おっと失礼、これは自家発電する君への話だ。(それが何かは知りませんが)

一見、例えるなら「和製英語に対して、それは正しくない、と難癖をつける様な話」か。
しかしこれは、何なんでしょうね。この喜劇はチェーホフを髣髴とさせる。
その持論は正しい、と共感出来る所は多々ある。巨視的因果律の明示やそれに至るべきディテールへの敬意は物語に左右される事の無い、若しくはあらゆる物に対してそれは「1」か「0」であり排他的であるべきなのだろう。
故にその論旨の展開方法の歪さが目立ち、笑いを誘う。ニヤリというシニカルにも似た笑いだ。
作者は言う。「SciFiは知性と知識、思想、そしてストレスとも言えるものをもって、作者と読者が対峙する文学です」と。
だがそれは恐らく「SciFi」は、というより「文学」こそがそうなのではなかろうか。
彼はそれを既に踏まえていて、故に「映画などにはSciFiは存在しない」と、彼は言い切れたのではないか。
ラノベは文学ではなく物語だ。物語は何者かの足あとだ。SciFiにおいては「何者か」の冒険こそ本質だと言う彼の言質を大事にするなら、結局SciFiはその装置にすぎない事を彼は暗に認めているし、SciFiという注文の多い描写さえクリアすればそれはラノベ足りえるのだろう。
しかしSFの終着が絶望であるという見解には賛成。色々と考察を呼ぶ二束三文の上品な娯楽としてまとまった作品だ。素晴らしい。

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