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【超雑文】12/21

ARISE(感想)

結論:
「おもしろい」か「おもしろくないか」と言えば、おもしろい。
 だけど、どうして「おもしろいのか」と問われたら、答えに窮する。
 もう少し言うなれば、作品のテイストそのものは「地味」。

 これは断言できる。

 では「地味」の対極にあるものが「派手」かと言われたら、
 ちょっと違う。

 比較としてもっとも解りやすいのが、エンディングテーマ。

 日本の代表的なアニメは、キャラクターや世界観の魅力を凝縮した
 『キャラクターソング』。

 ARISEのエンディングテーマは、
 どれも「外国人のアーティスト」が歌う、環境音の連なり、ビープ音や短音を特化させた、原始の歌。

 濃い味と色に、風味を利かせた炭酸果汁ジュース。

 無色透明の源水に、一雫だけ生の果実を垂らした果実水。
 
 そういう違い。


 冲方さんが作る脚本は間違いなく後者であるけれど、そのたった一滴に含まれた成分が、半端なく濃い【エンタメ成分】で凝縮されている。それがすごい。同時に、読者に一つの効果をもたらす。

 わたしは【濃い読者】だ。【わかる読者】だと、
 〝こじれたマニア〟を増殖させ、味方につけることができる。


 小数のマニアが好むエンタメ・メソッドの完成形を描けるのが、この作家さんの強みだと思う。
 そういう作家さんに惹かれる読者の特徴をあげると、彼ら・彼女ら・わたし達は、たいへん〝こじれていらっしゃる〟。そうした人々は一つのツールをこよなく愛し、使い続け、離れようとしない。

 言い換えると【特定ブランド支持派】になるのだ。

 仮に 

 「 クリエイター = 技術ツール 」

 と見なした場合、スペック(ブランド)を重視するマニアは、該当するクリエイターが所属する【コンテンツ】を継続的に買うことになる。

 マニアは自己主観を優先し、個人的資産の増減における利益を無視する。社会が推進する【流行らせたいメソッド】に組み込まれない自分を良しとする。

 ブランドが確立されると
 長期的な視点での収入増加が見込まれる。

 よって現在、この〝こじれたマニア〟を獲得することが、どんな分野の営業分野においても、必要不可欠になっていると感じる。



 現代の各種メディアは既に一極化することが不可能であり【まとまり】を失いつつある。各企業は「コラボ」を口にして、なんとかして「まとまった客層」を得ようと躍起になっている。

 そして

「 こじれたマニア = 長期的な収入リソース源 」

 とみなした場合。

 ごく少数で平均値以上の散財を期待して頂ける〝こじれたマニア〟の要求願望を満たす【ブランド】はなにか。【ブランド】をどのようにして、限られた顧客の下へ展開させるか。と考えることは、どんな媒体であろうとも、実益をだすための最優先課題であるように思われる。

 反して、現代において、商品を短期的で増産する。類似した「マイナーバージョン」をベルトコンベア式でパッケージ化し、利益を追求することは、上記の〝こじれたマニア〟を逃すことにも繋がり、現場としては「不良在庫」を大量に抱えるハメになる。

 間違っても誤解してはいけないのが「不良在庫」とは、結果的に「塩漬け状態」となってしまった事を示すもので、商品としての品質は一定以上のものが保障されている。

 これはマニアを逃す理由にはならない。販売ルートが変われば、手に取る消費者は存在する。問題なのは【生産数を必要以上に増やしすぎた結果として物の価値が下がった】ことにある。

 次から次に生産されるから、物理的なスペースが確保できない。
 確保できないから廃棄する。定番だけが並ぶことになる。

 この「塩漬け状態」となった媒体が〝モノ〟に留まらず〝ヒト〟にも当てはまるのが、現状の経済状況に映ります。

 一概に「誰が悪い」とは言えない。問題点を生み出した要因は、個々が気軽に【実態のない情報】を発信できる環境が増えすぎたことだと思う。

 その増えすぎた【実態のない情報】を、その増えた量のまま、既存の流通経路に【そのまま実体化】して競争し続けた。

 競争が行き過ぎたのに、誰も止めなかった結果、現実世界の収容スペースが許容域を超えてパンクした。そして廃棄、処分のサイクルを廻し続けた結果、物の価値が下がり「過去の作品の方が水準が高かった」と言う人々が現れはじめ、支持するマニアが逃げた。

 たぶん、似た様なことはどこでも起きている。

 ただそれが、現在エンタメという分野において【世界単位】という規模で発生していて、単純な物量で太刀打ちできそうにない現状であることが、日本ヤバくない? と思う。

 過去、そうぞうせいフィクションで書きたかったのは、
 【メイド・イン・ジャパン】どころか【メイド・イン・ヒューマン】というブランドにこだわらないと、いずれ人間の創造性なんて滅ぶんじゃない。と思ったのが発端だったけど、今になって、その考え方は間違っていなかったと判断できる。

