるのは許せません。
「犯人! 聞いているのでしょう! 今すぐドワーフが無事なことを証明しなさい! しなければデメテルとは戦いません!」
肩で息をする。厄介なことを考えているのだから、それが上手くいかないことは避けたいはずだ。
「んー面倒なこと言い出さないでくれる?」
運動場の片隅から声がした。声変わりしている途中のようなハスキーボイス。そして、あの月の光を受けて煌めく銀髪を持った少年だった。
「安心しなよ。ドワーフの彼はこの通り無事さ」
左腕につけたブレスレットを指で弾くと、傍らに素巻きにされたチビが現れた。猿ぐつわまでされて言葉を発することすらできないようだった。しかし、あの少年の言う通り、無事だったらしく陸の上でのたうち回る魚のように全身で抗議していた。
それを視界に収めるとあたくしは飛び出しました。
全力疾走――あのチビを助けだしたら戦う理由はなくなります。それでこの事件は終わりのはずです。
残り十歩……五歩……三歩の時、我が主があたくしとチビの間に割って入って来たのです。勢いを止められないあたくしを我が主は体全体を使って受け止めました。
「どうして止めるのですか! あのドワーフを助けるチャンスだったのですよ!」
あたくしを抱きしめた片方の手を離し、拳の側面を背後へ打ち付けるように腕を振りました。すると何もないはずのそこにガラスのような半透明の壁が現れました。その壁は地面を抉る半円状にチビと少年を囲っていました。
少年は拍手を送る。ゆったりとした手を上下に動かす大人がするようなものだった。
「ふーん、さすが天眼通と持て囃されるだけあるね」
我が主は髪をかき上げ「だからなんだ。その呼び方は」とぼやきます。
あたくしは肩を押され、戻るように促されます。
再び舞台に戻る中、二人の会話が耳に入ってきました。
「君の血を取り込んでいるなら、別に庇う必要なかったと考えているけど、どうして間に入ったんだ」
「仲間なら庇うのが当然のことだよ」
「噂に聞いていたのとはちょっとイメージが違ったな」
「こっちからも訊いていいかい。君の目的はなんだい?」
「天眼通ともあろう方がそんなつまらないこと聞くなよ」
「天眼通なんて襲名した覚えはないよ」
「まあ、見てれば分かるさ。それ目的が果たされればドワーフは返す。約束だ」
あたくしが土俵に戻ると、デメテルは立ち上がり、頭を小脇に抱えました。鎧も展開していない、平服のまま。戦う気すらないような佇まいに感じられました。
「顔を担いだまま、戦うおつもりですか?」
「そうしろって命令だから……」
「見えた勝負ですよ?」
「……勝負できなくてごめんね」
「どういう意味――」
彼女は懐から先端に針のついた筒状のものを取り出し、太ももに突き刺した。
「あああああああああああああああ」
絶叫。
針先に激痛をもたらす毒でも塗られていたのかと考え駆け寄ろうとしました。しかし、彼女の姿に足が竦みました。
彼女が首から漏れ出る闇が泡立つように肥大化し、全身を包み込んでいくのです。それは大人二人分ほどの高さ、幅まで成長すると、今度は側面から二本の触手を生やしました。まるで腕の代わりだと言いたげなそれは、常時ボコボコと闇が吹き出し爛れ落ち、気泡を吐きながら蒸発する。悪寒を直接刺激するような気味の悪いものでした。
それはおもむろに触手を持ち上げ、地面に叩き付けます。
軌道にあたくしはおらず、子供の地団駄のようでした。
そう。たったそれだけのことです。
一発でブはひび割れ、二発で瓦礫となり、三発で破片が飛び散りました。
飛んできた細かな破片を弾き落とす。一つ一つが拳大で、弾き飛ばす度に腕に生傷が増えていった。いくつかは弾き飛ばすことができず、避ける余裕もなく、腹や額、肩で受けるしかなかった。あばらが痛み、額からは血が滴り落ちてきました。
運動場一帯に瓦礫と破片散らばり、舞台というものはその残骸を表すものに成り果てていました。
我が主はというと腕を組み、悠然としていました。
流石です――そう漏らそうとしたら、あの少年の声が飛び込んできました。
「観客席は気にしなくていい。オレが代わりにお守りしてやる」
よく見ると我が主の周囲にもあの壁が現れ、それが破片から守っているようでした。
非常に不愉快でした。考え方によっては我が主を捕虜に取られたともいえますが、それ自体は我が主ならどうとでもできます。してしまいます。気分が悪いのは、我が主を守護するのはあたくしの役目であることです。もはや責務です。何処ぞの馬の骨とも知れぬ輩が奪っていいものではありません。
