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〝俺として〟②


「エンド・ワールド」

 世界の切り替わりを示す一言を告げる。
 不意に耳鳴りのような、かすかな音がやってきた。やがてそれは明確な電子音、コンピューターの内部パーツが処理を行う際に、ほのかな熱と火花を込めた音に変化した。

「リョウ君、おつかれ。目を開けていいけど、まだ動かないでね」
「……うぃっす」

 返事をした。すると〝自分の喉が震えたのを感じる〟。

 ついさっきまでの間、声というのは、喉の声帯を利用しなくても構わないのだと錯覚していた。

 つまらない現実の一区画。ガッコウのキョウシツ。

 VRで作られたセカイは現実と何も変わらなかった。だというのに、目覚めた今この時の方が、いっそ作られた世界なのではないかというイメージさえ抱く。

「椅子おこすよー、ゆっくりねぇ」

 その幻想はすぐに霧散した。この世界こそが現実なのだと思い知る。特殊なリクライニングチェアが起きあがり、正面の鏡に俺の姿が映しだされた。

 ライダーメットを思わせるVRデバイスを頭につけ、衣服はゆるい薄緑色の患者服だ。外見のイメージとしては病人そのものだが、べつに俺はどこも悪いところはない。

「リョウ君、デバイス取るよ。動かないでね」

 似た様なやりとりをする。逐一の確認を行う。それがむしろ、壊れ物を取り扱うかのように細心の注意を払っていると感じられた。デバイス――関係者は〝メット〟と呼んでいる――を取る。空調のが少し蒸れた頭部の髪をなでる。正面に大きな鏡があるせいで、病室というよりは、通いなれた美容院のイメージがより近い。

「おつかれ~。はい、お水。〝今日の収録〟どうだった?」
「べつに。っつーか……全編アドリブみたいなもんだし。気楽っす」
「やー、ふふふー。頼もしいなぁー」

 のんびりした感じで言ってくる、黒髪ロングの女。サエキという名前の女性は、少し間の抜けた顔と口調、袖口のやや伸びた服といった装いをしていた。化粧気も薄く、顔立ちのパーツは良いのに美人が台無しといった感じだ。ぜってー彼氏いねーわ。この女性(ヒト)。

「怖くなったりしない?」
「そういう奴がいたんすか。――っと」

 サンダルを履いて床に降りる。質問を先読みして返事をすると、サエキは「たはは……」と曖昧に笑った。

「どっちがリアルなんだか、わからない、ってね」
「ここが現実でしょ」
「そだよ。少なくともこの世界で飲み食いしなかったら、君は死んじゃう。その水はどう? 美味しい?」

 紙パックの中でたゆたう水。俺はついさっきまでVR空間――『高校の教室』――にいた。

「べつに。フツー」
「うん、よし」

 その場でサンドイッチを食い、カフェオレを飲みながら、スマホでインストールしたアプリゲーをしつつ、ダベっていた。

 後の二人は、俺と同じ「スカウトされた学生」のはずだった。内容のよくわからないテストを受け、やけに面倒な守秘義務の一切に保護者同意の上で判を押し、大手ゲーム会社の『最新VRモニタリングテスト』を受けていた。

「リョウ君はSNSとか、やってないの?」
「そういうのめんどいんで。ブログもソーシャルも、オヤジの事務所任せで、よくわかんねーとこあったら、俺が指摘してます」
「……芸能人ってみんなそーなの?」
「さぁ、興味ないんで」
「ふええぇ~、夢が壊れるぅ~」

 残念なことを言う大人もいたもんだ。現実と虚構の区別ぐらい、つけとけよ。って言ったところで無理ってのは、俺が一番知っていた。

「それよか、サエキさん。ダクストの新しいカードなんだけど、新しいカウンターカード、コスト安すぎないっすか? あれそのままリリースしたら、絶対壊れ言われますよ」
「あ、その辺りのバランスはお姉さんわからないんだぁ。担当外だから。でも部署の方に伝えておくね。リョウ君、ブログの方は別担当でも、ゲームの方はガチなんでしょ?」
「そっすよ。今期のアジアリーグ、参加圏内狙ってるんで」
「たのもし~。その調子で我が社のカード売り上げに貢献してね」
「その辺はマネージャーが適当にやるんで。じゃ、今日はおつかれっした」
「おつかれっしたぁ~」

