• 異世界ファンタジー

「風塵の碑」第38話のあとがきらしきもの

 こんにちは、結愛りりすです。

 前回日本と西洋の剣術について少しだけ触れました。

 ではイスラームではどうだったのでしょう?

 中世イスラームにはフルーシーヤーという学問がありました。

 これはイスラームの騎士が体得すべきと考えられていた知識の集大成です。

 その中に各種戦闘技術・訓練(剣術とか弓術とか槍術など)の指南も含まれていました。

 フルーシーヤーに含まれていたのはそれだけではありません。騎士が学ぶありとあらゆる知識が詰め込まれていました。

 すなわち先述の戦闘技術に加え、狩猟、馬術、蹄鉄術、戦術、戦略、さらには獣医学まで。騎士が触れるものは全て含まれていました。

 成立したのはアッバース朝のAD8世紀後半。始祖はムハンマド・イブン・ヤウクーブ・イブン・ガーリブ・イブン・アリー・フッタリー(あだ名はイブン・アヒー・ヒザーム)という方です。

 彼はアッバース朝の名家の生まれで、おじさんがホラーサーン軍司令官、父が獣医長をやっていました。

 ちなみにホラーサーンとは今のイラン北東部一帯の地域のことで、アッバース朝台頭の拠点となった場所です。

 つまりイブン・アヒー・ヒザームさんは生まれながらにして馬の詳細な知識や軍事訓練の知識などを身につけられる環境にいたということです。

 彼もおじさん同様ホラーサーン軍司令官になり、その後獣医長も勤めました。

 彼が著した書物は二つ。

 騎士に向けたマニュアルと将校・司令官に向けたマニュアルです。それぞれが相互補完性のある専門書でした。

 後世の知識人の引用により、その一部は知ることが出来ますが、彼の著作そのものは散逸してしまって残念ながら現存していません。

 ただ彼の著作以降、フルーシーヤー諸学の学問書は数多く書かれることになります。

 特に奴隷軍人によるマムルーク朝になってからは軍事マニュアルとしての性格を強め、マムルーク騎士達の間に浸透していきました。

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