しかし、このデメテルが化けたものを相手取るには守りながらでは無理があるのも事実でした。
「といいますか――」
そう、土俵は残骸と化しており、もはや勝ち負けなどあってないようなものだった。
「デメテル! 止まりなさい! これはもう無効試合よ!」
駄目元で呼びかけました。しかし、いや、やはり、それは止まりません。触手を振り上げ、軌道にあたくしを含めて振り下ろしたのです。
その場から飛び退け、躱します。足場にしていた瓦礫は木っ端微塵となり、跡形すら残っていませんでした。
「無駄だよ。あれはもう正気じゃない。人、亜人、精霊、魔獣、そのどれでもない。その狭間でもがき苦しんでるんだ。――楽にしてあげなよ」
殺せ、異形の化け物に成り果てたデメテルを。
そういうことなのでしょう。
たった数日、親交を深めただけ。たった、それだけです。
「ええ、やりましょう。その姿を貴女の主にこれ以上見せないためにも。……でも絶対に助けてみせる」
体に巡る血を魔力へ、魔力を肉へ、活力は足と腕に。
駈ける。
瓦礫を避け、触手を避け、最速で駆け抜ける。
右足で踏み込み、右拳を叩き込む。その反動で左。交互に、何度も。一点を目掛けて。
だが、闇は砕けない。身じろぎすらしない。
ならばと、右腕、右足、それを支える体幹に膂力全てを注ぎ込み、腰を据えて――打ち出す。
ぐにゃりとした感触が拳から伝わる。突いた拳は埋まり、肘まで突き刺さっていた。
「手ごたえあり」
拳の先にはあの闇とは異なる感触を得る。麻の服のものだった。デメテルがいる。彼女を引っ張りだせれば、この闇から切り離せればなんとかなる。拳を引いてできた洞を広げよう、そう考え腕に力を入れました。しかし、引き抜けないのです。闇が腕にまとわりつき、抜こうとすればそれ以上の力で引っ張り返してくるのです。
そんなあたくしを嘲笑うように化け物は触手をボディフックの要領で足元をすくうように振ってきました。
肘まで飲み込まれ、身動きの取れないあたくしに迫るそれを回避する術は一つしかありませんでした。左の手刀を右腕の化け物との接合部に振り下ろす。
骨が折れる。
歯を食いしばり、痛みに耐え、あたくしは捕らわれた腕を支点に跳びました。
視界が上下反転し、触手が頭を掠めていきました。
再び地上に足をつけると、今度はもう片方の触手。触手全体を面として、上から押し付けるように。
上下左右二次元の回避手段しか持たないあたくしでは、前後への回避をしなければいけないこれは死刑宣告にも等しいものでした。
目をつぶる。
辞世の句も思いつかない浅学さゆえ、ただありのままを受け入れようと考えたのです。
いつも大切な人に別れを言えない人生でした。
腕を引かれました。折れていない方の。
天国からの遣いは荒っぽいのだと考えていたら頬っぺたを引っぱたかれました。
目を開けるとアインがいました。
「しっかりして」
「……どうしてここに?」
「教師に言われて助けに来た」
振り返り、化け物の姿を確認します。あたくしを押しつぶそうとした二つの触手はそれぞれ根本から切断され、腕を縛り付けていた部分はくり抜かれていた。
「アレを倒せばいいの?」
再び触手が生え、傷跡も泡立つ闇で塞がれた化け物に二振りの剣を構える。
「待って! 試したいことがあるの! 中にデメテルがいるから、それを引きずり出して!」
「……場所、わかる?」
拳で触れた感覚を思い出す。
「……だいたいなら」
アインは黒い片刃の剣を鞘に戻し、あたくしに押し付けました。
「あたしだとまとめて切っちゃうから……任せる」
左で剣を握り締め、解き放ちます。
鋼のぬめりをもった光。それは魔を断ち切る直刃をしているにも関わらず、人を魅入る魔性も兼ね備えていました。手の中でカタカタと震え、ゆっくりと我が主の元に戻ろうと動き出しました。これには身に覚えがありました。アインの持つ大剣、精霊がついたという大剣もまさに同じで、本来の持ち主の元に帰ろうとするのです。
「母様に感謝を」
剣を引き戻し、動かない右の手首に刃を当て、撫でました。
血が滴り、血が刃紋のように染み渡っていきます。
「人より出でて 魔に還りしもの」
「汝の忘却されし情念 我が身を以て贄とする」
「我が血脈を以て我に従え!」
