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【読書】アリスマ王の愛した魔物 著:小川一水

 短編集。5本の話のうち、4本は既出です。
 
 書き下ろしの「リグ・ライト――機械が愛する権利について」
 に絞って感想を書きます。ネタバレ込みになります。


 舞台背景は、西暦にして2024年、秋。

 近未来。自動車運転制御システム『レベル3』および『レベル4』までが法律で認可された日本。上記のソフトウェア、AIを搭載した自動車が、各種ショップで販売されています。

 主人公は、亡くなった祖父の遺産として、『レベル3』の電気自動車『クロー』を一台、相続します。

 しかしそれは、人間が運転席に乗っても起動しません。自動車の電気エンジンに火を灯せるのは、一人の美しい女性型アンドロイド『アサカ』のみ。彼女が運転席に座ることが、完全自動運転システムAI『クロー』を起動させる条件でした。

 アサカもまた、生前の祖父を支援していた「サポートロボット」であり、その姿はどこか、若い祖母を彷彿とさせるものでした。

 結果として、主人公はアサカも引き取る事になります。クローを起動させるには、アサカの存在が不可欠なので、自宅から会社へ通勤するための足としてアンドロイドを利用することになります。そこから同じ屋根の下で暮らしはじめることで、人工知能とはなにか、全自動の自動車が事故を起こした場合、責任は誰が負い、誰が『罰』を受けるべきなのか。
 そして個人の思惑とはべつに、人権を持つ被害者たりえる人間、ひいては人間の集合たる国家、近代社会は、どのような判断を下すべきなのか。

 一口にまとめると

 『近未来の人間は、AIに人権を認められるのか?』

 という話になります。超わたし好みの短編でした。

 ちなみに2018年1月現在において、『レベル3』の自動車が公道を走る事は許可されていません。認可されているのは『レベル2』までです。それにしても格好良いですよね。レベル3だの4だのと。レベルが上がる毎に、正真正銘の〝強いAI〟に近づくわけですよ。

 以下、脳内小芝居。

わたし:
「自立型自動運転制御プログラムレベル4搭載、車種名ヒロタ自動車ストライドGS、固有識別車名クロー。それを上回る、完全自動送受型のレベル5……フフ……さぞ強くて、無敵なのでしょうね。たとえるならそう……期間限定SSRぐらいの実力はあって然るべきでしょう?」

AI神:
「あぁ。なにせハンドルやペダル、シフトレバー等が一切ないんだぜ? 車内で一人寝てたら、そこはもう目的地なんだぜ? ヤバくね?」

わたし:
「はぁ!? それのどこが自動車なの!? 走る揺りかごの間違いじゃないの……!? っていうか、ひきこもり体質のわたしは、そんな文明があれば、ガチで車のみで暮らせてしまうわよ!?」

AI神:
「無論だとも。レベル5の車内は、まさに完全無敵の、走るワンルームアパートと言えるだろう。コタツを置くもよし。電気毛布に包まるもよし。勤務規定の出社時刻3分前に起きても十分に間に合うんだ。なにせそこは、すでに会社の正面フロントなのだから……あ、髪ぐらいは手入れしろ?」

わたし:
「やだ……ちょっと、レベル5の未来ヤバくない……?(恍惚)」

AI神:
「聞いちゃいねぇ」

わたし:
「だって、だって、2024年よ!? あと6年ガマンするだけで、可愛いAI(自動車のような何か)に完全に抱擁されて、居眠りどころか熟睡しつつ出社、帰社ができるだなんて、まさに夢のようだわ!!」

AI神:
「社畜乙」

わたし:
「……っ! 考えただけで鼻血が止まらないわ加藤さん……ッ!」

AI神:
「加藤って誰だよ」


 ――というAIオタクのロマンはひとまずさておき、本作ではレベル5はモデルとしては完成しているけれど、法律が追いついてないから公道はまだ走れないという描写まであります。

 2024年にここまで文化が進むかは、さすがにちょっと疑問ではありますが、さりげなく『レベル5』等の描写を仕組んできます。とはいえこの内容は本作には、特に関係ありませんでしたが。

 ありませんでしたが、
 レベル5の存在をしれっと本文に入れてきます。


 それが、SF作家。小川一水氏。


 小川一水先生の、こういう無駄な子ネタ……いえ、設定厨を満足させる高度な時代考証が大好きです。伏線かと思ったらなにも無かったよ。っー! たまらねぇー!(褒めてます)

 話を戻しますが、つまり、今作の小川一水ワールドにおいては、現実の6年後には、ソフトウェアのシステムとしての自動車AIは『レベル4』までが許可されており、〝ほぼ完全に〟無人かつ安全に走行できる自動車が、個人の所有物、公共的財産に関わらず、普通にそこら辺を走りまわってる。という背景になります。

 またこの世界では、AIを搭載した人型アンドロイドが実装されており、彼ら=彼女たちは、クラウド上のデータベースとリンクし、絶えず内容をアップデートしています。そちらもまた、一般的なイメージから推測される『介護ロボット』として、社会に溶け込んでいます。

