今デスゲーム小説のコンテストに出す作品を描いてます。間に合うかどうかは知らんけど。
んで、描く前にデスゲームについて「そこそこ」調べました。
そしてわかったのは「ある程度定形されたジャンル」である事です。
人々が特定の場所に集められ、或いは集まり、
生き残りを賭けた娯楽とかスポーツを行う、的な定形。
あとは第三者が死にゆく人々を観て楽しむ、そんなモノもあるのかも知れません。
例えばローマのコロッセオなんかは、上の条件を二つとも満たしてますよね。
中世ヨーロッパの「処刑」は殺し合いはしないけど「観て楽しむ死の娯楽」です。観衆が「20分で死ぬのに3ドゥニエ!」みたいな賭け事を始めたならば、それもデスゲームだと思います。
戦争もデスゲームです。
勝ち負けや立ち振る舞いで国や民衆の行く末が決まるスポーツです。
何処かに捕らえられた人が施設から命懸けで脱出するのもデスゲーム。
麻雀や将棋の代打ちなんかも雇った側が「ブラックならば」デスゲームです。
定形、とはいっても今パッと思いついただけでこれだけあります。
ただ、そんな事を考えているとなんでもかんでもデスゲームに思えてきます。
借金してまでパチンコする人、緩やかなデスゲームに参加してる様に見えます。「勝てば利息分払える。負ければ返済出来ずに社会的地位を失う」みたいな。
自己破産とか債務整理って言葉にすれば簡単だけど、気軽にできるもんでもない。
長い目で見た進化の歴史。
環境に適応出来た種だけが生き残る。
長い目でお話をすると長いお話になるので、ちゃちゃっと蝿で語りましょう。
蝿の群れに殺虫剤をかけます。
ほとんど死にます。
でもたまたまその中に「殺虫剤に耐性を持った突然変異個体」がいたならば、そいつは生き残ります。
そいつは同じ様な番(つがい)、或いは安全な場所で見つけた番(つがい)と子孫を残します。
殺虫剤に強い蝿が繁栄します。
その蝿の群れを蒸し暑い容器に一定時間集めます。ほとんど死にます。でも「たまたま熱に強い個体」が生き残ります。
ほら、デスゲーム。
人間の社会もデスゲーム。
それぞれの環境や地位に適応出来たオスメスの方がより多くの子孫を残せます。多数決に負けた人々が子孫を残すのはとても難しいです。
美男美女の容姿って「カテゴライズ」出来ちゃうじゃないですか。
ヤリマンヤリチンの人達も、ある程度カテゴライズできちゃいます。似通った特徴があるのです。
多くの子孫を残した証。
容姿だけではなく、力の強い人の子供が力持ちである事も多いし。足が速い人の子供も足が速い可能性が高いです。
じゃあ優れた容姿や能力のない人達の子供はダメなのかというと「突然変異個体」が生まれる事もあり、そういう奴らがしのぎを削り合うのが世の中です。
更に適応しにくい人達が「自分の強みを無理矢理世の中に認めさせる事もある」というのが面白いトコロ。
世界はデスゲームで満ち満ちている!
という事で、僕は「定形を無視」します。
でも読んだ人が「あ、これはデスゲームかも」と思う作品に仕上げます。
でもでも決して奇抜な発想だとか、そういう作品でもないです。
誰でも思いつきそうな設定で勝負します。
何故か?
言ったでしょう?
世界はデスゲームで満ち満ちているッッ!!