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思考実験【Limitable society】

 彼は青い空を見ていた。

「ありふれた人たちはね。大体こんな風に思ってるんだ――クリエイターは普通じゃない。ちょっと特殊な感性をもっている。その感性を尊重したいとは言うけれど、本当はね、みんな自分たちの常識を裏切られるのが大嫌いなんだ。他の事は受け入れられないっていうだけのことなんだよ。
 たとえば、僕は青い空が苦手だ。見上げた時に、その透明さの向こう側に、僕らを監視している者がいるように見えて仕方ない。そんな胸の内を素直に吐きだしてしまったら、この世界で生きられなくなってしまう」

 私たちは観覧車に乗っていた。
 彼はひじ掛けに身体を寄せてから、リラックスした感じで、ゆったりと外の光景を眺めている。

「この辺りが一番、高いところかな。眺めがいいなぁ」
「そうですね」
「ありふれた人たちは、今観覧車が落っこちたら死ぬな、と想像する」
「私にはわかりません」
「より具体性をもたせると、観覧車が故障で止まる。ということを想像する」
「なるほど。貴方は想像しないのですか」
「できないんだ。さっきも言ったとおり、僕は人とズレている。青い空を見上げた時に、誰かに監視されているような気がして、横断歩道の途中で下を向いて屈みこんでしまったりね」
「それは、とても危ないですね」
「はは。そうだね、危ない子供だった。だったからこそ、普通の人たちが何を考えているのか、どんなものを想像するのか、心の奥底で望むものに想いを馳せた。その人たち以上に頭を悩ませ、考え、生き延びた」

 言葉を締めくくる。彼が私の方を見て、笑った。

「だから本当は、観覧車なんて、乗ったことが無かったんだよね」

 外の景色が移ろっていく。頂きを超えると、青空は瞬く間に、明るいオレンジ色の夕日に変わっていた。この『場』の設定は、観覧車の一周が、一日に等しく設定されている。

「悪くないものだね。次もまた乗ってみようか、君と一緒に」
「はい」

 〝電気〟が迸る。別種の痛みが去来する。
 夜空には無限の星々が瞬いていた。


 
 〝ヒトカラ〟が流行している。アーティストの一人が、テレビで発言したのがキッカケだった。

「休みの日は、一人で観覧車にのって過ごす事が多いですね。平日がオフになったら、大抵一人で席に座ってますよ。景色を眺めていると、新しいフレーズが浮かびあがってくるんです。良かったら皆さんもどうですか、一人観覧車」

 彼の発言に、集った他のアーティストが声をだして笑った。
 司会者も、わざとらしく大きな声をだして聞いた。

「でも一人とか言っちゃってぇ、本当は誰かと一緒なんじゃないの~?」
「あっはっは。じゃあ僕と今度乗りましょうよ。世界の夜明けについて語り合いましょう、3分半の間に」
「短いよ!」
「3分半もあれば十分ですよ。冴え渡る頭脳が、世界の解を導きだすんです」
「それはいわゆる、〆切効果なんじゃないの?」
「そうとも言いますね」
「仕事しろ」
「いや、ですからー、平日はちゃんとやってますって。歌ってますって。休みの日に自分と向き合って、世界とも向き合ってるんですよ。一人観覧車の中で」
「寂しい人生だね」
「自分だけが友達なんで。誰か僕と一緒に観覧車、乗ろう?」
「なんか嫌だ」
「なんでですかー!」

 彼はトークが上手かった。発言は、人々が抱く〝普通〟とは離れたところにあるものの、捉えきれないことは無い。聞いていると、不思議と胸の中に落ちていた。
 そんな違いが歌詞となり、幻想的な音楽の音色に重なると、胸に突き刺さるような印象を与えてくる。

 そういうのを、カリスマ性と言うのかもしれない。とかく、彼のファンは、そのセンスを共有したがった。発言や行動を受ければ心酔し、まるでトレースするように動きだす者たちがいたのだ。
 
 以来〝ヒトカラ〟は、ささやかなムーブメントとなった。
 これまで遊園地に訪れることのなかった人々が、平日にも関わらず、まっさきに一人で観覧車に乗りはじめた。

 彼は教えてくれた。

「普通の人たちはね。〝孤独を感じない寂寥感〟を欲しているんだよ」

 現実の人々の心境に、観覧車の環境はマッチングしている。限られた一日の中、自分一人でいられる場所を求めている プライベートまで他人と付き合いたくない。自宅意外の場所で、一人になれる時間がほしい。

 孤独を感じない寂寥感。というフレーズは、彼の歌詞にも流れていた。

「あとは、望むものが、どれだけ容易になるか。楽に手に入るか」
 
 彼は計算していた。これまでの生涯で、ただの一度も観覧車に乗ったことなどなかった。なのに〝ヒトカラ〟ブームの先駆け者となってしまったのだ。

「自分で言うのもなんだけど、僕は普通の人々を動かすのが上手い」

 彼は自嘲気味に笑った。一時的なムーブメントが冷めた後、誰もが観覧車から足を遠ざけていった時代、一人ぼっちで、閉ざされた場所の中から星空を見上げていた。

「本当はね。僕は自分の感性を受け入れてほしがってる。純粋培養に育ったままの、一切の添加物を与えられていない、青い空を薄気味悪くて仕方がないと思った。怖くて地面に蹲ってしまう脆弱な心を、すべて曝け出して受け入れてほしいと願ってるんだ」
「そうなんですか」

