勇者と王城
あたし、アインは奴隷でした。それも貴族相手に売られる性奴隷です。でしたというのも、既にお分かりの通り、今はそうではないということ。どういうわけか気が付くと破魔の勇者と呼ばれていました。
そうですね……まずは勇者になった経緯を話します。とは言ってもに内容は御伽話のようなものですが。
あの日、あたしはとある貴族に売られる予定でした。まだ子を成せない初物であり、性病を疑う必要もないため、若旦那の練習台としてあてがわれるとのことでした。
その街に突然、魔物の群れが現れたのです。それも姿を見たものは殺すまで追いかけると呼ばれるティンダロスの猟犬でした。引き渡しのため貴族の屋敷にいたあたしは、貴族と使用人、奴隷商とで屋敷の地下室に立て籠もることになりました。
けれど、それは一時しのぎにもなりません。猟犬たちは屋敷の地下室を嗅ぎ付け、若旦那と使用人もろとも食い散らかしました。
残ったあたしと奴隷商も、すぐに後を追うものだと思いました。むしろ、生き永らえても奴隷であることは変わらないので、後を追いたかったとさえ思います。
声がしたのです。
「今こそ魔を払う時です」という落ち着いた声が。すると壁に立て掛けてあった大剣があたしの手元までふわりと飛んできました。その剣を手に取ると、身体が勝手に動き始めました。
一振りすると、猟犬は全て返り血すら残さず消滅していました。
残ったのはあたしと奴隷商の二人きり。街、唯一の生き残りでした。それが運のツキです。奴隷商はあたしを勇者に仕立て上げ、自分はその親として振る舞い始めました。生活は劇的に良くなりました。けれど元からなかった自由は更に減り、昼は戦場、夜は偉い人に接待をさせられる生活になりました。
純潔は守り切りました。それでも酔った男にお尻を触られるのは日常となっていました。この剣で殺してやりたいと何度と思いました。けれど聖剣だからなのか人間を切ろうとしても鞘から抜けませんでした。
国王にまで勇者とまで呼ばれるようになったあたしは亜人との戦争に参加するようになりました。そして、今日に至ります。ただ、今日だけは少し事情が異なりました。いつもの通り、戦場へ向かおうとすると珍しく奴隷商に呼び止められました。
なんて言われたかは正確には覚えていません。けれど今日の夜、あたしは大人にさせられることが決まりました。
何も考えられない中、剣に導かれるまま敵をなぎ払い、宿屋で夜を迎えました。そこには客はおらず、いるのは奴隷商ただ一人。これはどういうことなのかなんて聞くまでもありませんでした。今日あたしが悦ばせなければいけない相手は目の前の男だということを。わかってしまったのです。
「脱ぎなさい」
そう言われ、あたしは一糸まとわぬ姿になりました。込み上がる羞恥心とともに、今まで初物として決して手を出してこなかったのにどうしていきなりこんなことをされるのかが気になりました。
「……どうしていきなりこんなことするの?」
その問いに奴隷商は下卑た笑みを浮かべました。
「そりゃもう下等な商売なんてしなくても、お前のおかげで左団扇だからな。それに皆が拝めるもんを自分勝手にできるのは、ソソるだろ」
あたしは勇者と呼ばれようが、王に頭を垂らせようが、結局はこの男の所有物でしかないと悟りました。あたしは脇に立て掛けていた大剣を手に取ります。広刃のそれには決して抜けることのない鞘がついています。だがもはや関係ありませんでした。
硬いものに頭をぶつけるだけで人は死ぬのですから。
時間はかかっても、うめき声をあげてられて誰かが駆けつけたとしてももうどうでもよかったのです。
幸い、振り下ろした剣の当たりどころが良く一発で沈みました。
あとはただひたすら振り下ろすだけ。息の根が止まるまで。頭蓋骨が粉々になるまで。最初に振り下ろしたときに聞こえた「止めて!」という剣の声もその時には既に聞こえなくなりました。
全てが終わったあと、このあとどうするかを考えました。思いついたのは逃げること。
簡単な身支度をして宿屋から出ることにしました。この忌々しい大剣も、凶器をその場に置いてはいけませんでした。血だけサッと拭いて外に出ました。もっとも、あたしの側からはなれようとしないこれを捨てることなどできないのですが。
その時、貴方に声をかけられました。商家の人と聞いて、あたしは何も苦労を知らないお坊ちゃんに無性に腹が立ちました。遠い森へ誘ったのも、何かあっても……殺したことで脅迫されられても、誰にも知られずに殺せると思ったからです。
けれど訊いてきたのはありがちな質問でした。適当に答え――中には本音で答えたものもありましたが、逃げようと思っていたらここへ辿り着いていました。
