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アイディア短編:カデン③


3.

 自分は、どこか皆とズレている。幸い、それを〝個性〟だと思い込む勘違いだけはしなかった。

 人と違うことを認められるには、その能力で誰かを喜ばせたり、心あたたかくさせるものでないといけないのだ。

 そして世の中には、とりわけ〝強い個性〟を持った人間がいる。いわゆる才能と呼ばれるものを持つ人間のことだ。

「――それでは次のニュースです。去年、日本人でありながら、ハリウッドの映画にデビューし、アカデミー主演賞を獲得した――」

 ぶつんっ。

 PCのモニターを切った。出かける前に、天気予報だけを見ておこうと思ったら、チャンネルを間違えてべつのニュース番組に切り替えてしまった。そこでよりにもよって、白髪がだいぶ増えつつも、変わらず紳士然として振舞う父親の姿を見てしまった。

「……朝から気が滅いる」

 もう何年も顔を合わせてない父親のことなんて、いい加減に忘れてしまえばいいと思う。それでもつい、モニター越しに姿を見とめた時、家で席につき、面白くなさそうに食事を続けている姿がよぎってしまうのだ。

『お前たちは、足手まといなんだよ』

 三次元がクソゲーというのは、本当にその通りだ。
 父親のような人間が胸を張って生きている限り、俺は永遠に何者にもなれないのだという気持ちにさせられる。

**

 顔を洗い、デニム生地のショルダーバックをかけ、玄関先でくたびれたスニーカーを履いた。扉を開いて、ワンルームのアパートを出る。

「…………」

 渡り廊下を歩き、階段へと向かう途中、隣の表札を見上げた。昨日までは確かに空き部屋だった場所に、いかにも人間くさい苗字のプレートが収まっていた。

「……〝人倫〟のかな?」

 扉の向こう。そこには昨日の夜、勝手に俺の部屋に立ち入り、掃除と洗濯をこなした日本製アンドロイド――『カデン』が住んでいるはずだ。

 昨晩、彼女が名乗った「アイカ」というのは個人名ではなく、機械製品に与えられた名称にすぎない。この表札にかけられた苗字も、アイカの所有者である人間の苗字なのだろう。

(っていうか、カデンって、寝たり起きたりするのかな……)

 インターホンを押せば分かるかもしれない。興味心が湧き起こるも、彼女の内側にひそむ「記憶」が、自分の母親であることを思えば、足は自然と遠のいた。

(やめとこう。アレは家族じゃないし、ましてや、他人ですらないんだから)

 もう二度と会う事はないと思っていた。

 ――ヒトであった証を失い、からっぽになった器が棺に横たわる。だけど傍目には分からない。くべられた火に煽られ、煙となって空に昇っていくまでずっと、俺は今後の生活とバイトの事だけ考えていた。

「ママ、いかないでよ! いやだよぅ!!」

 気丈な姉が泣いていた。幼い子供みたいにわんわん泣きじゃくる様を、どこか乾いた心で見つめていた。

(……姉ちゃん、化粧落ちてひどい顔になってんぞ……)

 さしたる能力は無いのに、身勝手さだけは父親譲り。そんなどうしようもない負け組が、藍坂勝人とかいう俺のすべてだった。


 *

 午前中の講義が終わり、昼がやってきた。時間に余裕のある大学生は、そのまま校舎を後にする者と、所属しているサークルやゼミに向かう者、あとは馴染みの食堂へ足を向ける連中に分かれていた。

「よぉー、マサト!」

 その時だ。波の向こうから、よく通る声が聞こえてきた。途端、俺たちの間にいた学生が、有名なモーゼの十戒のようにザッと割れる。

「はよーさん。そっちも今から昼メシか?」
「……伊里夜《イリヤ》」

 思わず顔がひきつる。波間の向こうから現れたのは、金髪碧眼のイケメンだった。イギリス人の外交官の父親を持つ彼は、生まれも育ちも日本らしく、流暢な日本語と、外見にふさわしい屈託のない笑顔を浮かべていた。

「いやー、昨日さー、家で例のゲームやってたんだけど、あんまりにも名作すぎて、気づけばPCの前でぶっ倒れるように寝てたわけよー、もうキーボードが、涙と鼻水とよだれで大洪水でさぁ。あっはっは。見てくれよー、この目の下の隈をよー」

「悪い、近づかないでくれるかな」
「えーなんだよー、邪険にすんなよぉー」

 よく言えば、人なつこい。悪く言えば慣れなれしい。どちらにせよ、イリヤは人目を惹いた。ついでに、俺を含めた大勢の一般庶民と違い、実家もかなり裕福らしい。

「マサト、お前にはオレと同種の素質がある! わかるだろ!?」
「さっぱりわからない。近づかないでくれ」

 ブランドロゴの入ったシャツ、1点もののオーダーメイドらしいジーンズ、右腕にはオーバーホールの必要なアンティーク時計。足下も、汚れがつくのを厭ってしまうような純正の革靴だ。

