• エッセイ・ノンフィクション
  • 二次創作

ゲームの話。


 眠れないほど嬉しいことがありました。

 生きていれば、素敵なことがあるんだね。そう思うわたしです。


 少し、創作に関して思ったことを書きます。


 まずわたしは自分に「文章の才能」があるとは微塵も思っていませんでした。そも、小説を書くのが好きだというよりも、二次元のキャラクターを愛でたり、ヒト様の作品にある空白部分を埋めたくて、キャラクターを動かすことが大好きでした。

 だから、今回はじめて「パッケージ売り切り型RPG」のお仕事を手伝うことになった時も、基本設定はメインシナリオライターのえらい人や、他のスタッフさんの意見を取り入れて、隙間を埋める感じで作らせてもらおうと思いました。

 ただ、今回はそれが〝上手くいきませんでした〟。

 とにかく、ボツが出る。

 書いても書いても、えらい人に、やんわりダメ出しされる。

「これでもいいけど、これなら僕が書くよ」

 そんな感じ。

 夢の中でシナリオを書いて、同じダメ出しされて、目を覚まして朝一で確認したメールに「変化がない」と返信された時は本気で泣きました。


 正直、無理だと思いました。


 これまで、リテイクはあったし、全直しとかもあったけど、とにかく設定を忠実に、キャラクターの魅力を引き出すような会話文を意識していれば、いつかは必ずOKがでる。という感じだった。

 出口が、まったく見えてこない。

 ゲーム制作はみんなで作るので、あまり孤独ではないと思ってたんですが、今回は初めて孤独を感じました。

 画面モニターがまっしろのままで、何も書けなくなる。という事は一度もなかったし、素敵なキャラクターデザインを頂いて、目の前に張り付けていたら、勝手にセリフを喋ってくれるし、寝落ちした時には、夢の中では楽しいやりとりをしていて、目が覚めたら「あああ! もったいない!」と感じて、急いでキーを打つのに、今回に限っては夢の中でキャラクター達がいるだけで喋ってくれない。


 苦しかった。


 とにかく、えらい人が「アプリゲーム」ではない、なにか昔のゲームを作ろうとしてるのは分かってたのだけど、分からない。感性そのものが違うのかと思って、あえてつまらなかったり、普通っぽいものを持っていくと、今度は的確に「前よりダメだ」と言われてしまう。

 えらい人がプロデューサーをやったゲームを、実機を買って遊んでみたり、キャラクターの台詞をすべてメモをとったり、いろいろしたけど、それでもダメ出しがでる。でまくる。

 一回、心底つらくて、もう目の前がまっくらになった気がして、


「つまり才能が足りないって言うんですか!?」


 と怒鳴ってしまった。えらい人は、

「〝才能〟の話はしていない。ただ、キミが才能が足りない、能力が無いと思うなら、そうなんだろう」

 じゃあ、どうすればいいのかと聞いてしまったら、聞いたところで仕方ないだろうと言われてしまう始末。

 ほんとのほんとに、わからなかった。

 脳内で「某エリリンも似た様なこと言われてたわね……」とか思った時は、某作はやっぱりリアリティがあるんだなぁと、遠い目をしました。


 ただ、自覚していない才能が急激に目覚めると言う事は、わたしの場合はありませんでした。

 時間は有限であり、ただでさえ、まっとうな大人たちは「分の悪い賭け」をしていると自覚しているので、スケジュールの遅れだけは絶対に許されないのでした。

 ゲーム制作は進んでいくし、わたしのシナリオも「まぁこれで良い」と採用されるケースが増えて、それなりの形として進んでいきました。

 夢の中でもやっと、キャラクターがお喋りをしてくれて、わたしは何処かでそれを楽しく聞いていて、メモを取って、朝起きたらそれをPCのメモ帳に清書するということをやりました。

 だけど、もやもやしたのは晴れなくて、許可を得て、海外の信頼してる同人クリエイターの人に、書いたシナリオを見てもらいました。

 その人は丁寧にいろいろ感想を書いてくれましたが、キャラクターの一人に「so cute」という一文をつけてくれました。

 ――それが、ブレイクスルーとなりました。

 いろいろ省略してしまうのだけど、要するに、わたしの中に「贔屓しているキャラクター」がいたのです。もちろん自覚はあったけど、それはそれで、自分のイメージした「so cute」が、他者にも「so cute」として通じているのであり、萌えをきちんと描けている。という自己評価もありました。

 しかしそれは、今までのお仕事では上手くいっていたけれど、今回のお仕事では、望まれるものではなかったのです。わたしに才能はないけど、誠実に解答してくれる人がいて、思わぬヒントを頂けたのは本当にありがたいことでした。

 その日から、わたしは「1つのルール」を設けました。このゲームのシナリオでは、自分のキャラクターが可愛い、格好良いと思ったようなところは、あえて『削ろう』と。

 無味乾燥にというわけではないけれど。とにかく、キャラクターのセリフを描いていて、自分自身が描いているキャラクターに魅力を感じたら、該当する部分を即座に削除しました。

 その代わりに、前後のシナリオの流れを考慮して、キャラを惹きたてる魅力よりも、前後のセリフが『上手く繋がるメッセージ』を入れました。とにかく『中の人:秋雨あきら』の存在を匂わせるものを、片っ端から消し去って、とにかく、物語の整合性に合わせた台詞を吐かせました。

 すると、リテイクが極端に減りました。

 そこから、コツというか、求められるものがやっとわかったので、OKが出ていたシナリオ、ほぼ全部、時間の許す限り修正しました。それまでものすごく孤独だったので、誰かから認められることが、ものすごく嬉しかった。
 さらにありがたいことに、素晴らしい音源を作ってくれる大先輩が、採用されたシナリオを含めテストプレイをしていると、イメージがわいてきた。と言ってくださって、無理をしてボスの曲を増やしてくれました。
 で、また泣きました。割と本気で「今なら死んでもいい」と思いました。体調不良で入院はしましたが(ホワイト企業です)。

 けど、わたしだけじゃなくて、他の方々も常に同じプレッシャーがあったと思います。それは、失敗したら次がないというのとは少し違くて、どうすれば良いのかという、なんというか、こう……モノづくりの根源的な不安というか、既に「最適解」からは遠のいた古いやり方をやっているという自覚を、みんなが感じながら、それでも作業をしているわけでした。後には引き返せ無いけど、楽しい。しかし、一企業としてやってることはどうなんだ。という感じの矛盾と疑問というか。

 確かに、おもしろいものが出来ている。

 という意識の一致はあるのに、漠然とした、どうしようもない不安めいたものがあるのは、今思い返しても、背筋が凍ります。

 誠実に作ってはいるけれど、はたしてこれで良いのか。という疑問は、周りの大人の方々、全員がわたし以上に感じていたと思います。えらい人は、そのプレッシャーが一番大きかったんだなーと(今なら)思えます。
 
 もう一度、やりたいか。と言われると

「……うーーーーん……」ってなりますね。
 他の方法があるなら尚更のこと。

 とりあえず、予想以上には売れてくれそうで、一番の若輩者ながら、ほっとしてます。
 ほっとして油断して、日々のブクマ巡りとかやってたんですが、そこでついさっき、密かに個人的なファンの人に褒められているのを発見して、また、涙がでたのでした。

 褒めてくれて、ありがとう。

 お金を払って遊んでくださった貴方が、少しでも楽しい想いをしていただけたなら、きっと、わたし達には意味があったはず。

 そろそろ眠らないと。

 おやすみなさい。


 6/30 秋雨あきら。

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