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鎮魂の日を迎えて

東日本大震災から、10年を迎えました。あの日、職場で無限に続く強烈な揺れに必死に耐え、その晩も、思い出したように鳴り響く緊急地震速報に怯え、翌日になると次々とモノが無くなって食料や水、ガソリンの確保に難儀し、まさに「兵糧攻め」に遭っていたことを今も鮮明に覚えています。水やガソリンを確保するのに何時間も並んだ経験は、一生忘れられないですね。

でも、僕の住む町の沿岸部は津波でもっと大変なことになっていましたし、原発から20㎞圏内のエリアでは、今も人があまり戻っていません。先日、常磐線で仙台に向かった時、原発が立地する町を通ったのですが、未だに修復されない屋根、地震で倒壊したままの家が目につきました。ここはまだ、10年前のままなんだな、と。

当時「絆」という言葉が流行りましたが、どこか独りよがりになってないだろうか?周りと自分が本当の意味で絆で繋がってるんだろうか?と疑問に思うことがありました。
(一部有名人のテレビを引き連れてのボランティアや、津波被災地で楽しそうに記念写真を撮る他県の車、そして自分の住む県への言われなき差別など)
震災を通し、人間のいい部分も、悪い部分も色々見えたように思えます。

震災での経験については、もう少し頭の中で整理しながら、いずれ何らかの形でまとめてみたいな、と思っています。
自分なりに、色々と思う所があるし、伝えたいことがありますので。




3件のコメント

  • 『大きなケヤキの樹の下で』でも災害について描いている箇所がありますよね。とても大事な記録を盛り込むことで、災害の恐ろしさも訴えかけていらっしゃったのだと思い、この作品にとても大事な思いを込めていらっしゃるんだと改めて思いました。
  • 追伸です;災害については心が痛みますが、復興に向けての多くの人々の努力には心から敬意を表したいと思います。また記録として残していくことも後世への学びとなると思いました。
  • 中澤京香さん、コメントありがとうございます。

    ご指摘の通り「大きなケヤキの樹の下で」の中に、震災当時の体験を少しだけ盛り込んでいます。ケヤキの成長を描きながら、昭和から平成、令和の時代の移り変わりを織り込んできたのですが、平成の出来事として震災を外すことはできないと思いました。第22話で描いた光景は、まさに震災当日、僕自身の体験を元にしていますし、ケヤキの移植先の港町も、津波被害を受けた沿岸部をモデルにしています。
    災害の恐ろしさや爪痕の大きさが、作品を通してほんの少しでも伝わったのであれば幸いです。

    「大きなケヤキ…」以外でも、今後機会があれば、何らかの形で震災当時の経験を書くことができれば、と思います。ただ、僕自身の私見が入ってしまうので、他の経験者が見たら、それはちょっと違うのでは?と言われるかもしれませんが(汗)。この経験を風化させないよう、しっかり残していきたいと思いますね。



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