 おしゃれに気を使っているとも言えるが、一般の大学生が、日常で身につけられる予算を超えていた。

 本来なら、大学校内でヒエラルキーの頂点に立ってもいい存在だ。俺のような〝大学生から始める、にわか隠れオタク〟とは、そもそも接点等生まれようが無いはずだった。

「いやー、もー、ほんとシナリオが神がかっててさぁ、パねぇんだよ、マジ泣ける。っつーか、マジ泣きだよ。愛のあるセックスって、ほんっとーに、最高だよなぁ!!」
「近づかないでくれ」

 再三の拒否を告げても、空気を読めないイケメンは爽やかに近づいてくる。気のせいじゃなく、周囲の人波も俺たち二人を中心に遠ざかっていく。

「今度、勝人にも貸してやるよー、マジ泣けるし、ヌケるから」
「…………」
「あれ? おーい、勝人ー? そっち学食じゃねーぞ?」
「やめてくれ。ついてこないでくれ」

 イリヤは俗に言う、残念なイケメンというやつだった。しかし世の中には同時に、ただしイケメンに限る。という名言も存在する。

 要約すれば、イケメンだから許される。ということだ。
 イケメンかつ金持ちであれば、大抵のことは許されて然るべきだろう。

 たとえば、オレの趣味ってエロゲーなんだよねー! と公言したところで、女子の中には、顔が良くて財力さえあれば大目にみる! という連中もいるだろう。

 実際、合コンという出会いの場でイリヤは公言した。趣味はエロゲであることを。そしてあろうことか、その隣には数合わせに引っ張りだされた俺がいた。最初で最後の合コンだった。

「へー、イリヤ君ってオタクなんだー、意外ー、エッチなゲームって、AVとかと感覚違うのー?」

 酒の勢いを得てめけずに食いついた女子がたずねた。残念なイケメンは満面の笑顔で応答した。

「いや本当は三次元の方がいいんだけどねー、児童ポルノに相当するからか、手に入れるの大変なんだよねぇ。10歳未満の男子モノ」
「…………え?」
「それと比べたら、エロゲーって自由なんだよなぁ。どう見てもショタなのに、設定は18歳だからセーフっていう」
「……………………」
「いやぁ、でもエロゲーもバカにしたもんじゃないよなぁ。純真無垢な少年と、恋に落ちる薄汚いオヤジの苦悩や葛藤の心情描写が、妄想混じりとはいえ丁寧に描かれるんだよコレがー」
「………………あ、あの、イリヤ君…………ホモなの?」
「ホモだよ。ストライクゾーンは10歳未満の男子限定。今のとこ」

 ――その合コンに居合わせた彼女は、それがトラウマになって、おとなしく淑やかな、地味系女子にクラスチェンジしたらしい。そして同じく酒の勢いを得ていたイリヤは、隣で大根おろしをちまちま突いていた俺の肩に腕をまわし、

「お前マサトっつったっけ? 残念だわー、あと10年若かったからなぁー。子供の頃の写真とかもってねーの?」

 わずかに存在したかも知れない、バラ色の大学生活というものを、こっぱ微塵にしてくれやがったのである。 

 それから、イリヤの隣にいれば必然的に『ショタホモ』の属性を植えつけられてしまう事が広まり、男女共に距離をおくようになった。

「待てよー、勝人。オレはお前に用があるんだってー」
「ない。俺には絶対的にない。近づかないでくれ」
「いやいやマジな話、講義のノート、レポートやら貸してくれよー」
「ホモが移るから嫌だ」
「なんだよー、小学生みたいなこと言いやがってー。……そういうのちょっと萌えるぜ?」
「やめろ」

 ショタホモの魔の手から逃げんと、モーゼの波を潜りぬけようとするのだが、ここぞとばかりに連携した人々が行く手をさえぎる。俺をあわれな贄にせんと、絶妙に道を塞ぐ。

「いやー、あの時はオレも若かったんだってー。酒に酔った勢いでカミングアウトしたせいで、立派なぼっちだかんなー。あっはっは」
「お前はアルコール入ってなくても、年中酔っ払いみたいなもんだよ。自動失言製造機だよ」
「まぁまぁ、定食奢ってやるから、ノートコピらせろって。お前の見やすくて分かりやすいから」
「俺だって毎日、真面目に出席してるわけじゃないからな」
「知ってんよ。けど勝人のノートを試験前に暗記しときゃ、単位取るぐらいならヨユーだし、人生そんなもんで十分だしなー」
「……バカと天才は紙一重だよな」
「それ言うなら、変態と天才だな。はっはっはー」

