こんにちは。
雪の香り。です。
タイトルにもある通り『グスコーブドリの伝記』を読みました。
飢饉になり、お父さんとお母さんが家から出て行った時には「ああ、残り少ない食料を子供に与えるために……」と切なくなりました。
ヘンゼルとグレーテルのように口減らしに子供たちを捨てるのではなく、自分たちが出ていくあたり、本当にブドリくんとネリちゃんを大切に思っていたのだろうなと……そしてそんな両親を兄妹も好きだっただろうから……つらい。
その後、今度は兄妹が別れ別れになってしまって、なんでこの子たちはこんなに悲しい目に遭わされなきゃいけないのかと涙ぐんでしまいました。
その後にブドリくんが働きだしたときは、ただただ「雇い主がヤクザとかじゃなくてよかった」と思い、でも労働基準法だとかがないのだろうなと読み取れる忙しさで、何度も職を変える羽目になるし「数奇な運命」とはこういうことなのだろうなと感じました。
でも「本が読めた」雇い主の死んだ子供の代わりに「勉強させてもらえた」のは幸運だったのでしょう。働いていたからその知識も「頭でっかちの机上の空論」ではなく「生ける知恵」になり、生涯をかけても悔いがない仕事に出会えた。
今までの苦労が報われた。
最期に大仕事の代償として命をはかなく散らせてしまうけれど、こんなに優秀な人がいなくなるのは損失だと残念な気持ちになるけれど、気の毒だとも感じるけれど、同時にものすごくうらやましい。
私も生涯をささげられる仕事に出会いたかった。
ブドリくんは丈夫で真面目で忍耐強く、そして健康で若い。
若さと健康はなによりの宝ですよ。
それだけでチャンスはやまほどある。
若さを失い健康でもない私はどうしても憧れてしまう。
いいなぁ。
いいなぁ。
ないものねだりですね。
努力もせず他人を羨んでばかりいるなんて愚か者のしるしです。
だから嫌われるんでしょうね。
(カクヨムではたくさんの方に応援いただき、とても嬉しく励まされたいたけれど、実際に私と対面する人はたいてい私のことが嫌いか興味ないかどちらかです)。
頑張りたいけれどなにを頑張ればいいのかわからない。
そんな感じの今日この頃です。
以上です。
後味の悪い終わり方ですみません。
ここまで読んで下さった方にも私にも幸運が訪れますように。
おわり