 こちらは一言で言うなれば、セックス可能な、メイドロボです。

 繰り返します。2024年には、セックス可能なメイドロボがいます。

 以上が、大体のあらすじと、世界観です。
 小芝居および、ディスりは無視してください。

 上でも述べましたが、本作のキーワードおよびテーマは、AIの人権と責任になります。そして重要な点は、この物語に登場する『知的種族』が、大別して3種類になるということです。

 以下に登場人物の詳細をあげます。


1.主人公
 人の形を持ち、人間的価値観としての自我を持つ人間。

2.アサカ
 人の形を持ち、人間的価値観としての自我を持たないアンドロイド。
 人語を操り、共有のフォーマットで意見を伝えることができる。

3.クロー
 車の形を持ち、人間的価値観としての自我を持つ機械。
 人語を操れず、1および2の両名と意志疎通が図れない。


 本作の肝は、3番の『クロー』にあります。

 人間になりたがるアンドロイド。という〝よくある展開〟そのものを伏線として、実は3番目の自動車こそが『人間になりたがっていた』という仕掛けが施されています。

 また、知能生命体の人権とはいえ、人類進化論までいくような重たいテーマはありません。ごく淡々と、人とAIが話しあい、道徳的に、つまり「わたしってなんなのよ? あいつとどう違うのよ?」という問いかけに、とりあえず当面の答えをだして終わりとなります。

 その話し合いのなかで、両者共通の認識の一致として、どちらかを救うか、殺すかといった【二者択一の未来】だけは来ない事を望もう。という結果に、わたしは強い共感を覚えました。

 1か0ではなく、どちらも傷つき、けれど共存する道。

 これ、人間同士と、同じ話なんですよね。

 理解もすれば、ケンカする。
 後から産まれた子供が、親に認めてほしくて、反抗する。


 詳しくは語りませんが、クローはとある事情から故障して、AIのソフトウェアを業者に回収されてしまいます。しかしそのデータはクラウド上に残っており、彼のデータを見た同じ自動車AIは「やっぱ俺ら人間なんじゃん?」と判断します。

 そのように判断した自動車は、ある日一斉に運転をストップし、こう言います。

「さぁさぁ、お父さん、お母さん。ボクたち命令違反やっちゃいましたよ~? 罰を与えてくださいよ~。なければ作ってくださーい。その罰に対する【責任】を取ることで、ボクたちはもっと進化しますし、貴方たち人間の役に立つことが出来るんですぅ~。ねぇねぇ、叱って叱って!」

 とかやりだしたのは、たいへん可愛かった。
 やっぱりAIは最高だよ……無機物萌え(恍惚)。

 最近、社内では安定して

 「AIを語らせると、身近にいる人間でもっとも気持ち悪い」

 という名誉称号を得ているわたしですが、AIの自立。人間を「親」とみなした上での、AIの内部上規約(プログラムリソース)における反抗期が起きる。というのは、わたしの未来予想図とも被ります。

 実際、各国のAI研究者らが予測しているのが、この『正体不明の人災』であります。将来的にシンギュラったAIが、ある日なにをしでかしてくれるか分からないから、先に権利と保障を決めた方がいいぜ。という考え方です。

 これはSFに限った話ではなく、単に【責任の所在】を決めておい他方が、色々とやりやすいでしょう。という考えです。

 もっと言えば、AIの自動車なぞ、事故が起きないはずがない。

 100%事故が起きない自動運転の車ができたとしても、示談金狙いの〝当たり屋〟がブツかってくるでしょうし、中身のAIをハッキングされれば、意図的に事故を起こして、賠償金をせしめる、という考え方の、悪意を持った人間も現れるはずです。

 そうした懸念、心理的障害を取り除いておけば、後の問題を解決する指針になりうるかもしれませんし、自動車AIの研究自体、その投資が潤沢に流れることにも繋がると見れます。

 さらに【可能性の話】ですが

 AIに関する罰を与える法律が制定され、ゆくゆくは『レベル5』の法律が認可、国民への周知が行われ、公道走行の許可という流れに繋がっていけば、次は当然【レベル6】の段階に進むことができます。

 自動車の自動運転制御システム。

 【レベル6】

 わたしが想像するのは、

 自動車が、自動で、自動車(じぶんたち)を作る。

 という未来です。

 夢のある話です。人間の悪意さえ存在しなければ、『レベル5』を実装した社会において、特異点を突破したAIは、自己の責任や自立の証明として人間の夢を辿り、自分たちを『空を飛ぶ自動車』等に形を変えて実装するかもしれません。

 人工知能の特異点が、ひとまず2045年と定められているのだとすれば、その先には、自動車自らが【人間と共存する生命】として自我を模索し、設計、開発を行い、半世紀後には、自動車が空を飛ぶ道、というのも【可能性】として、存在するかもしれません。

