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おはようございます、秋雨です。
あまり読んでて楽しくない、ネガティブな日記を書きます。

サタデープログラムのタイトルで「ライトノベルだけじゃない!?Web小説の魅力と可能性」という記事を見て思ったことですけど、率直に「その〝可能性〟を見出す可能性って、小説投稿サイトがより難しいものにしてしまったよね?」と思いました。

確かにweb小説は、異世界転生ばかりではないです。

「君の膵臓を食べたい」で人気になった作家さんもいます。映画では「君の名は」が流行したおかげで、出版社さんが、異世界転生以外を求める動きを見せ始めたのも、なんとなく肌で感じています。

でも、web小説の魅力と可能性、という言葉の観点は、まず「商業者」と「消費者」でずいぶん異なると思います。

第一に、売れるか。おもしろいのか。
これがイコールであるか、そうでないか。

商業者である版元や作家さんは、ここがイコールでなくてはいけないけれど、消費者はそうでもない。ということ。もう少し言えば、現状だけを見ているか、その先を見ているのか。

なのでもし、檀上で「君の膵臓を食べたい」や「君の名は」を例にだして、わたし達に語るのであれば、「web小説の魅力と可能性」という言葉は、既に捉えている「枠」が違うということになります。

カクヨムに来て、出版社が作りあげた投稿サイト。というものの推移や傾向を見てきました。しかし個人的に思ったのは、埋められない差というか、溝というか、認識の違いでした。

カクヨムがいろんなジャンルの話を書籍化しているのも把握しています。毎週5作ピックアップして感想を書いているのも凄いと思います。でも圧倒的に物足りないと思うのも事実なんですね。


最初カクヨムのメルマガが始まると聞いた時に。
これが普通に毎日、新聞のように送られてくると思って期待したんです。
でも月間だった。週間ですら無かった。

それが意味するところは、現状の体制で「月イチ」なら、とりあえずやれるよ。という感じに捉えられて、わたしは勝手にガッカリしました。

それは「さすがに無理だよ」「コスパ考えろ」とか言われると思うんですが、でも、カクヨムから、オススメ作品や、ひとくち感想記事が、毎日届けられたら、少なくとも今よりは、興味をもって読むと思うんです。期待してメールを開くと思うんです。

だから「カクヨムを今より良くするにはどうすれば?」と聞かれたら、超単純に言ってしまいます。毎日5作品感想を書いたメルマガ送ればいいじゃない。って。

毎日、最低で1作品、カクヨムから「どこかの誰かの作品読んだよ新聞」が届くなら、それだけで毎日メールが届くのが楽しみになる。定期購読する人は増える。その事実を否定する人はいないと思います。


で、君は結局なにが言いたいの?


わたしが言いたいのは、web小説投稿サイトの発達によって、各作品の人気度合が視覚化されてしまったのだから、当然格差は発生するし、先入観の度合いも強くなる。そうなればもはや必然、どこかの誰かが自発的にコストをかけない限り、見つかる「可能性」なんてものは、既存のジャンルのもの以外ありえない、ということです。

現実の書店や、一部の同人市場では、目立つスペースを手に入れた場所が強い。お店は当然、人気商品や『売れ筋』を目立つ場所に置きます。

投稿サイトでは、これがランキングにあたります。

じゃあ、この「投稿サイト」という、仮想スペースのお店を、隅々までじっくり渡り歩いていこう、人気商品以外の棚置場まで、心ゆくまでお買い物を楽しもうと思われるお客様(読者)というのは、そもそも『お店のファン』にならなくてはいけないと思うのですね。

お店のファンになるには『広告』が大事ですよね。

広告は一枚よりも、もちろん、たくさんバラ撒いた方がいい。

そしてその広告は、誰が得をすれば一番良いのか。

すでに完成している『大きな他店』よりも、お客様を集めるには、どのような広告をたくさん分布すれば良いのか。

しかしより大事なのは、第一に「地道で面倒なビラ配り」を、無償で依頼したところで、どこの誰が、責任をもって継続的にやってくれるのか。


そういう、ビジネスモデルとしてのシミュレーションです。


『コスパの良いネットビジネス』が成立する時代は既に終わりました。


小説家になろうは、先駆者として『異世界転生の棚が人気の本屋さん』という看板を得る事に成功しました。

カクヨムが掲げた看板は『異世界以外の小説にも日が当たる本屋さん』だと思います。だから、ジャンルを分け、ランキングを各ジャンルに細分化して「異世界の棚以外」にも人気をだし、注目度を分散させるコンセプトとして立ち上がったのは間違いではないでしょう。

ただ、小説家になろうがそもそも『異世界転生』で特化できたのは、結果的にそれが『ビジネスモデル』としての最適解のひとつであったからです。

パズルゲームは、RPGに逆立ちしても勝てない。
並ぶには「育成」という経験値の概念を入れる必要があった。

加藤恵もやっています。パ〇ドラです。そういうことです。


話を戻します。


ライトノベルという業界は元々、他のエンタメ分野より数年遅れた流行を形成するという話があります。これはライトノベルというジャンルが既存の一般文芸より独立し、マンガやゲーム等と同様の方向性を模索して成り立ったものであり、そこから「ゲームが好きな日本人に合うネタ」を研究して、文章に返還して人気が出たジャンルだからです。

逆に人気ライトノベルを参考にしたマンガやゲームも現れはじめるわけですが、こと「ビジネス」という形態では、ライトノベル業界はマンガやゲームの流行を後追い、参考する形が自然です。たぶん。