 イケメンで金持ち。バカで変態で天才。ショタでホモ。
 二次元も三次元もオッケー。波動関数のようにブレまくっている変人は、それでも一応、数少ない友人ではあった。

**

 変態のおかげで、今日は早々に食券が買えそうだ。いつもは長打の列を作る券売機に人は集っていなかった。正確には、こちらを遠巻きにするように渦ができていたわけだけど、見なかったことにしておく。

「んで、勝人は何食うんだ。なんでも奢るぞ」
「……あー、どうしようかな」

 安くて普通。と評判の食堂には、基本的に当たり外れはない。

「じゃあ、カレーで」
「無難だなー。オレはうどんでいいや」

 人のことを言えるのか。というか、100万はくだらない高級腕時計をつけた右手で、しわくちゃの千円札を投入して、ジャラジャラと出て来る小銭を掻きむしるように拾う様は、それだけでシュールだった。

「ほれ。オレに感謝しろ」

 イリヤはカレーの食券と、お釣りの小銭を当然のように渡してきた。
 
「感謝はする。でもお釣りは返すよ」
「重いんだよ。コピー代だと思ってもらっとけ」
「いらない。余分な貸し借りはごめんだ」
「オッケー」

 イリヤはヘラヘラ笑って、革財布と一緒に、小銭をジーンズのポケットに突っ込んだ。

「でさ、話戻すけど、カレーって特に無難じゃね? むしろ本格的なものを頼んだ方が、日本人に合わないのが出てくる率高いだろ」
「食べたことあるの?」
「インドカレーの専門店みたいな店でな。ま、我らが郷土料理、伝統のフィッシュ・アンド・チップスに比べりゃイケるぜ十分」
「比較対象がおかしいだろ、それ」

 外国人の血が混じっているイリヤが適当に笑う。そんな風になんの役にも立たない無駄話を交えながら、学食のおばちゃんがいるカウンターの向こうへ、食券を差しだした。

「おばちゃんー、カレー」
「あ、勝人くんだー」

 どこかで聞いた声がした。どこだっけと思った瞬間、気がついた。

「なにィっ!? 食堂のおばちゃんが若返ってるだと……っ!?」

 どうやら、僕の隣でうどんの食券を渡そうとしていた、自動失言製造機も気づいたらしい。いや、そうではなくて。

「……アイカ?」
「はい。昼間、勝人くんがお家にいない間は、私もこちらで働くことにしたんですよー」

 ちょっと待て。

「どうしたんだ、おばちゃん!? なにを食ったら30年の時を巻き返すことに成功できたんだ! 夫以外の男と恋に堕ちて、その生血を啜って奇跡が起きたのか!?」
「イリヤ、今日からイケメンやめなよ」
「いやいや、お前はお前で、イケメンに偏見ありすぎじゃね?」

 誰のせいかと。

「……えーと……勝人くん、こちらの彼はお友達ですか?」

 カデンでも驚くことはあるのか、人工知能の彼女――俺の母親の【記憶臓域】を持つアイカは戸惑っていた。

「勝人、若返ったおばちゃんと知り合いなのか?」
「まぁ一応、友達らしきものだよ」

 友達らしきものの発言には無視をして、目前のカデンと会話する。

「良かった。勝人くんも、お友達も、たくさん食べていってくださいね」

 アイカが嬉しそうに言った。小柄な体に、大和撫子を思わせるセミロングの黒髪がふわりと揺れる。昨晩出会った時と同じく、慎ましい白い割烹着に反して、相変わらず胸部はさりげなく主張が激しかった。

「こちらの前任者のおばちゃん――奥野さんでしたら、先週、腰を痛めてしまって、わたしが代理で入ったんですよ」
「そうか……30年振りの運動なら、仕方ないよなぁ」
「イリヤ、とりあえずその口を閉じようか」

