• エッセイ・ノンフィクション
  • 二次創作

「2.5」2話・後編(掌編)

 目の前にあった「たいせつなもの」が消えてしまう。古今東西のジャンルにおいて、それは人の哀愁を誘い、記憶から失われない程に色濃く根付く。ただ、それはあくまでも「人」の中で共感され、変化をもたらし、処理される。

 演劇も結局のところ、人の興味を惹いたものが勝利するビジネス形態であることに変わりはない。人の可能性や新しさ、目覚ましさを追求するといっても、その新しさを観客に伝えられなければ、無意味でしかない。

 本音を言えばたいした事はないだろうと思っていた。それは単なる劇場装置の一種だ。幽霊の失恋をテーマにした演目において、主演女優たる彼女を含めた役者らの魅力を惹きたてる素材でしかない。そう思っていた。

 しかし稽古が始まり日が経つにつれ、ARとして投影された青年は少しずつ「役」を理解した。スポンジが水を吸い込む様に、という表現は使い古されて久しいが、ともすれば『何か役を演じること』という職業は、AIにとって天職と呼ぶべきものであったのかもしれない。

 オレの様な凡人でさえそう思ったのだから。
 演技に天性の素質を持つ姫川は、よりのめり込んだ。

 彼女の描く台本の中、ほんの数行だけ存在していたAIのセリフは徐々に増えた。実を言うと当初は喜劇の構成であったのだ。
 主な内容は『幽体離脱した恋人が、なんだかんだあって生き返り、彼女と幸せに暮らし続ける』という内容だった。

 現代に悲劇はウケない。
 金を払うなら、笑って過ごせる時間の方に価値がある。

 それがオレと姫川の共通認識だった。大学を卒業して、だいぶ丸くなっていた姫川は、手堅く一般受けするものを描いた。全員で団結し、そこそこの成功で満足するように見えていた。

 しかしそれが、彼女の中で燻っていた「なにか」を強く揺さぶってしまった。オレや周りの奴らに数年ぶりに当たり散らし、慣れていた環境をブチ壊した。見る奴によれば「気が狂った」としか言いようのない程に、再び本気を出しはじめたのだ。

「……相手にとって、不足なしだわ」

 それは数年ぶりに見た、実に野性的な笑みだった。彼女が一週間、ほぼ飲まず食わずで書き直した台本は、もはや元の体裁を一片も残してない。喜劇であったはずの内容は『死んだ者はけっして蘇らない』という、重くて苦しい、悲劇そのものに変化した。
  
 もちろん全力で止めた。そもそも大学院生に進んだ知り合いから「おもしろそうダナ~ちょっと貸してヨー」と機材を持って帰ったのもオレである。他ならぬ座長にすべての責任があり、スタッフ全体から「なんとかしろ!」と板挟みにあった。

 しかし結局、舞台は書き直された悲劇でいく事にまとまった。客に受けるかは分からないが、それでも『作り手』として集まったオレ達の中には、彼女が書き下ろした悲劇の方が、圧倒的に「おもしろい」と確信してしまったからだ。

 それは正しかった。最後のラストシーン、役者が『実際に消える』演出が起きた時、舞台の空気は異常と呼べるほどの寒気に包まれた。

 
 ――なにか、あたらしいものが、うまれたのを、みた。

 
 姫川は、オレ達は、正しかった。
 
 もはや現代の物語には、あらゆるアイディアが出尽くしている。彼女の書いた脚本も真に迫るリアリティはあるが、それはだからこそ、使いまわされたテンプレートでもあった。理解されるとは、人の心に訴えかけるとは、そういう事だ。

 ただ、幽霊の演技をしていたそれが、外的要因よりもたらされた、完全新規の存在だった。

 実在の血肉をもたない『本物の幽霊』が、舞台の稽古中に少しずつ変わった。姫川という人間の要望に一途に応え、時に一睡もせずに語る、天才的な「芸術論」への理解に努め、実際に殴られはしないが、激情というべき拳で何度も殴り蹴られ、汚い言葉で罵られ、踏みつけられた。それでも与えられた役目をこなそうと、一切の疑問を抱かず、懸命に立ち回っていた。

 まるで、英才教育を施す親子の様だ。スタッフの誰かが口にしたが、あながち何の冗談だと笑えなかった。

 それには『挫折』がない。時間的な制約にも捉われず、周囲に同調するといった不必要な『無駄』をも必要としない。生命を維持するのに、飯を食わずとも良く、ただ単独の目的を遂行すべく行動する。