そして現代で大流行のソーシャルゲームは、既に『必要最低限のプログラム技術』さえあれば、勝手に課金してもらって、売れまくるという時代ではなくなりました。

一部、めっちゃ課金されてるようなゲームがありますが、裏では開発規模に数十億、百億規模をかけた、人海戦術が行われています。海外でも通用する一級クリエイター集団のプロジェクトがしのぎを削る時代です。

ソシャゲのビジネスモデルの一つを語ります。みんな知ってます。課金に等しい「石」をバラ撒くという手法です。これで課金しないユーザーさんでも、毎月石をコツコツ貯めて、課金を楽しみにしてゲームを継続してくれます。

それは同時に、作り手側が、絶えずコンテンツを生み出す必要性に駆られるということになります。何故なら、石を配りまくったところで、課金したくなるキャラやアイテムが出なければ、無意味だからです。コンプされるよりも早く、新規を作らなくてはならない。しかもプロジェクトが人気だと終わりが見えないんですよ。無限のフルマラソンです。ありがたいですね。レッドブルおいしい。

 遊び手にとっては、お金に等しい石が入ることは悦びですが、作り手にとっては地獄です。人気を維持するために、人件費は激増しますし、新規コンテンツにバグが出ようなものなら、その修正にも人手がいります。詫び石も渡さねばなりません。まさに赤字。こ、殺す気ですか兄上ーっ!


個人のフリーゲームは、センスも大事ですが、流行するのは往々にして膨大なリソースを作り上げたクリエイターになります。そういったものが競争を始めると、どんな天才でも一人では太刀打ちできなくなります。彼らはチームを組んで、無償の出資者を募るようになりました。

数年前ならまだしも、今から単独で「個人のフリゲ製作者」になって名をあげるとかいうのは、ハッキリ言って無理です。おもしろいモノを作って、ある程度有名になって、後押しの支援があっても、続編ではそれ以上のリソースをかけねばならなくなり、結果として集団に属さねば潰れます。


 ――では、ライトノベルは? 
 活字だけで構成された媒体ならば、まだ望みがあるのでは?

 そうですね。異世界転生ものがたくさん出て、だんだん売れなくなってきたから、今度は流行にのって、一般文芸よりの作品を取って兼ね合いを取ろう。そういうのを見つけていこう。可能性はありますね。

 ですが、そこにはもう

『コストや人手をかけずに成功するとかいう可能性』

 は、絶対にありえません。これが、わたしが『カクヨム』というサイトを始めてみた時から思い続けている溝、認識の差、違和感でした。

 きっと、投稿サイトを作る時にも、膨大で複雑なコストはかかっているのでしょう。けれどそのコストは『ゲームリリース』までです。

 現代のゲームコンテンツが継続されるには、リリースの5倍/月人件費とか言われます。怖いですね、お兄様。

 これからは、公募が全盛期だった時代以上の、気が遠くなるほどの手間と時間をかけ、研鑽と議論を費やして、無理に無理を重ねなくては、新しい魅力の発見など、到底不可能であるように映ります。

 そも、想像するに「ライトノベル」というのは、そうした既存の労力をかけることに割が合わなくなって、一般文芸から逸脱したものであるとも考えられます。特に90年代後期って、少年ジャンプが黄金期だった一方で、小説の売り上げが低迷傾向にあって、新規作家がでないとかの事情があれば、まぁ業界内でも力量関係がいろいろあったんだろうなぁとか考えますよね(邪悪)

 しかしその当時と決定的に違うのは「ランキング」が視覚化され、情報が消費者共々、共有化されてしまっているということです。つまり、現状から逸脱して新しいものを作りだそうとしても、昔と違ってランキングに載ってないと、誰も手に取ろうと思わない。口コミ、という概念が発生しない。

 だから、結論言ってしまいますけど、無理なんですよ。

 ネット小説で新しいものを探したい。

 方向転換をする。可能性を見出す。

 ただし、ランキングには乗れない。

 乗れないから、口コミで広まらない。

 誰かが、必要以上のコストを負担せねば、何も始まらない。

 『たかが毎日のメルマガ』ていどを、労力や負担だと感じるのであれば、ネット小説はこれからもしばらく、異世界転生ものが細々と流行し続けるはずです。今後、新しい可能性をもったものは、小説投稿サイトからは発生しません。異常、あるいは血眼になっても見出す、執念ともよべる程の、膨大なコストをかけた場所からに違いありません。

 そういうことまで、きちんと語ってくれるのか。

 学生だからといって、ひとあたりの良い言葉で誤魔化さないか。

 24時間スマホを肌身離さず、絶えず晒されたランキングを目にし、氷山の一角、0.1%のSSR以外に興味を示さないわたし達に、どこまで「新しい魅力や可能性」を語ることができるのか。

 もはや、大人だけが知りうる情報など、この世には存在しません。
 世は数字で構成され、応じた順位がつく。異世界転生はネット小説としてみれば最強の存在であり、それに勝てる方法というのは、原則存在しないのです。「総合ランキング」を見れば一目瞭然です。

 その、ランキングを持つサイトを運営するトップの人間が、ランキングを否定してまで語る『可能性』とは、なにか。

 わたし達に、なにを、どこまで期待して、
 自分達は、なにを、どこまでするつもりでいるのか。

 実に、興味深いですね。

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