 実際、誰でもできる仕事。と呼ばれがちな人々の職場は、どこも人手不足で時給は上がり、反して「才能が必要」と言われる創作物の刊行点数は軒並み飽和して【ブランドとしての価値】は著しく低下した。

 今なら言える。数年前に騒がれた、AIが発展すれば〝独走性〟を持った人々の思考が生き残るだろう。一般の仕事は無くなっていくだろうという予測は、確実に【的外れ】だ。

 今後、生き残れるのは、単純労働者の製造率を上げることでもなく、独自の創作理論を持った人間でもない。

 現環境の「塩漬け状態」になった、あらゆる〝モノ〟を再度活性化し、資産価値を付与し、新規のブランド力を立ち上げることができる人間が生き延びる。

 勝ち組み、負け組み。

 という考え方をする人間は、近いうちに終わる。

 「自分には資産価値が存在し、好きなものが存在する」事が信じられるようになった人間だけが生き延びる。

 そしてヒトとして【モノを大切にする仕組み】を作れる人が、
 支持され、幸せになれる未来が、やってくる。

 どちらにせよ、ヒトは「自らに価値がある」とみなさないといけない。

 利益を追求していくのは世界ではなく【わたし】である。
 その事を肯定し、現在の「短期量産ベルトコンベア方式経営」に乗る以上、【わたし】はいつか死ぬ。という事実を受け止めた方が良い。

 だから、あえて【わたし】は言う。

 【死にたい】という人間は、ただ、なにも考えていない。

 ベルトコンベアに載せられて、自分が加工され、塩漬けされるだけの、保存食料だ。

 肉になりたくないなら、考えろ。

 自分の資産価値ぐらい、自分で見つけろ。

 他人と比べるな。

 数字に誤魔化されるな。息をしてる自分の心臓と肺に感謝しろ。

 ごはん食べろ。

 ただの性善説だというのなら、性善説を資産価値にした人間を超えて、自分のコンテンツを作れよ。【わたし】。

 ベルトコンベア方式で、限られたツールを使い、限られたコンテンツのみを量産する。マイナーチェンジ版で、数を減らしたものを優先し、残ったものは不良在庫として塩漬け、中古屋で二束三文で売り払う。

 それで実益を得るのも手段ではあるけれど、上述した【実態をもたないリソース】は、該当するコンテンツに対しての【明確な上位互換】が発売された場合、ユーザーはすべて、一挙してそちらに奪われる。というリスクもまた把握しておいた方が良い。


 アズールレーン、おもしろいよね(禁句)


 日本国内であれば、まだ競合できるし、コラボもできる。しかし対象が海外であった場合、日本のコンテンツ製造主は、自分たちの顧客のみならず、

 【一芸に特化した製造ツール = 一流クリエイター】


 を逃すことになりかねないことも、認めるべきだ。

 
 アズールレーン、おも(以下略)


 もっと言えば、日本人の多くは別段【日本に愛着および愛国心】を持っていない。今日を生き延びて、明日を拝むのに精一杯だ。
 より良い環境と報酬が期待されるなら、そちらへ行く者もいるだろうし、それ以上に【自分が好きなものを好きなように好きなだけ作りたいわたし】は、第一にそれが可能な環境を望むだろう。

 話は変わるけれど、実際、海外のフリーであるクリエイター達がそうだ。かつて日本が誇る文明をリスペクトし、進化させ、独自のセンスによって磨かれた【海外個人ブランドコンテンツ】は、たいへん魅力的である。〝こじれた日本人マニア〟を増大させる結果になっている。
  
 さらに話は変わるけれど、数日前の経済紙で見た内容。集英社の現編集長は「マガジン」や「サンデー」は競合相手ではないという旨の発信をしていた。

 要は【マンガ】というコンテンツは、もはや日本に特化された【ブランド】ではなくなったから「日本の一企業が世界と戦うのは無理だよ。努力・友情・勝利しよう?」ということだと察せられる。

 けれどその内容が表面的なものであり、結果として「短期間量産型ベルトコンベア方式」の採用方針が、そもそも変わらないのならば、今後も〝こじれた日本人マニア〟は減る一方だろう。

 「新しいルートを作れ」と言ったところで、海外の方が出資条件が良いのであれば、一流の技術ツールを持つ【わたし】はそちらへ流れる。
 
 日本のコンテンツを守る為に戦う気はないのか。と言われたところで、愛国心のない【自分最優先主義】なクリエイターが言うことを聞くはずもない。

 彼らは好きなように、好きなものの為に【わたし】を使う。

 〝好きなもの〟は、もはや日本の範疇に留まらない。


 次は、日本人の番だ。


 日本人の作品に憧れた海外の個人作品を、

 日本人が模倣する未来が来るだろう。


 ――さぁ、どうする?


 どうやれば今後〝こじれたマニア〟を、獲得できる?

 コンテンツになりうる、技術ツールを、手放さないで済む?



 現状の問題点は、そこにある。

 わたしは、それに、自分の可能性を捧げたい。

 今日この頃。

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