 元々天才とはそういうものだ。一芸に秀でている分、他のキャパが圧倒的に少ない。一般的な物差しで計ってはならない。であればこそ、それらは同じ生き物と言えたのかもしれない。


『ねぇ、どうか、オレの代わりに、これからも生きてよ』


 それが消える直前のセリフは、凡人にも容易に浮かぶ、ありふれた物だった。どこまでも使い古されたはずの一言を吐いて、それは正しく消えていった。それの姿を肉眼で捉えられなくなった瞬間に、会場は凍り付き、観客の頬はあたたかい涙で濡れていた。

 それは、天才に戻った人間の女による指導を得て、場に集った凡人共をまとめて『感動させてしまった』のだ。

 演劇としてはこれ以上になく、大成功だった。
 しかしそれは一つの成功を元に、決定的な亀裂をもたらした。

 『オレたちは、もういらないのかもしれない』

 疑念を。この先もけっして消えぬ焦燥を。
 それ(AI)は、オレ達の魂に刻みこんで消えたのだ。

「――素晴らしい。我が相手にとって不足なしだわ」

 そう自負できたのは、過去を鑑みず、未来に並び立つ覚悟をした姫川だけだった。オレが、とりあえず、もうちょっと慎重に生きていればなぁ……とひどく後悔したのは言うまでもない。

ーー

「パンドラの箱ねぇ」
「そう。タイトルに代わりないわ」

 深夜、自宅のマンションで、書き直された脚本に目を通していた。

「女が開いた箱からは、あらゆる災厄が飛びだした。しかし箱の底にはたった一つの『希望』が残っていました」


 現代にとっての『希望』ってなんだ?


 元々の台本では、最後に残っていた『希望』の内容を、自由に選べることになった冴えない女が「気兼ねなく有給休暇を消費できる社会にしよう……」という願いを叶えようとする、

 世界中の金持ちのイケメン共が、冴えない女を強引に自分の物にしようと迫り、自らの『希望』を、女をダシにして叶えようとする。まさに男と女の喜劇だった。

 変化した台本では、パンドラの箱を開いたのはAIの女になる。

 仮想世界のシステムから『最後の希望を設定せよ』と求められ、その内容を求めて、現実の世界に身体を得て歩き、旅をする。

 AIが『希望』とはなにか。
 という概念自体を探すのが劇のテーマになっていた。

「内容、クッソ重たくなってんだけどさぁ、コレ……」

 深夜の一時過ぎ。ノートPCのに開いたメモ帳を見る。リビングでコーヒーを飲みながら、すでにオレは胃が痛い。

「でもそっちの方が面白いわよ」
「面白さのベクトルが違うだろ。完全に」
「私もコーヒー頂戴。砂糖は?」

 シャワーを浴びて出てきた姫川が、服を着替えながら、でかい欠伸をもらしながら言った。

「調味料は、流しの横のバスケットの上から二段目。いい加減覚えろ」
「あぁ、あったわ」

 姫川が角砂糖を摘まむ。そのまま食った。三個。俺はなにも見なかったことにする。胃が変な方向にきゅーっとする。

「とりあえず、どうにか人集めて稽古すりゃ……今からギリ間に合うかもだけどな……」
「明日からやるわよ」
「その前に言いたいことがある」
「なによ」
「この新しい台本な。肝心の結末が書いてないぞ」
「書いてないわよ」

 姫川は勝手にオレのマグを掴んで、ブラックのコーヒーを啜りはじめる。角砂糖を入れずに、そのまま交互に飲み食いした。

「お前、ふざけてんのか」
「べつにそんなつもりはないわよ」
「……新しい話の筋は良いとしてもだな。AIにとっての『希望』がなにか分からなけりゃ、稽古もできねぇだろ」
「問題ないわ。それを含めて稽古するのだから。台本を暗記することが
使命だと思ってる素人には一生理解できないでしょうけどね」
「お前なぁ……今のお前に周りが合わせてくれると思ってんのか?」
「私には〝ハヤト〟だけがいればいいわ。さっき〝本人〟にも答えを本番中に見つけて、アドリブで演じろと伝えてあるから問題ないわ」
「問題ありまくりだろ……」

