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ライトノベルがリメイクされ、それがスタンダードとなる未来(re.future);


 おはようございます。

 未来を予想するお時間がやってまいりました。


 まだ異世界小説や「なろう小説」という言葉がギリギリ存在しなかった時期に、少しだけ、創作論を語る機会がありました。

 場に集った皆が「これから流行するもの」「技術進化が起きた後の創作手段」「オリジナリティ」「未来の可能性、新しく生まれるモノ」を熱く語るなかで、わたしは一人『キノの旅』のタイトルを口にだしました。


 その時、誰もが一様に
 「は? なんでキノ? 今更?」という顔をしました。


 わたしは当時、人の想像力というか、オリジナリティには限度があって、技術が発達すればするほど、イメージというのはむしろ狭まり退化する。旧来の文化や文明が再評価されると信じていました。

 キノの旅、というライトノベルは、
 その場でも既に1巻が登場して、10年以上が経過していました。

 けれど「喋るモトラド」と共に、独自のルールが構築された異世界を渡り歩き、最長で三日しか滞在しないという条件を設定し、様々な人たちとの出会いと別れを繰り返す。という物語は、現代でいうところの『テンプレ』設定ではなく、唯一無二のオリジナリティがあります。

 さらに「実は女の子で銃が使えて並の軍人よりも強くて無双する」という、俺TUEEE要素もあります。俺つえーという言葉すら、わたしがぼっちで小学校の図書室で一人、色あせた書物を読書していた頃にはありませんでしたね(黒歴史)

 それはともかく、創作論を語った当時『テンプレ』なるものが環境を支配する未来は視えてました。今ならば、小説投稿サイトで人気をだして、書籍化するというのは確実な手法として挙げられますが、世間はちょうど〝劣等生のお兄様〟が書籍化されるらしい、というぐらいで「べつにネット投稿は絶対ではないでしょう? 公募の方が強い」という認識が普通だったのです。

 なので、大勢が『新しいアイディア』や『オリジナリティ』を語るなかで、わたしの『キノの旅が一周巡り回って、新しい作品として再評価される未来が視える』という主張は、完膚なきまでに無視られました。


 ――で、現在。2017年。

 17年前に1巻が発売された、キノの旅。

 再アニメ化、決定しましたね。

 今、その目に、どんな未来が、可能性が視えますか?


**

 今後の未来を予想する上で、もっとも堅実だと思われる方法があります。それは『リスクが低そうな抜け道』を模索する方法です。

 言い換えると「真似(模倣)がしやすい」もしくは「後追いするのが比較的容易である」かです。

 わたしの予想では、今後ライトノベル、およびその媒体は『コスパ』が悪くなります。

 この捉え方は文脈のみでは複雑ですが、いろいろ省いて『新作を発売するだけでは元手を取るのが難しくなる』という認識で大丈夫です。

 資料を見たり読んだり、聞きかじったりしてみると、
 わたしが生まれる前のゲーム業界が、かつて同じような状況になった様です。

 開発難易度がどんどん上がり、新作を発売しても元が取れない。難易度は上がるぶん、新しいことに挑戦すると、単純に失敗する。もしくはユーザーに受け入れられず、新しいことを行うこと自体が、分の悪い博打になっていく。

 すると、技術が更新されても、基本的なシステムは『経験値を稼いでレベルを上げてラスボスを倒す』というものから発展しない。ベーシックなものに、どうにかして付加価値をつけていく。既存のジャンルを組み合わせてみたりする。けどそれも段々と難しくなってくる。開発コストは上がり、結果的にリスクばかり増大する。

 保守的になると、ユーザーは「同じようなのばかりで飽きてきた」と言う。開発側も挑戦したい背景はあるけれど、コストを得て、アイディアを組み込み、博打を行ってみたら、大損して再起ができなくなるかもしれない。

