「風塵の碑」
https://kakuyomu.jp/works/16817330667405923497 こんにちは、結愛りりすです。
帝都メルファハンの人口は60万人。
東京の杉並区や板橋区が人口56万〜58万人ぐらいなので、それぐらいです。
意外に少ないと思われるかもしれませんが、農業や商業、流通が今ほど発達していない中世では、一個の都市が支えられる人口は数千人規模がほとんどで、数万人ともなるとかなりの大都市でした。
11世紀頃の人口で最も多かったのはスペインのコルドバで45万人、中国の開封で40万人となっています。
ただしこれらの数値は年代や計算方法、文献によって異なり、最も多かったのはイスタンブール(コンスタンティノープル)の60万人である、という説もあります。
ローマ帝国の最盛期のローマや唐の最盛期の長安では100万人を超えていたようですが、中世の人口の最大規模でこんなものです。大多数の街はもっと少なく、小規模でした。
ちなみに平城京は20万人弱いました。すごいですね。
また、きちんとした記述はしていませんが、設定ではメルファハンの面積は30平方キロメートルぐらいです。
東京で言えば板橋区ぐらい(約32平方キロ)。
大阪で言えば中央区と北区と福島区と西区を足したぐらい(約29平方キロ)。
名古屋で言えば中川区ぐらい(約32平方キロ)。
札幌で言えば白石区ぐらい(約34平方キロ)。
仙台で言えば宮城野区の半分ぐらい(約29平方キロ)。
広島で言えば西区ぐらい(約35.6平方キロ)。
福岡で言えば博多区(約31平方キロ)か南区(約31平方キロ)ぐらいです。
これも狭そうに思えるかもしれませんが、ローマ帝国の帝都ローマですら14平方キロしかありませんでしたし、中世ヨーロッパ最大都市であったパリ(人口5万〜15万人)も4平方キロほどしかありませんでした。
これは当時の街が城壁に囲まれている形をしていたため、簡単には拡張できなかったことにも起因しています。
そんな大小の都市が歩いて1日ぐらいの距離(約24キロ)に築かれ、市場として開かれていました。
ちなみに群を抜いて広かったのが唐の長安で、7世紀から10世紀の時代に84平方キロでした。
当時の街の概念から言えば規格外の広さですね。
こうして見ると、メルファハンがいかに巨大な規模を誇る都市であるかがわかるかと思います。
「風塵の碑」
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