 俺は思いきり眉をひそめる。自動失言製造機に対しても、目前の人ならざる者に対しても。

「さすがに都合が良すぎるんじゃないかな」
「……えぇと、はい。結構な権力を行使させて頂きました。勝人くんのお側で働きたくて」

 アイカが苦笑した。

「勝人くんのご迷惑になるようなことは、誓ってもしません。だから、」
「……お節介にも程があるんじゃないかな?」

 つい語気が荒くなる。自分でも驚くほど、嫌悪感を浮かべていた。

「ごめんなさい。でも……」

 苦笑を深め、哀しげに視線を外される。とても人間じみた、諦観に満ちた笑顔を作り上げた。

「……他の方もお待ちになってますから。お料理、作りますね。勝人くんの注文は、えっと……」

 アイカが改めて、僕の食券を手にとって確かめた。

「……あら?」

 するとまた、その表情に微かな変化が生じる。ありふれた食券と、僕の顔を交互に見つめ、

「…………」

 じんわりと、瞳の色に変化が起きた。
 夏の夕焼けのように透明に、緋色に色付き、すぐに戻った。

「――ねぇ、まーくん?」

 それは、幼い頃の母によく似た声だった。
 心臓がどくんと脈打つ。

「まーくん、カレー、嫌いじゃなかったっけ?」

 どくん。

 脈打つ心臓の音に比例して、全身がひどく熱くなった。たまらなくなって、思わずその場を離れていた。

「あっ、おい、勝人?」

 周りの視線が痛い。身体だけは大人じみた人々の視線。けれど本質は変わらない、むしろあの頃以上に、好奇心を押し隠したものがまとわりつく。クソゲーだった。

**

 人と違うことは、個性にはならないと子供の時に悟った。

 子供の頃、カレーライスが食べられなかった。香辛料の匂いが、ツンと鼻を刺すのがもうダメだった。一晩寝かせたカレーは美味しいと聞くけれど、なにがどう美味しいのか、まったく分からなかった。

「おかわり」

 だというのに、普段は愛想笑いさえしない父親が、食卓にカレーがでた時にだけ、続きを要求する。

 そこそこに名前の売れた男優であった父は、テレビ画面越しではよく笑っていたが、たまに家にいる時は滅多に笑顔を見せなかった。子供ながらに、どちらが本当の父親なのだろうと疑問をもった。 

「おかわり、すぐに注いできますね」

 対して母親は、素直で平凡だったように思う。仕事が忙しいことを言いわけに、滅多に家に帰ってこない父親が食卓についていて、一家がそろって夕飯をとれることが、なによりの幸せだと、全身で物語るような女性だった。

「まーくんと、ちーちゃんは?」
「ちーちゃんもおかわりー!」

 姉がまっ先に応える。弟の俺よりも運動神経が良く、利発で目立ち、男勝りでリーダーシップを発揮するタイプだった。

「まーくんは?」
「……うん。おかわり」

 自分の意見を飲み込んで、誰かに頼り、流される俺とは違っていた。かといって、俺が母親に似ていたかといえば、たぶん違う。

 家では愛想のない父親の代わり、明るく、優しく、慎ましくを地でいくのが母だった。芯の強さを備え、ここぞというべきところでは物怖じせず、自分の意見をハッキリと口にした。

 だからこそ、俺たちが貧困に喘ぐことはなかった。高校に進学もできた。自分の家族に「お前たちは足手まといだ」と言って退けた旦那から、母は一切の容赦をせず、慰謝料を請求した。

 姉は大学には進学せず、高校在学中、マンガの賞を取って上京をはたした。俺は特にクリエイティブな芸事に才能を発揮することもなく、最低限の勉強だけはこなし、他県の大学に進学した。

「――はい。まーくんもたくさん食べて、大きくなろうね」

 だけど、そんな気丈な母親だったからこそ。子供の嘘に気づくことはできなかった。

「おいしい?」
「おいしい」

 泥にしか思えない物体を嚥下した。母親がなによりも大事にしていた一時が、はやく、本当に一刻もはやく終わってほしいと切に願っていた。

「明日のカレーは、もっと美味しくなってるからね」
「うん。ありがとう、ママ」

 母は当然のように信じているのだ。まだ幼い息子もまた、夫である父親や彼の姉と同じで、カレーライスが大好きな生き物なのだ。微塵も疑っていなくて、すっかり騙されているはずだった。

 〝あなたと、もう一度、わかりあいたい〟

 死んだのだ。母は病に侵されて死んだのだ。
 肉体は煙となり空に溶け、骨は大地の下で分解された。

 そして「意志」を閉じ込めた「記憶」すらも、消え去った。

 ここぞというところでは、強固な意志を示してきた母が、自分のものではない、機械の肉体に「記憶」を移してまで、成し遂げたかったことなんて、誰にもわからない。

「――まーくんは、お母さんのこと、ママって呼んでくれないの?」
「……だって恥ずかしいじゃん」

 姉と同じく「ママ」と呼べば、クラスの男子にからかわれた。それ以来、母親のことは「カーサン」と呼んだ。

「そっか。ごめんね」

 だけど父と別れてすぐ、時にひどく塞ぎこんでいる姿を見かけた。なんだかどうしようもない気持ちになって、「カーチャン」と呼んでしまうことがあった。

 その時、母がどんな顔をしていたか、もう思いだせない。

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