if End 2 もしもケンジが聖職者になることを了承したら…

 もしもケンジがニコロ司祭の勧誘で聖職者になることを了承したら…のif storyです

 このお話は家守さんのskeb依頼により執筆し公開しています

 別名:ケンジ責任取れルートです


 ―――――――――――――――


「ケンジよ、話がある」


「…はい」


 俺は用心しながらニコロ司祭の対面に座った。

 これから何が起きるかはわかっている。


 いつもの「冒険者などという塵芥のような生き方をやめて聖職者になれ」というやつが始まるのだ。


 だが、今日は少しばかり説得の論調が違った。

 いつもなら切り裂くような論理で攻めてくるニコロ司祭が、じっくりと情理両面から俺にとって最善の道は何かという観点で説いてくるのだ。


「ケンジよ…そろそろ意地を張るのはやめてて聖職者になってはどうか。それほどに冒険者のために生きたい、というのであれば教会に冒険者のための席を設けても良い。実際、今の教会には冒険者ギルドを地方貴族から取り上げて教会の直轄組織として置くべき、という動きもある。教会と冒険者をつなぐ役割が公的に必要になる、ということだ。


 今はケンジが元冒険者として果たしている役目を大きな組織として支援できる機会が来ている、ということだ。本当に冒険者の地位向上を考えるのであれば、元冒険者の聖職者、という身分になった方が、実際に救える冒険者は増えるだろう。違うかな?それともあくまで冒険者であり続ける、という意地を通すか?」


 意地…、か。

 そうかもしれないな。


 たしかに、俺はこの世界で急に投げ込まれてしばらくは地を這うように冒険者として暮らしてきた。

 紆余曲折を経て今は靴工房の主として小銭を稼ぎ、さらには成り行きで領地の経営も行っている。


 目の前の仕事に全力で取り組んできた自負はある。

 それは俺の細やかな意地でもある。


 けれど、自分が仕事を通じてどれだけの冒険者を助けることができたか、そのベストを尽くしてきたのか、と自問自答しない日はない。

 もっと言えば、今でも自分は冒険者なのだろうか、安楽に壁内の街中で暮らす自分が冒険者を名乗るのは単なる自己欺瞞ではないか、と思うこともある。


 ニコロ司祭の指摘はいつもながら論理的で自分の迷いを突く鋭さがあった。


 そう…冒険者を本当に救うのであれば、地位も権力も必要だ。

 そろそろ意地よりも実を取る覚悟が求められる時期だろう。


「年貢の納め時、というやつかもしれませんね」


 俺はため息をついて首肯した。


「黄金の麦の穂は垂れてこそ、とも言う。教会はそなたを喜んで迎えよう」


 ニコロ司祭は満足げに肯いた後でつけ加えた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 そうして聖職者になることを了承した自分へのニコロ最初の指示は意外なものだった。


「ケンジよ、まずは市井の義務を果たすことだな」


「市井の義務、ですか?事業を整理せよと?」


 教会に入り聖職者の身分を得ると同時に私有財産を喜捨する者は多い。


 しかし今や靴工房は革通りで働く大勢の市民や職人、それに孤児たちの糧を稼ぎ出しているし、枢機卿の靴も納めている。

 財産の喜捨とは建前で広大な領地から上がる税収で富貴に流れる聖職者も多い。


 そこは通例通り見逃してもらえるだろう、と踏んでいたのだが甘かったかもしれない。


「そうではない」


 顔色を失った俺の答えを、ニコロ司祭は否定した。


「…では?」


「お前がこれまでずっと…流れ者の冒険者であった身代から身を立てて靴工房を興して軌道に乗せ、市民権を買い取ってからも果たしてこなかった義務があろうに?」


「人頭税…は納めていたはずですが」


 ニコロ司祭は呆れたように首を左右に振った。

 これも不正解らしい。


「結婚だ。ケンジよ、聖職者になる前に妻帯を済ませておくのだ。例の赤毛の娘がいたであろう」


「……はぁ?」


 今、とてつもなくニコロ司祭の口からその人柄に最も相応しくない単語が吐かれた気がする。


「結婚、と仰いましたか?」


「そうだ。市井の身分であるうちに結婚し妻帯しておくのだ。聖職者になってからの事実婚は信仰に富んだ態度とは言えぬ。それは日陰の身分となる女が辛かろう。逆に市井で妻帯者でありながら信仰の生活に入る者は目覚めた者として尊敬を集めるものだ。なのでさっさと婚姻を済ませておくように。時期は来月が良かろう。教会は2等街区の司祭に話をつけておく」