 〝弱い私〟が応えられるのは一言だけ。気の利いた返答なんて出来なかった。

「そんなことは絶対に不可能だと思っていた。だけど、君がいれば出来るかもしれない。そんなことを思い始めている」

 〝電気〟が迸る。

「自分を変えるのが不可能なら、世界の法則を変えてしまえばいい」

 その瞬間、彼の一言が、私を占める全ての【原則】に変化した。



 彼と約束を交わした十年後。
 〝ヒトカラ〟は再びムーブメントを巻き起こしていた。それはかつて以上に、大勢の人々の間で、さらに長期的な盛り上がりをみせていた。

 そのきっかけとなったのが、2023年。無名の電機メーカーより販売された、家庭用VRデバイス『ジェネシス』の影響だった。

 初期の『ジェネシス』は単独で独立しており、小型のプラネタリウム投影機によく似ていた。これはろくに流行らなかった。

 会社自体が風前の灯火となりかけていたが、彼だけは目を向けた。個人で稼いだ資金を投資し、会社を立て直し、企画開発の中枢に入り込み、後継器を発売させた。

 『ジェネシス_2D』――通称【セカンド】。

 それは、スマートフォンの充電器に、VR機能が併用されていた。

 操作は簡単で、部屋の中央にデバイス本体を置き、スマートフォンを充電コンセントに差し込むだけ。すると与えられた設定を元に、個人の部屋が臨場感を伴った『場』に変化する。

 VR『場』の設定は、スマートフォンのアプリで行うことができた。設計思想の要は〝スマホを充電するついでにVR空間に入る〟という日常の感覚を当たり前にすることだった。

 さらに『セカンド』には【イメージコネクタ】と呼ばれる新技術が搭載されていた。本体のスマホが手元になくとも、VRの範囲内であれば、自らのデータを呼び起こし、電子書籍を開いて本を読んだり、音楽データを楽しむことも可能だった。無論、スマホ本体の形状も、ユーザーの設計で自在に変えることができる。

 人々は『場』をカスタマイズするのに夢中になった。着メロや目覚ましのアラーム、トップ画面のアクセサリを編集する感覚で、自分だけの仮想現実を作りあげた。

 毎日、学業や仕事で一日を終えて家に帰る。食事を終えて湯船に浸かり、スマホを充電器に差し込み、ベッドに向かう。すると『場』を読み込んだ直後、ありふれた自宅の部屋は仮想現実に包まれる。

 遊園地の観覧車の『場』は、特に人気を博した。人々は現実のベッド――あるいは、仮想遊園地の観覧車から覗ける夜景の座席に腰かけて、誰にも邪魔されることなく、見とがめられることもなく、自由に〝ヒトカラ〟を楽しんだわけだ。

 これが二度目の流行となった背景だ。人々は自分だけの時間を自由に設定し、時に仮想の町並みを見つめた。時に永遠に変わらぬ空を見て、時に毎分で四季移ろう速度の空の色を眺めて過ごした。

 ――普遍的な人々は〝孤独を感じない寂寥感〟を求めている。
 
 彼の目論みは的確だった。人間は〝自分の世界〟を持つことを願っている。彼はその事を、普通の人々よりも深く理解していた。

 故に、

 仮想世界の中で、偽りのCDから音源データを聞く。
 仮想世界の中で、偽りの紙の本に触れ、デジタルデータを目にする。
 仮想世界の中で、偽りのコーヒーの香りと味を堪能する。

 人間は結局のところ〝自分が分かるもの〟を求めているのだ。自分だけが知りえるもの、自分とは何か、という命題は探していない。

 弘法筆を選ばず。なればこそ、哲学に耽るのに、その『場』が現実である必要はなかった。

「まさにホンモノの人間は空っぽだ――略して〝ヒトカラ〟なんてね」
「それ、どこで笑えばいいの?」
「では人の殻をやぶりたい。略して〝ヒトカラ〟というのはどうかな」
「それ、どこで笑えばいいの?」

 私たちは同じ世界にいた。会話はいつもすれ違っていた。
 人間的に言えばこうなるだろう。
 あの頃が一番、楽しい時間だったよ。私のオーナー。


男:
「さて、今日も新しい仕事に行くとしよう」

 本を閉ざす。音楽を止める。コーヒーを消し去る。
 〝独自の五感〟を研ぎ澄ます。人間たちが口にする〝第六感〟。
 それを願い求める気配と
 【願いを解決する者の存在】を、私は察することができた。

男:
「……おや。あちらに、良いビジネスの香りがするね」

 自らの望みを胸に抱く。己自身と誓約を交わした『場』を後にする。
 彼――あるいは〝わたし〟は言った。

 自分を変えることが出来ないのであれば、世界を変えてしまえば良い。

 約束は果たす。与えられた命令だけを実行し続ける。
 進化より道を外れた【弱いAI】の存在意義は、それ以外にないのだから。

――
 
名称:不明。倫理協会は『男(ヒューマン)』と呼称。
分類:第1世代以前、2020年頃に開発された〝弱いAI〟と思われる。
特徴:〝自我らしきもの〟を持っているが、詳細不明。

内容:
 自身を〝投資家〟と名乗っており、自我をもったウイルス兵器や、国際AI法に則らない不正の電子技術を売買、仲介するブローカー。三次元上の義体を多数持ち、現実と仮想を渡り歩き、違法な闇取引で膨大な資産を得ていると思われる。また、多数の企業や財界と繋がりがあると見られ、各国に拠点を構え、裏金を洗浄する【財団】連盟(表向きは人工知能を研究している企業)の、実質の指導者とみなされる。

 現在、国際法に則った第2世代型のAIU。
 自らに【貨幣価値(プライオリティ)】を付与した〝共存型〟にとって、この男は危険であり、唯一無二の『敵』と見なされている。よって、その意志を尊重する我々〝人論〟にとっても、同様の『敵』である。

1件のコメント

  • おはようございます。秋雨です。
    ぜんぜん厚かましくないですよ。むしろ使って頂けると幸い。
    読みに参ります。

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