高橋三千綱を彷彿とさせる名作※参加賞

参加No.09『おかえりなさいませ、童貞くん』

作者 味噌村 幸太郎 様

評価:常識人

―主催者メモー

【ジャンル】

作家さんは地力あり。文章破綻もなく構成も手堅い。
闇落ちはしていない。絶望の欠片は見えない。

〈詳細〉
常識人が頑張って背伸びをしているだけの似非頭おかしい作者というところでしょうか。
良識に囚われているモノカキ、殻の引っ付いたままの雛、という印象です。
もったいないポイントが多く、指摘すれば切りがないほど。

例えば「お坊ちゃま君が流行っていた」と振っておいてチビ岡さんに友達ん庫しないのはヘタレと言わざるを得ません。

例えば「熟成されたケツの臭い」という引っ掛かりをひねり出しておきながら、このひねりを活かすためにもう一工夫必要なところを放置したのはもったいなさすぎます。工夫をしないのなら王道で攻めるべきです。
つまりオチを、ケツの臭いを嗅いだことで好感度MAXになる方向へと牽引していくべきでした。

加えてこの作者様は、童貞というワードのポテンシャルを誤解されています。

童貞ならば、いきなり呼び捨てにされた時点で興奮すべきです。定石として。
そうすればその後の展開で蹴られた時、パンツ効果で無理なく射精に展開できたはずです。

童貞は、童貞だからこそ、カラ打ちに必然性を持たせることができ、結果その行為は童貞たる概念の厚みを増すのです。
その結果、だからこそ、その後小さな女の子に暴力を振るわれた時、そこに至る快感という状態に真実味を付加させられるのです。
そしてそれは新しい扉を開く呼び水となるのです。そういう積み重ねこそが物語の流れに必然性を生み、結果作品のクォリティを底上げするのです。

それと余談ですが、童貞が潔いのはダメです。童貞とは基本、卑怯なむっつりであるべきなのです。

例えば。ビキニゾーンを童貞がガン見するのは童貞として正しいふるまいです。そこまではいいのです。
しかしそれは背伸びさんが「見せつけてくる」と、背伸びさんの「せい」にしなければ童貞である必然性が薄れます。
童貞はあくまでラッキースケベなのです。
それが童貞という記号のポテンシャルを担保する様式でありお約束であるのです。
この場合、罪深いのは背伸びさんなのです。「この子僕に惚れているなっ!」という決めゼリフはお約束なのですから、そこに至るためには、同じお約束である「童貞」の持つ概念を立たせなければ物語が締まりません。軽く流すのは愚行と言っても過言ではありません。

同様に、プールの回も最後股間に痛みを感じるお約束を配置しているのですから、「ピーッ!」っと笛を吹かせているギミックを拾って「ピューッ!」っと射精すべきです。

まぁそんなこんなで、とにかく惜しい。
素材を一つ一つばら撒くだけばら撒いて放置が多すぎる。

とはいえ、「あの天パー、イカ臭い」は良かったです。
下の天パーに具体的に繋げられたらもっとよかった(読者にわかりやすい)気もしますが、この場合に限りこのままでもメタファーとして成立しているようにも思えるので判断に悩みますね。

長くなりましたが、総評は――

あなたはきっと汚泥を啜り足りない穢れ無き人。そして良い作家。
でも、頭おかしい大賞では一次予選落ちですごめんなさい。

またのお越しをお待ちしております。