 ここで登場したのが『既存作品のリメイク』です。

 新規IPを取得する一方で、過去の人気作を、改めて手を入れて蘇らせていく。それが増大を続けるコストを回避し、リスクを極力抑えることのできる最善策でした。

 試みは成功したといえるでしょう。

 仮に、もしも某企業が「ファイ〇ル・ファン〇ジー」を一度でもリメイクしなかったら、全員が同じことを言うと思います。

 その世界線では、既にシリーズが終わっているはずだ、と。

 そして、現在のライトノベルを取り巻く環境は、この当時のゲーム業界と酷似しています。お世辞にも「カクヨム」が上手く機能しているとは言い難い現状、新規拡大を目指す一方で、どうにかして『コスト』をかけずに、上手く利益を得られるかを考えると、既存作品のリメイクを行う方向に舵を切るのが、一番無難ではないかと考えられます。

 話は変わりますけど、ドラゴ〇ボールってすごいですよね。
 わたしが今暮らしている、兄の家の別宅に全巻がそろっています。新装版とかも全部ある。30年以上経っても、まだゲーム化されるし、グッズ化されるし、飲食物ともコラボしてるし、今でも男子にはきちんと支持されている。

 そこまでとは言わずとも、ライトノベルが「キノの旅」を始めとしたリメイクで上手くいったら、関係者は掌を返すように、既得権益を再展開しようという運びになるのではないかな。

 それが、わたしの思い描く、
 これからの小説の、もっとも現実的な『可能性』です。


 現実的でないものに、AIが創作を行い、人々がそれに集約する未来。というのを、昔に(わたし一人のアイディアでは無いけど)思い付きました。

 それもやっぱり「人間が〝そうぞうせい〟を失うことはありえない。技術が発達すれば、それに伴う新しいアイディアやオリジナリティは必然として現れる」と言われました。


 ――はたして、本当に、そうなるものでしょうか?

 新しいものを生み出すには、必ず『コスト』がかかります。

 『コスト』を「0(ゼロ)化」できる存在が現れた時に、それに依存しない事など、できるものでしょうか。

 才能を見出すという行為ですら、0になる。

 それで誰かが得をする。

 真似をして、同じものを得るためのコストも0。

 それでもコスト100を払って探し、コスト100をかけて読み解き説得し共感を得て、コスト100をかけて展開しますか? 失敗すればその三乗のダメージを受けるわけですが? HPが0になれば、あなたの人生とは一体なんだったのか、となりますがよろしいですか? たった一度限りの挑戦をお一人でおこないますか? こちらには、無限にダブルアップに挑戦できるサービスが無料で販売中でございますよ?


 ――それでも、未来の『可能性』を視てみたいのですか?
  
 人間の『魅力』やら『可能性』を信じてみる気はあるのですか?


 現実は小説より奇なり。

 という未来が訪れることを、楽しみに待つ余裕、おありです?

1件のコメント

  • 余裕はないけど見てみたいです。

    コストの観点から言うと完全に秋雨さんのおっしゃるとおりなんですよね。
    しかし ときたま「今まで見たことない新しい娯楽に触れたい」という強い欲求に突き動かされるのも事実だったりします。

    二次創作界隈でも、テンプレがあり、ちびキャラ化されたキャラがおり、異端があり、成り立っているところもあるのではないかと。今までのものと少し違う、という魅力と、全然違う、という魅力、ふたつの軸は確かに存在しているのだと思います。

    でもそうですね、見つけるコスト、発掘した作品を人目の触れるところへ押し上げるコスト、ここの辺はちょっとどう考えていいのか。誰がどこまで責任を持って負担するんだい? っていう話にはなりますよね。っていうか出版社にそのような余力があるんだろうか。

    採算とか考えずに趣味で読むには今の環境で全然楽しいんですけども。プロとワナビと趣味の人がカオス状に広がってて、私的には今のネット小説すごい楽しいんですよ。ひー、たのしー!!!って感じです。
    こういう興味深い言説にも出会えますしね。
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