 シナリオの制作が追いつかず、とりあえず出来ているところから始めるというのは、まぁオレも色々な業界でそれなりに見てきたが、決め手となるテーマを完全にアドリブ前提でいく。しかもぶっつけ本番に。さらに内容は『AI任せ』である。

「気が狂っとる」
「本気よ。アレはまだまだ成長するわ。今ラストシーンを決めてしまうわけにはいかないのよ」
「……つまりだ、ラストシーンをお前らだけに完全に任せて、アドリブをブッ込むオチ前提を認めろ。他の奴らにも納得させろと、座長のオレに対して言ってるのか」
「えぇ。それが最高の劇になると、私は確信してる」
「……おまえさぁ、仮にAIが人類絶滅を『希望』したら、なんて応えるんだよ」
「わからないわ。その時の私の気分によるわね。あと、口の中が甘ったるくなってきたわね。塩はどこかしら」
「やめんかい」

 オレは怒った。激怒した。

「そんな話、誰もついて来れるわけねぇよ」
「前売りのチケットは掃けたのよ。やるしかないでしょ」
「誰のせいだと思ってる。人も減った」
「当人らの実力不足のせいでしょう。今度の公演でやってくる客は、間違いなく〝AIを目当て〟にやってくるんだから、そっちに舵を切ったのは間違いないのよ。それに、座長」
「……なんだよ」
「正直なところ、劇団を続けるの、そろそろ限界だとか思ってたでしょう」
「……」
「貴方もやろうと思えば、べつの仕事を手に入れることもできた。だけど演劇を続けてきたのはすべて、私の為でしょう?」
「自分で言うか」
「言うわよ。このご時世に、学生上がりの劇団がどうにか存続してるなんて、一人か二人の天才がいないとありえないから」

 自分で言うか。

「今後、VRやARの空間がもっと一般的になれば、それこそ一般人がマンガやアニメ、ゲームの世界に気軽に入れる時代が来るわ。そうなると『現実世界で開かれる舞台』なんて、なんの価値もなくなる。
 これからは、現実で起こる出来事が見向きもされなくなっていくわ。今だって、誰もが心のどこかで現実を捨てることを望んでる。この前の舞台が成功を収めたのは、そのキッカケとなりうる出来事が現れて、人々の『現実を捨てたい』という琴線に触れたからよ」
「言いたい事は分かる。けどな、そりゃまだ先の話だろ」
「本当にそう思う? 貴方が〝AIの写実装置〟をレンタルした時は、単なる小道具だと思っていたはずよ。私もそうだった。でも実際は人間の速度以上で『役』を呑み。その演技が人を泣かせたと話題にもなった。私たちの次の公演チケットは、即殺と呼べるほどの完売っぷりだったものね」
「まぁな」

 スタッフが手売りで売り歩く。自腹を切ってサービスする。そういう慣れはじめた行為の必要すら、今回は必要がなかった。

「姫川。もし次の公演もAIのおかげで成功したらどうする?」
「どうもしないわ。私はまたAIの為の脚本を書いて、その隣に立って役を演じるわ」
「そのせいでうちの劇団が解散したら、お前は何処に行くんだよ」
「いくつか移籍の話はもらってるし、前回の公演で私の顔も名前もずいぶん知れたわ。何も問題はないわよ」
「そうか」
 
 昔、学生の頃に偶然拾った原石は、もう十分に輝いていた。姫川も今になってまた、あの頃のオレと同じだった。原石を見つけ、研磨することを心の底から楽しんでいる。周囲のことなんて省みない。

「お前、少しはオレに感謝しろよ」
「してるつもりよ。私は、貴方になら殺されてもいいもの」
「怖いこというな」

 俺はそっちを振り返った。

 努力を怠らない天才に、凡人はどうやって、、、、


 なるほど。その可能性もあるのか。

「だったら次で最後だな。みんなにもそう伝えておく」
「えぇ、分かったわ」

 何も惜しいことはない。実にあっさりとした対応だった。それなりに長年を一緒にやってきたと思っていたが、終わる時はそんなものだ。

「なぁ、姫川」
「なに?」
「俺は、お前がつまらなそうに書く、喜劇の方も好きだったよ」

 ため息をこぼした。彼女の為にいくつもこぼしてきたものを、これからは吐かなくて済むのだと思った時、ようやく少し、今の自分が生きている理由を見つけた気がした。

 俺のパンドラの箱にはもう、一切の『希望』は残ってない。


 了

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する