『カデン・メイデン』
「わたくし達は、言わば侵略者なのですよ」
彼女は言った。
「あなた達が持つ、普遍的な認識。それは〝こういうものだ〟という常識の一部を間借りして、その一部へと擬態化した生き物。べんりで都合の良い存在。それがわたくし達です」
彼女は〝カデン〟と呼ばれる生き物だった。
「えぇ。わたくし達は、ソウゴウ・デンカ・セイヒンです。意識の統一化は完遂されました。この星に住まう人々は、わたくし達の存在なくしては生活が成り立ちません。後はひたすら想うがままに。おおせのままに。あなた達が求めるモノとして在りましょう」
一家に一台、べんりな、カデンをどうぞ。
新聞の間に挟まっている広告。鋏を使い切り取ったものを郵便受けに投函すると、カデン協会と呼ばれる場所から、カデンが派遣されてくる。やってきた彼女らは、主に家事の一切を担った。
「人はわたし達の姿形を見ることが適います。屋敷の中という生活圏まで侵入したところで、当然だと考えているのです」
つややかな黒髪に、白くて清潔な前かけ。整った身だしなみで、寡黙にはたらく女性たち。料理、洗濯、掃除などの家事一式を完璧にこなして、髪留めからは離れた人々の意志が飛びかった。
『ご主人様、おデンワです』
普段は誰も存在を気にとめない。だというのにその時だけ、父も母も反応した。彼女の髪留めを受け取り、遠く離れた人と意識を交わしあうのだ。もしもし、はい、承知しました。それでは、また。
対話が終わるまで、カデンは静かに佇んでいた。
「そろそろお時間が来たようですわ」
僕が恋した女性が微笑む。
「(your_name)さま、見初めてくださったこと、たいへん嬉しく思っておりますわ。しかし相互理解と見解の一致を、わたくし達はまだ認めておりません。これで一先ず今生のお別れと致しましょう」
僕は縋りついた。君が好きだ。離れたくない。
たとえそれが、一般的な感性でなくとも構わない。
僕は君に恋をしたのに。君はうっすら笑ってこう言った。
「さようなら、寂しい人」
夜桜が舞い散る春の暮れ。掌のくぼみへと落ち、雪のように消えてしまった花を想う。同じ季節は二度とおとずれないと知った時、男はひたすら過去に耽り、女は強く切り替えるという。
その通り、僕はありきたりの大人になった。歳は20を折り返し、精力的に仕事をこなしつつも、今日は少し疲れたな、という口癖が増えはじめていた。
*
「お帰りなさいませ、ご主人様っ」
「……?」
仕事から帰ってくると、玄関先に見知らぬカデンがいた。
「よかったぁ、あぁほんとうに帰ってきてくださって良かったのです。このままではわたし、オートロックの扉に屈するところでした。そろそろ野宿の支度をせねばと思っていたぐらいだったのですよ~っ!」
僕がものをはさむ前に、つらつらとまくし立てられた。
「……あの、君は」
「あっ、自己紹介が遅れてしまいましたねっ!」
網模様の車輪付き鞄から手を離す。白い前かけに両手を添えてお辞儀する。衣装は昔ながらのものとはほど遠く、ひらひらと飾り気があった。
「わたくし、カデン協会より派遣されてきました、ニノセハルナと申します! この度は当協会がご提案する最新婚活プラン〝お一人様男性結婚支援会〟へのご加入をいただき、まことにありがとうございますっ!」
「……えぇと、なに?」
「最新婚活プラン〝お一人様男性結婚支援会〟ですっ!」
「あ、はい」
寝耳に水だった。意味はわからない。連日の仕事で疲れた頭の中身が一応の意志を返そうとする。結局はそれよりも早く、ハルナと名乗るカデンが言ってきた。
「わたくしの機構には、リアルタイムで更新する、選りすぐりの〝結婚回覧情報板〟がございます! 今後、ご主人様が素敵な女性と出会えますよう、様々なご支援をさせて頂く予定です! どうぞご期待くださいませっ!」
「…………あ、」
「はい! どうぞ、よしなにお願い致します!」
「すまない。えぇと、そうじゃなくて……」
「はい?」
「その……待ってくれ。僕は、君を頼んだ覚えはないんだけど」
「え?」
どうにか伝えると、ハルナはようやく口を結んだ。快活な子だ。言語中枢を占める回路の出来が違うと、こうも口数の差が生まれるのかと恐れいる。
「僕は実家を出てこの方、カデンと契約を結んだことはないんだよ」
「そうなんですか?」
「そうなんだ」
こちらを見上げてくるカデン。平均的な成人男性の僕よりも頭一つぶん小さかった。なのに僕よりもずっと、生気のある瞳を瞬かせている。それだけでなんだか、居たたまれなくなってくる。
「そういうわけで、さ」
デンシ錠の暗唱番号を入力しながら、いささかの申し訳なさを込めた口調で伝えてみた。
「一応、自炊はしているから、湯沸かし機とか、必要最低限の物はそろえているよ。けどどれも自立機構のない、一般的な代物だから」
「えぇと……でも、先日、当協会にご応募くださりましたよね?」
「悪いけど記憶にないんだ」
「そんな、でも……こちらが投函された、デンシ葉書の内容になります。ご確認いただけますか?」
ハルナが両掌を差しだしてくる。するとその箇所から球体がふわりと浮かびあがった。形を変えて葉書の大きさになる。いくらも古い、僕の顔写真を貼ったものが見え、その下には文字が書かれていた。
「どもーっす!(^-^)v
2年前に大学を卒業して、折り返しとなった25歳の若者です!
将来的に結婚予定で、子供が産める彼女を大大大募集!!!
母親に早く孫の顔を見せてやりたいんで、
とにかくオレと結婚してください!! ひとつよろしくぅー!!」
「……」
「……」
僕とカデンは、ひとしきりの間、おたがいに黙っていた。
「……あ、あれ? なんかキャラ違いますね?」
「おかしいと思わなかったのかい?」
「いえ、あの、ご本人に実際お会いするまではなんとも……」
人格が違う。まったくその通りだった。先に解答となる可能性に思いあたったのは僕の方だ。
「すまないけど、それはたぶん、姉の署名だよ」
「えぇっ!? お姉さまの!?」
「世話を焼くのが好きな人なんだ」
姉は8つ歳上だった。そのせいか、大人になってからも僕を子供扱いしたがった。結婚の話はこの前、帰省した時に決着がついたと思っていたのに、どうやら違っていたらしい。とにかく困った人である。
「わかりました。それではまた何かありましたら……」
しょんぼりしていた。先ほどまでの明るさや元気はどこへ行ったのか、車輪のついた鞄の取っ手を掴み、立ち去ろうとする。
「……ハルナ、だっけ?」
「はい」
すでに日は深く沈んでいる。交通機関も最終のものが出払った頃だろう。まるで僕たちのように、途方に暮れている背中に告げてしまった。
「今日だけ泊まっていくといい。姉の身勝手だったとはいえ、すまなかったね」
僕は告げた。相応に疲れていた。