 そうして言いたいことだけ言って、ニコロ司祭はさっさと出て行ってしまった。


「…結婚?」


 あとには、急な展開について行けなかった俺だけが一人室内に残されたのだった。


 ★ ★ ★ ★ ★


 陽が沈む前に革通りの靴工房に戻れた。

 職人達の作業音がやかましいが、騒音を聞くと落ち着くのだから不思議なものだ。

 作業場を抜けて事務所に行くと、サラが心配そうにして待っていた。


「大丈夫だった?また無茶なこと押し付けられなかった?」


 サラのニコロ司祭評が酷い。

 ただ、今までニコロ司祭に呼び出されると碌なことがなかったのだから心配は事実と統計に基づいている。


「いや、それはなかったよ」


「そう、良かった。じゃあお茶でも淹れるわね」


「ああ」


 いつもなら待つ間にも工房のことや仕事のことを考えるのだが、今日はそういう気になれない。


 手持無沙汰でサラの後姿を眺めていると、彼女は植えた窓際に植えた鉢からハーブの葉を千切り取っていた。

 窓の夕陽に照らされて、頭の後ろにまとめられた赤毛が馬の尻尾のようによく跳ねている。


 なんとなく黄金の草原を走る馬の姿を連想した。


「なあ…もし俺が聖職者になる、と言ったらどうする?」


 ぴたり、と葉を千切っていたサラの後姿が固まった。


「…また勧められたの?」


「ああ」


「ニコロ司祭様も、懲りないわね」


「そうだな」


 しばらく沈黙が続き、サラが言葉を発した。

 少し語尾が震えていたように聞こえた。


「…受けるの?」


「…ああ。そろそろ断るのが難しくなってきた。黄金の麦の穂は垂れてこそ、ってやつらしい」


「そう…おめでとう…。大出世ね」


 静かに答えたサラは背を向けたまま俯いて肩を震わせ始めた。


「だけど、それには条件がある、らしい。市井の義務を果たせ、とさ」


「……」


 俺は椅子から立ち上がり、サラの震える方に手を載せた。


「結婚してください、サラ。俺のこれからの人生の困難に立ち向かうにはサラの助けが必要だ」


「…え?なに?どういうこと!?」


 すごい勢いでこちらに向き直ったサラは、鼻水と涙で酷い顔をしていた。

 この上なく真剣な場面だったのだが、思わず吹き出しそうになった。


「だからさ、聖職者になる前に一緒になろう、って言ったんだよ」


「…聖職者になるから別れるとか捨てるって話じゃなかったの?」


「お前、俺を何だと思ってたんだ?」


 そもそも俺が罪に問われた際に危険が及ぶのが嫌だから市民権を取った後も手を出さなかったっていうのに。


 すると、ガシッと骨が軋む勢いでサラが体ごと無言でぶつかってきた。

 さすが元冒険者の弓兵だ。力が強い。

 ぐりぐりと鼻水と涙を胸にこすりつけるのは構わないが、顎に赤毛のつむじがあたって痛い。


 しばらく気のすむようにさせて、返事を待った。

 が、なかなか答えが返ってこない。

 がっしりと力強くホールドされたまま、丁寧に聞いてみた。


「それで、いかがですか?お返事をいただいても?」


 数十秒の沈黙のあと。


「…してあげてもいい」


 と、小さな声で顎の下から返事があった。


 ちなみに俺とサラのやり取りは工房の職人、特に奥様方には筒抜けだったらしく。

 事務所から出ると勢ぞろいした職人達に口笛と足を踏み鳴らして全員に祝福され、ものすごく恥ずかしかった。

 サラは赤毛よりも顔を真っ赤にして小さくなっていた。、


 こうして俺は聖職者になる前に「市井の義務」を果たしたのだった。

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異世界コンサル株式会社 書籍発売&コミカライズ中!(旧題:冒険者パーティーの経営を支援します!!) ダイスケ @boukenshaparty1

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