本日はお休みだったので、たまには投稿。
【読書】やがて恋するヴィヴィレイン5
感想が長くなったので簡易版。
犬村小六さんにとって『ヴィヴィ・レイン』というお話が、とてもとても大事なものであり「世界観」あるいは「創世神話」を、たっぷり書きたいんだよというのは、4巻、5巻を読んで、ひしひしと伝わってくる。
ただ、だからこそ、エンタメ作品としての『面白さ』は、代表作である「とある飛空士」シリーズと比べると劣ってしまうと感じました。
おもしろいな~と思う場面はあるんだけど、全体的に展開が駆け足すぎて、本を閉じたあとに「う~ん?」と首をひねってしまう感じ。
ところであの世界は、海の干上がった世界なのかな?
魚と海の描写がまったく出てこないから、ジュデッカという世界の正体は、元々は深海だったのかなという気がしてます。
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【ゲーム】:CytusⅡ
個人的に注目してたゲーム。1作目は雰囲気にもストイックなところがあったけど、二作目になって、カジュアルな雰囲気を全面に押しだしてきた。タブレットで遊んでるけどおもしろい。
ホームページのデザインが大好き。
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【ゲーム会社】:セガ
一部のアーケードゲームの商業的展開に関して、個人的にすごく好感を持っています。オリンピック開催でe-sportsをはじめ、プロゲーマーと呼ばれる職業の見方が変わってくるのと共に、コンピューターゲームという扱いが日本でも次第に変化、アプリゲームとは完全に差別化された環境を整えてくる、かな? と思うので、こうした企業が今後、どういう風に立ち回るのか、個人的興味を下に窺っています。
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【勉強】:資格取得
資格社会とは聞くけれど、いざ勉強をはじめると、あまりにもモチベーションが保てず、自信喪失しそう( ◠‿◠ )
会社の先輩とそういう話をしていたら、実際に資格を持って活躍してる自分をイメージしたらと言ってもらえた。
わたし:
「じゃあ、先輩と肩を並べて仕事できるよう頑張ります」
先輩:
「ははは、こやつめ。……コーヒーでも煎れてやろうか?」
というデレをリアルに見た。資格勉強していて良かった。
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【AI覚え書き】:
「AIの民主化」実現へ、グーグルが新サービスAutoMLを説明
日経networkで拝見。
やっぱしグーグルが一番手に来たか、ぐにゃ~という感じ。
技術者が結集してるところって、本当に強すぎる。
また去年、米国17歳の天才高校生が、仮想歩行シミュレーターを搭載したAIを提出して話題になったりも。
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【妄想】:飛び越える。
コンピューターの世界で物理演算されたオブジェクトに対して、ジャンプして掴み、ぶら下がる。本来は通行不可なリソースが立ちはだかっているにも関わらず、何らかの形で〝飛び越える〟。
動的アクションをAIが自立的に取捨選択して、対応可能になれば、AR上で様々なアクションを取ってくれる『仮想アンドロイド』が、近い将来に実現するかもしれない。
本当に妄想の域をでないけど、ただ、捉えた映像に対応して、選択肢の中から、自分の能力の範囲内で人間と同じような行動を取る人工知能を想定した場合、仮想シミュレーションは不可欠に思える。
そして仮想アンドロイドという概念は、普遍的な人々の欲求を満たせる可能性がある。存在に対し、まとまった投資が始まれば、行く行くは映画版SAOの様な、体験型ARゲームも実現可能かもしれない。
ゲームジャンルとしては、VRが先か、ARが先か。
ただ個人的に、VRにはボトルネックな点がある。
多くのゲームプロデューサーが口にしているが、VRゲーム自体には目新しい発展性は〝今のところ〟感じられない。
既存のゲームデザインを壊すものは得意かもしれないが、おそらくどれもが短編、短いスパンを繰り返す、それこそ現代のスマホゲームのような「ミッション達成型」のデザインに落ち着くとは思う。
その上で、わたし自身もそうだけど、仮想現実というジャンルに今ひとつ魅力を感じないというか、より具体的に言えば「二次元は二次元で良くない?」という考えに行き着く。
オタク的に言えば、どうせならこの現実に、二次元キャラクターが現れた方が嬉しい。頭の中で「もしも実現された未来」を考えていったなら、わたし達の生きるリアルな世界に、脳内がイメージする〝フィクション〟がコミットしてきた方が、より理想的な予感がする。
そしてこの先の「AI」も、VRでなんらかの訓練を積んだ仮想知性が、拡張現実としてARにデザインを合わせ、顕現した方が、リアルのビジネス具合にも適切だと思う。
これに近い感覚をあげるなら、スマホでSNSを操作する感覚というか、目の前に本人がいるのに、手元のLINEアプリで会話しているのが割と自然に起こったり、対戦ゲームの最中に音声チャットのやりとりをして、ゲームのキャラクターというオブジェクトを通し、さも会話しているように錯覚するのが当たり前という、ごくありふれた日常に適した現実が、仮想世界に浸食されているのだなぁと実感した方が、単純に『気持ちいい』からだ。
オタクに限らず、この感覚は、普遍的な人たちの中にもあると思う。
むしろターゲットとしては、スマホが世に出回り、アプリゲームがそれまでゲームをしていなかった層を捉えたように、VRという専用のデバイスを通じて、コアなプレイヤー達が利用するといったものよりも、日常的に利用するアイテムの中に、ライト・コアユーザーを問わず、その他大勢の人々が利用するハードウェアの中身が、現実という枠を飛び越えて現れた方が、社会的にも広まる予感が強いのだ。
言ってしまえば、VRの中で、AIとイチャイチャしながら一狩りするよりも、この現実にいる友達や先輩に加え、AIを搭載したホログラフィの彼女4人と一緒に、各々がコントローラーを握ってゲームしながら、昨日〇〇の奴がさぁ~、わかるわ~、とかどうでもいいことを喋りながら、イチャイチャおしゃべりして、無駄な時間を過ごしたい。
この命の灯火が続いている間に、そういう未来が来てほしい。
切実に。余は熱望中である。
――といった内容をリアルで発していると、ゲームを一緒に遊んでくれる友人、先輩がいなくなり、一人で「cytusⅡ」をフルコンする作業に邁進する羽目になるでしょう。さらにその合間に試験勉強の例文暗記ルーチンを繰り返す羽目になり申すでしょう。孤独。
どちらにせよ、新しいエンタメジャンルの鍵を握るのは、より『人間のカタチ』に近いAIの誕生になりそうな予感。だから二次元オタク的には、AIの民主化を唱えるのは、日本企業にやってほしかった。
新規の概念を社会のカタチとして迎え入れるのは、どの国が先か。
今後の未来に注目しながら、眠り。
……nekoちゃんのグッズでないかなー……(寝言)。