AIがなんらかの創作性を持ち、その一部が人々に受け入れられるようになった時、人は自分たちに何を期待すればいいのでしょうか?
私は哲学とかさっぱりなんですが、AIの事と今期のアニメの内容を考えていれば、心身共に安らぎがおとずれるので、そういうことをだらだら書きます。
ちなみに上記のタイトルをそのままグーグルで検索してみると、第一に「人生に期待するのはやめなさい」と出てきて、他にも悲観的な記事が続いて、ちょっとクスッとしました(邪悪)
さらに冒頭に「AIの発展」とスペースを入れて区切り検索すると、出るわ出るわ、人間の仕事を奪うだの、人工知能のリスクだの後ろ向きな意見ばかり出てきますね。
総括すると
「こ、これからの人類に何かを期待できるとか、そんな事をマジメに思っちゃったりしてるの? そんなことあるわけじゃないのっ! アンタバカぁ!?」ですかね。
検索機能のサーチも一種のAIと呼べるので、仮にツンデレでなければ、日本のグーグル先生はヤンでますね(お前が病気だよ)。
さて、グーグル先生ですら「人類の未来に、期待とかすんなよな……」とおっしゃるご時世です。どうすればいいのか。
というか、そもそも。
ヒトは、
(未来に期待しちゃ)いかんのか?
個人的に「期待しちゃダメー」とは思わないですけど、人類単独での目立つ発展はこれ以上、たいして目指せないんじゃないの。というのも正直なところです。
似た様な考えの人は多いと思います。ただ、私の場合はそこからが若干特殊で、人類の未来に期待がもてないなら、AIと共存できる方向にシフトすれば良いんじゃない? とよく考えます。
だからAIが怖いとか、人間の仕事を奪ったらヤダー。人類の最後の砦はもはや「創造性」のみなのだ……という悲観的な意見には同意しても、だったらAIに仕事任せて、自分たちは仕事せずに遊べばいいじゃない。パンを無限に自動生成してくれるのだから、もういっそ「創造性」の部分も明け渡して、毎日昼寝してゲームだけ延々やってればいいじゃない。
トラックに挽かれて、身体なくして、中世の異世界に転移して、奴隷買って家族ごっこな妄想するぐらいなら、近未来のAIにそれ全部任せて、VRで堪能できる未来を目指せば、人類みんな幸せになれるんじゃないかな?
肉体の必要性の有無に関しても同様の意見で、入出力インタフェースとしての「ボディ」が必要というのはそうかもしれません。
が、近い将来「ゲームを作ったり遊んだり、ぼけーっと無意味なことを考えたりする程度」なら、肉体がなくてもなんとかなりそうな日が来そうなんで、生理的要求を面倒だなと感じるなら、週に一度ぐらい、脱皮するように、身体をポイと捨てて、精神だけで気ままにやりたいと考える日もありますね。
閑話休題。本題がズレたので、軌道修正をします。
今後「これからの人間に何を期待するか」です。
上記の通り、私の意見はとても分かりやすく、ずばり「人間の暇つぶしの相手を作ること。その相手を受け入れる社会を規定し、実現すること」です。
――仮に、ですよ。
AIが「人類のコミュニケーションの相手」として、ストレスを一切感じさせない、最適な隣人として現れた場合、人にもAIにも社会にも馴染めない究極の「ぼっち」って、どんな人間なんでしょうかね。
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