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 グロの役割り。

 不穏なタイトルですが、まずは報告!
「ロジカルマキアート!!」一次選考通過しました!
 一応昨日サイレント報告してたのですが、通過できたのはお読み下さった全ての方々のおかげですので、再度報告した次第でございます。


 んで、これから書く文章は表題の通りなんですが「そもそもグロに役割なんてあるの?」って思います。

 というのも今続きを描いてるとある作品で、グロ表現を解禁しました。
 今までは極力直接的な表現は避けてたのですが、やっぱ描かなきゃならないよなぁ、って感じです。
 ちなみに読む活動を本格的に再開できるかどうかは、その作品を完結させられるかどうかに掛かっています。
 いや、一区切り、って意味です。
 一応続きやラストまでの構想は描く前から頭にありますので、それを描くか描かないかは、求められるかどうかで決まります。

 さて、グロとはなんぞや?

 それはやっぱり「見たくないもの」だよなぁ。

 なんで見たくないのか。
 何故なら生き物は皆んな、汚い、です。
 たとえば植物。
 その花から飛び散る花粉には精子が詰まってます。花粉症ってのはとどのつまり、顔射されたそれが目とか鼻腔に入る事により起こるアレルギーであります。
 下品?
 でも事実。笑
 茎や葉にも体液が詰まってまして、種類によっては悪臭を放つものもあります。顕微鏡で覗くと、ちょっと歪な粒々が流れてる事もわかりますし、細胞内には変な形のナニカがあったりします。
 土に隠された根っこはウネウネしていて、それなりにグロテスク。

 じゃあ動物は?
 これは我々人間を例にしましょう。
 僕たち人間の下腹部にはウンコとかオシッコが詰まってます。それが街中を彷徨いてるので、人間が作る世の中は、膜に包まれたウンコまみれであると云えます。
 断食とかしても体が空っぽになる事はなく、生臭いグニャグニャした内臓が、内蔵されてます。
 更に死ねば腐って、糞便と同等な物になりますので、やはり生き物は汚い。
 どんなに容姿端麗な、美男美女であっても。
 ソレを見せるのがグロ、です。

 そんなもん誰も見たくない。
 自分が汚いなんて認めたくない。
 だから人は着飾るし、体臭を抑える為に色々な工夫をして、排泄したものは見えない何処かへ隠します。
 でも、汚い、って事実は変わらないんですよね。

 ソレを直視させるのがグロテスク、というものだと解釈してます。

 そういった意味ではこの文章自体がグロいかも。
 あとは、見たくない自分や他人の内面、心の醜さ、そういうのを描写するってのも広い意味ではグロになるんでしょうね。

 見たくないモノを見せる。

 これだけならば、浅はか、です。
 汚いモノを見せられて嫌がる人々を観てニチャニチャする。醜悪この上ありません。

 だから避けるべき事柄と結びつける必要があるのだと感じてます。

 誰かを蹂躙する時の内面、いじめっ子の内面を観ていきましょう。
 弱い反撃して来ない生き物を思い通りに支配すると人は、快感を得ます。
 自分はそうじゃないって思いたい人も多いと思うのですが、たとえば嫌いな人への陰口。その人はその場に居ませんので、アナタがどんなに酷い事を言ってもその人は反撃出来ません。つまりこのシチュエーションに限ってアナタは、その人を支配していると云う事ができます。
 有名人とかに好き放題言うのも同様。
 僕のこの文章を読んで困惑した人、イラっとした人、試しに誰かに「Y.Tって人がまた変な事言ってる」と伝えてみて下さい。きっと幾分かスッキリすると思います。更に相手が共感してくれたならば、その陰口は「共同作業」となりますので、嬉しく感じる事でしょう。

 そういう時の醜い感情を見せつけられると人は「ああ、陰口は良くないし、虐めは良くない。辞めよう。やらないようにしよう」ってなります。

 戦争映画とかで、わざわざ腕がもげたり腸が飛び出るシーンを映すのも、そういう意味があると思います。

 ピカソの「ゲルニカ」を覧た事あるでしょうか。あれはそういう絵ですよね。

 覧た事ない人は、ピカソが七歳の頃に描いた足首から下のデッサンも併せて覧てみて下さい。子供の頃既にリアルな絵を描く技量を身に付けてるのに、なんであんな絵を描くのかも、わかると思います。
 絵の意義は再現する事ではありません。
 それならば写真で十分です。
「どう見せるか」「こう見せたいからこういう描き方をする」ってのが基本なのです。リアルよりもリアルに見えるように。

 つまりグロとは、見たくないモノを敢えてリアルに描写する事により、見た人達のリアルに影響を与える為のモノ、って感じだと思うんすよね。

 でも、「グロが見たくて足を運ぶ人」も、かなりいます。

 それも、わかるんだよなぁ。

 湿度を持った艶めかしいモノに人は、魅力を感じます。更にその形が整っていたならば、美しいとすら感じます。

 たとえば脳みそ。
 ウネウネしてて気持ち悪いですよね。
 ただ、色はパステルカラーっぽくて可愛いです。焼いたシャケの切り身みたいな色をしてます。
 で、左右対称。完全ではないけどそれでもぱっと見、左右対称の溝が広がり大きさが同じくらいの右脳と左脳が並んでます。
 んでんで、右脳と左脳の間の下部には大きさ控えめな可愛い小脳ちゃんが居ます。
 更に、それが脳の「定型」であります。

 自己が認識する定型に収まる物を観ると人は、「キレイ」と感じます。
 文章もそうですね。
 既存のテンプレートに収まった文章は、とても整って見えます。

 だから「湿度を持って艶を放ち」「色が控えめで」「整った形をした臓物」と「鮮やかな赤黒い血」のコントラストを見て、美しい、と感じ興奮する人が一定数居るのも、やっぱりわかる気がするんですよね。

 あとは、嫌いなヤツの汚い部分を晒して嘲り笑うってのも、先に述べた「虐めが汚い理由」もあり、かなり人を誘惑します。そして「自分の汚い部分を隠す」か、或いは「その汚い部分すらも美しいと感じ興奮する」という選択が発生して、これらの事象は繰り返されるのです。


 だから極力、グロは避けるべき。
 だから極力、グロから逃げるべきではない。

 この矛盾がいつも、僕の頭の中をぐるぐるします。
 
 僕がグロを描く時、グロを好きな人を喜ばせようとは思ってません。
 でも、見て欲しい人達はグロが嫌い。

 うーん。
 ま、いっか!

 別にそんなのどーでもいーよね!

 終わり。
 
 
 

2件のコメント

  • 仏教でも九相図で、人間の見てくれは皮一枚って説いてるけど一番見るべき連中は見ないよねぇ。見てくれ誇っているのとか、所詮糞袋だから。って切り捨てられるし。
  •  だから生き方、が大切になってくるんですよね。同じ糞袋でも美しい糞袋と単なる糞袋がありますから。
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