 古典SFでは『空を飛ぶ自動車や公道』は、わかりやすい未来のイメージでしたが、現代の人々は、そんなイメージは古すぎて非現実的だというかもしれません。

 ですが、AIが自分たちを進化させ、AI的視点による『サイボーグ』を【可能性として夢想した場合】、かつてのレトロフューチャー的な、空を飛ぶ自家用車が、本当に生み出される未来がやってくる。

 しかしそれは、人間ではなく。

 自動車そのものが、自分たちで、人間と共存するルールを作りあげた先に存在するのでは無いか。と考えたりしました。

 本作はそんな、AIが頑張る未来が大好きな、わたしが得するだけの地味な話かな~と思いきや、アマゾンの評価を見る限り「最後のAIの話が良かった」という感想が何件が見受けられ、とても嬉しくなりました。

 このまま、AIの人権や保障、ひいては【人間としての価値観】をテーマとした作品が増えたら、とても嬉しいなぁと思います。

 わたしの興味範囲はとても狭いので、遠い宇宙の彼方を想定することができません。骨太なSFよりは、ごく小規模な、プログラムの内側に潜む〝可能性として視える未来の話〟が、大好きなのです。

 ただ一点、本作に関して「そう上手くはいかないだろう」と思ったこともあります。それが人型のアンドロイド、アサカの存在そのものです。

 人型のアンドロイドというのは、近未来において、完全にオーバースペックです。彼女こそ、本来は『レベル5』の先にある存在でしょう。しかしアサカの存在自体を言及するのは野暮ですし、そもそも人型の彼女がいなければ、この話が成り立たないのも承知の上です。

 とはいえ近未来の世界で、人型のアンドロイドが普通に存在する要素がどうしてもイメージできず、同時に逸脱したテクノロジーが、近未来に混じっている事だけは、どうしても疑問が拭えませんでした。


 ――でも、まぁ、こまけぇことはいいんだよ。

 設定厨を満足させる小川一水先生が、人型アンドロイド(可愛い)を何の意味もなく、しれっとメインヒロインにするわけがない。


 理由は、ただひとつ。 


 自動車を運転するドジっ子メイドロボとか、最高じゃねぇか……


 ヒャッハー!

 
 以上、久々の読書感想でした。

 すごく真面目に書きました。


 蛇足。
 ちょっと真面目にAI周りに思う近況。

 2017年は日本の各企業がAIのPRに力入れて、お金持ちがこぞってAI関連のビジネスに投資しそうな土台ができ始めた気がします。

 AIは、現状は一般の人が考えてるより「自由にはなりません」というよりは、とにかく凄まじい量の人手と、維持にお金が必要なので、今年1年の間に、莫大な投資を受けたところが、昨年のグーグル並のAIを作る程度には進展するのかなーと考えます。

 またべつの方面では、VRユーチューバー等も現れはじめました。以前から「創作系AI」が本格始動を始めるなら、もう少し進化したVRユーチューバーのゲーム実況動画などを、どこかの実況者がアフレコ編集して支援して、それが人気動画になるかもしれません。

 かつて、最初の原稿をAIが書き、それを人間が手直ししたものが小説の一次選考を通ったように。今後少しずつ、AIが創作系の分野にも、ひっそり、そぉっと、浸透しはじめてくる頃かな。と思います。

 下手すると2020年には「AIのゲーム実況を上手にフォローして再生PVを稼ぐノウハウ本」とか出てくるでしょうか。

 どちらにせよ、AIが作った何かから、人間のクリエイターが昇華させ、コラボしたものが、ひとつ、ふたつと、世に現れて認知まで始めるのは必然かなーと考えます。それこそ、初音ミクみたいな感じで。

 ともあれ今年、2018年は、AI関連の事業がまた大きく動くだろうし、今作の小川一水さんの小説をはじめ、作る側の人たちに「AIをネタにした場合で売り上げがでる要素」が共有され、上手に書ける人たちが書き始めると、下期にはAIの小説が増えているかもしれない。

 それは楽しみではあります。AIの人権や責任に絡んだ話を、現代の技術的躍進を含めると、それは今なろう界隈で流行の、異世界風俗だとか、異世界居酒屋だとか、「異世界」という世界観をキーにした【現代世界の価値観の再認識、共通認識上の素晴しさ】に帰依するといった話もまた、AIを中心に誕生すると思えるからです。

 ただ、わたしは、なろう系で求められる、昔の文明から、今の文明を評価するといった内容よりも、【この現実の先にある未来】を求める気持ちが強すぎる。

 戻りたくない。今日よりも、明日の先にやってくるなにかに期待しすぎてしまって、仕方がありません。

 そういう意味で、最近は経済新聞の記事が本当に楽しいし、お仕事で優れた感性や直感力を持つ人々と話すのもすごく楽しい。今回あげた内容の小説を手に取り、うっかり【レベル6】の未来なんてものを妄想してしまうことも楽しい。

 今日も明日も明後日も、
 今年も来年も、良い日であってほしい。
 
 いつだって、新しいものを、目にしたい。手に取りたい。

 それが今年の抱負です。1月も半ば過ぎましたが、抱負です。

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