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『読書』やがて恋するヴィヴィ・レイン3


 来たる夏に向け、大量にインプットを始めた秋雨です。貯め込むと暴発するので、趣味に関連したアウトプットもまた、こちらの場所もお借りして記載していこうと思います。ネタバレとかあまり考慮しないので、ご了承。


 本日、犬村小六さんの「やがて恋するヴィヴィ・レイン3」を完読しました。物語の流れとしては、2巻の終わりから少し時間が経って、ルカとジェミニが傭兵団を組織して成り上がっていく。という展開。

 厳密には成り上がりというか、メインキャスト二人を通じての、人間関係の再構築と見直し。そして本来の立場に昇格させてからの、対立構造を築いての幕引き。相変わらず「次巻へ続くぞい」と言わんばかりの終わり方が神がかっていた。

 ところで、1巻ではジェミニの描写は多少はあったものの、2巻で割と前触れもなく登場して、メインストーリーに絡んできたので「……うん?」となった人は少なくないかもしれない。

 その他にもジェミニの忠実な部下であるガブーとメルヴィルの描写もあまりなく(ページ数的に省かざるを得なかったのだろうけど)2巻がやや物足りなかったなーと感じたところが、その分、3巻の戦場にて、脇役である彼らの活躍や背景にもページ数が割かれていて実に面白かった。

 こういう感じで、ゆっくりとお付き合いできる「物語」がたくさん読めればいいなと思うのだが……今のライトノベル業界だと難しいんだろうなぁと邪推することもしばしば。

 話を戻して。物語の構造的には、若干「ロミオとジュリエット」に近い要素が見られるかもしれない。

 犬村さんの作品は、人間の内面的な描写が丁寧なのもそうだけど、全体的に流れる空気感や雰囲気がどこかしら演劇っぽい。喜ばしいところも、哀しいところも、楽しいところも、物語を盛り上げる要素は1つのシーンとしてきちんと成立させてくる。その為には「少々のご都合主義という名の必殺技を使わせてもらうぜ?」という感じである。

 すなわち、犬村さんの物語には起伏がある。やや唐突なところも、強引な展開も、合理性に欠ける場面がでても、結果を見れば、まったく問題がない様に作られている。何故ならすべての場面が「後に盛り上がる1シーン」の為にあり、実際にそのシーンが、実に魅力的に描かれているからなのだ。

 たとえば、絶対的窮地に立たされ、そこから反撃に転じる戦場の描写は圧倒的にヒロイックだし、人が人に恋をするシーンは、ひたすらにロマンチックに描かれる。別作品の告白場面に、私は心底悶えたものだ。

「――休戦協定を結ぶぞ、紫」
「やーだ、もっと恋人に言うみたいに、いって?」
「ど、同盟しないか、俺たち……!」
「あはははは」
「わ、笑うな……! 貴様がやれといったから……っ!」

 これを喜劇と言わずになんと言おうか。
 バルタザールは、歴史に残るツンデレ男だったよ……。
 もうね、泣いたよ……泣き笑いしたよ……。紫さあああん!!


 それはともかく、

 人生とは所詮、偶然である。
 物語とは、偶然が連鎖する先に起こる『必然』である。
 そして人々が物語でもっとも愛するのは『予定調和』である。


 犬村さんの描く作品には、とかく確固たる信念めいたものを感じる。卓越した文章力や、小説の技術論のみならず、そうした『個性』を〝匂わせる〟物語というのは、非常に強い。特定の人間に突き刺さる。

 ――おそらく、そういった類のものを。
 ヒトは自らの内部にある感性にて『才能』と呼ぶ。

 私にとって、それはこちらの心臓を突き刺す業物だ。もしも「すごいなぁ。悔しいなぁ」と感じることがなければ、意図せぬうちに心と意識を一投両断されている自信がある――あぁもう紫さん可愛いよ紫さんバルタザールを永遠に尻に敷いて一生幸せになってください愛してる本当に貴女って人は現代の大和撫子女神だよ(ズバァン!)


 2017/07/17

 秋雨あきら。

 

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