そこは何度か招かれたお城のようで、周囲には亜人、それも様々な種族が混在していました。そしてその方々から敬われている。私は直感しました。この方が魔を司る亜人の王なのだと。そして、このお城は人間領から遠く離れた位置にあると言います。あたしは人間とは関わることのない大陸の果てまで辿り着いたのだと。そして、この方はあたしの窮状をどこかで知り、危険を冒して助けにいらっしゃったのだと。
あたしは嬉しくなりすぎて――まさに感激をして、大声をあげて喜び、抱きついてしましました。
そして、あたしは、初めてあたしの意思で誰かに仕えるということを選択しました。
「……だそうですよ、我が主?」
そう言って話しを振るフィルは笑顔だった。覗く犬歯にえも言えぬ迫力を感じる。
「ああ」
「ああ、じゃありませんわ。まさか勇者を連れてこられるなんて、いくらなんでも想定外もいいところですわ。この子をどうなされるおつもりですか」とルセア。
ヴァミも流石にほとほと困り果てた様子で「ご母堂様になんて報告するべきか」と頭を抱えていた。
この光景を見て、自分が望んだものとはかけ離れているものの評価を下げる良い要素になったのではないかと前向きに考えるようにした。
「君、この国が王国から帝国となってどの程度経った?」
そう悪魔に尋ねると「はっ」と頭を垂れ、「三十年ほどでございます!」と答える。
今度は天使に尋ねる。
「プリン、元々のローバル王国とはどのような成り立ちだった?」
「人間の国から追放された者たちをまとめ上げ、設立したものであります」と凛とした声で申し上げられる。
「そうだ。我が国は元々人道的な面で自然と出来上がったものだ。ならば勇者とて例外ではあるまい」
歴史を紐解かれると、氏族の面々は反論さえできないことは知っていた。だからこそ口にした。これで僕の印象は歴史を楯にするワガママな権力者だろう。だからこそ、ただ一人の反論者成りうる人物を忘れていた。例外中の例外、浮浪児から八代氏族まで成り上がった人物のことを。
「我が主、あたくしは納得していません。たしかに歴史から見れば、敵国の者を助けても当然。ローバル帝国にも少なからず人間はおりますし、次代の八代氏族の中には人間にも関わらず異端として扱われた魔術師もございます。しかし彼らはいずれも追放されたか逃げ延びることができた者。敵国に赴き、勝手に助けるのはお門違いかと。百歩譲って助けることをしても、このことがキッカケで戦争が激化することも考えられます。人間の国へ送り返すことが筋だと考えております」
正論だった。ぐうの根もない正論。だからこそ容認できなかった。全てを終わらせることが目的なのだから。
「だとしても僕は助ける。それにその剣を放置することはできない」
「だったら剣だけ没収、本人だけ送り貸せばいいのでは」
フィルは剣をアインから取り上げ、離れようとする。五歩ほど歩いたところで、突然後ろに引っ張られるかのように床に転んでしまった。起き上がり、再度離れようとするも、まるで剣がアインに鎖で繋がれてしまったかのように離すことができなかった。
「あの、その剣の精霊があたしから離れようとしないから……」
それを聞いたフィルが剣から手を離すと、フラフラと宙を浮きながらアインの手元まで戻っていった。
「参りましたわ」
肩をすくめたフィルのその一言でこの話は終わった。
それからどうなったかというと、アインはアイリ直属の部下になった。名前が似ているからかアイリはアインを大層可愛がり、アインもアイリを姉のように慕った。だからなのか最近では僕が一人で着替え終わると、拍手する音が一人分増えてしまった。ただ、風呂に入る時はアイリと違ってアインは一緒に入ってくれる。また、アインが来てから知ったことだが、エルフは温かい湯に浴びる習慣がないため、すぐにのぼせてしまうとのこと。今までは気を使わせないため断っていたらしい。
アインにしてもここに来た経緯から素肌を晒すことに抵抗あるのではないかと思ったが、アイリの指導曰く忠誠心でどうとでもなるらしい。むしろ喜ばしいことと教え込んだのか、幼い肢体を余すことなく曝け出していた。
話し相手ができたことそれだけがアインを引き込んで良かったと思える点だった。
――これは余談だが、フィルも風呂へ誘うとこれまでのようにすぐに断るのではなく少し考えてから断るようになった。おそらくアインが風呂仲間になったお陰で敷居が下がったのだろう。アイリにそのことを話したら「アインのこともよろしくお願いしますね」とよくわからない頼み事をされてしまった。
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