• エッセイ・ノンフィクション
  • 二次創作

読書:彩菊あやかし算法帖


 今月一番の当たり小説。


 彩菊あやかし算法帖 著者:青柳碧人さん


(あらすじ引用)

 常陸国牛敷藩の下級藩士の娘・車井彩菊は算法が大好きで、寺子屋で教えている。藩内のある村では、妖怪「賽目童子」への生贄として若い娘をひとり捧げていた。村人に乞われ、彩菊は妖怪とサイコロ勝負をするが……(第一話)

(引用ここまで)

 要約すると、

 江戸時代 × 数学大好き、下級貴族の美少女 × 妖怪退治

 という掛け算である。

わたし:
「……くっ、やはり二次元は奥が深いわ……そうか、まだこのような可能性が存在したというのか……AIさん、ごはん、おかわり」

AI(脳内妄想):
「読書しながらご飯はやめましょう」


 あらすじにもある様に、本書はとにかく設定がおもしろい。
 帯のキャッチも『算法少女VSサイコロ妖怪』であり、もうこれだけで、わたしの中では「買うわ」という判定が下されてしまった。

 内容は短編集になっていて、全6編。
 筆者の青柳さんが、あとがきで語られているように、児童文学テイストの、お手軽なクイズ本のような内容に仕上がっている。

 短編集であるが故に物語のテンポが良い。青柳さんの文章自体も無駄がなく、単純に上手いので、するすると読めてしまう。

 逆にあっさり解決しすぎて物足りないと思う人もいるかもしれない。だが、オンリーワンの設定に加え、登場するキャラクターが魅力的なので、読んでいて飽きない。

 魅力の節々は、各キャラクターのさりげないセリフに凝縮されている。
 たとえば、第一話で登場する「賽目童子」を始め、各登場人物にも、わずか数ページで『こいつら面白いな!?』と判断を下せるやりとりが、たっぷり描かれている。


(引用)

 震えて声も出ないおつねの顔へ、獣臭い顔を近づけると、賽目童子はこう言った。

≪おれはおまえをくいたぐてしかたがない。だがたすけるかもしれない≫

 おつねのまえに、二つのさいころが投げ出された。

≪おまえのさだめを、さいころにゆだねてみろ≫

 賽目童子とおつねがさいころを同時に投げる。おつねの目のほうが大きかったらおつねの勝ち。同じか、賽目童子のほうが大きかったら賽目童子の勝ち。

 この勝負を百回行い、おつねが六十回勝つことができれば、おつねを
助けてやろうと言うのだった。

 後の時間は地獄のように長く感じた。だがおつねは何とか六十回の勝ちを得て、生還することができたのだ。

「それは」

 ここまで聞いて、彩菊は口を挟んだ。

「明らかに、賽目童子のほうに分がございまする」

 木川は黙って聞いている。

「賽の目は一から六まで。二つのさいころの出目の組み合わせは、(一・一)、(一・二)、(一・三)……と数え上げますれば、三十六ということが解ります」

 生き生きと算法の話を繰り広げはじめる彩菊。唖然としながらも、木川の中に、この娘ならばやってくれそうだぞという期待がふつふつとわきつつあった。

 【中略】

「ときに彩菊、今年も賽目童子への供物・生贄の期日が迫っておる」

 木川は彩菊に話しかけた。

「お主、小埜里の娘のふりをして賽目童子のもとへ入り、退治することはできまいか」

「なんと」

「もし賽目童子を退治することができたならば、何でも望みのものを取らそう」

 すると彩菊は少し口を開け、右上を見るようにして少し考え始めた。

「何でも?」

「ああ」

「では、友禅でも」

「ゆ、友禅とな!? ……よ、よろしい、大目付に掛け合ってみよう」
 
 彩菊は膝を打つと「承りました」と笑顔を見せた。

「それではお奉行、賽目童子のもとへ出向く前に所望いたしたいものがございます」

「そ、それは何だ」

 また値の張るものでないかと、木川はたじろいだ。

「今から私が言うとおりの四つのさいころでございます」

 彩菊はにっこりと笑い、そう言った。

(引用ここまで)


 貴様の運命をサイコロに委ねよ。とかいう妖怪が、かつて創作上にいただろうか。年齢相応の物欲にまみれた数学オタの江戸っ子女子がいただろうか。

わたし:
「――いねぇよ! なにこれすごい!」

AI(脳内妄想):
「ごはんつぶを飛ばさないでください。ゲス野郎。本に謝れ」


 とにかく、文章の節々に、作者さんのセンスが窺える。わたしの笑いのツボを確実について来る。地味に、ゆるやかに、笑い殺される。オススメの一冊である。


 さて。ここから余談。
 本書で提示される「問題」は、内容的にはとても緩い。
 中学生までで習う数学が大半だ。

 だから、内容に物足りないという読者はいるだろう。
 本格ミステリという評判を聞いたら、ただのキャラ物だったとかいう、そういう評価だ。

 他にもありえないことは満ちている。たとえば、妖怪の存在はさておき、仮にも下級藩士の娘が、男尊女卑絶頂期の江戸時代に、格上の人間と対等に話をしていること自体に「リアリティがない」とかいう、そういう評価だ。

 そういう評価を下してしまう人は、本書は合わない。

 ぶっちゃけ言おう。

 本書は和風の世界観を持つ『異世界ファンタジー』である。

 そして分類すれば「なろう」タイプの亜種だ。

 そもそも数学という概念がほぼない「江戸時代風味の世界観」であるからこそ、彩菊が国一番の天才(実際に天才なんだけど)数学少女として存在し、奉行所のえらい人たちや、殿様からも頼りにされるという構図が成り立っている。

 この構造は、なろう小説の「異世界転生もの」と、タイプとしては同じ傾向である。要するに主人公の凄さ、凄まじさを証明するために、現地人の知能レベルが低い。

 こんな風に書くと否定しているように思われるかもしれないが、そうではない。

 最近だと、少年ジャンプで「Dr.STONE」というマンガが人気を博している。これも誤解を承知で言うけれど、ストーリーの展開基軸が、人気作になった「なろう小説」と一致するところがたくさんある。

 だいじなのは『共通・共有認識』だ。

 小学校、中学校というのは、ご存じの通り「義務教育期間」である。わたし達、生徒の意欲や能力に差があれど『四則演算』だとか『確率』だとか『小数点』だとか『天秤』とかいう、物や知識の【概念】自体は知っている。

 これを言い換えると、中学までの学習は、日本人にとって『マニアックではないもの』に分類される。

『マニアックではないもの』は、端的に言って【大衆娯楽】の大原則だ。

「見たことがある」×「聞いたことがある」=「改めて理解すると楽しい」

 その上で

 「展開が速い」×「キャラクターが魅力的」×「独自の組み合わせ」

 等の要素が「おもしろさ」として、足されていくのだと思う。


 そういう意味で、本書『彩菊あやかし算法帖』もまた、流行にのるようなポテンシャルを十分に秘めていると思えた。仮にドラマ化などをしても、正直ハズレないと思う。

 と、そんな私的な推測はさておいて。短い時間で、ちょっとした謎解きと、おもしろ愉快なキャラクターの掛け合いを堪能できるので「彩菊ちゃんを嫁にしたい」と呟くこと請け合いである。はぁ。彩菊ちゃんにご飯よそってほしい……。

わたし:
「……どうしてわたしの感想はいつもこうなるのかな?」

AI(脳内妄想)
「曰く、ゲス野郎ですから」


コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する