 しれっと言われる。部屋の外にいたスタッフにいつものように案内されて、長い廊下を歩いていく。更衣室で服を着替え、髪を整え、少しだけ香水を振る。見栄えをよくした後、他の会社の人間や役者連中にはてきとうに愛想を振りまきつつ入口に向かう。するとそこには、一番会いたくない母親の顔があった。

「あ、リョウ。こっちへ来なさい」
「……」

 言われなくても、いくっつの。そっちが出入り口なんだからよ。

「こちら、今売り出し中のプロデューサーさん。ほら、ご挨拶して」
「――こんにちは、初めまして。神威リョウです」
「あぁ君が」

 人好きのする笑顔。少し間をあけた。

「ガチのダクスト勢で有名なんだよね。今期のver4の最終リーグ、上位にいるんだってね。いやぁすごいなぁ」
「ありがとうございます。あのゲームほんとすごく面白くて、必死にやり込んで、ラダー後のレジェスター100個やっといけたんですよ」
「そりゃすごい。レジェ行くだけでも1%以下なのに、その後でスター100個は本当にアジア圏でもトップだね。大会はでる予定?」
「はい、スケジュールが会えば、ぜひ」
「ありがたいなぁ」

 おたがい、営業用のスマイルを浮かべ、痛くもない腹のうちを探り合う。今出演中の『件の最新ゲームデバイスのテスト』に関しては、一切口外にしなかった。そして帰りの車の中、

「……おいババア」
「はいはい、なぁに?」
「SNSの俺の発言、なに勝手に消去してんだよっ!!」
「だってアンタ、たまに表に出てつぶやいたかと思ったら、誰がクソだの、アホだの、バカだの、ザコだの、ファンの子が見たら幻滅しちゃうじゃない」
「るせぇ! ザコにザコっつって何が悪ぃんだっ!」
「はいはい、ゲームは仕事がもらえる程度に、てきとうに愛想振りまいて卒業しなさいね。アンタの人生かける程のものじゃないでしょう」
「……タレントだって似た様なもんだろ」
「そんなことを言ってる間は華よ。今はそこそこ稼げてるんだから、今を大事になさい」

 赤信号で車が止まる。元は女優であった母親は、ジッポに火をつけ、マルボロのライトを一本くわえた。

「それにしても、VRシネマねぇ……新しいビジネスになるのかしら」

 母親が、遠い過去を思い出すようにつぶやいた。

「見てる分には、まるで本物の映像と変わりなかったけど、カメラや照明はどうなっているのかしら」
「ゲームと同じ理屈らしいぜ。VRに入った〝人物〟を中心に、自動でフォーカスしたカメラワークが付いて回るんだとよ。編集は後でスタッフがやってるらしいけど」
「まるで未来のお話ね」
「現実の話だよ。ババア、テメェがマジもんのババアになった時、幼女の姿でまたスポットライトが浴びれるかもしれないぜ?」
「それは無理な話ね」
「なんでだよ」
「常識が変わっているからよ」

 VR技術が、すぐ手の届くところにやってくる。おそらくそれを中心にいろいろな「あたりまえ」が変わるのだろう。

「マンガが出来て、マンガ論ができたわ。映画が生まれたら、映画論ができた。そういうものと同じように、VRなんてものが一般まで浸透すれば、VRに関する芸術論が生まれる。私がその時におばあちゃんになっていたら、たとえ昔の身体と才能を得ても、誰も見向きはしないのよ」
「世の中には、マニアな連中がいるんだぜ」
「あら、珍しいじゃない。お母さまの美貌をもっと褒めたたえていいのよ」
「調子のんな、地下アイドルとかが似合いだっつってんだよババア」
「ほんと可愛くないクソガキね……焼きごてるわよ?」
「物騒な動詞作んな」

 俺は今、最先端の技術を浴びている。母親の運転する車で事務所に帰るまでの間は、ありふれたスマホを操作して、1万年以上前に基礎ができた、四角いカードを切っていた。

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