それは母様が読み聞かせてくれた御伽草子の一節です。呪われた剣と呪われたお嬢様を助けようとする吸血鬼執事の物語でした。最後に執事が呪いを一身に受け、心通わせ、力を借り受け、呪いのせいでお嬢様の元を去るという終わりでした。
ふと視界が白く染まりました。
貧血を起こして、不覚したのかとも思いましたが違うようです。
白い中にポツンと座る鎧。赤く厳ついそれは威圧感があり、鬼族の如き二本角を備えておりました。
「よく参った。近うよれ」
動かず、警戒の色を強めていると「別に取って喰うたりはせん」とため息をつかれました。
「ワシは刀の精ともいうべき存在じゃ。実際のところは妄執の寄せ集めだがな」
「貴方はあたくしの呼びかけに応じてくれた。……そういうことでいいのかしら」
「その認識で構わん」
「力を貸してください。代償は払えるものならなんでも払います」
「無用じゃ」
「――え?」
「ワシの代償は既に貰い受けておる。お主の主君にな」
「何を代償にしたのですか」
「そんなに睨むな。たいしたことはない。戦をしてもろうただけだ」
「我が主を傷つけたのですか」
「怪我はさせたが既に完治しておる。気に召さるな」
「いいでしょう。不問にします。はやく貴方の力を貸しなさい。時間がないのです」
鎧は人差し指を立てる。
「一つ願いがある」
「いいでしょう。言いなさい。」
鎧武者は斜めを向いて、頬を掻く。
「あの軍神かくやとも言うべき主君伝えてほしいのじゃ。……ワシを床に叩きつけたり、持ち主をコロコロ変えるのは止めてほしいとな」
再び化け物と相対へ。隣にはアイン。左手には呪われた剣が。右手は骨は折れ、血は溢れ出て、使い物になりそうにない。貰い受けた魔力も底をつき、自前のものは心許ない。最悪な気分だった。けれど足は動くし、頭は貧血による不覚を起こしていない。呪われた剣の力だろうか。
「アイン、援護しなさい」
「フィーちゃん、任せて……」
身を屈め、前のめりに駆ける。一直線に化け物、目掛けて。
襲い掛かる十重二十重の触手たちは全てアインが切り落とす。
化け物の眼前まで迫り、闇を大きく削ぎ落す。
一太刀でデメテルの姿を捉え、デメテルを服を掴む。
引っ張り出そうとするも、闇がデメテルを放さない。
遅れたアインがデメテル周囲の闇を断ち切る。
デメテルを引きずり出す。闇によって頭と胴体が繋がっており、頭を改めて探す手間が省けたのは幸運だった。
デメテルを引きずり出された化け物は形を保てず、泡のように霧散する。
しかし、闇はデメテルから止まることなく溢れ、再び形を作り始めていた。その度にアインが闇を切り落とすもキリがない。
(お嬢、ワシをその娘っ子に刺すんだ。土手っ腹にチクッとな)
あの鎧の声が聞こえました。物語でもあった剣と心通わせたら、剣の声が頭に響いてくるというやつかと理解しました。
剣を逆手にもち、剣先をデメテルのへその上へ優しく刺した。
デメテルから噴き出す闇の勢いが目に見えるほど減り始めた。
(やれやれ、主君や先住精霊がいる小娘と違って話ができるのはいいのう)
「話ができないのですか?」
(主君は聞く耳持てず。隣の小娘は聖剣についた精霊がそれを許さないのじゃ)
だからあんな容易い願いをしたのだと腑に落ちました。
そうしている間にも、デメテルの闇は落ち着きを見せたのです。
そして、あたくしは目を剥くことになります。
胴と首が繋がっているのです。繋ぎ目はなく、あたかも最初から繋がっていたといわんばかりに。それはまるで人間のようでした。
「うんうん、予想通りだ」
いつの間にかあの少年がデメテルを見下ろすように目の前にいたのです。
「やはり聖剣や魔剣の類が足りないピースだったか。予想通りで喜ばしい限りだ」
少年に向けて剣を振るうも、サッと避けられてしまい、剣を向ける形になる。
「デメテルから離れなさい。デメテルに何をしたか答えなさい。さもないと貴方の首を落とします」
「落ち着けよ、吸血鬼。興奮すると流れる血の量も増えるぜ」
剣の力で痛みはない。頭も冴えてある。だが視界が白み始め、剣を握る手に力が入らなくなっている。
「じゃあな。またすぐに会うことになるだろうけどな」
男はブレスレットを鳴らすと、跡形もなく姿を消した。
そして、あたくしは剣を落とし、霞ゆく視界の中で結界が解かれているのを見た。
足跡が近づいてくる。
けれど、その足音の主が誰なのかを知る前に意識の手綱を握っておくことができませんでした。
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